Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

古代ギリシア人のハデース

古来ギリシア人は、インド人のように「ハデース」を「彼岸」(εκει)と呼んで、死後の世界の概念を保有していた。(オルフェオス)
但し、死者との意志の疎通は簡単ではなく、これから死んでゆく者に伝言を託す場面が文学に見られる。(ポリュクスネー→プリアモス)
死者の霊魂は、直ぐに彼岸に行くのではなく、二つの世界の境界に留まる。仏教文化圏では、7日と死体の腐敗が進む49日の間に浄化されると解するが、ギリシアでは、まず3日(トリタ)があり、三日の断食の後宴会がある。(エナタ)それから30日(トリアコスティア)がある。30日に服喪を締め括る儀礼が行われた。これは冥界の三面の女神ヘカテー崇拝と関連するらしい。
アテナイでは、30日の兄の服喪が明けないうちに化粧をした妹が告発されたという記録がある。(リュシアス1:14)
小アジアのガンブレイオンでは、男子は三か月、女子は四か月を越えて喪に服してはならないと定められていた。その一方で、スパルタでは11日とされていた。別にアッティカでも、死者の穢れは10日続くとされている。
後の時代の著述家らはκαθεδοραという平素の生活に復帰する食事があったことに言及しているが、ホメロスの時期には一か月毎に三回のカスェドラが行われた。
死体が穢れと結びつけられていたが、これはギリシア圏で同じ程度ではない。死体のある家の扉には糸杉か髪の一房が掛けられた。死者の寝椅子の周りにはーキュトスが幾つか置かれたが、それは死者と生者とを共に浄める意味があったろうと
親族は帰宅してから沐浴する習慣があった。
アクロポリスの前門(プロピュライア)の碑文は、境内での出産と臨終は許されていなかったことを知らせる。
また、各地の神殿では境内に、葬儀から20日を経ていない者の入域を禁じていた。(前2世紀)

哲人ソクラテースが収監されたまま日を過ごしていた理由は、デロス島への神聖な使節(θεορια)が送られている間「ポリスは清らかに保たれる必要があり、処刑は禁じられる」という法があったためである。デロス島アテナイの僭主ペイシストラトスによって清められ、すべての墓が掘り起こされ、骨を他の島に移したうえ、この島で死んだり、出産をしてはならないと定めた。
デロス同盟が結ばれるのは次の世紀、80年ほど後か>

死体の穢れは、死者が何らかの敵対的な力に曝されることによって生じるとも言われたが、その正体はδαιμονεςであり、人を取り囲み、死後も追ってきて千本の手を冥界にはで広げる恐ろしい力であり、その首領はヘカテーである。この三面の女神は人の誕生と死に立ち会う。



エウリピデスの「アルケスティス」では死の神(スァナトス)にこう言わせている「というのは剣でその髪の毛を一房切り取られ捧げられた者(ハグノス)は地下の神々にとって神聖(ヒエロ)である」cf;Rev6:8ではスァナトスがハデースを率いている

「神統記」では、死(スァナトス)は夜(ニュクス)の息子であり、「青銅の心を持ち」「神々にとってさえ憎むべきもの」
エウリピデスの「アルケスティス」が最もスァナトスを詳しく描写している。「黒い眉で翼を持ち、黒装束を着る」「死すべき人を象徴的にその髪の一房を切り取って聖別するための剣を帯びている」スァナトスがハデースと別の独立した神であるかどうかには見方が分かれ「アルケスティス」の古い注釈者らは、独立していない。アルケスティスを死に案内するのがスァナトスではあるが、その仕事は本来地下世界の王ハデースのものであるとされる。
また、身の苦しみを去らせる神としてスァナトスは祈りを受けることがある。ソフォクレースは「最後に万人に等しくやってくる救い主」と詠っている


ヘシオドスによれば、この世に於ける戦争の創始者である「青銅の種族」は「冷たいハデースの国の朦朧とした館」に降った最初の人々であった。(シュメル人?)

ハデースはアケロン川の向こう側であり、支配者はプルートンである。その川を渡るにはカロンに小銭の代価を払わねばならない。(カロンが登場するのはずっと後代であり、ディオドロスはエジプト経由でギリシアに入ったとしている)
しかし、ハデース自身もゼウスとポセイドンの兄弟であり、すべての神々の中で死すべき者らから最も嫌われている。ヘルメス(霊魂の案内者)はハデースの雑役係としても描かれる。(ローマのメルクリウスとは幾分か異なるか)
ホメロスは、ハデースを神々が支配する三つの領域の一つとしている。残りのふたつはアイテールαιθηρと海である。
アイデースの場所は、オケアノスの果てや大地の奥深い谷cf.「天と地と地の下」
<アイデース[αιδης]というのは、ハデースの本来の叙事詩形>



プラトーンパイドンに於いて、善悪いずれにも目立たなかった者らの行く場所として、「舟でアケルシアス湖に送られ、そこに逗留し霊魂の浄化を受けなければならない」としているその後に再び人として生まれる。cf.煉獄,浄土<プラトーンは霊魂説についてピュタゴラスの影響下にある>
他方「国家」では、死後七日の後に選択の場に進み炎暑の中を旅をし不毛の荒野に到着して夜と過ごすと、運び去られ再び生まれる。(これは民衆信仰と思われる)
パイドンプラトーンは霊魂が肉体から解放されると、それはどこにも存在しなくなると考えているが、アテナイでは死者が地下世界で必要とされる物品を定期的に備えていたことから、プラトーン自身の考えであったろうとされている。
しかし、ヘレニズム期のカリマコスのような人物は、死後の地下世界を信じていなかった。しかし、それは先鋭的な少数者であった。
アテナイの墓碑には「天空は霊魂を受け取り、地は肉体を受け取った」とある。



戦死者の埋葬は国家によって鄭重に大規模になされていた。葬儀には近親の女性も参加することが許されている。また、例年追悼の行進が行われていた。ツゥキュディデスが述べるにそれは、通例のプロスェシスとは異なり、三日続いた。死者を墓所まで運ぶのに担ぎ手を用いず車が用いられた。

殺害された人の葬送では(エクポラ)では、槍が携えられ、殺害者への訴えの意志が表明され、親族は三日墓守をすることが義務付けられた。墓碑には呪いの言葉が刻まれ、加害者への神の復讐が求められた。

自殺者は他の死者と格別の違いを持たないが、死者の世界に入ることを拒否されるとも言われていた。しかし、ギリシア悲劇作家らは、特定の状況下での自殺を適切な、また望ましい対応としている。
cf;キリスト教が自殺を戒めるのは第五世紀からであり、452年のアレラーテ会議で、自殺は悪魔の所業であるとされたが、その以前にアウグスティヌスは強姦の犠牲者の自殺を罪からは除外している。563年のブラガ会議において、教会は自殺者の埋葬を拒否すべきであり、ミサも行えないと定めた。→ハムレット」中のオフィーリアの埋葬
英国では自殺者の遺体を杭に刺し、十字路に埋めるという習慣があったが、1823年にこれが禁止された。1554年から制定されていた自殺を犯罪行為であるとする法律は依然有効であり続け、それは1966年の「自殺法」の制定まで存続していた。



ギリシアで二度死んだ者らについては、火葬の薪の上で蘇生した者、また他国で死んだと見做されていた者についてはδευτεροποτμοιまたは`υστεροποτομοιと呼ばれた。彼らは不浄の者とされ、妊婦が新生児に施すすべてを行う事、または神々への供儀が求められた。

埋葬されなかった死者αποταιは、ハデースの国に入ることができず、地をさすらうとされ、埋葬の義が行われて初めてその彷徨が終わるとされた。埋葬はギリシア文化圏でのほぼ絶対的な権利であり、埋葬がされないことは人の尊厳を卑しめることであった。そこで戦場の死体もそれぞれの国に送り返されることが行われていた。この点の例外にマラトン平野でのペルシア人兵士の死体があるらしい。なぜなら、あのパウサニアスがどんなに探してもペルシア人の墓を見つけることができなかったからである。
アテナイでソロンが制定した法によれば、もし男の子が男娼として出された場合、その父親の一生の生活費や老後の住まいを提供する義務から解かれた。それでも父親を埋葬する義務は残った。



ギリシアでは、墓参において墓石に花輪を置き、リボンで飾り、香油を注ぐ。そのうえその前で宴会が行われ、その食物に死者も与るとされていた様が発掘からわかると
アテナイ人にとって墓碑は死者の記憶を留める以上の意味があり、そこも崇拝の場であった。
墓での食事は[δαις]または [δειπνον]と呼ばれ、それに参加した人は [ευδειπνοι]とよばれた。 [ενεγισματα]は食物を [χοαι]は飲物を指した。cf;主の晩餐
これらεναγισματαは、その語源からは、死者に備えられた食物を生者が口にすることをタブーとする意味がある。
ヘロドトスはこの辺りの権威者であった。εγινεζεινは英雄のために何かすること
χοαιには葡萄酒とオリーブ油が持参された。それらは粘土製の筒を地面に刺して死者に届けられたこともある。しかし、多くの場合には墓石に注がれた。
περιδειπνονは、エクポラの直後に死者の家で行われる宴会



ハデースの下方にあるのがタルタロスであり、掟に従わない神々を罰する場所とされる。ゼウスは父クロノスやティタン族をそこに投げ入れている。タルタロスとは動詞タラッソー(攪拌する)と関連するとの見解もあり]
そこは地とハデースの距離ほどもハデースから下方に離れていて、あらゆる贖宥の利かない低い領域である。cf;2Pet2:4(ペテロ第二筆者は直接にこの語を使用したか?ペテロの言葉を翻訳した時に案出したか?LXXの使用例は?)

ギリシアの死者概念にキリスト教的終末概念を見出すことは非常に難しいと



以上、Robert Garland "The Greek Way of death"1985~




所見;死者への扱いには、世界的に共通したところが多いように思う。仏教と比べても(もっともブッダはサンスクリット語族だが)似たところは多い。
ギリシアの葬儀でのプロスェシスというのは、ヘブライ語のセデルに近いようなところがあるようで、それが葬儀の進行次第を表すようになっていたように思えるところがあるが、これはまだよく分からない。
それから、ギリシア人は「青銅」というものに幾分か懐古的憎悪を持っている。エーゲ海方面の鉄器の時代はかなり古くからあるので、これは更なる古代、原初的文明を指しているように思える。それがシュメールやオリエント文明期を言うのではないか?

ペテロ第二がどう成立しているか?マルコスが彼の通訳であったという初期の史料からすれば、ペテロ自身がタルタロスの概念を持っていたかどうか。彼がヘブライ語アラム語で語り、それをギリシア語にに誰かが直していたのか。或いは後で翻訳されたのか。
いずれにしても第一書簡との文体の差が大きいので、すくなくとも別の翻訳者が訳した蓋然性は大きい。
または、ペテロ本人が次第にギリシア語に熟練してきて、自分で直にギリシア語で書いた可能性も無くはないようにも思える。というのも、第二の手紙文は稚拙だと言われているから。
しかし、彼がタルタロスの語を用いようと思ったろうか?それでも、文脈の意味の上ではまったく適当な語であるところが悩ましい。ペテロも異邦人の知識を吸収してゆく中でタルタロスの意味を知って用いたと云えないことのない。
なぜなら、タルタロスとは人が行くところであるよりも「神々」即ち悪霊が閉じ込められている状況に合致するからであり、そこからの解放は有り得ず、滅びに向かうばかりだからである。
なぜ、キリスト教界はこの観点から見ないのか、墓も黄泉も地獄もあまり区別せず、カトリックは地獄、煉獄、辺獄などと考案したが、これは信者を納得させるための手管でしかない。なぜなら、中世以前に原形が存在しないからである。
しかし、聖書の述べるところを総合すると、ハデースは人にゆくところだが、タルタロスはそうではない。しかも後者に入った者はまだ生きていて、一定の影響を依然世界にもたらしている。



[Ἔργα καὶ Ἡμέραι]「仕事と日」
前8世紀のヘーオドス(かなりの苦労人)の著作
最初に女神エリスとパンーラーについて記す。
プロメテウスが人に火を与えたことを非常に怒ったゼウスは、ヘーパイストスに命じて人に害を与えるために「女」というものを創らせた。プロメテースからゼウスから贈り物をもらってはならないと忠告されていた弟のエピメテーウス(後知恵男)は創造された女であるパンドーラーの魅力に負けて結婚してしまった。パンドーラーは好奇心に負けてピトス(後に「箱」)を開けてしまい、様々な災いを解き放ってしまった。彼女はすぐに閉じたので[ἐλπίς]だけは残り、逃げてしまった良きものを我々に約束したという。ヘーシオドスは「神統記」でもパンドーラーの害悪について繰り返しており、女が如何に害であるかを力説している。但し、「神統記」の著者については異論がある。内容には洪水説話などメソポタミアの影響があるとも。cf;[「死すべき人間たち」]
パンドーラーはその後エピメテウスと娘ピュラーと婿のデウカリオーン(プロメテーウスの子)と共に大洪水を生き残ることになる。
そのなかで、人類の5つの時代(黄金時代、銀の時代、青銅時代、英雄時代、鉄の時代)の神話を語り、続いて、誠実な労働生活の助言・叡智・処世術を教え、汚い金儲け・怠惰・(弟ペルセースに有利な判決を下した)不正な裁判官を非難する。<労働を美化する彼は Σίσυφος についてはどう考えていたろうか?>
(農事暦が含まれており、プレイアデースやシリウス[Σείριος]に言及した最古書とも)エジプトよりも古いか?
人間の労働の価値を讃え、無為に過ごす者を批難している。
アルギダマースによるとヘーシオドスはホーメロスと詩を競ってカルキスで勝ったとされている。

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見よ,わたしが自ら見た最善のこと,すなわち麗しいことは,[まことの]神が人にお与えになった命の日数の間,人が食べ,飲み,日の下で骨折って働くそのすべての骨折りによって良いことを見ることである。それがその人の分だからである。19 また,[まことの]神は富と物質の所有物とを与えたすべての人に,それから食べ,自分の分を持ち去り,自分の骨折りを歓ぶことをも可能にされた。これが神の賜物なのである。20 その人が自分の命の日を覚えることは度々あることではないからである。なぜなら,[まことの]神は[その人を]その心の歓びに専念させておられるからである。(Ecc5:18-20)

死んだ者には何の意識もなく,彼らはもはや報いを受けることもない。なぜなら,彼らの記憶は忘れ去られたからである。6 また,その愛も憎しみもねたみも既に滅びうせ,彼らは日の下で行なわれるどんなことにも,定めのない時に至るまでもはや何の分も持たない。行って,歓びをもってあなたの食物を食べ,良い心をもってあなたのぶどう酒を飲め。[まことの]神は既にあなたの業に楽しみを見いだされたからである。8 どんな時にもあなたの衣は白くあるべきであり,あなたの頭に油を絶やしてはならない。9 日の下で[神]があなたにお与えになったあなたのむなしい命の日の限り,そのむなしい日の限り,自分の愛する妻と共に命を見よ。それが,命と,あなたが日の下で骨折って働いているその骨折りとにおける,あなたの分だからである。10 あなたの手のなし得るすべてのことを力の限りを尽くして行なえ。シェオル,すなわちあなたの行こうとしている場所には,業も企ても知識も知恵もないからである。(Ecc9:4-10)







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