宗教間対話は比較的上手くいっている
しかし、国家が争うなら意味がない
ユダヤ教徒は聖域を踏んでしまわないために入らない
メシアが来て神殿を再建することを待つべきだと考えている。
パレスチナは七世紀のビザンツ帝国からアラブ人の勝利によって割譲されたものであり、協定で以後3つの宗教が共存し、それぞれがアラブ人という枠に入っていた。<確か、20世紀初頭にユダヤ人は3割ほどと聞いた覚えあり>
そこにナチスの迫害が起こり、シオニズムに勢いを与える結果となった。<この以前にオスマンの退潮と英国委任統治の始まりがある>
パレスチナ人からすれば、宗教の枠でなく民族の枠組みでいきなりに土地を他の国家の領土とされたことは、全く予想も理解も出来ない事であった。
ユダヤ人が欧州で迫害されたことは同情するが、なぜそのツケをパレスチナ人が払わねばならないのか?<現ドイツの中東難民受入れの動機か>
こうして、宗教にナショナリズムが絡むことによって、以前のパレスチナの宗教の共存は破壊され、民族同士の分断が突然に起こった。
・以下、麻李亜女史談------
現実のパレスチナ人の生活の困難さは旅行者には分からない。イスラエルと外国人には快適であるが、パレスチナ人への侮蔑的扱いには想像に難しい程の困難さである。
<電気水道ガスは定常的には供給されていない>そのうえ検問所での侮蔑的な扱いにより非常に長い時間を待たされるなど移動に大きな制限があり、祖先からの土地に入るにも舗装道路を使う事が許されず、危険な岩山をいくつも越えて行かねばならない。
<イスラエルの企業に就職しても通勤さえ妨害されかねないと聞いた覚えあり>
クルアーンの言葉だけが心の拠り所となっているにも関わらず、アル・アクサ・モスクに行くにも検問があり、イスラエル側の手先と化したイスラムの老人が、入域に際しイスラム教徒であるか確認する質問をする。
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(この不公平は、強引なユダヤ人と、それを許した欧州人の横暴に対してのアラブ人の無理からぬ抵抗が起因している)
両者は融和が不可能な程に主張が異なっている。
このナショナリズムの争いに宗教が絡んで、解決をますます難しいものとした。
イスラム過激派の言う「ジハード」は本来のイスラム教のジハードとは異なっている。
本来のジハードは、各個人の中にある悪との戦いを意味するものであり、剣を用いるものは例外的である。
ムハンマドは、剣を持って戦い人を殺めた者だけでなく、殺された者も共に火獄に堕ちると教えていると
なぜなら、殺された者も相手を殺そうとしていたから
テロリストはジハードという言葉を使って、ナショナリズムに利用しているのであり、イスラムを誤解させている
また、イスラムでは自殺は禁じられているが、自爆は自殺か否かには論議がある。
所見;米国のような他民族国家に、突然、少数派に過ぎなかった民族が押し寄せ、そこに国家を建て始め、他の民族を排除するとしたら、それはどんなにか理不尽で横暴なことか。実際、新大陸はそのようにネイティヴを騙し、居留地に駆逐したところに欧州人が建国している。
パレスチナ人の受けた仕打ちはそのようなものであるのだろう。人権も所有権もない。まるでカナン人扱いではないか!イスラエル共和国の建国を『回復の預言』の成就だなどと喜ぶキリスト教徒もいるのは承知しているが、『その実』で預言を判断する気はないのだろうか?
こうして見ると、宗教の有り様を云々する前に、人間の貪欲な横暴に問題があり、そこにナショナリズムも宗教も口実とされているかのように見える。「初めに貪欲があった」ではないか。
[ヘルツルの狙いは、明治維新のような欧州的国家の樹立であり、シオニズムは利用されたとも]
キリスト教界はユダヤ教への負い目があり、今日では米国でカトリックがユダヤ教に接近しており、新教の中にもメシアニックジューに心酔する向きもあり、これは伸張しつつある。しかし、イスラームについては、世界秩序の端に追いやられた観が否めない。そこでキリスト教徒が単にイスラームを理解し難いという理由や、追いやられた立場のゆえに蔑視するとしたら、その見方は倫理的に問題がある。いや、はっきりと間違っている。
それは「どの宗教が正しいか」という観点を超えることが自ずと求められる。しかし、宗教の殆どは構造的にそのようには出来ていない。これは人類の根本的倫理問題であり、同時にそれは円環のように解決の糸口を掴ませない。宗教の以前に人間に問題があるにも関わらず、ほとんどの宗教は、その人間の問題を見極めることなく、信仰することに倫理を認めてしまっているからであろう。
「どの宗教が正しいか」ではなく、そもそも「人間が正しいか」こそが問われなくてはならない。どれほど宗教的に高邁な理想を説いていても、人間がそれを行うおうとするのに悪を以ってするのなら、なんの意味があるか?(これは政治思想でも変わらない)
それぞれの宗教の信仰者がそれぞれの宗教の擁護だけしている時代はとっくに終わったのだが、人間はそれに追いつけず、宗教を自ら足かせにしている。自爆攻撃についてはイスラム教徒の口から「火獄に墜ちる」とは言い難いところがあるように思う。それは「少数者で多数者に勝つためのもの」という理由も挙げられていたが、英霊を祀る靖国神社もまたそのようである。だが、こちらからはどちらも差別やイデオロギーの被害者に見える。
そして、この解決について融和を図ることは当然であるが、そこにも大きな罠がある。
恐らく、殆どの人は、エルサレムの帰属も宗教の崇拝の場も、教義すら融和することを喜ぶに違いないからであり、そんなことは、始めから実現していたことなのに、恰も新時代の到来のように平和と安全を称揚するに違いない。つまり、悪の程度が幾らか和らいだだけであるのに、至高の善の時代の到来を錯覚してしまい、これは却って「この世」という問題から人々の意識を遠ざけてしまう。そんなもので平和は来ないし、原罪という問題の円環から抜け出ることはない。
三つの宗教の接点となる、おそるべきものが登場するときに、これら三つの宗教の共通項が整合してしまうだろう。それが「見えるメシア」究極の偶像だ。この三つの宗教の化合は非常な危険物を生むのだろう。(それで緋色か)
ユダヤに『アダムの子らの鞭』という概念はあるが、原罪は認めない。もし、認めれば律法遵守の意味がなくなるからか?ではそこでイスラームはどうなのか?
それから、そのときに日本神道がどう動くのかが幾らか気になっている。
終末の様相は、政治と宗教の融合による、単なる見掛け上の一致であるらしい。独裁的政治は崩れ墜ち、組織宗教も荒れ果てるが、人間の抱きそうな理想の統一が実現したかに見えるなら、確かに「平和だ安全だ」と世人は言うのだろう。頑強に「原罪」も「聖霊」も認めない世界の出現。
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別件
新疆ウイグル自治区では、ウイグル族は男女にかかわらず厳しい監視下に置かれている。
当局は、住民の携帯電話に監視アプリをインストールし、12歳〜65歳の住民全員のDNAサンプルや指紋、虹彩スキャン、血液型の情報を集め始めた。また、当局は音声サンプルも収集していて、盗聴した電話の相手を特定するのに使用される可能性がある。
さらに、この地域ではウイグル族の活動を追跡、阻止するため、4万台の顔認証カメラも導入されていて、AFP通信は最近、新疆ウイグル自治区のある県では、967のモスクに監視カメラが設置され、イマームが政府の台本に沿った指導を行っているかどうか、当局がチェックしていると報じた。
Tara Francis Chan 2018/07/19 10:45
Police are reportedly cutting too-long dresses off ethnic minority women in the middle of streets in Ch
Forced Assimilation: Chinese authorities in #EastTurkestan are cutting dresses of Uyghur Muslim women because they are too long. #Uyghurs#Islam#Chinapic.twitter.com/nACkRHP6pC
— DOAM (@doamuslims) July 13, 2018
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