Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

イスラエル王国 王の系譜

 

 

*この時代については、二王国の並列王名表がないと事跡の順番がはっきりしない。

 

この王国は、創立者ヤロベアムの王朝が二代と短命で、ほぼオムリ王家とエフー王家が安定したところでしかない。そのエフー王朝はアッシリアからすればオムリの分家くらいに見られており、オムリ朝ほど独立性を持てずにアッシリア朝貢国になっていた。

この国は全体的にシリアとの抗争を制することが求められ、その趨勢でモアブ、アンモン、エドムとの関係性も決まっていた。

ユダ王国との関係では、オムリ朝で親密ではあったが、それはシドンのカナン系フェニキアとの親戚関係の広がりによるものであり、良い影響にはなかった。

末期にヒゼキヤやヨシヤによるエルサレム崇拝の呼びかけがなされた時期には、王統そのものが衰退していたことが関係している。しかし、長らく続いたアピス崇拝についてはこれを排除することなく終わることになり、YHWHの祭司もユダに逃避することがあり、またダンの宗教問題も継続していた。この点では、捕囚後のサマリア人YHWH崇拝の方が価値を高めたともいえる。

 

アハブ王:オムリ王朝第二代でフェニキアと同盟、カルカルの戦で連合しアッシリアを破る。シドンのエトバアルの娘イゼベルを娶り、バアル崇拝をイスラエルに持ち込む。

エリヤ:前歴は語られずにアハブの前に現れ旱魃の始まりを告げる。

三年後にカルメル山上でバアルの祭司450人と対決し勝利する。しかし、国内の趨勢は変わらず、自らは死ぬつもりで旅立つが、天使の助けによって神峰ホレブに至り、その後に三人に油注ぐことを命じられる。その職務を果たし終える以前に火の兵車に乗って中空を移動し、捜索不能となるが、後の時代のユダのエホラムに書簡を送っており、その時点での生存が確認される。ユダのエホラムはアハブとイゼベルの娘アタリヤを娶っていたが、そのアタリヤために直系のエッサイの根は断絶の危機を迎えた。

エリシャ:エリヤが取り去られるのを見るならその二倍の霊を受けるという希望は叶えられるとされ、エリアの携挙を見て以後60年ほど二倍の霊を持って活躍することになる。

エフー王:エリシャの従者により受膏、直ちにアハブ(オムリ)の家を断絶させ、イゼベルを殺害。次いで国内のバアル崇拝者を騙し討ちにして粛清。

イスラエルに自らの四代続く王朝を立てるが、アッシリアには朝貢を余儀なくされる。

エホナダブ:記述に前触れなく現れるケニ人で、バアル崇拝者の粛清を目撃するためにエフー王の兵車に乗り込む。後裔にはイヴリーとしての生活を禁酒と共に守るよう定める。

ハザエル王:シリア王の執事、エリシャの預言に感化され、自分の仕える王ベン・ハダドが病床に在るときに殺害しシリア王位を簒奪する。以後、バアル崇拝に傾いたイスラエルを罰する鞭となりオムリ朝に立ちはだかり、その王朝を滅亡させるきっかけを作った。