- 922年 - 901年 ヤロブアム1世
- 901年 - 900年 ナダブ - 暗殺される (列王記上 15:28)
- 900年 - 877年 バァシャ
- 877年 - 876年 エラ - 家臣ジムリの手で暗殺される。 (列王記上 15:28)
- 876年 ジムリ - 7日間王位にあったが、オムリに討たれる。
- 876年 - 869年 オムリ (イスラエルの軍の長)オムリ朝を創始
- 869年 - 850年 アハブ (エリヤの時代⇒ユダのエホラムまで列王下21/エリシャ⇒エホアシュ迄約60年)
- 850年 - 849年 アハズヤ 日除の格子から落ち以後は弟が摂政となり翌年死亡
- 849年 - 842年 エホラム アハズヤの弟でアタリヤは姉妹
- 842年 - 815年 エフー (イスラエル軍の戦車隊長)4代のエフー朝を創始
- 815年 - 801年 エホアハズ
- 801年 - 786年 エホアシュ
- 786年 - 746年 ヤロブアム2世 - イスラエル王国の絶頂期。
- 746年 ゼカリヤ - 家臣シャルムの手で殺害される。 (列王記下 15:10)
- 745年 シャルム - ゼカルヤを殺害して王位につく。
- 745年 - 738年 メナヘム
- 738年 - 737年 ペカフヤ - 侍従ペカの手で殺害される。 (列王記下 15:25)
- 737年 - 732年 ペカ - 家臣のホシェアに暗殺される。 (列王記下 15:30)
- 732年 - 722年 ホシェア - イスラエル王国最後の王。侵攻したアッシリア軍に一度は従順を誓うも、密かにエジプトと結ぼうとしたためアッシリアによって牢に入れられた。 (列王記下17:4)
*この時代については、二王国の並列王名表がないと事跡の順番がはっきりしない。
この王国は、創立者ヤロベアムの王朝が二代と短命で、ほぼオムリ王家とエフー王家が安定したところでしかない。そのエフー王朝はアッシリアからすればオムリの分家くらいに見られており、オムリ朝ほど独立性を持てずにアッシリアの朝貢国になっていた。
この国は全体的にシリアとの抗争を制することが求められ、その趨勢でモアブ、アンモン、エドムとの関係性も決まっていた。
ユダ王国との関係では、オムリ朝で親密ではあったが、それはシドンのカナン系フェニキアとの親戚関係の広がりによるものであり、良い影響にはなかった。
末期にヒゼキヤやヨシヤによるエルサレム崇拝の呼びかけがなされた時期には、王統そのものが衰退していたことが関係している。しかし、長らく続いたアピス崇拝についてはこれを排除することなく終わることになり、YHWHの祭司もユダに逃避することがあり、またダンの宗教問題も継続していた。この点では、捕囚後のサマリア人のYHWH崇拝の方が価値を高めたともいえる。
アハブ王:オムリ王朝第二代でフェニキアと同盟、カルカルの戦で連合しアッシリアを破る。シドンのエトバアルの娘イゼベルを娶り、バアル崇拝をイスラエルに持ち込む。
エリヤ:前歴は語られずにアハブの前に現れ旱魃の始まりを告げる。
三年後にカルメル山上でバアルの祭司450人と対決し勝利する。しかし、国内の趨勢は変わらず、自らは死ぬつもりで旅立つが、天使の助けによって神峰ホレブに至り、その後に三人に油注ぐことを命じられる。その職務を果たし終える以前に火の兵車に乗って中空を移動し、捜索不能となるが、後の時代のユダのエホラムに書簡を送っており、その時点での生存が確認される。ユダのエホラムはアハブとイゼベルの娘アタリヤを娶っていたが、そのアタリヤために直系のエッサイの根は断絶の危機を迎えた。
エリシャ:エリヤが取り去られるのを見るならその二倍の霊を受けるという希望は叶えられるとされ、エリアの携挙を見て以後60年ほど二倍の霊を持って活躍することになる。
エフー王:エリシャの従者により受膏、直ちにアハブ(オムリ)の家を断絶させ、イゼベルを殺害。次いで国内のバアル崇拝者を騙し討ちにして粛清。
イスラエルに自らの四代続く王朝を立てるが、アッシリアには朝貢を余儀なくされる。
エホナダブ:記述に前触れなく現れるケニ人で、バアル崇拝者の粛清を目撃するためにエフー王の兵車に乗り込む。後裔にはイヴリーとしての生活を禁酒と共に守るよう定める。
ハザエル王:シリア王の執事、エリシャの預言に感化され、自分の仕える王ベン・ハダドが病床に在るときに殺害しシリア王位を簒奪する。以後、バアル崇拝に傾いたイスラエルを罰する鞭となりオムリ朝に立ちはだかり、その王朝を滅亡させるきっかけを作った。