Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

イグナティオスの書簡から1


シリアのイグナティオスがローマへの殉教の旅すがら小アジアを通過した際に、当地のエクレシアイに書簡をしたためており、その内容から、小アシアの状況を推し量ることができる。

穿った見方が入るかも知れないので、断言はできないが、それでも、他の資料と共通するところは蓋然性は低くないと思える。

彼はスミュルナとトロアスから書いており、エフェソスのエクレシアが遣わしたディアコノスのブーロスが彼には重宝したようである。

これらが110年に書かれたのであれば、使徒ヨハネの死からまだ10年ほどであり、黙示録からも15年ほど隔たるだけであるので、両者の文言の比較は興味深い。

それは、小アジアの状況を知る手がかりとなるだけでなく、イグナティオスを通じて当時のシリアの傾向をも幾らか探ることもできる。


以下にエクレシア毎に注目すべき点を書き出してゆく。

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マグネシア人への手紙について

概要---------------
テオフィロスとも呼ばれるイグナティオスから
メナンドロス河畔のマグネシアのエクレシアへ
父なる神とイエス・キリストにあって御聖寵の豊かならんことを

神に相応しいあなたがたのエピスコポスであるダマスス。尊敬すべきプレスビュテロイのバッソスとアポロニウス。奴隷仲間のデイアコノスのゾーンティオン。(これらの人々を通してみなさんにお会いしたと言うが実際には会っていない)

「監督は神の座に、長老団は使徒会議の座についている」という。(誇張の意識は有ったか?)
世の見方を捨て、若年の監督を尊敬するように。全体で一致せよ。監督や長老を抜きにして何事も行ってはならぬ。(前述の幹部たちはエクレシアの不一致を訴えたようだ)
「この方はひとりの父から出、ひとりの方のもとに在し、またそこへと帰りたもうたのです。」(「三位一体説」以前を示す)
「違う教えや古く無益な作り話に惑わされてはなりません。もし今にいたるまでユダヤ教に従って生活しているとしたら、私達は恵みを受けなかったと言い表していることになります。」(この「古く無益な作り話」という言葉によって十四日遵守を指していたようだとJダニエルーは考えている)
「・・もはや安息日を守らず、むしろ主の日を守って生きるなら・・これを否定する人達もいますが・・」
「彼の弟子となったら、キリスト教的に生きることを学ぼうではありませんか。・・ですから古く酸っぱくなった悪しきパン種を棄て、新しいパン種、すなわちイエス・キリストへと向かいましょう。・・イエス・キリストを語ってユダヤ教的に生きるのはおかしなことです。」(当地ではシャバットが依然守られており、他の地方のエクレシアとこの点で違いが生じていた。しかし、キリストを無酵母とはせず、パン種としたのは何故か?)


所見;
どうやら、スミュルナへと面会に来たマグネシアの幹部たちは、ふたつの問題を訴えたようである。
ひとつは、幹部への尊敬と従順の無さであり、もうひとつは、エクレシアが土曜安息を守っており、幹部、また少なくとも幾らかの人々は日曜安息を行いたいとしていたのであろう。この時期には、小アジア内部でもふたつの見解の間で幾分かのせめぎ合いがあったようである。小アジアと雖も一枚岩ではなかったところが窺える。
イグナティオスの文面では、幾つかの要点で聖書から逸脱しているように見えるところがある。
まず、キリスト教そのものは日付上の安息日を規定していない事がある。主日安息の要求そのものは嫌ユダヤ感情から発しており、その存在は致し方ないものではあるが、主日を命じることにおいて、どちらでも良いことに拘っている。それはパウロでさえしなかったことである。(ローマ14:5)
そのうえ、それをキリストの教えと称しており、加えてキリストの教えを「新しいパン種」とするところは無酵母の意義を知らないかのように見える。(彼はポリュカルポスに、自分が旧約にさして通じていないことを告白している)
また、監督と長老団を神と使徒会議に例えるのは行き過ぎであり、権威主義への傾向を読まれても仕方ないだろう。また、そこには初代への軽視に繋がる精神も孕んでいたのかもしれない。そういえば、ヨハネを含んで使徒についての尊敬の言葉などは出てきていない。彼にとって権威の源は聖霊ではなく、組織の上長であったようだ。
イグナテイオスは間違いなく異邦人で、嫌ユダヤ感情を持っている。そして、その自信には、当時異邦人の間に流行しつつあった、ユダヤからまるで離れたヘレニズム的「新たなキリスト教」に踏み出す決意のようなものも見える。だがそれは、キリストという概念そのものもイエス自身も、共に紛れも無くユダヤイスラエルというアブラハムの系列に属していたことを忘れるところまで進ませることになってゆく。それは初代の教えから遊離する危険を孕んでいただろう。使徒後十年にして、既にこの有様であったとは。彼が聖徒であったかは未だ確認できないが、まず聖霊は持っていなかっただろう。

他方、メリトンやパピアス、そしてエイレナイオスがタナハを旧約として信徒に読ませようとしていた背景には、小アジアの信仰特質への理解を求めたと云うところが含まれたのかも知れない。(黙示録に示されるタナハへの超絶とも云えるほどの知識は、絶対的にこれを必要とさせる)
当時の人々は、やがて来る小アジア孤立を予感したのではないか。それをもたらす相違とは、新たな異邦人のヘレニズム的キリスト教か旧約に立脚するユダヤキリスト教か、という選択であった。

彼は、自分の殉教の機会と小アジア訪問を代価に、自分を楔として打ち込み、小アジアユダヤ性払拭の機会とすることを目指したようにも感じられる。

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