Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

イグナティオスの書簡から2

壮年になってからキリスト教を信じたイグナティオスは、元々は小アジア出身のAD35年頃生まれで、後にシリアのアンティオケイアのエクレシアで第二代目の監督に就任、110年頃にローマで殉教した。

彼がなぜ、小アジア方面のエクレシアイに特に手紙を書いたのかは不明。考えられる理由は、拘禁の度合が幾らか弛んだ。小アジアキリスト教の興隆がシリアとは幾分違ったものとなっていた。スミュルナのエクレシアが援助を差し伸べ、ディアコノスの一人を同行させたため、などが考えられる。

ローマへ護送される道すがら七通の書簡を書いたが、今日、彼の著作で知られるのはこれがすべてとなっている。

これからおよそ60年後、以下の宛先となったフィラデルフィアはフリュギアからのモンタニズムの前線基地と化してしまう。


以下、トロアスでブーロスの筆記した書簡を見る

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「フィラディルフィア人への手紙」について
イグナティオス自身と小アジアのエクレシアのユダヤ性について幾つかの謎をもたらす文書である。

概要--------------
テオフィロスとも呼ばれるイグナティオスから、アジアのフィラデルフィアの、父なる神と主イエス・キリストのエクレシアに。監督、また彼と共なる長老団および執事らと一致しているなら・・イエス・キリストはこれらの人々を、自らの聖なる意志に従い、彼の聖なる霊によって立てたのです。

分裂と悪しき教えから逃れなさい。羊のように牧者のいるところに従いなさい。なぜなら、信頼できそうなたくさんの狼が、悪しき快楽をもって、神の走者を虜にするからです。でも、あなた方がひとつになっていれば、つけ込むことはできないでしょう。

イエス・キリストが栽培していない植物は避けなさい。それは父の植えたものではありません。

神とイエス・キリストに属するものはみな監督と共にあるものです。異なった志向に歩む者は、受難にそむくことになります。

ですから、ただひとつの聖餐に与るよう努めなさい。なぜなら、私達の主イエス・キリストの肉はひとつ、彼の血と合一するための杯はひとつ、祭壇はひとつ、ちょうど長老団と、私の奴隷仲間である執事らと結ばれている監督はただひとりなのと同様です。

また、私達は預言者を愛そうではありませんか。彼らもまた福音を告知したのだし、キリストを望み待望しているのですから。イエス・キリストを信じ、彼と結びついて、彼らも救われたのです。彼らは愛に価し驚嘆に相応しい聖徒、イエス・キリストによって証しされた者、同じ希望の福音の中にあると共に数えられた人々なのです。

さて、もし誰かがあなた方にユダヤ教を解釈してきかせたら、耳を傾けてはなりません。なぜなら割礼ある者からキリスト教のことを聞くほうが、割礼なきものからユダヤ教のことを聞くよりもまだましだからです。そしてもし両者共にイエス・キリストを語らないなら、この人々は私達にとって墓石にすぎず、ただ人の名前だけを記した死人の墓にすぎません。
ですからこの世の滓の悪企みと罠から逃れなさい。
霊は神から出たものですから迷わされたりはしないのです。なぜなら霊は自らがどこから来てどこへ行くかを知り、隠れたことを検討するからです。私はあなた方の中にいるときに叫び、大声で-神の声で-語りました。「監督と長老団と執事につきなさい」と。
ある人達は、私がある人々の分裂を知ってこう言うのではないかと疑っています。しかし、そのために私が囚人になった方が、わたしはこうしたことを人から聞きはしなかったことを証しをしてくださいます。
霊が次のように言って告知するのです。「監督抜きでは何もしてはなりません。あなた方の肉を神の宮として護持しなさい。一致を愛し分裂を避けなさい。キリストを真似るものとなりなさい。」

何事も争いながら行わず、キリストから学んだ通りに行いなさい。ある人々がこう言うのを聞いているからです。「古い証拠文書に記されていなければ、わたしは福音を信じない」と。そしてわたしが彼らに「記されている」と言うと、彼らはわたしに「それが問題なのだ」と答えたのです。
わたしとしては古い証拠とはイエス・キリスト御自身、犯すべからざる証拠文書とは彼の十字架と死と復活、そして彼への信仰なのです。
祭司も良いものです。しかしもっと優れているのは聖の聖を委ねられている大祭司であり、彼だけが神の神秘を委ねられたのです。彼は父への門であり、それを通ってアブラハムもイサクもヤコブ預言者使徒もエクレシアも入るのです。こうしたことすべては神における一致のためなのです。
福音にしかない特別のことがあるのです。すなわち救い主、私達の主イエス・キリストの到来、彼の受難と復活なのです。愛すべき預言者たちは彼を指し示す告知をしたのです。

シリアのアンティオケイアにあるエクレシアは平安であるとわたしに伝えられましたので、あなた方は神のエクレシアとしてディアコノイを選び、神の使節としてかしこに派遣し、集会の人々と共に喜び御名を讃えるのがよろしいと思います。
このことはあなた方が欲しさえすれば、神の御名ゆえに、不可能ではありません。最寄のエクレシアもあるものはエピスコポスを他のものはプレスビュテロイとディアコノスを派遣したのですから。



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所見
黙示録では主から誉められたフィファデルフィアながら、それから15年後、ここでは幾つかの問題を指摘されている。但し、イグナティオスの見解は当時流行の異邦人型キリスト教の観点にあり、それらのすべてが正しいと云えるか否かは微妙。

まず、このエクレシアでも分派への注意が促される。「監督と長老団と執事につきなさい」と神の声や大声で語ったとは聖霊の賜物を以って語ったの意味ととれる。これが実際か否かは彼がこのエクレシアに立ち寄ったか否かにまず依拠しよう。加えて、このエクレシアでも分裂とユダヤ教が関係付けられている。「割礼なきものからユダヤ教を聞く」とは、異邦人であってもユダヤ人からの影響が及んでいたように見える。確かに黙示録でも『ユダヤ人と言いはするが、サタンの会堂に属する者』がエクレシアに紛れ込む危険を知らせている。ただ、イグナティオス自身が嫌ユダヤ的であったことを差し引くべきかもしれない。
というのは、彼自身はタナハから福音を擁護するために弁を揮ってはいない。そこはパウロと大いに異なる。
「もし誰かがあなた方にユダヤ教を解釈してきかせたら、耳を傾けてはなりません。」と述べる辺りは、シリアではよくても小アジアでは問題が無かったろうか。小アジアユダヤキリスト教を残しており、ユダヤ教とは言わないまでも、アブラハム伝来の教えの上にキリスト教が立脚することを否定することはできない。そこではタナハへの言及も必要不可欠だろう。そうなるとイグナティオスはそうした講釈も聞かなくて良い口実をも授けてしまったということにもなりかねず、それは小アジアの教え手たちをやり難くさせるものではなかったろうか。
彼が古い証拠文書から精緻にキリストを描き出さず、ここでは単に「十字架と死と復活」また「信仰」と言うばかりである。預言者たちがキリストを告知したと言うものの、疑いの余地のない預言のひとつも挙げなかった。なんとか大祭司キリストを指摘したまではよかったが、そこからのタナハの句を用いた展開が少しもなされないのは如何にも残念であり、本人もそう思ったのだろうか。それらタナハからの講釈を彼が不要と看做したよりも、彼自身がタナハに通じてはいなかったために、その論議に引き込まれることを嫌ったのではないか。
「私達は預言者を愛そうではありませんか。彼らもまた福音を告知したのだし、キリストを望み待望しているのですから」の部分は当然ながら旧約の「預言者たち」を意味しない。これはエクレシア内に居た聖霊の賜物による預言者であるから、「彼ら」を愛する理由がある。この文脈では監督や長老と並置されているし、はっきり「聖徒」とも呼んでいる。しかし、この文章では監督や長老に付加的であって、預言者は組織体の運営とは一線を画していたように見受けられる。それでも、この時点AD110年になお預言者小アジアとおそらくシリアに存在していたことを知らせるものとなっている。

さて、彼の論議が異邦人流に傾いていると云っても、小アジア全体がユダヤの急進的な、また蔓延るグノーシスの影響から教えを守るべきであったことに変わりは無い。そこで、後のポリュクラテスのような指導者にとっては、それらユダヤの旧態依然とした勢力とも、外部の異邦人主導の流行の教えとの双方からの侵略に防戦を迫られていたことになるだろう。
イグナティオスは「監督抜きでは何もしてはなりません」と霊が告知すると言っているが、これは本来、聖霊の賜物を持つ者だけが言えることではないだろうか。ならば、彼はそれを持っていたのだろうか。それならば、ユダヤ主義者に面したときに、もう少しは確固たる言葉を発しても良いようには感じられる。
また、パスカについての言及には「祭壇」が含まれている。これは使徒以降の教えの中では象徴である以上の具体的な祭壇は登場せず、これがこの時代に集会場にあったことを示唆するものだろうか。もしそうなら、キリスト教の祭儀化が起こっているといってよいだろう。
最後に自分が去った後のアンティオケイアのエクレシアへの配慮から、小アジアの各エクレシアが使節を送るようにと勧めているが、それは彼の抜けた穴が小さくはなかったことを印象付ける。
また、「御名」と「神の御名」というふうに二回出るこれがキリストの御名であるとはとり難い。特に初出の箇所では、名によって何かが可能になるとは、キリスト・イエスの名によって神に何かを祈り求めたというには、直後に「このような務めに相応しい人はイエス・キリストにあって相応しい」と続くので、わざわざ神名を伏せる必要もないであろう。ここでは二回目の「神の名」が示すようにイエスの父である神について述べていると見るべきだろう。それはシリアにおいても小アジアにおいてもユダヤ人を通して、SHMを妄りに口にできないものとされていたことの余波を伝えている。既にユダヤ人が御名を口にできる神殿は無いので、彼らは集会所においてこの名を讃えたのであろう。このころまでは御名YHWHの発音は充分に残っていたと言える証拠は挙げることができる。この書簡は小アジアだけでなくシリアでも神名の発音が依然保存されていたとまず見てよいだろう。

「祭司も良いものです」の言葉の背景は、ユダヤ教の象徴として祭司を挙げたのだろうか。すでに神殿は失われて40年が経っており、ユダヤ教祭司の身分は残っていたとしても、仕えるべき場所を失っていたのであるから、ユダヤ主義者といえどもこれをキリスト教徒説得にどう扱えたものだろうか。ひとつ気になるのはポリュクラテスが後に使徒ヨハネについて「エフォドをつけた祭司」と呼んでいることである。確かにゼベダイの妻が主の母の姉妹であれば、ヨハネの母系は祭司、それも大祭司に連なることにはなる。しかし、使徒ヨハネがエフォドと着けるなど具体的には考えられない。これは何かの象徴で、ここでイグナティオスが「祭司も良いものです」と言った背景には「ヨハネも良いものです、がしかし・・」の意が込められているのだろうか。
このエフォドの一件については、ヨハネガリラヤ住まいであったにも関わらず祭司長派に顔が利いたことや、ユダヤ教領袖の習慣に通じていたこと、黙示録に見られるタナハへの超絶的な知識、これらを総合すると、恰もエフォドを着けた祭司の姿を彷彿とさせるとは言えるのである。この指導を受けた小アジアであるなら、異邦人キリスト教にとやかく言われる筋合いもないであろう。しかし、小アジアキリスト教徒指導者らは、多少の見解の相違を越えてイグナティオスを鄭重に遇し、その教えに与っている。
















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