Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

キリスト教の由来-1

ここでは、キリスト教の概要を自分の理解によって簡潔に書き出してみます。

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「キリスト」とは、頭に香油を注がれ「任命された者」を意味します。
それは、古来ユダヤイスラエルで国王や何らかの役職に就任する前に受ける習慣的儀礼でした。
それは必ずしも大役への任命ばかりを意味しませんが、聖書の言葉を授けられたユダヤイスラエルにおいて、時の経過と共に重要性が増してゆきました。


つまり、イスラエル民族が授かった聖書(ヘブライ語)には、その聖書(「旧約」とも)が書き終えられた後に「任命」される際立った人物が度々予告されていましたが、その何者か「油潅がれる者」即ち「メシア」(ギリシア語で「クリストゥス」)については、最後の預言書(マラキ)で、その人物の出現の前に「預言者エリヤ」が遣わされると知らされていました。


そして、ユダヤ人らはマラキの預言書が書き終えられて四百年程待った後、古代の預言者エリヤの服装をした一人の人物を西暦28〜29年頃に迎えることになります。
ユダヤの祭司の家系(レヴィ族)に生まれたこの人物はヨハネと呼ばれ、ヨルダンの川の水を用いて、イスラエル民族(のみ)に「悔い改めの」バプテスマを授け始めました。


バプテスマ(浸す)とは、水に人を浸ける儀式ですが、特にこのヨハネの場合には、ユダヤイスラエル民族が直面していた、神の前に不安定な状況に対して、修正する意味合いがありました。それでヨハネバプテスマユダヤの「悔い改め」を象徴するものとされます。


彼ら民族の、神の前に不安定な状況とは、その当時から千五百年程遡った時代に、この民族が預言者モーセを仲立ちにして神との間に締結していた「律法契約」に関する実情でありました。


神はこの民族に六百程の条文からなる法律(律法)を授け、これを遵守するなら、彼らの父祖アブラハムからの遺産を受け継ぎ、神の宝のような民となって、全人類を祝福する立場を得ることになるはずでした。


しかし、イスラエルの大半の時代、大半の人々は、モーセの律法(トーラー)を守らず、却ってその精神から逸脱し、アブラハムの時代より彼らの神であった「全能の神」(エル・シャダイ)から離れて異教の偶像を崇拝し、肉欲に耽った為、遂にユダヤ王国とエルサレムの神殿は新バビロニア帝国ネブカドネザル大王によって滅亡、破壊を蒙り、律法契約全体の履行も不可能となり、民族の大半はバビロンとメソポタミア強制移住させられました。


それでも、これら悲惨な結果についての事前の警告が預言者たちによって叫ばれる中に、一条の希望も語られておりました。それが誰とも知れない「油潅がれた者」即ち「メシア」であり、彼はモーセのように偉大な預言者であり、最盛期の王ダヴィデの王座に就いて「大能の神」(エール・ギッポール)とも呼ばれ、その支配では豊かな平和が続くとされていました。


また、彼「メシア」はモーセの「律法契約」のようなものでない「新しい契約」を仲立ちするものとなり、文字にされたものでない、心に書かれた律法をイスラエルに授ける者となると知らされていました。



やがて、新バビロニア帝国が滅亡すると、ユダヤはバビロンから、イスラエルはおそらくユーフラテス上流地域から帰還を始め、ユダヤはペルシア帝国の一行政区として再出発します。


ユダヤ民族は神殿を再興し、祭司たちは祭儀を復活させ、人々の中からはパリサイと呼ばれる律法遵守に主義を置く敬虔さを強調する派も現れ、かつての律法契約の不履行を反省したかのように、律法の遵守がユダヤイスラエルの重要な関心事となってゆきます。



しかし、ダヴィデの王座に就くような傑出した独立王制を施行できるような人物は一向に現れず、預言者マラキを最後に預言者たち(ネイヴィーム)も「眠り」についてしまい、神の沈黙の時が彼らの上にずっと経過してゆきます。



それでも人々は、律法契約の不履行の罪をそれぞれに自覚しつつ、現れるべきメシア(マーシッハ)とその兆しとなるべき預言者エリヤ(エリヤフ)の姿を期待しつつ暮らしてゆきました。

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会衆の座る席 Pew 。
そしてこの座席のあるところを、ネーブ Nave と言います。これはラテン語の舟 Navis ということばから来ていて、その意味は前述のノアの箱舟の説明で述べた通りです。ここは、静かに祈り、みことばや説教を聞く所です。

会堂の東の隅をチャンセルと言います。チャンセルは英語の Chancel で、ラテン語の Cancelli latice (格子の仕切り)から来た言葉です。