特徴となり得るもの 骨子への試案
基礎教理
■人間の受ける害の原因は「罪」である。
◆「救い」とはこの贖罪である。
◆罪ある人間は正義を持てず、啓示なくして「正しい」ものは無い。
◆政治も宗教も無謬のものは存在せず、より良いものを模索するのみである。
◆「人間の正義」に無謬のように固執すれば論争や闘争は避けられない。
■「罪」は創造者を神としないところから生じた。
◆人間は神の創造物としての基準に達していない。
◆贖罪は神の創造物の立場(子)に復帰することを意味する。
◆神との断絶状態を執り成すのが、仲介者キリストである。
■贖罪の手段が「神の王国」である。
◆それは千年期を持つ現実の支配体制である。
◆主要な王また大祭司はキリストである。
◆アブラハムへの約束で選民「神のイスラエル」が副属の王また祭司となる。
■選民「神のイスラエル」に属するのは信徒の中の聖徒のみである。
◆聖徒は聖霊を注がれた人々を指し、明確な賜物を持つ。
◆聖徒は為政者たちに対し聖霊を以って「神の王国」を宣明する。
◆聖徒を迎える母体となるエクレシアが先在する。
◆「神の王国」の支配に関する論争は世界規模に広がる。
◆人類は聖徒を通して「神の王国」への支持、不支持を表明する。
■臨御(パルーシア)はキリストの帰還であり不可視である。
◆臨御の最大の印は、将来の聖霊の再降下と聖徒の出現である。
◆聖徒の出現に前後してキリスト教が回復する。
◆聖徒への啓示を通し「神の義」が現われ、至聖なる神名が明かされる。
◆臨御の間に聖徒には試練があり選別が行われる。
◆人類最大の障碍は「不法の人」となる。
崇拝方式
■「愛(アガペー)の掟」を専らとする。
◆強制的戒律を原則として持たず、自己の内的動機に注意する。
◆論争や闘争、政治的介入を極力避ける。
■不断の聖書研究を行う。
◆互いに研究を助け協力する。
◆理解を他人任せにせず、個人的見解を原則禁じない。
◆機会ある限り人々に知らせるよう努める。
■信徒は可能な限り集まりを持ちエクレシアを構成する。
◆年に一度の「主の晩餐」を行い聖徒を待つ。
◆信徒間の諍いや軋轢の無いよう尽力注意し、公正に対処する。
◆位階制や権威主義を持ち込まない。
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*以上は現時点で思い付くものである。
こうした企画はその人間の認識が問われるものであるから、聖霊のない現状では更一歩の協議を要するだろう。
この崇拝者は、使徒ヨハネによって完成された西暦第二世紀初頭の小アジアのキリスト教を範として、千年期説を信奉することにおいてChiliastであり、ニサン14日に主の晩餐を挙行することにおいてQuartodecimaniとなる。
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