ヘーゲル左派にせよ、デューイにせよ、彼らの背後にあった「キリスト教」という圧制には目を見張る。
どちらも、その理の通らない傲慢なアニミズムを振り払うことに汲々としている様が痛々しい。
他方で、日本の「クリスチャン」が「日本が福音化されない」と嘆き、また、その原因をあれやこれやと議論するのは真に滑稽であり、まして「悪魔のせい」にまでするとは・・日本には悪魔の影響が強くて欧米はそうでないとでも言うつもりなのだろうか?その現実を見ない独善性はますます人を離れさせるに違いない。
だが、日本でキリスト教なりの一神教が根付くことがなかったことの価値は非常に大きく、そのメリットも相当に大きい。
もちろん、公共に於ける無宗教において民主主義の本家であるフランスには及ばない。しかし、それでさえ、カトリックとの百年に及ぶ流血の闘争をもって贖われた自由なのである。
日本には、神道と仏教という闘争性が比較的に少ないふたつの宗教の混合が相当な年月に亘り並存(いや共存か?)するという宗教的寛容の中に千数百年の歴史を経てきている。
そこに日本人の利知性が加味されることにより、理不尽な圧制の余地はほとんどなかったと言えよう。
時おりに万国共通のシャーマニズムは見られたものの、大よそに於いて日本人の精神性や奥深さのないもの、哲学の無い宗教を受け入れることが無かった。
では、キリスト教には奥深さも哲学も精神性も無いのか?
所謂「教会のキリスト教」または「欧米のキリスト教」にそれが無かったからこそ、日本に根付かなかったのではないだろうか?
信者だけが天国での至福に入るというご利益丸出しの信仰にせよ、三位一体という理解し難い理屈に加え、ほとんど幼稚に見えるヨーロッパ宗教文化の優越感の押し付けに何の魅力があるのだろうか?
日本人はその優れた論理性によってイエズス会のシャヴィエルを狼狽させ、「地獄の教理」を一笑に付してみせた。まだ、仏教の地獄の方がマシであったのだ。
新井白石は、シドッティと長時間話合い、キリスト教を「幼児の戯言」と断じている。論理性が余りにも欠けていたからである。
また、キリスト教国の植民地支配の傲慢さに脅威があることも日本の先達は見とっていたのであり、欧米の下心はアジア各国の有り様に既に明らかでもあった。その根底にキリスト教の独善思想が関係しなかったと言えるものだろうか。
日本の宗教環境の良さは「自分を尊重して欲しければ、他者をも尊重しなければならない」という当然の道理が通用しているところにあり、また、道理に合わないことをその通りに指摘する自由もある。
もちろん誤謬や規制が無いとはいえないにせよ、言論統制など、この優れた精神環境も何度か危機に面したが、日本は独善的な宗教や思想の圧制の時代の継続を比較的に被らずに済んで来た。
日本人という存在は、意図によらず結果的に、白人優越主義を打ち砕くまではゆかずとも打ちのめし(まだ残っている)、人種偏見への防波堤となったばかりか、宗教の独善をも暴くことにつながり、白人とキリスト教徒の野心から今日の公平な世界へと舵を切らせるきっかけともなっている。
そして、明治六年耶蘇教禁令の終わりは、キリスト教が幕府の邪魔によって広まらないのではなく、キリスト教そのものに日本人が魅力を感じないことを明らかにした。
今日では、若い女性に結婚式が人気があり、アルバイトに牧師や神父に経済的助けを差し伸べるばかりとなっている。それが「教会のキリスト教」の商品価値である。もちろん本質的なことが評価されているのではない。
日本に於ける宗教的寛容さは、欧州が相当な無理をしてイスラムを隣人と看做すことを然程の困難とはしていない。尤も、イスラムは日本文化を脅かすほどになれば、そうもいかないだろうが、国の民としてキリスト教を受け容れることの無かった日本人は、同様に全体としてイスラムも受け容れることはないのであろう。
そして、デューイのような研究者が、常に周囲のキリスト教の常識やキリスト教徒と称する非寛容で厄介な「異教徒」に遠慮することも、その理解を乞い求めることも、その傲慢な影響をいちいち振り払う必要もない環境が日本には初めから備わっているのであり、今後、キリスト教の本質的な研究が自由にできる環境は日本にこそ在ると言われてしかるべきように思える。
日本人は旧来の幼稚で理不尽な欧米のキリスト教を今後も受け入れないであろう。ここで、その雑音に悩まされることは無い。人々の多くは、一神教の非寛容とは無縁であるという、世にも稀なる精神環境を謳歌しており、原始キリスト教が論理的であること、またその寛容性と精神性の深みを聴き取れる理想的ポジションに立っている。
これはヘーゲル左派の苛烈な戦い、またデューイの労苦を知るにつけ、ますます良さを実感するところとなっている。
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ブルーノ・バウアーのユダヤ文化批判
1862年「異郷のユダヤ人」
バウアーの後期著作にはふたつの軸があるという。
第一は、福音書批判と、キリスト教発生史
第二は欧州ロシアの政治外交論
彼は、後期に於いて大学から追放されたこともあり、ジャーナリズムへと傾倒している。
1856年頃からは、保守派への転向が起こっている。政府系新聞のDie Zeitやヘルマン・ヴァーゲナーが編集するベルリン評論に寄稿するようになった。また、同じ編集者による「国家・社会辞典」の多くの項目を執筆している。
他にDie Post,Die Wageにも寄稿している。
ユダヤについては1861年に「ユダヤ人とドイツ国家」という匿名の小冊子を書き、二年後には「異郷のユダヤ人」が出来上がる。
その中で、第一世紀のエルサレム陥落後、キリスト教の発生後、欧州世界の中に在って対立してきたユダヤ人のあり方を扱う。
内容としては1843年の「ユダヤ人問題」と重複するところは多い
「ユダヤ教がキリスト教に対して向けた憤りの状態は、全般的、持続的、普遍的なものである。王座からの転落に対する自然的、古代心情的な怒りは、根本的は革命状態を作り出し、憤激を世界史的威力にまで高めた」s.614
「自分たち抜きで、自分たちを飛び越えて作られた二千年の歴史に対する憤激の担い手」
第二節「ユダヤ人の支配はキリスト教徒の所業」ここがバウアーの主張の骨子を成していると
「ユダヤ人が前世紀の中葉以来、自分を啓蒙の英雄と看做し、革命の相続人として振舞っている」
その責任はドイツ人にある「我々はユダヤ人を甘やかし、思い上がらせ過ぎて、我々自身がキリスト教を恥じ、ユダヤ人の仲間となった」
「ユダヤ人は一時的な喜ばしい勝利を自ら勝ち取ったのではなく、我々が彼らに贈り与えた。歴史にユダヤ的性格を押し付けたのは我々である」
「18世紀のヒューマニズムは、根底では我がドイツキリスト教普遍主義運動の極端に過ぎなかったとしても、我が教会キリスト教とは敵対関係にあった。・・・ユダヤ人は恰も我々がキリスト教全般を投げ捨てようとしていると理解したのである。」s617
「ユダヤ人は我々が百年その中に居る精神的戦争状態から、戦時国家の苦境を利用するようなやり方で搾取しているのだ。」
ユダヤ人に対する民衆の「本能的な反感」は、「ユダヤ人種の排他性と唯一性にある」・・この後は人種偏見の酷い文言が続く・・
所見;
「賢者ナタン」初演1783.フランス革命開始1789.
産業革命による市民社会の登場と聖職者と貴族の没落、ユダヤ教公認と、ユダヤ教徒のキリスト教改宗の流行、という社会構造の変化の中で、カトリックの封建制度が崩壊してゆく。そこで新教圏も動揺している。
ヘーゲル1770-1831はその変化を目の当たりにする世代であったが、未だキリスト教の価値観を反動的に援用していた。
だが、時代の潮流はヘーゲルを乗り越える方向に向かっており、ベルリン大学はフォイエルバハを中心に、その先鋒のようであったと言える。こうして観ると、16世紀のフマニストと改革者のようでもある。
そして「種の起源」1859の発刊を迎え、「牧師の息子たち」の「父親らへの異議申し立て」としての内的革命はいよいよ堰を切る。即ちキリスト教会を内側から崩壊させる「信仰の無いキリスト教」の始りであり、それが今日の自由主義神学へと進む。
その渦中でバウアーは、一旦は先鋭化したものの、古き良き秩序の失われることに危惧を持ったのでは?その矛先がドイツ人自身ではなく、キリスト教価値観を崩壊させている原因者としてユダヤ人をスケープゴートに仕立てようとしたのではないか?ユダヤ人とその宗教への敵意には尋常ならざるものがある。
ドイツ人全般としてキリスト教を捨てはしなかったが、大衆はいつでも極端な変化を望まない。ロシア・ソビエトと雖も、民衆が先頭に立ったわけではない。(理念の奴隷となっただけ)フランス革命の方が本質的に革命と言えた。バウアーの危惧は大袈裟に過ぎたか?
そしてカール・マルクスというユダヤ人を革命家は受け入れることになる。皮肉としてはこれ以上ない。これもまたひとつの独善宗教であった。そうでなければ「人間性の解放」まで踏み込むことも無かったに違いない。
人はどうして自ら理念の奴隷となろうとするのだろうか?ヘーゲル左派が「人は自らの象りに神を造り給えり」というなら、彼らの理念こそ自らを象った神ではないのか?せめて人に崇拝を強要するのは控えるべきだろう。だが、そもそも、そう促したのは、旧態依然とする圧制的「キリスト教」であったのだ。どうして、牧師親子の確執になぞ関わっていられよう。
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