Mk9:49
原文は短い
[Πᾶς γὰρ πυρὶ ἁλισθήσεται.]
すべては そのため 火で 味つけされる
<この[γαρ]をどうするか?口語訳は義務として訳している>
これをNKJVは
[For everyone will be seasoned with fire, and every sacrifice will be seasoned with salt.]
と二重に訳している。
後半部分についてはレヴィ2:13との関連を意訳しているが、その見識は相当に高い。
但し、主な一半の理解は添えられていないし、訳文でそこまで表現するには無理がある。従って、この文章の理解は脚注とするか、読者が悟ることに期待する以外になくなる。放置しておくような訳文にすれば、それなりの文にしかならない。せめて訳注はあるべきように思える。
この句には、人間の罪に関する認識を持って、且つ文脈からかなり踏み込んだ解釈を施さない限り、意義ある句として理解されない。
イエスは聖なる者の表象としての穀物の捧げ物について触れ、その適用を語っている。
問題となるのは『火』をどう捉えるかになってくるが、理解は然程困難ではない。