Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

事象の順

 

・大いなるバビロンの滅びの時間位置

七つの鉢の終了には存命

当時、ハルマゲドンへの召集が行われる

「七つの頭を持つ野獣」の活動期間は42ヶ月
<これが延長されるのか、或いは特命期間を言うのか? または権威を失っても存続しているか>

『北の王』は「七つの頭を持つ野獣」と共に聖徒攻撃に成功
しかし、シオン攻撃の直前で消滅

『南の王』『子羊のような野獣』が「七つの頭を持つ野獣」の生ける像を製作
この段階で『北の王』は居ない

<黙示13章は野獣に関しての全体の流れをまとめているのか?>

 

大いなるバビロンを滅ぼすのは『十本の角』とされ「七つの頭を持つ野獣」は付随するように書かれる。
『十本の角』で表される『十人の王ら』は『彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権威とを獣に与える』(アオ)

『17:16 あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。
17:17 神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。』

聖徒征服の際にはその主体者は『獣』であるのが、上記17章での野獣は『十本の角』を備えてはいても攻撃の主体として描かれていないが、娼婦に対してはそうではなく、そこで『十本の角』についての初期的説明が加えられている。だが、それでも野獣が存在していないわけではない。
この曖昧さは、「七つの頭を持つ野獣」が既に偶像化しているからであるとすることは不合理でもない。

なぜなら、「七つの鉢」の段階は明らかに聖徒が去った後であり、「七つの頭を持つ野獣」の偶像化には『子羊のような野獣』が覇権を得ていなくては無理がある。

すると『十人の王ら』が娼婦を憎む理由というのは、「七つの頭を持つ野獣」が聖徒攻撃を行った時とは異なる情勢の変化を要請することにならないものか。それも十人こぞってそう思うからには、共通の利害が生じている。
それがおそらく野獣の像の崇拝ではないか。その崇拝には諸国家の利害が絡んでいるのであろう。
それは宗教紛争の解決ではないか。

 

ここで奇妙なことは

野獣崇拝に対する旧来の宗教の反応はどんなものか?拒絶するか迎合するか?野獣崇拝が大衆を惹き付けるのであれば、不承不承でも迎合するのであろう。

野獣崇拝は大戦終局まで存続すると言える。そこで『野獣の数字を受けた者には休みがない』とは、滅びへの警告と解して良いらしい。

だが、それで救いの門戸が閉じられたかは不明。その理由としては黙示6章の四騎士が挙げられる。大戦の終りはまだ世の終りではない。但し、背教体制は過ぎ去っていると見てよいらしい。世界はカオスに入っており、あらゆる公的管理は失われているがこの期間は短い。(一、二か月程度か)

シオン攻撃まで世情は今日と然程変わらないのかも知れない。しかし、大戦後は激変することになる。今日的情景は二度と見ないのだろう。今日的生活の維持は無理になる。

では、この直後の疫病を逃れた人々の管理はどうなるか?律法の授与に相当する秩序の要が与えられるか?王権の実施者は何者になるのか?

現在でもキリスト教コンサヴァーティヴにイスラエルかぶれは多い。

そこにメシアニックジューも被る。<実は異質だが>

ユダヤ教オーソドックスも見えるメシアさえ現れるなら神殿再建を認める。

イスラム岩のドームを守らないと終末に入れない。

これらの旧来の宗教そのものは、反キリスト崇拝に賛成できるのだが、その旧来の宗教団体を虐げる必要があるものか?

<あるとすれば、反キリスト自身の傲慢さか>

そこで『十人の王』の心に同じ想いを入れるというのは、政治問題に続く宗教的合一の利害ではないか。『平和だ、安全だ』

統一支配的ドグマは、当然そちらに傾くとは思われる・・が

その統一性に反するのは、旧来の宗教の区割りであり、シオンの存在であるように思われる。

 

ならば、聖徒攻撃の慫慂者である大娼婦が、次なる攻撃対象となる情勢の変化は、獣崇拝によるユーフラテスの水位の減少以上に、獣崇拝に伴う利害が大きいからという推測が成り立つ。

 

大いなるバビロンの滅びの時間的位置は、当然ながら聖徒攻撃の後であり、『北の王』の没落後で、且つ獣の崇拝が建てられた後で、諸国の利害がはっきりとしている中でのことになる。

更に、黙示録の『鉢』の記述からすれば、『ハルマゲドン』への諸軍の召集の後になる。

これは、シオン攻撃に参加することを表向きの名目としつつ、最初の矛先は内密の内に娼婦に向いてゆくことを指しているのであろう。

そこで娼婦に属する者らは、それを予期しておらず不意打ちになる。

その根拠としては娼婦の既得権益者らが嘆くところに表れている。

 

であれば、『神は、御言が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされた』というのは、『十人の王』に対して陰謀を企てるよう神が彼らを動かすことを言う可能性があり、その突然の滅びは、イェフー王の騙し討ちの故事を彷彿とさせ、且つ、イゼベルが犬に食い尽くされた事例を指し示してもいる。

その場はナボテという無辜の者、聖徒らの象徴の土地で晒しものとされるのであろう。

 

だが、この理解は諸宗教界には信じられないことになるのだろう。

脱落聖徒らの世との妥協が、究極的正義に見えるとき、大いなるバビロンはそれを後押しさえしているのかも知れないが、それこそは終局を招く愚行となる。イゼベルが化粧をしようと無益ではないか。

 

結論として

大いなるバビロンの滅びは、ハルマゲドンの戦いの直前に位置し

諸王がそれを征服し殲滅するので、諸国の軍は意気を上げシオンも同様に平らげるものと思うのであろう。

 

バビロンが滅んで後、シオン攻撃までどれくらいの時間があるか。

一旦は休止が入るのか。

おそらくは既に『鉢』で警告が与えられているため、時間は然程残っていない。

むしろ、ハルマゲドン後の二つの災厄、特に最後の疫病について、モーセの蛇の効果が残されるのかも知れず、そちらに時間を取る理由の方が大きい。

だから『測ってはならない』と言える。

仮小屋の祝いに参加する時間は依然としてすべての人に残されているのであろう。但し、これは断定しない方が良い。

 

・聖徒についてと思われる黙示記述の中に『野獣の印を受けなかった者』の文言あり、それであれば、野獣崇拝は聖徒攻撃に先立つのか?それとも、聖徒攻撃後の『三日半』の間というのが幾らかの期間を言い表していて、羊のような野獣が野獣崇拝を興す期間を含んでいるのか?

そもそも黙示の開示はどこまでを許しているのか?知ってはならない、または公にしてはならない範囲はどこからか?