Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

「携挙」という誤解

◆携挙とは何か

テサロニケの句から、信者(教会)がキリストに迎えられて天に挙げられると信じること。

<この句の言葉の表層にのぼせたために自分に益が望むと思い込んだところから始まったらしい>

あの五旬節以降に信者になった者は「教会」の一員であるという。

<では信者は『新しい契約』に与っているのか?>

信者はキリストと一体になるのであるから、死んだ信徒は復活により栄光の体に変えられ、生きている信者も栄光の体に変えられ、空中で主に会う。

<キリストと共になるのは、キリストの血と肉に与る聖なるイスラエルだけである>

 

ヨハネ14:3 『あなたがたを迎えるために再び来る』を携挙の根拠の一つとしている。<しかし、これは最後の晩餐の席で使徒らに語られている>

 

1)携挙では、信者は空中で主にお会いします(Iテサロニケ4:17)。再臨のときには、信者は主とともに地上に帰って来ます(黙示録19:14)。

<ここにキリストの地上顕現の危険がある>

2)再臨は艱難のあとに起こります(黙示録6-19章)携挙は艱難の前に起こります(Iテサロニケ5:9、黙示録3:10)。

<大患難を惹き起こすのが天への召しの結果である>

3)携挙は、救出するために信者を地上から取り去る行為です(Iテサロニケ4:13-17、5:9)。再臨は、不信者をさばきのために取り去る行為を含んでいます(マタイ24:40-41)。

<天への召しは救済ではなく契約遵守者の酬いである>

4)携挙は秘密裏に行われ、瞬間的です(Iコリント15:50-54)。再臨はすべての人が見ることができます(黙示録1:7、マタイ24:29-30)。

<天への召しは、見えないゆえに終末のこの世に脅威を与える印となる>

 

5)キリストの再臨はほかの特定の終末的なできごとが起こったあとでないと起こりません(IIテサロニケ2:4、マタイ24:15-30、黙示録6-18章)。携挙は迫っています。いつ来てもおかしくありません(テトス2:13、Iテサロニケ4:13-18、Iコリント15:50-54)。

<再臨は信仰の目で見えるものであり、終始一貫キリストは不可視である>

 

高原

『キリストにある者』は誰であれ携挙で天に挙げられる。

キリストの体に所属する者はバプテスマを受けて一つの体になったのだから、クリスチャンは皆が携挙されると言っている。「一つの聖霊によってバプテスマ」を受けたのだから、聖霊が内住した者は携挙されるという。1Co12:3

「キリストは主であるとは聖霊に拠らなければ言えない」が根拠という。

<そのように薄弱な理由で聖霊が降る目的はない>

 

 

◆携挙説の間違い

・天への召しは信徒ではなく聖徒に対するものであり、それも『新しい契約』を遵守したと認められた者に限られる。信徒は聖徒の苦難に共感し、援助する機会があり、その結果、この世から離れて神の側に立つことができる。

・天への召しは、患難から逃れるためではなく、むしろ患難を忠節の内に耐えた聖なる者が、混乱し迫害を受けている極みに達するところで天への召しが起こる。

・大患難は聖徒ではなく、信徒の救済が行われる機会であって、この世と聖徒ら王国との戦いに中でこの世が瓦解してゆく過程を指している。

・天への召しは予告なく生じるが、状況の伸展なくは発生しない。現在は聖徒の現れも起こっていないので天への召しが起こる状況にはない。

・天への召しは『神の王国』のイスラエルが集められることを意味し、その権力を振るう準備が完了するためのものである。

・テサロニケのラッパは、厳格に定められた契約満了の時の到来と、キリストの権威の実現の『その時』を宣告するものであり、『三年半』が終了したことを知らせるものであり、人から見ても任意の時を意味しない。

・天への召しは、『雲と共に』行われそのものは不可視であるが、それについて『この世』は気付かざるを得なくなり、それはシオンへの諸国民の流れを形成するほどに、終末最大の徴となって、『騎兵隊』を召喚する。

・結論として、これらを主張する教会の指導は間違っているだけでなく、聖徒の天への召しを見誤らせ、キリストの地上再臨をも期待させることに於いて、終末の偽キリストによる『背教』に信者を加担させる要素をすでに抱えている。

 

 

 

 

 

 

イスラエルを集める

イスラエルという創造される民を集める

 

Ezk20:41  わたしがあなたがたをもろもろの民の中から導き出し、かつてあなたがたを散らした国々から集める時、こうばしいかおりとして、あなたがたを喜んで受けいれる。そしてわたしは異邦人の前で、あなたがたの中に、わたしの聖なることをあらわす。

Ezk28:25 、わたしがイスラエルの家の者を、その散らされたもろもろの民の中から集め、もろもろの国民の目の前で、彼らにわたしの聖なることをあらわす時、彼らはわたしが、わがしもべヤコブに与えた地に住むようになる。

 

Ezk39:27-29 わたしが彼らを諸国民の中から帰らせ、その敵の国から呼び集め、彼らによって、わたしの聖なることを、多くの国民の前に示す時、
彼らは、わたしが彼らの神、主であることを悟る。これはわたしが彼らを諸国民のうちに移し、またこれをその国に呼び集めたからである。わたしはそのひとりをも、国々のうちに残すことをしない。
 わたしは、わが霊をイスラエルの家に注ぐ時、重ねてわが顔を彼らに隠さないと、主なる神は言われる」。⇒ 36章の「山々」に関連

 

Isa43:4-12   あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。
 恐れるな、わたしはあなたと共におる。わたしは、あなたの子孫を東からこさせ、西からあなたを集める。
 わたしは北にむかって『ゆるせ』と言い、南にむかって『留めるな』と言う。わが子らを遠くからこさせ、わが娘らを地の果からこさせよ。
  すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた」。
  目があっても目しいのような民、耳があっても耳しいのような民を連れ出せ。
 国々はみな相つどい、もろもろの民は集まれ。彼らのうち、だれがこの事を告げ、さきの事どもを、われわれに聞かせることができるか。その証人を出して、おのれの正しい事を証明させ、それを聞いて「これは真実だ」と言わせよ。
  主は言われる、「あなたがたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、わたしが主であることを悟ることができる。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。
  ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない。
 わたしはさきに告げ、かつ救い、かつ聞かせた。あなたがたのうちには、ほかの神はなかった。あなたがたはわが証人である」と主は言われる。

 

 

Ezk16:37 見よ、わたしはあなたと遊んだあなたのすべての恋人、およびすべてあなたが恋した者と、すべてあなたが憎んだ者とを集め、四方から彼らをあなたの所に集めて、あなたの裸を彼らにあらわす。彼らはあなたの裸を、ことごとく見る。

栄光の前の恥辱

 

Iza43:2   わたしは、北に向かって『引き渡せ』と言い、南に向かって『引き止めるな』と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。

すべてわが名をもって称えられる者を来させよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた。

 

 

Ps102:18 This will be written for the generation to come,That a people yet to be created may praise the Lord. NKJV

これは後に来る世代のために書き記される、創造された民が主を賛美するために。

 

Isa41:27 The first time I said to Zion,'Look, there they are!' And I will give to Jerusalem one who brings good tidings. NKJV

[רִאשֹׁ֥ון לְצִיּ֖וֹן הִנֵּ֣ה הִנָּ֑ם וְלִירוּשָׁלִַ֖ם מְבַשֵּׂ֥ר אֶתֵּֽן׃ ]

[主要日本語訳が妙]

「見よ!彼らはここに居る!」

 

Isa59:20 「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中の背きの罪を(悔いる者)[捕虜]のところに来る」とYHWHは言われる。

[וּבָ֤א לְצִיּוֹן֙ גּוֹאֵ֔ל וּלְשָׁבֵ֥י פֶ֖שַׁע בְּיַֽעֲקֹ֑ב נְאֻ֖ם יְהוָֽה׃]

(Dan8:12)

これはシオンの中に違背を退ける者が加わるの意

違背への勝利が神から来るIsa48:3-7

 

Isa 46:13  I bring My righteousness near, it shall not be far off ; My salvation shall not linger. And I will place salvation in Zion, For Israel My glory.

[主要日本語訳が妙]

わたしは自らの義を近くにもたらす、それは遠くない。我が救いは遅れることなく、シオンに救いを、イスラエルに美をもたらす。

 

 

Isa43:21 (わたしの選んだ民に飲ませる) この民は、わが誉を述べさせるために/わたしが自分のために造ったものである。

これは再創造ではなく、その前段階でなくては意味が無い

 

 

 

雑記録25-5

・人が虚無から逃れる道は、「自分の生に目的を見出すこと」とすれば、それは自己完結になり、やはり虚無のままである。たとえそれを神に与えられた目的としても、その確証はないままで、自分の中の推論で終わり、やはり虚無の域を出ない。

虚無を逃れる道は、創造者との関係性にあり、創造されて存在していることの意義はその創造者からもたらされなくてはならない。なぜなら、誰も自分から存在したわけではないからである。

現状で人が虚無に置かれていることの理由を含め、それを創造者がどのように見做しているのかを弁え知るところに虚無から逃れる道への門口があり、人の創造と根本的な問題を明らかにする聖書にそれが暗示的に示されている。同時にそれは無条件ではないことを聖書の記述そのものの不明性の中に示されている。

キリストが『耳ある者は聴け』と聴衆に言い添えたように、創造者はすべてを誰にでも分かるようには語らない。その理由そのものも人の創造の直後の根本的な問題の発生に起因することは暗示されているのだが、それは明言も確証もされず、拒否することもできる記述に終始している。

これは創造者の側ではなく、人間の側に問題が残っていることを示しており、ある条件に適うところで聖書が益になるという、人知を超えた知恵と原則がそこにある。

これに対して、「人は生かされている」、「自分の人生の目的を見出す」、「人を愛して生きる」などは、虚無への解答とはなっていない。

 

 

・知識で判断する人は、神に裁かれる

エマオに向かう途上に在った二人の心は燃えた

しかし、それが彼らの裁きを左右するわけではない

パウロでさえ「前にあるものに手を伸ばす」という。

神の経綸に触れた感動や興奮が意味を成すかは、その心の奥底に眠るもの次第で

それは本人に分からず、周囲のある人にそれとない直感を与えることはある。

大抵の場合、言われても分からない。分かれば悔いている。

そこが神の裁きたるところ。

ヨハネが現れ「悔いよ」との一言にそれが凝縮されているのかも知れない。

キリストは『悔いて福音に信仰を持て』と言われた。ヨハネは『悔いよ』がその教えであったのは、印を伴う音信はメシアのものであったからであると思われる。

両者共に悔いは律法を通して惹起される各人の悔いであったろう。ヨハネのものが悔いのバプテスマであれば、イエスの水のバプテスマは悔いの結果としてのメシア信仰へのバプテスマであったのであろう。そのメシア信仰は律法の悔いに裏付けられたものであり、ヨハネの悔いよりも先に進んだ価値を持っている。

アレクサンドレイアから来た十人ほどのグループに聖霊が注がれていなかったのは、メシア信仰に到達していなかったことを明らかにしている。そこでメシアに関する知識を必要としたにせよ、その知識は悔いを伴い、頼るべき唯一の道としてのイエスを実感している必要があったろう。イエスは道であり、そこを通らずに神の御許に迎え入れられることはない。

バプテスマは律法への悔いに発し、諸国民に対してはアダムの罪への悔いに及んでいると見ることは的外れではないように思われる。

どれほど経綸への理解や洞察を持っていようとも、悔いなくしてはメシア信仰に達することはない。これが両者のバプテスマに共通する意義であろう。そのため当時のパリサイ人らはヨハネバプテスマを受けていなかったのは、ヨハネが拒絶したと思われる。そうでなければ彼らを『まむしの子孫よ』とは呼ばなかったに違いない。

この関係は終末に於いても繰り返されると思われる。終末の象徴的ヨハネが居るとすれば、聖書や経綸に通じた者であっても、悔いなき者にバプテスマは施さないであろう。

 

 

・義神論

「神の善性および愛は完全であり、神は悪や苦しみに対する責任を持たない」また、「悪は人間の原罪によるものであり、悪のこの世への侵入は原罪および自由意志の人間の乱用による罪の持続的な存在に対する罰」という見方は平板で人間的な観点の所産ではあっても神の悪をも含めた善用の観点を持ってはいない。これがアウグスティヌスの限界であろう。

 

・「罪」について

「神の背を向けることだ」「神の掟を犯していることだ」

というありきたりの理解であってはそれこそ「的外れ」ではないか。

『罪』は人の不倫理性を指すのであって、他者との関係で利己的に振舞う原因となっている内面を言う。

加えて、やたらに原語の意味に拘われば聖書に書かれた真意に到達するということはない。使徒らがどれほどギリシア語に精通していたのか、また、その字義に拘ったかは分からないのであれば、それは決定的証拠とは言いがたい。

宗教関係者にはグレーな部分を尊重せずに、白黒をはっきりさせたがる傾向が強い。何かを断言すること、単純化することが「信仰」であると思うらしい。むしろ、蓋然性のある物事をより信じるのが人間の自然な傾向であり、奇跡という『父の業』をキリストが見せたのも、その傾向を用いてのことではなかったか。それは明確な信仰を惹起させ得るものでありつつ、拒むこともできる奇跡であった。即ち、グレーであったのだ。

但し、グレーにも明るいものと暗いものがある。そこで「信仰」に意味が出てくる。

それであれば、グレーはグレーとしてそのまま認められた上で「信仰」があり、決め付けるだけのことではないと言える。つまり、「自分にはどのように見えるか」なのであり、それが奇跡についても言えるのであれば、当然、原語の字義についても言えることになる。

 

・罪人の転向について、舌足らずなところがあった。

ペテロ、マタイ、パウロにせよ、キリストからの召しに際して転向している

したがって、ザアカイ、罪人として知られた女、ベツサダの池の病人、なども同様と云える

キリストとの邂逅は、人が転向するきっかけとなっており、後の聖霊の注ぎへの集め出しでもあったといえる。メシアが契約の使者であり、行う奇跡と感化を通してユダヤ人を救ったというのが当時の実際であったろう。

 

・教会では『第二の死』を「不信者への処置」としている。

もちろん、そのように単純なことではない。決定的な死は存在の抹消であり、創造の逆である。

・教会では「終末時代」に偽預言者らが現れると教え、聖徒の現れを教えないので、聖徒の発言を退ける危険が高い。つまるところ、何が偽であるのかを定めるのが社会の大衆であるとすれば、大衆化したキリスト教は龍・獣・偽預言者の煽動を受ける対象であり、適正な判断はむずかしい。

それはまた、教会が今後も聖徒を理解せず、世のものとして終わりを迎えることを予示させるものでもある。終末の裁きは、徹底して聖徒と聖霊の言葉を巡るものとなる。

・教会の信仰に関する説明は方法論に偏っていて、部分の解説に終始している。その原因の一つは、キリスト教の基本が宣教側からして理解されていないところにあり、またキリスト教が欧米宗教文化となっているために前提と目的から語られないところに原因があり、それが不信者への間口を狭めている。この入り口を広めるなら、教会員にも再考を促すことになると思われる。

 

・「アリウス派は、アウクセンティウスが全面的に支持していたキリストの神性を否定する異端の考えを支持していた」と言うが、「キリストの神性」の前に『あなた方は神だ』、また『あなたは神々の集いに在って裁く』ということの意味を捨て置いて良いか?いやむしろ、その『神々』たる者らを無視させるのが三一の主目的ではないのか?

この点では、先立つ第二世紀のエイレナイオスの見解が遥かに優れている。この教父は『神々』がそのような者らを表しているかを把握していたが、三一論を称える者らはそれを無視しなければ立ち行かなかった。これは終末に知らされていなくてはならない奥義であるが、現在のキリスト教界は到底知ることのないものとなっている。

 

ヨハネ14:27を「わたしはあなたがたに平和を与える」と訳すと大きな誤解をまねく。平和ではなく平安であるから、他者との共存を意味しない。

 

エズラエルサレムに到着したのはアルタクセルクセス王の治世7年

ネヘミヤがアルタクセルクセス王の治世20年に到着したとされている

これがアルタクセルクセス1世(紀元前465-424年)の治世であれば、エズラは紀元前458年、ネヘミヤは紀元前445年に到着したことになる。ネヘミヤ記8-9章では、(おそらく編集上の誤りにより)二人が一緒に登場しており、このシナリオを裏付けている

エズラ記にはダレイオスⅠ世の治世中の記述にアルタクセルクセスの時代の記述が混じるところあり、編集にある種の混乱があり、エズラの時代からの観点で書かれている様子が見える。エズラとネヘミヤは元々一書を構成していたが、16世紀にラビらによって分離された。どちらもダニエル書のように公文書部分はアラム語のまま記される。

LXXではエズラ記・ネヘミヤ記とエズラ記上を「エズラ記B」と「エズラ記A」としている。

第三エズラ(エスドラスα)はヒエロニュモスが外典に位置づけた。ギリシア語であるためヤブネでも除外されている。内容では一部の付加があり、そこの内容は低劣ではある。

第四エズラ(エスドラスβ)については、本編が3-14章であり、後に1-2章と15-16章が追加されたものを見做されている。キリスト教徒による作とされるが不明。一次資料ラテン語のみ

(第一章の最後にマラキ書そのものへの言及があるが、時代が合わない)

本編はダニエル書のような幻視を扱うが内容は稚拙でダニエル書追加の程度に留まる。

しかし、第二章の預言は格別の高尚さを持っている。但し、新しい啓示はほぼ無い。

エズラが預言を受けたのであれば、ラビの扱いにも格別のものがあったのではないか?

この点でエスドラスβには謎がある。

 

アウグスティヌスの「告白」の冒頭からすると、彼のキリスト教信仰の目的が幸福の追求と充足感の満たしであったことになる。倫理上の問いはなく、自分が既に神との深い絆に入っているものとしている。ここに大きな問題がある。

以後の欧米の教会の基本的観念も同様で、信じた自分たちは既に神の祝福に入っていると前提している。これは契約にある聖なる者についてのみ当てはまるのだが、契約についての見識が抜け落ちており、契約にある聖徒らをそもそも想定していないところから来る誤謬であろう。

欧米型キリスト教会は終末に至って聖徒への最大で最強の反対者となるのであろう。

 

 

第四世紀 ローマ帝国のキリスト教

 

 

ニケーアの裁定を後悔した大帝

コンスタンティヌス大帝の時代、教会内部の争いはニカイア会議で終わらず、ニカイア信条の定式化は反アリウス派の教会関係者の間でも論争の的となった。コンスタンティヌスは寛容を訴えながらも、自分が間違った側に立ってしまったと考え始め、アリウス派を激しく迫害するニカイア派が、実際には教会内部の争いを永続させていると考え始めた。⇒ コンスタンティヌス(大帝となるまで) - Notae ad Quartodecimani

コンスタンティヌスの息子でローマ帝国東部の後継者となったコンスタンティウス2世(位337-361)は、コンスタンティヌス2世、コンスタンス1世との三兄弟で帝国の三分割統治を始めたが、兄弟が争い反乱も多発し、353年に単独統治者となる。アリウス派を偏愛し、ニカイア派の司教たちを追放した。猜疑心が強く少なくない近親者も犠牲になっている。最後はユリアヌス討伐の陣中で病没し、その際にユリアヌスを後継とした。

コンスタンティウス2世を継いだ甥で後継者ユリアヌス(背教者)は、コンスタンティヌスの改宗後、キリスト教を拒絶した唯一の皇帝であり、最後の「異教徒皇帝」ともされる。自らを「ヘレネ」と称し、ヘレニズム宗教の諸形態を支持して宗教的多様性の復活を奨励することで、キリスト教会の分裂と影響力の弱体化を企てた。

ユリアヌス(位361-363)はローマの伝統的な宗教崇拝とユダヤ教を擁護し、さらに様々な非正統派キリスト教宗派や分裂運動に対する寛容を宣言した。ユリアヌスの後継者ヨウィアヌスはキリスト教徒であったが、在位期間はわずか8ヶ月で、コンスタンティノープル市内に入ることはなかった。ヨウィアヌスがコンスタンティノープルへの帰還途中にガス中毒で事故死したため、軍はニカイアで後継の皇帝を選ぶことになった。

 

ウァレンティニアヌス朝

軍は実務経験のある優秀な軍人を後継者にすることを望んだ。こうして白羽の矢が立ったのが当時43歳の将軍ウァレンティニアヌスであった。女系ながらコンスタンティヌス朝の諸皇帝とは血縁関係にあるウァレンティニアヌス大帝が364年にコンスタンティウス2世からユリアヌス、ヨウィアヌスを経て帝位を継承した。東ローマ帝国には、弟のアリウス派のウァレンスを任命した。こうしてウァレンティニアヌス朝が始まり四世紀の後半を占める。

 

379年、ウァレンスの後を継いでテオドシウス1世が即位した頃には、帝国の東半分ではアリウス派が広く信仰されていた一方、西半分では依然としてニカイア派が堅固な信仰を維持していた。ヒスパニア生まれのテオドシウス自身もニカイア派キリスト教徒であり、非常に敬虔であった。8月、西ローマ帝国のグラティアヌス帝は西ローマ帝国における異端者迫害を推進した。

 

グラティアヌス;359年4月18日 - 383年8月25日)は、西ローマ帝国の皇帝で、367年から383年まで在位した。ウァレンティニアヌス1世の長男であるグラティアヌスは、幼少時にアウグストゥスの位に上げられ、375年の父の死後西ローマ帝国を継承した。グラティアヌスは、幼い異母兄弟であるウァレンティニアヌス2世と名目上は共同で政治を行い、ウァレンティニアヌス大帝の死後、異母弟ウァレンティニアヌス2世もパンノニア皇帝として奉じられた。ウァレンティニアヌス2世の宮廷はメディオラヌムに置かれたが、実際の政治は幼いウァレンティニアヌス2世に代わって母ユスティナやメロバウデス、バウト、リコメルといったフランク人の老臣たちが行った。

東ローマ帝国は叔父のウァレンスが統治したが、378年のハドリアノポリスの戦いの後にグラティアヌスの要請によりテオドシウス1世が継承した。熱狂的なアリウス派の信徒であるウァレンスがこのような不名誉な死を遂げたことが伝わると、弾圧されていたアタナシウス派(三位一体派)は歓喜したといわれる。


グラティアヌスはその後ライン川を渡る作戦を率いてレンティエンス族を攻撃し、部族を降伏させた。同378年、東ローマ皇帝ウァレンスがアドリアノープルの戦いでゴート族と戦って戦死したため、グラティアヌスは379年にテオドシウスを後継者に据えた。グラティアヌスは伝統的なローマの宗教よりもニカイア・キリスト教を支持し、三皇帝共同の名で380年のテッサロニキ勅令を発布して最高神父の職を拒否し、ローマ元老院のキュリア・ユリアから勝利の祭壇を撤去した。ローマ領ガリアのイゼール川沿いの都市クラロは彼にちなんでグラティアノポリスと改名され、これが後にグルノーブルへと発展した。383年、簒奪者マグヌス・マクシムスの反乱に直面したグラティアヌスは、ルテティア(パリ)に向けて軍を進めた。彼は敗走してルグドゥヌムに逃亡したが、後に殺害された。
グラティアヌスは369年にゲルマニクス・マクシムスとアラマンニクス・マクシムス、フランキクス・マクシムスとゴティクス・マクシムス の勝利の称号を与えられた。

 

グラティアヌス帝からマルキアヌス帝までの皇帝は、自らを「名誉ある神官」を意味するポンティフェクス・インクリュトゥス(pontifex inclytus )と称した。ローマの司教が最高神官(pontifex maximus)の称号を採用したのはルネサンスになってからである。

 

マグヌス・マキシマス

グラティアヌスからの皇位簒奪者マグヌス・マキシマス388年8月28日没)は、383年から388年まで五年間、西ローマ皇帝であった。

グラティアヌスからの皇位簒奪者マグヌス・マキシマス388年8月28日没)は、383年から388年まで西ローマ皇帝であった。西ローマ皇帝グラティアヌスは、多くのアラン人を護衛として迎え入れ、ローマ市民を犠牲にしてこれらのイラン語を話す外国人を優遇したとして非難された。383年、不満を抱いたローマ軍はグラティアヌスに代わりマクシムスを皇帝に宣言した。彼はグラティアヌス帝から帝位を簒奪し、後にはグラティアヌスの弟ウァレンティアヌスⅡ世に対して387年にイタリアへ侵攻し388年にテオドシウスⅠ世に敗北した。

マキシムスは帝国樹立の野望を追求するため、ブリトン軍の大半を率いてガリアへ向かった。 パリ近郊で5日間の小競り合いの後、マキシムスはグラティアヌスを破ったが、グラティアヌスは戦場から逃走し、 383年8月25日にリヨンで戦死した。マクシムスによってグラティアヌスが殺害されると、グラティアヌスによって帝国東方へ派遣されていたフランク人の将軍バウトが東帝テオドシウス1世の軍団を率いてイタリアへと引き返し、マキシムスと対陣した。

イタリアへの遠征を続けていたマキシムスは、わずか12歳のウァレンティニアヌス2世の打倒を阻止しようとしたが、強力な軍勢を率いるバウトが彼を阻止しようと現れた。384年にはミラノ司教アンブロシウスの介入を含む交渉が行われ、ウァレンティニアヌス2世とテオドシウス1世との間で和平が成立し、同時にマキシムスは西ローマ帝国におけるアウグストゥスとして認められた。
マクシムスはガリアのアウグスタ・トレヴェロルム(トレヴェス、トリーア)を首都とし、ブリタニアガリア、スペイン、アフリカを統治した。彼は貨幣を発行し、ガリアの属州制度を再編する数々の勅令を発布した。
マクシムスは異端者を厳しく迫害した。プリスキリアヌスと6人の仲間が異端の罪で処刑されたのは彼の命令によるものであったが、マクシムスが実際に告発したのは魔術の使用に関するものであった。聖アンブロシウスやトゥールの聖マルティヌスといった著名な聖職者たちは、世俗権力が教義問題に介入することに抗議したが、処刑は執行された。
452年のガリ年代記は、プリスキリアヌス主義者を「マニ教徒」と表現している。これはディオクレティアヌス帝の治世下で既にローマ法で非難されていたグノーシス主義の異端であり、マグヌス・マクシムスが彼らを「最大限の熱意をもって捕らえ、根絶した」と記している
マクシムスは、おそらく384年の春から387年の夏の間に書かれた、ウァレンティニアヌス2世に宛てた脅迫状の中で、アンブロシウスとニカイア信条の信奉者に対するウァレンティニアヌスの行動について不満を述べ、次のように書いている。「尊敬すべきあなたの平静さは、神自身が確立し、人々の心に一度根付いた宗教が、根こそぎにされることがあるとお考えなのでしょうか?」これは「カトリック法の混乱と激動」に対する反応である。
逆に、ローマのキリスト教徒がユダヤ教の会堂を焼き払ったことを非難したマクシムスの387/388年の勅令は、人々が「皇帝がユダヤ人になった」と叫んだとアンブロシウス司教によって非難された。

 

383年頃、マクシムスはブリタンニアのローマ軍団によって皇帝として宣言された。皇帝となったマクシムスは息子フラウィウス・ウィクトル(英語版)を共同皇帝とし、ブリタンニアの軍団を引き連れてガリアへ侵攻すると、ルグドゥヌムにて西帝グラティアヌスを捕らえて処刑した

西ローマ皇帝グラティアヌスは、多くのアラン人を護衛として迎え入れ、ローマ市民を退けてこれらのイラン語を話す外国人を優遇したとして非難された。383年、不満を抱いたローマ軍はグラティアヌスに代わりマクシムスを皇帝に宣言した。しかしゾシムスは、マクシムスがテオドシウスが皇帝になったのに自身が昇進しなかったことに憤慨し、グラティアヌスに対する反乱を扇動したと描いている。

彼はグラティアヌス帝から帝位を簒奪し、グラティアヌスの弟ウァレンティアヌスⅡ世に対して387年にイタリアへ侵攻し388年にテオドシウスⅠ世に敗北した。

 

マキシムスは帝国樹立の野望を追求するため、ブリトン軍の大半を率いてガリアへ向かった。 パリ近郊で5日間の小競り合いの後、マキシムスはグラティアヌスを破ったが、グラティアヌスは戦場から逃走し、 383年8月25日にリヨンで戦死した。

しかし大テオドシウスの子であるテオドシウス1世にはマクシムスと争う意思がなかったようで、テオドシウスはミラノ司教アンブロシウスを調停役としてマクシムスと和議を結んだ。さらに翌384年にはテオドシウス自らイタリアへと赴き、マクシムスを共同皇帝と認めるようグラティアヌスの異母弟ウァレンティニアヌス2世を説得した

 

384年にはミラノ司教アンブロシウスの介入を含む交渉が行われ、ウァレンティニアヌス2世とテオドシウス1世との間で和平が成立し、マキシムスは西ローマ帝国におけるアウグストゥスとして認められた。
マクシムスはガリアのアウグスタ・トレヴェロルム(トレヴェス、トリーア)を首都とし、ブリタニアガリア、スペイン、アフリカを統治した。彼は貨幣を発行し、ガリアの属州制度を再編する数々の勅令を発布した。


マクシムスは異端者を厳しく迫害した。プリスキリアヌスと6人の仲間が異端の罪で処刑されたのは彼の命令によるものであったが、マクシムスが実際に告発したのは魔術の使用に関するものであった。聖アンブロシウスやトゥールの聖マルティヌスといった著名な聖職者たちは、世俗権力が教義問題に介入することに抗議したが、処刑は執行された。
452年のガリ年代記は、プリスキリアヌス主義者を「マニ教徒」と表現している。これはディオクレティアヌス帝の治世下で既にローマ法で非難されていたグノーシス主義の異端であり、マグヌス・マクシムスが彼らを「最大限の熱意をもって捕らえ、根絶した」と記している
マクシムスは、おそらく384年の春から387年の夏の間に書かれた、ウァレンティニアヌス2世に宛てた脅迫状の中で、アンブロシウスとニカイア信条の信奉者に対するウァレンティニアヌスの行動について不満を述べ、次のように書いている。「尊敬すべきあなたの平静さは、神自身が確立し、人々の心に一度根付いた宗教が、根こそぎにされることがあるとお考えなのでしょうか?」これは「カトリック法の混乱と激動」に対する反応である。」
逆に、ローマのキリスト教徒がユダヤ教の会堂を焼き払ったことを非難したマクシムスの387/388年の勅令は、人々が「皇帝がユダヤ人になった」と叫んだとアンブロシウス司教によって非難された。

 

 

テッサロニキ勅令

380年2月27日、グラティアヌス帝、ウァレンティニアヌス2世、テオドシウス帝はテッサロニキ勅令を発布した。この勅令により、ニカイア・キリスト教キリスト教の唯一の合法形態とされ、他のすべての宗派は非合法とされた。 これにより、ユリアヌス帝の死後、広く信じられていた宗教的寛容の時代が終焉を迎えた。

テサロニケ勅令(ギリシア語:Διάταγμα της Θεσσαλονίκης)は、380年2月27日にテオドシウス1世によって発布され、ニカイア・キリスト教ローマ帝国の国教会とした。この勅令は、アリウス派などの他のキリスト教の信条を「愚かな狂人」の異端として非難し、それらを処罰することを認可した。

テオドシウス帝がコンスタンティノープルを帝都とするために住民を鎮圧しようとしたこの勅令は、その前文においてキリスト教徒であるローマ皇帝が宗教的正統性として何を認めるかを明確に定義した、世界初の世俗法として知られ、異端者とみなされる反体制派に対する弾圧の道を開きました。テッサロニキ勅令は後にテオドシウス法典第16巻に組み込まれ、ローマ帝国の公式キリスト教化における画期的な出来事となりました。

 

 

クィントゥス・アウレリウス・シンマクス

345ca-402 (クィントゥス・アウレリウス・シュムマクス・シグノ・エウセビウス)
ローマの政治家、弁論家、文人であった。373年には執政官アフリカの総督、384年と385年にはローマの都市長官、391年には執政官を歴任した。シュムマクスは、貴族がキリスト教に改宗していた時代にローマの伝統的な宗教を保存しようと努め、フォルム・ロマヌムにあったローマ元老院の主要会合場所であるクリアから勝利の祭壇を撤去せよというグラティアヌス帝の命令に抗議する代表団を率いたが、失敗に終わった。 2年後、彼はグラティアヌスの後継者ウァレンティニアヌス2世に有名な嘆願書を出したが、ミラノ司教アンブロシウスによって反駁された。

 

クリア・ユリア
クリアとは「集会所」
フォルム・ロマヌムに建てられた元老院議事堂の3代目の建物である。共和政ローマ時代の末、ガイウス・ユリウス・カエサルがスッラが建てた先代の議事堂クリア・コルネリアを取り壊し、フォルム北西部のコミティウムに、議員の待合室や記録保管庫と共に、向きを変えて建て直したもので、アウグストゥスが完成させ、紀元前29年8月28日、タレントゥムからウィクトーリア像を移して奉献した。
後81年から96年に掛けて第11代皇帝ドミティアヌスにより改築され、283年の火災の後、284年から305年に第51代皇帝ディオクレティアヌスにより改築されている。

キュリア・ユリアの内部における2つの大きな特徴は、勝利の祭壇と印象的な床である。
ユリアにある勝利の祭壇は、元老院の役割が縮小したにもかかわらず、ローマ軍の永続的な優位性を証明している。

ホールの奥には「勝利の祭壇」があり、テオドシウス当時のキリスト教詩人プルデンティウスによれば勝利の擬人化であるヴィクトリア像が地球儀の上に立ち、花輪を差し出していた。この祭壇は、ローマの軍事的武勇、特に紀元前31年のアクティウムの海戦におけるアウグストゥス自身の勝利を祝うために、教皇庁に設置されました。この祭壇は、キリスト教の台頭後、古代ローマの異教の伝統に対する一般的な反発の一環として、西暦384年に撤去された。

ブルディンティウスの*Libri contra Symmachum(「シンマクスを駁す書」)は、異教徒の元老 院議員シンマクスが、グラティアヌスによって撤去された勝利の祭壇を元老院議事堂に戻すよう要求したことに反対している。

 

387年、マクシムスはウァレンティニアヌス2世をミラノから追い出すことに成功した。ウァレンティニアヌスはテオドシウス1世のもとへ逃亡し、二人は東から侵攻した。リコメレスら将軍率いる軍勢は、388年7月から8月にかけてマクシムスと戦った。マクシムスはポエトヴィオの戦いで敗北し 、アクイレイアへ撤退した。一方、マルコメルス率いるフランク族は、この機会を捉えて北ガリアに侵攻し、マクシムスの立場をさらに弱体化させた。

マクシムスの騎士長であり、グラティアヌス帝を暗殺したアンドラガティウスはシシア近郊で敗れ、マクシムスの弟マルケリヌスはポエトヴィオで戦死した。

 

387年、マクシムスはウァレンティニアヌス2世をミラノから追い出すことに成功した。マクシムスはテオドシウス1世とウァレンティニアヌス2世からブリタンニアガリア、ヒスパニア、アフリカの統治権を認められたが、それに飽き足らず、387年に突如としてウァレンティニアヌス2世をイタリアから追放して強引にイタリアをも支配下に置いた。ウァレンティニアヌス2世はテッサロニキのテオドシウス1世のもとへと逃亡し、当時15歳前後であった妹のガッラをテオドシウスに差し出すことでテオドシウスにマクシムスと戦うことを約束させた。二人は東から侵攻した。リコメレスら将軍率いる軍勢は、388年7月から8月にかけてマクシムスと戦った。マクシムスはポエトヴィオの戦いで敗北し 、アクイレイアへ撤退した。一方、マルコメルス率いるフランク族は、この機会を捉えて北ガリアに侵攻し、マクシムスの立場をさらに弱体化させた。

マクシムスの騎士長であり、グラティアヌス帝を暗殺したアンドラガティウスはシシア近郊で敗れ、マクシムスの弟マルケリヌスはポエトヴィオで戦死した。
テオドシウスがリコメルやアルボガストらを率いて侵攻してくると、マクシムスはテオドシウスをパンノニアで迎え撃ったが立て続けに敗れてアクイレイアへと逃亡し、マクシムスの騎士長であり、グラティアヌス帝を暗殺したアンドラガティウスはシシア近郊で敗れ、マクシムスの弟マルケリヌスはポエトヴィオで戦死した。間もなく捕らえられて388年8月28日に処刑された。

マクシムスの処刑後、元老院ではマクシムスに対するダムナティオ・メモリアエが決議された。マクシムスが妻を持っていたことはトゥールのマルティヌスの記録により確実視されているが、彼女の名前や、彼女がどうなったのかは不明である。テオドシウスはマクシムスの軍を破り、事実上、帝国の統一支配権を再建した。

 

388年ウァレンティニアヌス2世が復帰した後もテオドシウスは西ローマ帝国の首都メディオラヌムに留まった。ウァレンティニアヌス2世の住処はヴィエンヌへと移され、西ローマ帝国の高官はテオドシウスの腹心へと次々に入れ替えられていった。ウァレンティニアヌスの名で発行されたコインの裏面にはテオドシウスの肖像が描かれ、誰が帝国の真の支配者であるかを仄めかした。テオドシウスは彼の忠臣であるフランク人の将軍アルボガストを軍司令官に任じて西ローマ帝国を任せ、391年に東ローマ帝国へと帰国した。

ウァレンティニアヌス2世は成長するにつれ自身がテオドシウスの傀儡であることに不満を持つようになった。アルボガストはテオドシウス個人に対してのみ忠誠を誓っており、ウァレンティニアヌスに対しては主人のように振る舞った。ウァレンティニアヌスがアルボガストを降格しようとすると、アルボガストは「私を任命したのは、あなたではない」としてこれを退けた。ウァレンティニアヌス2世はテオドシウスに苦情を申し立て、テオドシウスはアンブロジウスを調停に向かわせたが、392年5月15日にヴィエンヌの住いの梁にぶら下がっているウァレンティニアヌス2世の姿が発見された。自殺か他殺かについては意見が分かれている。

 

 

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アムブロジウス人物補足メモ - Notae ad Quartodecimani

 

 

 

 

 

 

 

 

「闇の支配」 ルカ22:53

・『闇の権威』

Lk22:53『今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である』

καθ’ ἡμέραν ὄντος μου μεθ’ ὑμῶν ἐν τῷ ἱερῷ οὐκ ἐξετείνατε τὰς χεῖρας ἐπ’ ἐμέ,

ἀλλ’ αὕτη ἐστὶν ὑμῶν ἡ ὥρα καὶ ἡ ἐξουσία τοῦ σκότους.

[ἐξουσία] エクソーシア fs 権威・主権 

なぜ主要な日本語訳は「支配」や「力を振るう」などと意訳するのか?

口語訳、新改訳、新共同訳、岩波委員・・

 

 

・Mr13:33-37 『 13:33 気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。
 13:34 それはちょうど、旅に立つ人が家を出るに当り、その僕たちに、それぞれ仕事を割り当てて責任をもたせ、門番には目をさましておれと、命じるようなものである。
 13:35 だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである。
 13:36 あるいは急に帰ってきて、あなたがたの眠っているところを見つけるかも知れない。
 13:37 目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである」。』

 

門番であれば、主の臨在に先立つ存在であるので、これは聖徒ばかりを指すわけではない。これは信仰者全体に対する下命であり、聖徒は聖霊降下後に、彼らには別の意味で警護しているべき契約がある。

エスは信仰者に向けて聖霊の奇跡でも起こったら腰を上げろとはけっして言い得ない。闇の権威の中から灯火を見ているべき理由がある。『暗闇の中で灯火は消えていない』とはそのような支えのためであると思われる。

 

終末に入る前に、必須とされる行動があるに違いなく、それはシオンに連なるものであるに違いない。

だが、そのように目覚めているような行動を起こすためには、それなりの信仰を要し、世の暗闇の中でも何事かに注目している状態にあるに違いない。殊にパスカはなおざりにすべきでないのは、婚礼からの主人を待つ他の例えと併せて考えるなら、その蓋然性は否定できるものではない。

行おうを思っても行えない者があり、行おうと思っても注意が不足する者あり、行っても要旨を誤解している者あり、「見張っている」というのは、パスカ一つ捉えるにもけっして易しくはない。ただパンさえ焼ければ良いと思っているなら、「儀式の罠」に陥るし、重大性を弁えていなければ何事も無益なままである。但し、弁えていても出来なかった者が居ることは理解されるべきではある。そこに不注意や慢心や安易な諦めが無いならばではあるが。このことを考えると集団で行うパスカも有意義ではあるし、パウロは集団で行うパスカに言及している。

 

・この世での平和は権力なくして有り得ない。

この世の実相は闇であり、平和は銃口から生じる。

本来、その平和とは真に平和ではない。

なぜ、戦争が無くならないかを問うのは実は愚かしい。

 

 

 

 

 

 

 

背教と携挙

2The2:1『参集』[ἐπισυναγωγῆς]「名)属女単 集められること、集会、一緒の集まり」

「パルーシアとエピシュナゴーゲースについて」

Mk13:27[καὶ τότε ἀποστελεῖ τοὺς ἀγγέλους καὶ ἐπισυνάξει τοὺς ἐκλεκτοὺς [αὐτοῦ] ἐκ τῶν τεσσάρων ἀνέμων ἀπ’ ἄκρου γῆς ἕως ἄκρου οὐρανοῦ.]

[ἐπισυνάω]集める

「そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集める

1The4:17 「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいる」

Act8:39 「主の霊がフィリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった」

[ὅτε δὲ ἀνέβησαν ἐκ τοῦ ὕδατος, πνεῦμα κυρίου ἥρπασεν τὸν Φίλιππον καὶ οὐκ εἶδεν αὐτὸν οὐκέτι ὁ εὐνοῦχος, ἐπορεύετο γὰρ τὴν ὁδὸν αὐτοῦ χαίρων. ]

⇒ 'αρπαζω  ハルパゾー 奪い取る

 

2The2:3「なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない」

[ ὅτι ἐὰν μὴ ἔλθῃἀποστασία πρῶτον καὶ ἀποκαλυφθῇ ὁ ἄνθρωπος τῆς ἀνομίας, ὁ υἱὸς τῆς ἀπωλείας,]

[ἀποστασία]名)主女単 背く

 

◆所見

使徒らの文書は聖徒を中心に語り、信徒をほぼ度外視している。そのため非常に誤解を招く記述が続いており、恰もその誤謬を誘っているかのようである。即ち、キリスト教界は陥るべくして現状が在り、これは聖書記述によって、ほとんど矯正不能にされている。これはどうしようもない。

神が人を裁くためにキリスト教界は利用されているのであり、これはもはや動かし難い。従って、自分たちは集められるとか、救われるとか信じ込むことで、背教の担い手が既に召集されているに等しい。キリスト教とはこうも恐ろしい宗教であったのか。

 

 

2The2:8 「その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の顕現によって滅ぼす」*日本語訳に問題あり

[καὶ τότε ἀποκαλυφθήσεται ὁ ἄνομος, ὃν ὁ κύριος [Ἰησοῦς] ἀνελεῖ τῷ πνεύματι τοῦ στόματος αὐτοῦ καὶ καταργήσει τῇ ἐπιφανείᾳ τῆς παρουσίας αὐτοῦ,]

 

携挙を唱える派では空中再臨と地上再臨とを分け、前者は「良いクリスチャンが天に召されキリストに迎えられる」とし、後者を地上の裁きを行い不法の人を無に帰させると教える。

前者は召される者を「患難時代」から逃避させるてめであるとし、後者はその後の裁きであるとしている。

だが、前者は迫害を忍んだ聖徒らの天界への召しであり、後者は地上へのメシアの現れではなく臨在の権限としての背教してこの世への裁きである。

厄介なのは、時間経過だけは整合していることであり、その内容が異なっている。

 

終わりの日の背教は、聖徒の現れ有って後の独麦のような脱落者からのものであり、迫害に妥協する者らが世と野合して権勢を得た後のものである。

これをダニエルは「ペシャ」と呼んで聖徒の滅ぼしに関して要所に使われている。

 ⇒ 「天の軍勢」

 

ここは「背教」から説明して方が理解され易いようだ。

 

携挙が信じられ称揚される誘因には、自己保存本能があるらしい。

患難を逃れキリストの許に挙がられるとすれば、何の苦労も試練もないことになるうえ、聖徒を支持するでもなく、神の側に着くような忠節な行動が善良で敬虔であることに置き換えられている。

これは裁きに面するに当たり何の忠節さも示して居らず、地上再臨を説いているところでは偽キリストを支持するよう既に誤導されている。

終末の背教はこれらを信じる人々を支持の中核とするように観察される。

これは危険が大きいが、それも罠であるならその趨勢は動かしようがない。

やはり、聖書は誤解を与えて最悪の役者を召喚するところは初臨のユダヤと変わらない。むしろ、次回はユダヤ教徒キリスト教徒は神殿を巡り宗教合同を起こすのであろう。

 

・ 空気、空中と訳される[ἆηρ]には、風[ανεμος]や雲 [νηφελη]の領域であるという。

-abarim出版の聖書辞典-これは敷衍して世の霊や社会潮流をも指すと

だが、ここで「雲」が出てくるのはRev11:15について非常に暗示的

 

 

 

「この世」はイエスを見る

 

 

 『子らよ、わたしはまだ暫くあなたがたと共に居る。あなたがたはわたしを捜すだろうが、既にユダヤ人らに言ったとおり、今あなたがたにも言う、「あなたがたはわたしの行く所に来ることができない」』。ヨハネ13:33

 

 もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。ヨハネ14:19

 

 わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。ヨハネ第一3:2

 

わたしたちはみな、顔覆いなしに、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。コリント第二3:18

 

平和と神聖さを追い求めよ、それなくして主を見ることはない。ヘブライ12:14

 

わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。ヨハネ20:29

 

◆所見

再臨のイエスは『雲』と共に来るのであって、『世はもはやわたしを見ない』、見える者が現れるなら、『見よ!ここを、とか、そこを、と言う者』であり『ついて行ってはならない』、肉で現れるキリストは偽者であり、アダムの贖いを行っていないことになり、そのうえ地上の『神の神殿』に座するなら『不法の人』以外にない。いまさらユダヤ教徒と共に動物の犠牲を捧げるなら、それはキリストの贖いの否定である。

再臨のイエスを見てユダヤ教徒が改宗するなら、律法祭儀の必要はなく第三神殿の意味も無いはずだが、霊的蒙昧の中にいる大半の「クリスチャン」は歓呼してこのアンチクリストを迎え入れる以外ないことになる。即ち、ユダヤ教徒は正しくキリスト教を受け入れるわけではなく、第三神殿建立の目出度さに押されるような仕方でキリスト教側もそれを祝ってしまうであろう。そこで、宗教合同の大儀が強調され、イスラムも妥協を求められ、危うい宗教的和平と宗教の大合同が提唱される。その主賓はアンチクリストであり、「究極の偶像」となる。新約聖書、わけても黙示録にまで偶像崇拝の危険が喚起される道理がここにある。

一般大衆はこの雰囲気に飲まれ、平和を称揚して聖徒が主張していた原理と対立し、最終的にシオンとの対決に至るのが既に見えている。

この点で、人々は暢気に過ぎる。たとえこれらの先見についての知識を得てすら、大半は「そうなったら行動しよう」として、単なる傍観者となるであろう。それは『心の無感覚さの表れであり、悟って癒されるということのないためである』。当然シオンに加わるには中立的に過ぎる。『信仰』というものを「知識の把握である」と勘違いしているからであり、これは神の裁きである以上、どうにもならない。

たしかに『信仰』を働かせる間口は広げられてはいるが、だからと言って緩いわけではない。そこを誤解して振るい落とされるのが先に知識を得た者への罠であろう。

しかし、あまり明解にこれを語らない方が良いのかも知れない。裁かれる者は裁かれなくてはならず、警告しても無駄に終わる。それを考えると聖徒ばかりでなく、人類の裁きにも峻厳たるものがある。

 

 

・終末のキリスト教界の動向;地上に現れる肉のメシアを受け入れ、ユダヤ教イスラムと共に結束してペシャに加担するが、何らかの事でアポスタシアとは逸れてゆき、内部でも分裂が起こる。以降、衰退が急激に進み、他宗教と共に公権力によって突然に解体される。

不明な点は、アポスタシアとどのように分裂するか。

 

 

雑記録25-3

 

・苦衷の人生への対処としての宗教

苦難に遭うと「どうすればよいか」と考えるのは自然な反応ではある。

そこで「上なるもの」に対しての自分の振る舞いを問うことになる。

それは言動への規制であったり、善悪基準に従うことであったりする。

その方法論に堕した宗教は数多い。

しかし、「上なるもの」が創造者である場合には、人間の造りも性向も承知しているはずであり、基準に従わせることそのものに矛盾が在る。

そこで基準に従うよう教える宗教と共に、「人生は試練である」という派生系も生じる道理がある。

しかし、前提として「どうすればよいか」との問いそのものに的外れなところがある。

その関心が自己に向き過ぎているのである。それは容易にパリサイ派の精神へと向かうことになる。メシア初臨の時のユダヤ教指導層の精神は、諸宗教の定式化でもある。

 

・人間問題の根本

倫理不全による道徳性の限界ではあるのだが

それは不道徳性で顕著に問題が生じているかのように見えて実は逆である。

人々が道徳的であると評価し、推進するところに別の不道徳が潜伏する。

ゆえに、理想主義や道徳主義や啓蒙主義などから悪質な害悪が生じている。

人間は徹頭徹尾自らの悪から逃れることができず、理想を懐いても同じである。

人の「犯罪」と一般的に呼ばれている悪行だけでなく、人それぞれに良いと思っている事柄にも害悪の淵源があり、大抵の人はそれに気付けない。

そこで社会悪が生じる結果となっている。人々は問題が大きくなりそれぞれに身に及んではじめてそれに気付き糾弾し始めるが、その連鎖には限りが無い。

確かに立法、司法、行政が存在しなければ生活は成り立たないのだが、同時にそれらが害悪の淵源となる確率は常に存在し続ける。これが「この世」の限界であり『アダムの罪』の隠しようも無い表れとなっている。

そこで人間の根本的問題を直視しようとするなら、社会常識から離れた視座に就かねば到底その本質を見極めることはできないし、却って反発することも考えられる。

『アダムの罪』の観点から見るなら、はじめから「この世」は確立できない不安定なものであることを認めなければならないからであり、それは社会の成り立ちを根底から覆す以外に解決方法がないからである。

 

・聖書は間違いのない書物か?

  旧約にはソフェーリムのミスが在り、今日のユダヤ教はそのままに記す。

  またソフェーリムが自らそれ以前の写本に手を加えた箇所が存在する

  新約にはマルコとルカにそれぞれ一ヶ所ずつ本人の勘違いが明らかにされている

  パウロは性急に語るところがあり、エイレナイオスは倒置法と呼ぶが、ペテロも指   摘しているように判り易い文章とはいえず、解釈の難しい箇所がある

  マタイ福音は本人がヘブライ語で書いたものを後からギリシア語に直したためか    非常に判り難く誤解され易い箇所がある

結論として逐語霊感説は実態と一致しておらず、それは単純な決め付けを望む「敬虔な」信者の願望に過ぎず、自分の信仰に安心していたいための安直な動機に由来しているであろう。欠けているのは、求め続け、敲き続ける探究心であり、その熱意があるなら、聖書を巡る人間のミスを超えてでも、聖書に神の霊感の痕跡を見出せるはずである

 

・どうして様々な聖書解釈が存在するか

  そもそも神の霊感によるか、その意図に沿って書かれたものを、人間の側からの理       解で解釈するには限界がある。ダニエルにあるように、書かれていながら秘められ     ている内容もあり、その理由は誰にでも同じ理解を与えないためであり、それは個    人の裁きに関わっている。したがって、人それぞれに解釈が生じるのは神の意図す        るところであり、真相は聖霊を受ける者が教えられる範囲に限られるうえ、今日に        聖霊注がれた者が居ない以上、聖書のすべてを理解することも解釈することも不可    能である。それでも、『裁きの日』に必要な事柄は聖霊注がれる弟子らによって知     らされることは明らかにされているので、聖書の言葉は、その発言の裏づけを与え         るものとなり得る。その聖霊の言葉の真実性は聖書によって示される。

 

・律法契約の国家法の世俗、動物の犠牲を繰り返す模式性

 国家維持のための権力行使、法執行のための権力行使

 

・教会員は、一度信仰し救われると救いは取り消されないと教えられる。

 これは新しい契約への誤解から生じている。

 しかし、実際には「不良クリスチャン」が居て、この固定化された救いの思考法に戸惑いがあり、教え手は何かと理由付けに苦労している。

そこである団体では「破門」や「除名」のような処置が必要となり、「正しいクリスチャン」なる陳腐な造語が現れている。

これは『新しい契約』でのメシアの裁きを必要とするものであることを新約聖書は繰り返し教えているにも関わらず、キリスト教界はそのヴィジョンを持たないために、互いを裁くという愚行に陥る。

はじめから「洗礼を受ければ一度限り救われる」と教えなければこうはならない。

どこの宗派も大抵はこの陥穽に落ちている。

これは新教系の信者らの考える「携挙」の概念とも一致しないのだが、それもまた荒唐無稽な複雑な理解となっている。

 

・最後の晩餐の時点で使徒らの試みが終わって十一人に信任が為されたなら、その場で聖霊の注ぎが起きても良かったか?

そうならなかった理由には、一つに五旬節に至るまでの七つの時を要した。また、十二使徒が揃っている必要についてペテロが語って対応している。

またヨハネは、イエスが栄光を受けてこそ聖霊が注がれることについて語っている。

血の注ぎ出しが無いところで契約は発効しなかったともいえる。パウロ(ヘブライ書)はそれを『契約締結人の死が備えられて契約が有効となる』と述べる。

キリストへの信任は受難の前に認められ、それに伴ってきた十一人にも仮承認が行われたゆえにパスカに与っている。ユダ・イスカリオテも聖餐の場に居たことをルカが告げているが、キリストは受難の直前の祈りの中で『滅びの子』が一人失われたことを語る。そこでユダ・イスカリオテの倍餐は、別の者の代理と取ることができ、同時に終末の脱落聖徒から偽キリストの不法の者が登場することを予示するものともなっている。

ユダ・イスカリオテの空席はマッティアスが充当したと見るべきなのは、聖霊の注ぎの場にパウロはまだ回心していなかったことによる。また、彼は生前のイエスに同行していないが、マッティアスは肉のイエスを知っており、使徒らほどでないにしても、キリストに同行したグループには含まれていた。おそらくユストと共に七十人の一人であったであろう。

 

・「一人を殺せば死刑なのに、なぜ百万人を殺した将軍が勲章をもらうのか」

                              墨翟

    国家権力の本質が暴力にあるからであろう

 

・官無常貴而民無終賤    墨翟

この時代科挙が有ったか?有っても人の一面的判断であり、貴賎は存在してもその判断は極めて難しい。その難しさは神秘でもある。

 

・墨翟の上帝の絶対視と「天志」には一般的キリスト教との共通性が見える

また、そこが限界でもある

 

・「あなたらのただ中」[μέσος ὑμῶν] a--nm-s 形)主男単 中央の,中間の,中の Jh1:26

   [ἐντὸς ὑμῶν]  pg 前)属 内側を、内部に   Lk17:21 

 

・「女の胤」

[וְאֵיבָ֣ה ׀ אָשִׁ֗ית בֵּֽינְךָ֙ וּבֵ֣ין הָֽאִשָּׁ֔ה וּבֵ֥ין זַרְעֲךָ֖ וּבֵ֣ין זַרְעָ֑הּ  ה֚וּא יְשׁוּפְךָ֣ רֹ֔אשׁ וְאַתָּ֖ה תְּשׁוּפֶ֥נּוּ עָקֵֽב׃ ס]

[זַרְעָ֑הּ ]ザルアハ=[σπέρματός]LXX

意訳であれば『女の胤』もある。

但し、Isa57:3に1つの別用例あり、[זֶ֥רַע]ゼラーN‑ms=[σπέρμα]

Ps105:6『アブラハムの胤』[σπέρμα Αβρααμ ]=[זֶ֭רַע אַבְרָהָ֣ם]

[זֶ֭רַע אַבְרָהָ֣ם עַבְדּ֑וֹ בְּנֵ֖י יַעֲקֹ֣ב בְּחִירָֽיו׃]

ゼラーという用法では同じでギリシア語もヘブライ語も「種」また「精子

もしゼラーが慣用的な単語であれば特に逆説性が無いことにはなる。

慣用的ならあまり拘ると却って勇み足になる。

もう少し学ばないといけない

 

・Deu29:1 WYHWHがモーセを仲介してイスラエルの子らとモアブの野で結ばせたホレブのものとは別のものである

 

・天界の祭司職が未成立であるように、モーセの祭司職が換えられたような「キリストの律法」は隠されている。愛の掟がキリストの律法を具体的にすべてを教えるものではなく、精神を表している。『命じたことのすべてを守り行え』とは、律法に関するものでもなく、使徒らに語られた重要な事柄について述べている。これは条文化されないだけでなく、無関係な者らには隠されている。聖霊注がれた者にとっては『新しい契約』に忠節であろうとすることにより心に証されることになるが、部外者は信者であっても類推する以上にはならない。ただ、あからさまな背きは誰からも分かるであろう。それを是認するには誰にあっても敢えてそうする以外にないであろう。

 

・一般の教会の原動力は信者のグレース体感にあり、因教は終生の救い

特に新教系が強く、カトリックでは秘蹟に与る安堵、東方では従順が加味される

共通して、良心の充足(却って免罪*)、社会的同調圧力、家庭や社会性の保持の誘因がある。*これが曲者

キリアストの場合は、神の経綸の伸展への待望といえる。グレース体感・安堵は無いが、予測観があり、自己義認・同調圧力は相当に避けることはできる。

 

・[ύψοω] ヒュプソー 上げられる、高くされる

Jh3:14 = Jh8:28  ←この翻訳に問題あり 三一を無理に読み込ませている

 

・「キリアスト」は同調者を示す呼称であって、新十四日派の信徒を指さないことにする。従って「キリアスト」は信条の傾向を同じくするとしても、内部者ばかりを指さない。「シオン」を構成する成員とはなっていない。同調者にも様々な段階に在り、信条の細部まで一致することは望めず、それも当派の信条の一部だけ同調しつつも、様々な外部の教理を引きずっている場合が観察される。また、神の経綸に対する態度も様々で、教理理解だけで『信仰』が形成されるわけではないのに、そのように誤解されている例は相当に多いらしい。だが、それらは新十四日派の真意ではない。

したがって「キリアスト」は信仰の同志の意味合いは有るとしても、新十四日派信徒とは言えない。「信徒」されるにはもう一段の規定を備える必要がある。しかも、「信徒」であっても『信仰』の一致を見るか否かは分からない。そこが神の裁きの猶予とも言えるが、そこまで規定することは人間にはできない。ただ、『忠節な愛』を懐く人については、不明確ながら印象はあり、それは知的能力の優越や聡いか愚かであるかまた道徳性とも別のものである。

 

・新改訳で地獄の用例は一ヶ所ペテロ第二2:4のみ

これはタルタロスに相当するが「ゾーフォス」になっている

「下界の暗闇」の意味

あとはすべてを「ゲヘナ」としている。

 

・キリストを最高位の天使としたのはエビオン派からであった。

また「イザヤの昇天」にもイエス=キリスト論が観察されるところあり

そこで大天使ミカエルをキリストとするにはグノーシスの教理に踏み込むことになり

Heb1:5-8の内容とも対立することになる。

パウロは『天使長』と『主』とを書き分けており(1Th4:16)、ダニエルもメシアとはしていない。Dan12:1はパウロと共に天使長としてミカエルの格別な役割について述べていると捉える方が全体の理に適う。

 

・コロサイ書中の「プレーローマ」は三回用いられているが、いずれも「キリストの内に神が満ち満ちている」の意味で用いられている。

これをグノーシスは、「天上に満ちる神」という概念に捉えようとする。

コロサイ書ではその充満が聖徒にも適用されている。Co2:10

 

・律法の対象

詩篇75:5

詩篇147:19-20

 

 

 

・凄まじい紹介文

「三位一体を信じて、天国ゆきをお望みでしたら、そのまま教会の教えのままに歩まれ、神の偉大な終末の予想外の事象を目撃なさることでしょう」。

 

 

・知識で判断する人は、神に裁かれる

エマオに向かう途上に在った二人の心は燃えた

しかし、それが裁きを左右するわけではない

パウロでさえ、「前にあるものに手を伸ばす」という。

神の経綸に触れた感動や興奮が意味を成すかは、その心の奥底に眠るもの次第

それは本人に分からず、周囲のある人にそれとない直感を与えることはある。

大抵の場合、言われても分からない。分かれば悔いている。

そこが神の裁きたるところ。

ヨハネが現れ「悔いよ」との一言にそれが凝縮されているのかも知れない。

 

キリストは『悔いて福音に信仰を持て』と言われた。ヨハネは『悔いよ』がその教えであったのは、印を伴う音信はメシアのものであったからであると思われる。両者共に悔いは律法を通して惹起される各人の悔いであったろう。ヨハネのものが悔いのバプテスマであれば、イエスの水のバプテスマは悔いの結果としてのメシア信仰へのバプテスマであったのであろう。そのメシア信仰は律法の悔いに裏付けられたものであり、ヨハネの悔いよりも先に進んだ価値を持っている。アレクサンドレイアから来た十人ほどのグループに聖霊が注がれていなかったのは、メシア信仰に到達していなかったことを明らかにしている。そこでメシアに関する知識を必要としたにせよ、その知識は悔いを伴い、頼るべき唯一の道としてのイエスを実感している必要があったろう。イエスは道であり、そこを通らずに神の御許に迎え入れられることはない。

 

・義神論

「神の善性および愛は完全であり、神は悪や苦しみに対する責任を持たない」また、「悪は人間の原罪によるものであり、悪のこの世への侵入は原罪および自由意志の人間の乱用による罪の持続的な存在に対する罰」という見方は平板で人間的な観点の所産ではあっても神の悪をも含めた善用の観点を持ってはいない。これがアウグスティヌスの限界であろう。

 

・「罪」について

「神の背を向けることだ」「神の掟を犯していることだ」

というありきたりの理解であってはそれこそ「的外れ」ではないか。

『罪』は人の不倫理性を指すのであって、他者との関係で利己的に振舞う原因となっている内面を言う。

加えて、やたらに原語の意味に拘われば聖書に書かれた真意に到達するということはない。使徒らがどれほどギリシア語に精通していたのか、また、その字義に拘ったかは分からないのであれば、それは決定的証拠とは言いがたい。

宗教関係者にはグレーな部分を尊重せずに、白黒をはっきりさせたがる傾向が強い。何かを断言すること、単純化することが「信仰」であると思うらしい。むしろ、蓋然性のある物事をより信じるのが人間の自然な傾向であり、奇跡という『父の業』をキリストが見せたのも、その傾向を用いてのことではなかったか。それは明確な信仰を惹起させ得るものでありつつ、拒むこともできる奇跡であった。即ち、グレーであったのだ。

但し、グレーにも明るいものと暗いものがある。そこで「信仰」に意味が出てくる。

それであれば、グレーはグレーとしてそのまま認められた上で「信仰」があり、決め付けるだけのことではないと言える。つまり、「自分にはどのように見えるか」なのであり、それが奇跡についても言えるのであれば、当然、原語の字義についても言えることになる。

 

・罪人の転向について、舌足らずなところがあった。

ペテロ、マタイ、パウロにせよ、キリストからの召しに際して転向している

したがって、ザアカイ、罪人として知られた女、ベツサダの池の病人、なども同様と云える

 

 

 

ヤコブ5:4 「万軍の主」

見よ、あなたがたが労働者たちに畑の刈入れをさせながら、支払わずにいる賃銀が、叫んでいる。そして、刈入れをした人たちの叫び声が、すでに万軍の主の耳に達している。

ἰδοὺ ὁ μισθὸς τῶν ἐργατῶν τῶν ἀμησάντων τὰς χώρας ὑμῶν ὁ ἀπεστερημένος ἀφ’ ὑμῶν κράζει, καὶ αἱ βοαὶ τῶν θερισάντων εἰς τὰ ὦτα κυρίου σαβαὼθ εἰσεληλύθασιν.

 

「万軍のYHWH」の初出は1Sam1:3

וְעָלָה֩ הָאִ֨ישׁ הַה֤וּא מֵֽעִירוֹ֙ מִיָּמִ֣ים ׀ יָמִ֔ימָה לְהִֽשְׁתַּחֲוֺ֧ת וְלִזְבֹּ֛חַ לַיהוָ֥ה  צְבָא֖וֹת בְּשִׁלֹ֑ה וְשָׁ֞ם שְׁנֵ֣י בְנֵֽי־עֵלִ֗י חָפְנִי֙ וּפִ֣נְחָ֔ס כֹּהֲנִ֖ים לַיהוָֽה׃

LXXでは

 [ κυριος θεος σαβαωθ ]

 

Isa51:15

וְאָֽנֹכִי֙ יְהוָ֣ה אֱלֹהֶ֔יךָ רֹגַ֣ע הַיָּ֔ם וַיֶּהֱמ֖וּ גַּלָּ֑יו יְהוָ֥ה צְבָא֖וֹת שְׁמֽוֹ׃ 

同LXX

[κυριος σαβαωθ ονομα μοι]

 

[צְבָא֖וֹת]=Soldiers

 

ヤコブの用法は、律法授与者にして裁き主の神を旧約的に表している。日当賃金の支払いはその日が暮れない内に支払われるべきことを律法は規定していた。

当然ギリシア語本文では「万軍のYHWH」とはなっておらず、それはLXXに倣う。それでも同じ意味であることは文脈が知らせている。

但し、新約聖書での用例は旧約引用を除くとこのヤコブ書のみであり、ヤコブが律法遵守者を相手に少なくともこの箇所を記している。おそらく、賃金の支払い義務を律法を通して強調する意図があったろう。

「ツェヴァーオート」を用い始めたのがサムエル記からであり、あるいはエレミヤの影響かもしれない、この句を80回近く用いてイザヤ書より多く、聖書書中最多であるのがエレミヤ書であることがそれを示す。

イザヤとエレミヤはユダ王国の存亡の危機に在って、覇権国家をも用いて自らの民を成敗する神を念頭に置くことで、『万軍のYHWH』をイスラエルの王権に関して示唆的に用いたと見ることができる。

 

 

 

 

 

 

詩篇139:16 [すべての日々」とは

 
 
 גָּלְמִ֤י ׀ רָ֘א֤וּ עֵינֶ֗יךָ וְעַֽל־סִפְרְךָ֮ כֻּלָּ֪ם יִכָּ֫תֵ֥בוּ יָמִ֥ים יֻצָּ֑רוּ וְלֹ֖א אֶחָ֣ד בָּהֶֽם׃    
【BHS】
all Your book and in Your eyes saw My [substance being] yet unformed
of them one when [as yet there were] not/ fashioned for me the days they were written
 
 
 

Your eyes could see me as an embryo, but in your book all my days were already written; my days had been shaped before any of them existed. 【CJB】

 

Your eyes saw my substance, being yet unformed. And in Your book they all were written,The days fashioned for me, When as yet there were none of them.【NKJV】

 

Your eyes have seen my unformed substance; And in Your book were all written The days that were ordained for me, When as yet there was not one of them.【NAS

 

You saw me before I was born. Every day of my life was recorded in your book. Every moment was laid out before a single day had passed.  【NLT】

 

Your eyes saw my unformed substance; in your book all my days were recorded, even those which were purposed before they had come into being. 【BBE】

 

『胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている/まだその一日も造られないうちから』。【新共同】

新共同訳はNLTやBBEに似て分かり易いが「記されたのは日々」で妊娠過程かも

 

『あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに』。【新改訳】

新改訳はNKJVに準じているようで、神による彼の生涯への予見

 

『あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日の/まだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた』。

口語訳はユダヤ人向け英訳に近く、生涯が予定されているという意味合い

 

いずれも神が見たのは「彼の体」であるが、「神の書」に記されたのは「日」ではあるが、生涯の日か、妊娠期間かは不明瞭。そこで「彼の体」と「日々」との関係がヘブライ語本文からしてよくは分からないところが表れている。

 

LXXは、[πλασθήσονται]を、造られている日々と訳すかどうか
 
DNAを知らない古代には、訳文の単語の前後は気にしないでも良かったとしても
現代人にはふと過ぎるものがあって、語順が気になってくる。
しかし、どうやら妊娠期間中に胎児が整えられてゆく十月十日の過程が神の予定により進行することを言うらしい。それは奇しく秩序立って伸展してゆく人知を超えた事柄であり、それについて自分以上に自分を知る方としての神を讃えているのであろう。
そう捉えると、ダヴィドの人生の「すべての日」が予知されていたというのではなく、腎臓をも造られた神が、ダヴィドの心の中まで見通し、保護することで、その憂いある予感を鎮めてくれることを祈り求めているということになり、前後との調和を得る。
 
 
 
 

諸教会での聖徒理解

 

新教と旧教での聖徒とは

改革派教会以降のプロテスタント正教会東方諸教会カトリック教会などにある聖人崇敬を否定し、すべてのクリスチャンが聖徒であるとする。

また地上にいるキリスト者についても用いられる語であり、天に召されたキリスト者に限定して使う語ではない。

カトリックプロテスタントなどの西方教会信仰告白に用いられる使徒信条の中に「聖徒の交わり」という言葉が出てくる。これをかつて第2バチカン公会議以前のカトリック教会ではプロテスタントと異なる神学や聖人崇敬を反映して「聖徒」を聖人の意味に捉えて「諸聖人の通功」と訳していたが、現在はカトリック教会のカテキズム』などの要理書等も含めてすべて「聖徒の交わり」に改められ、聖人だけでなく死者も含めたすべての信徒と解釈している

 

聖徒 - Wikipedia 色文字強調は筆者による

<ルター自身は、自分は聖人ではないと思っていると告白していたとのこと>
旧新共に時代に従って見解を調整してきている
 
聖霊とは何かについて
英語で聖霊(the Holy Spirit)を表す人称代名詞はitではなくheとなります
エスを信じるようになるためには、神の望んでいないことをしてしまった(神に対して罪を犯した)が故に、神との絆が切れてしまっていることに気付く必要があります。この「気付き」を与えてくれるのが聖霊でもあります(参考:ヨハネ福音書16章8-9
 

「イエスに似たもの」となるというのは、見た目がイエスのようになるという訳ではもちろんありません。見た目ではなく内面的な性格や性質がイエスに似たものへと変えられていくという意味です。

具体的にいえば、例えば、「御霊(みたま)の実」と呼ばれる「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ人への手紙5章22-23節)といった性質・性格をもったものへと変えられていくことを意味します。

 

一つの聖霊の働きによってエスを信じ回心した人たちは一つのからだになる
と言っていることになります。

聖霊によって、イエスを信じる人たちが結び合わされ、一つの共同体(教会)が出来るという訳です。

事実、最初期(イエスが死んで復活した直後)のクリスチャンたちに聖霊が下って、彼らが一つの共同体を築いていた様子が聖書には記されています(使徒2章44-47節)。

ここで注目すべきは、「ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も」関係なく、イエスを信じる人たちが一つの共同体を築き上げたこと。

これは当時の文化を考えるとまずあり得ないこと。特に、ユダヤ人たちは自分たちの民族以外を宗教的に汚れた存在とみなしていましたので、一緒に食事をすることはもちろん、一つの共同体を作ることは到底考えられないことでした。

しかし、ユダヤ人と非ユダヤ人を隔てていた「敵意」をイエス・キリストが十字架によって滅ぼし (エフェソス2章15-16節)、両者の間には「御霊による一致」がもたらされたと聖書は語ります(エフェソス2章18-22節;4章3-4節)

聖霊の働きによって、本来であれば到底相容れない存在であった人々が結び合わされ、一つの共同体を築き上げることができるのです。

 

<無酵母パンによるコイノニアを「教会」としか捉えないので、契約の観点から『霊の一致』や『同じ体』とは理解はしない>

 

以下、聖徒という者への適用の一種として・・

聖徒の永遠堅持

真のキリスト者であるが、一時的に信仰から後退していた者をあらわす信仰後退者の教理がある。信仰後退者が主に立ち返った例として、ヒュー・レッドウッド著『貧民窟における神』、パーシー・ラッシュ著『炎の中からの燃えさし』などがあげられる。

改革派神学では、外見的にクリスチャンのように見え、地上の教会に所属したことがありながら堕落した者は、最初から一般恩寵しか受けておらず、救済的な特別恩寵を受けていなかったとされる。

聖徒の永遠堅持(えいえんけんじ、Perseverance of the saints)、とは神に選ばれ、召された選民の救いが永遠に失われずに、一時的に信仰が後退し、弱められても、回復の恵みを与えられるという教理。

これはドルト信仰基準が明らかにしたカルヴァン主義の5特質(TULIP)の一つである。聖徒の堅忍、聖徒の最終的堅持、究極救済の恩恵とも言われる。

堅持の根拠とされる聖句は、ヨハネ10:28-29、ローマ11:29、フィリピ1:16、テモテ二1:12

「聖徒の永遠堅持」は旧新約聖書の全体に啓示され、宗教改革で明らかにされた教理であり、カベナンター(契約主義)やピューリタン(予定説によって強固に教会改革を唱える)が殉教していったことがこれによって説明できると言われる。

 

ヘブライ6:4-5、10:26,29、ペトロ二2:20-22の聖句から、アルミニウス主義では一度救われた者も脱落する可能性があると考える。しかし、改革派でこの聖句は、非救済的恩寵で最高のものとみなされている。「一度光を受けて天からの賜物の味を知り」ながら、脱落してしまった者は、救いに選ばれておらず、新生していなかったと考えられる。外見上は一時的にクリスチャンのように見えたが、実際は新生していなかった人のことをピューリタンは「一時的信者」、「偽信仰告白者」と呼んだ。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%92%E3%81%AE%E6%B0%B8%E9%81%A0%E5%A0%85%E6%8C%81

 
聖徒の堅忍について
1 神がその愛するみ子において受け入れ、みたまによって有効に召命され、きよめられた人々には、恵みの状態から全的にも最後的にも堕落することはあり得ない。かえってその状態に終りまで確実に堅忍し、そして永遠に救われる。
 フィリピ1:6、Ⅱペテロ1:10、ヨハネ10:28,29、Ⅰヨハネ3:9、Ⅰペテロ1:5,9


2 聖徒のこの堅忍が依拠するのは、彼ら自身の自由意志にではなくて、父なる神の自由・不変の愛から出る選びの聖定の不変性、イエス・キリストのいさおしと執成しの効力、みたまと神の種が彼らのうちに宿ること、および恵みの契約の性質にである。これらすべてから堅忍の確実性と無謬性も生じる。

 1 Ⅱテモテ2:18,19、エレミヤ31:3
 2 ヘブライ10:10,14、ヘブライ13:20,21、ヘブライ9:12-15、ローマ8:33-39
    ヨハネ17:11,24、ルカ22:32、ヘブライ7:25
 3 ヨハネ14:16,17、Ⅰヨハネ2:27、Ⅰヨハネ3:9
 4 エレミヤ32:40
 5 ヨハネ10:28、Ⅱテサロニケ3:3、Ⅰヨハネ2:19


3 それにもかかわらず、彼らは、サタンとこの世の誘惑、自分のうちに残っている腐敗の優勢さ、また自分を保持する手段を怠ることによって、ひどい罪に陥り(1)、しばらくの間そのうちにとどまることがある(2)。このため彼らは、神の不興をひきおこし(3)、神の聖霊を悲しませ(4)、自分の受けている恵みや慰めをある程度奪われるようになり(5)、心をかたくなにし(6)、良心を傷つけ(7)、他の人々をつまずかせ(8)、また自分に一時的審判をもたらす(9)。

  1 マタイ26:70,72,74
  2 詩51編(表題)(51:1,2)、14節(51:16)
  3 イザヤ64:5,7,9(4,6,8)、サムエル下11:27
  4 エペソ4:30
  5 詩51:8,10,12(10,12,14)、黙示2:4、雅5:2-4,6
  6 イザヤ63:17、マルコ6:52、マルコ16:14
  7 詩32:3,4、詩51:8(10)
  8 サムエル下12:14
  9 詩89:31,32(32,33)、Ⅰコリント11:32
 
<個人の犯す「罪」と『アダムの罪』が区別されない。それは聖徒を信者すべてと見做すところから来るもので、一度聖化された者が再び陥る『罪』の性質が信者とも一般人とも異なるところが無視されている>
 
後果;
教会の指導者や信者は「クリスチャンに種類があるという考えは聖書的でない」などと云っているが、それは聖書を熟読していないからこその無知であり、その程度の知識で「聖書的」かどうかを判断してよいものか? 後に真相を知らされるとしても、高慢であれば今更受け入れないのであろう。神との契約を辿ってゆくなら「神のイスラエル」という実体を捉えられるに違いない。
聖霊注がれた者だけが、誰も論駁できない言葉を支配層の前で大胆に語る姿が共観福音書に在ることを実体験として見聞きするとき、カインのような嫉妬心を懐くなら、その先にあるのはアベル殺害ということになり、その迫害によって聖徒らは忠節さを示してレヴィの浄めに預かることになろう。
彼ら教会関係者にとって重要なのは、自分たちがご利益に浴することであって、その動機で迫害の渦中にある聖徒を卑しめることであろう。そこにはこの世との妥協や一蓮托生の関係がある。根底にあるのは利己心であり、そこに裁きの要諦があろう。
しかし、最終的には朋友であったはずの世の権力によって不意打ちされ命運は尽きる。旧来の宗教はそこで一気に終わって、権力の圧力から人から尊重されることは無くなる。恰も水面から消えるように二度と浮かび上がらず、見出されることがない。
これが『聖なる者の血に酔った大娼婦』の末路であり、キリストに示されるべきであった忠節を捨て、この世の権力に淫売した後果である。
聖徒という『主たる立場を認めず』、まして愚弄するとは『聖霊に対する罪を犯す』ことであり、直ちに神への敵意から離れなくては世に先立つ滅びを被る。
但し、世への売淫を行って聖徒を屠らせるのは宗教組織であって個人ではないとすれば、信者の各個人は大患難に遭遇するまで存えるとも考えられ、その場合には、カイヤファにイエスが『人の子が雲に乗って来るのを見るであろう』と言われた時が生じるとも捉えられる。
 
 
ヘブライ12:2 「キリストから目をそらさないように」を自分たちに適用するため却ってそれが何を意味するのかが分からない。
 
 
 
 
 
 

「七つの時」

ネブカドネッツァルに臨んだ「七つの時」

 「七つの時」そのものへの考察

 

◆概要と黙示録等との関連についての前記事

 ⇒ 「ネブカドネッツァルと七つの時」

 

◆当該考慮箇所

 4:10 わたしが床にあって見た脳中の幻はこれである。わたしが見たのに、地の中央に一本の木があって、そのたけが高かったが、
 4:11 その木は成長して強くなり、天に達するほどの高さになって、地の果までも見えわたり、
 4:12 その葉は美しく、その実は豊かで、すべての者がその中から食物を獲、また野の獣はその陰にやどり、空の鳥はその枝にすみ、すべての肉なる者はこれによって養われた。
 4:13 わたしが床にあって見た脳中の幻の中に、ひとりの警護者、ひとりの聖者の天から下るのを見たが、
 4:14 彼は声高く呼ばわって、こう言った、『この木を切り倒し、その枝を切りはらい、その葉をゆり落し、その実を打ち散らし、獣をその下から逃げ去らせ、鳥をその枝から飛び去らせよ。
 4:15 ただしその根の切り株を地に残し、それに鉄と青銅のなわをかけて、野の若草の中におき、天からくだる露にぬれさせ、また地の草の中で、獣と共にその分にあずからせよ。
 4:16 またその心は変って人間の心のようでなく、獣の心が与えられて、七つの時を過ごさせよ。
 4:17 この宣言は警護者たちの命令によるもの、この決定は聖者たちの言葉によるもので、いと高き者が、人間の国を治めて、自分の意のままにこれを人に与え、また人のうちの最も卑しい者を、その上に立てられるという事を、すべての者に知らせるためである』と。
 4:18 われネブカデネザル王はこの夢を見た。ベルテシャザルよ、あなたはその解き明かしをわたしに告げなさい。わが国の知者たちは、いずれもその解き明かしを、わたしに示すことができなかったけれども、あなたにはそれができる。あなたのうちには、聖なる神の霊がやどっているからだ」。

 

◆関連句

4:15 根の切り株を地に残し、それに鉄と青銅のなわをかけて、野の若草の中におき

Isa6:10 彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟り、悔い改めていやされることのないためである」。
 6:11 そこで、わたしは言った、「主よ、いつまでですか」。主は言われた、「町々は荒れすたれて、住む者もなく、家には人かげもなく、国は全く荒れ地となり、
 6:12 人々は主によって遠くへ移され、荒れはてた所が国の中に多くなる時まで、こうなっている。
 6:13 その中に十分の一の残る者があっても、これもまた焼き滅ぼされる。テレビンの木またはかしの木が切り倒されるとき、その切り株が残るように」。聖なる種族はその切り株である。

 

4:17 この決定は聖者たちの言葉による

Dan7:21 わたしが見ていると、この角は聖徒と戦って、彼らに勝ったが、
 7:22 ついに日の老いたる者がきて、いと高き者の聖徒のために審判をおこなった。そしてその時がきて、この聖徒たちは国を受けた。

 

4:17 人のうちの最も卑しい者を、その上に立てられる

Isa49:7 主は/人に侮られ、国々に忌むべき者とされ/支配者らの僕とされた者に向かって、言われる。王たちは見て立ち上がり、君侯はひれ伏す。真実にいますイスラエルの聖なる神、主が/あなたを選ばれたのを見て

Isa52:14  彼の姿は損なわれ、人とは見えず/もはや人の子の面影はない。

EZK17:24 このとき、野のすべての木は、【主】であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。【主】であるわたしが語り、わたしが行う。

Ezk21:25-27 21:25 汚れた悪人であるイスラエルの君よ、あなたの終りの刑罰の時であるその日が来る。
 21:26 主なる神はこう言われる、かぶり物を脱ぎ、冠を取り離せ。すべてのものは、そのままには残らない。卑しい者は高くされ、高い者は卑しくされる。
 21:27 ああ破滅、破滅、破滅、わたしはこれをこさせる。わたしが与える権威をもつ者が来る時まで、その跡形さえも残らない。

PS22:6-8 しかし、わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる。
 22:7 すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、
 22:8 「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。

Ps44:22 あなたのために、私たちは一日中、殺されています。私たちは、ほふられる羊とみなされています。⇒ Zec11:4

Lam1:2 夜もすがら泣き、頬に涙が流れる。彼女を愛した人のだれも、今は慰めを与えない。友は皆、彼女を欺き、ことごとく敵となった

Lk10:21エス聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。

Lk2:34  「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして定められています。 (そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。)それは多くの人の心にある思いが、露わにされるためです。

 

 

◆背 景

ダニエル書記載のネブカドネッツァルの夢解きは二度目であり、既に覇権国家の流れについては啓示されており、ここでは一度目の夢の『石』が像を倒壊させる部分についての啓示であり、その目的は第一に帝王に神が支配権を自在に誰にでも渡す能力のあることを諭すというところになる。

第二に、それは極めて低い地位に下げられた者に与えられることの例証となっており、この件も含んで権勢の絶頂にあるネブカドネッツァルを利用して読み手に知らしめている。この点を、「全能の神であるから当然」としてしまうと、ここでの教訓を汲み取ることができなくなる。

それから、キリスト教徒に聖徒理解が欠けていてご利益信仰である場合には、「低められた者の栄達」が十分には理解できない。なぜ低められるのかというところに理解の鍵があるにも関わらず、「クリスチャンは患難から守られる」などとご利益信仰にはまり、自分の十字架を担って主に続くという『聖なる者』の精神を意識しないからである。

 

アキュラ・ブラウン以来の2520年説は、キリスト臨在の時という信者との関わりを期待しすぎており、「ご利益成就の時を算出できる」という動機によって成り立っている。だが、ダニエル書の当該部分からすると、時の算定で『子も天使らも知らず』いつになろうとも『見張っているように』と言われる臨在の時を割り出そうとすることは、キリストの帰依者として相応しいとはいえない。

 

 

◆七つの時

この啓示は、ダヴィド王朝のキリストによる回復の時を教えるためのものとはいえない。ここでの教訓は低められた者の栄光であって、ここには「ハグ ハ シャヴォート」が関わっていると云える。

即ち、「週の祭り」の対型的意味であり、なぜ49日を待って喪が明けるかのように祭りがあるのかの意味の一つがここに示されている。

この件は、後の九章での『七週、六十二週』との分割にも関わっているものと思われる。(この件に関しては、双方を説明しなければならない)

ダニエル書での切り倒された巨木の根に箍が嵌められるが、それはダヴィドの王朝ではなく、ネブカドネッツァル自身の支配権を象徴している。帝王の復帰は奇跡的であり、簒奪者から守られたことを含め、帝王自身に感服するところがあったのであり、『王たちを教える神』の趣旨は、その後の覇権国家の流れの中でも大いなる教訓とされるよう、『金の頭』に相当し、『人の心』を回復した帝王としての進歩を神は与えている。

 

これは聖徒に関する慰めの役割も果たしている。契約の使者としてのメシアの活動期間が丸七年であるとすれば、初臨の三年半と再臨の三年半とで第七十の週が満たされる。

ペサハからシャヴォートまでの7が拡大されて繰り返される構造も何かを教えているに違いなく、それは聖徒の滅びから天界への召集を指しているようである。

聖徒の犠牲から招集までが7に関わる8を指す可能性がある。それが『その時刻、日と月と年のために整えられた』という研ぎ澄まされた一時という概念の対象であるかも知れない。『1290日』と『待ちおりて1335日に至るものは幸い』とは、ダニエルの民に関するものであるなら、聖徒の招集のいずれかに関わる日付であろう。『待ちおりて』とは天で待つのか地で待つのかは、『1290日』の理解次第になるようである。いずれにしても、『聖徒を打ち砕くと時を置かずにあらゆることも終わりに至る』のであれば、その『終わり』が何を意味するのかにもよるが、7に関する入れ子構造の終わりと8の対型が到来するのであれば、『666』はその以前に終わっていなければならないであろう。

69週についての期間に関しては前記事に可能性として書いている。これが初臨と再臨を分ける不定の期間を指すであろう。

 

 

 

ガブリエルの伝えた「七十週」

「70週」の目的は、

 

 

・都市エルサレムの再建について

Dan7:25

וְתֵדַ֨ע וְתַשְׂכֵּ֜ל מִן־מֹצָ֣א דָבָ֗ר לְהָשִׁיב֙ וְלִבְנ֤וֹת יְרֽוּשָׁלִַ֨ם֙ עַד־מָשִׁ֣יחַ נָגִ֔יד שָׁבֻעִ֖ים שִׁבְעָ֑ה וְשָׁבֻעִ֞ים שִׁשִּׁ֣ים וּשְׁנַ֗יִם תָּשׁוּב֙ וְנִבְנְתָה֙ רְח֣וֹב וְחָר֔וּץ וּבְצ֖וֹק הָעִתִּֽים׃

 "Know therefore and understand,That from the going forth of the commandTo restore and build Jerusalem Until Messiah the Prince,There shall be seven weeks and sixty-two weeks;The street shall be built again, and the wall,Even in troublesome times.

 それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。【口語】

「その間に」は相当する原語はない。

「七週と六十二週」での最初の「七週」がネヘミヤによる城壁再建までの期間を指すかどうかは不明のまま

 

 

・ダニエル7:25-26 「70週」に関しての解釈

 9:24 お前の民と聖なる都に対して七十週が定められている。それが過ぎると逆らいは終わり、罪は封じられ、不義は償われる。とこしえの正義が到来し、幻と預言は封じられ、最も聖なる者に油が注がれる。
 9:25 これを知り、目覚めよ。エルサレム復興と再建についての御言葉が出されてから、油注がれた君の到来まで、七週あり、また、六十二週あって、危機のうちに広場と堀は再建される。
 9:26 その六十二週のあと油注がれた者は、不当に断たれ、都と聖所は次に来る指導者の民によって荒らされる。その終わりには洪水があり、終わりまで戦いが続き、荒廃は避けられない。
 9:27 彼は一週の間、多くの者と同盟を固め、半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」

(これは翻訳難所であり、上記の翻訳にも問題がある)

 

ナザレのイエスを回避したいマソラ学者

「7週」と「62週」について、両者を分け、目的の異なる別系列の期間について述べているかのようにアクセントを置いている。その場合70週という合計は無意味になり、ガブリエルの発言意図を分散させ、不自然に受け取ることになる

これはマソラ学者によって初めて取られた解釈による措置であり

目的には第一世紀前半頃にメシアが現れる可能性を排除しようとする意志がある

パリサイ派を継承する彼らは未だにナザレのイエスに脅威を懐いている

これは二つの宗教がそれぞれ譲れない争点を作っており

その論点は「ナザレのイエスはメシアか」を巡る

しかし、ユダヤ人のギリシア語翻訳でも異なる見解のものがある。

 

この件で「69週」の期間を、まず「7週」と「62週」に分けたガブリエルの本意が何であったのかを明示する記述はダニエル書そのものにも、正典の中にも見当たらない。

 

 

・「七週」が分けられた意味

ある視点に立って考えると「7週」については見えるものがある。

 

鍵は『シャヴォートの祭り』に関してであり、ダニエル書の一貫した趣旨である「卑しめから栄達へ」という観点から見る場合に、『無酵母パンの祭り』の二日目から七週を数え、その翌日を「五旬節」『シャヴォートの祭り』とし、その日に初めて聖霊の注ぎによって真のイスラエルが姿を表し始めたことである。

 

この場合、メシアを契約の仲介者として見做し、初穂大麦束振揺の復活の日から『7週』を経た翌日に、磔刑の卑しめが終息し、栄光に逆転した第一世紀の実情に整合する。

(但し、律法ではアツェロト翌日からではなく翌シャバットから七つを数えるとある)

メシアはニサン16日に復活され40日弟子に現れた後、10日目のシャヴオートに聖霊を下賜している。即ち、メシアの卑しめは七週続いたが、祭司長派の目論見は五旬節の日に打ち砕かれている。神の経綸の中でもこれは重大事であり、予型が無かったとすればむしろ不自然である。ここに過ぎ越しと一週間続くハグ ハ マツォートとシャヴオートが日数で結ばれている理由が示されている。

ペサハとハグ ハ マツォートとは1:7の関係にあり、ハグ ハ マツォートと49日も1:7の関係に在って、「入れ子構造」を有していることが分かる。その年に冠を授ける最後のハグ ハ スッコートは7:1の構造であり、三つの祭りはすべて8を三回繰り返す。シャヴオートだけが一日であるのはすでに七週がハグ ハ マツォートの二日目からスタートしており、2度拡大された7を締め括る1日となっている。これら複合の7はその目的を達成する「第八日」を強調するものとなっている。

但し、『七十週』については1:10が内包されている。これはメガリームと異なって特殊で、対型に不定期間を含むからではないか。七十週はこれらの中で最長であり、異様に長い。(69週満了がAD29になり得ることはどこかに書いたはず、その場合にはヘロデ神殿の工期のヨセフスの情報は否定されることになる)

これはネブカドネッツァルの低められた期間が『七つの時』とされたことにも同じダニエル書の中で暗示されているといえる。彼が卑しめから解放されたのも7の終わりであったことを伝えるのがダニエルの巨木の夢の役割と見れば、その執務不能期間が実際にどれほどの長さであったかはとりあえず問題にならない。ゆえにダニエルも聖典もそれについて具体的な永さを記していない。

ネブカドネッツァルは、動物のようにされ政務を行うことができない特定されない期間が続いた後に、人としての理性が戻ることで王座に戻ることができたが、その間に王位を奪われることもなく、理性を取り戻した後には、以前に優って敬意を受けるほどになったので、神は支配権を最も低められた者にも自在に与えることができることを知らされる結果となった。そのことがアラム語で布告、周知されている。これをダニエルがその第五章で血統の異なる(おそらく母系ではあるにしても)王に注意喚起している。

この期間が『七つの時』と呼ばれたのであれば、それは実際の七週49日もあるいは七年をも当てはめるべき理由は特にない。重要なのは、低められた状態から栄光へと転換するまでの期間が『七つの時』と呼ばれたところにある。

 

契約のために確保された『一週』が『契約の使者』メシアの活動の中心で

これには「監臨」の時期は含まれないらしい。その理由はおそらく『不在』として数えられるべきなのだろう。

これに付随する問題は『常供の犠牲』をいつ絶えさせたかということもある。

ダニエル書によると、それは『週の半ば』(主要日本語訳に問題あり)であり、最後の一週の中途であるとするとイエスの公生涯が三年半であったことが意味を持ってくる。それは黙示録の『1260日』をも有意なものとするところは、ほぼ間違いないであろう。

 

全70週の目的がメシアの到来だけでなく『逆らいは終わり、罪は封じられ、不義は償われる。とこしえの正義が到来し、幻と預言は封じられ、最も聖なるものに油が注がれる』という目的を持っていることは、終末の背教を終わらせることも含むとなると、それは聖徒の認証が終わり、天界に揃った状態でなければならない。そこでは

 

内の最初の七週には

 

そこでイエスが復活を遂げた日から49日を経て後、神の民が具体的に現れて神の王国の民イスラエルの栄光が臨んだことが ネブカドネッツァルの回復を暗示すると見れば、その『七週』は『七つの時』に相当し、メシアが復活はしても依然その権威を行使していなかった期間、メシアはイスラエルと共に卑しめの状態にあったが、その権威には銀と銅の箍が嵌められ、保留状態に在ったことの予表と云える。但し、箍が嵌められたのはネブカドネッツァルの王権に関してであり、その意味が保存なのか、制限なのかが判然としない。おそらくは制限なのであろう。

(この大樹のその後は描かれていないが、この点でメシアは『新芽』でありネーツェルと云えるかも知れない)

 

ダニエル9章の七十週の全体が満たされるとき、天の至聖所の浄めが行われるのであれば、その七十の週のすべてが終わるとき、天界の神殿の落成、即ち、聖徒の召しの揃いが終わり、聖徒の全体の試練が終わることになる。

 

 

(誤解され易いながら「なお七日の猶予はある」これは任命後の期間であったが、ここに神の怒りを置くことができるように思われる)

(ネヘミヤが城壁再建に要した52日というのは、別の角度からみると有意)

 

 

 

雑記録25-1

 

・「救われたいなら信じろ」というロジックは信仰の本質を否定している

信仰によって神が自らを見出されるように図られたのであれば、問われるのは自由な意思であり、本人の内面である。従って、救われるために信仰や強制されるのはそもそも矛盾している。

例としては、アタナシオス信経に「救われたくば、これを信じよ」との文言があり、カトリックでは伝統的にこうした強制がまかり通っていたように思われる。否定しようがないのは、異端審問の拷問と「異端者を救うための火刑」がある。これはオーム真理教の「ポア」とほぼ同義となっている。宗教闘争に利用されてきた思想であり、殺人が善意や正義に捏造されている。しかし、この殺人操作は宗教に限らない。人殺しのための洗脳は世界や歴史に珍しくない。カナン征服もその一つではないかとの反論もある。

誰であろうと人の生き死にを強要するなら、キリスト教の精神ではなく、愛の掟以前のモーセの原始的で次元の低いドグマに後退している。

 

・教会員は「神の御前でどう生きるか」を考えるという。

やはり、自己義認を目指している。自分は不信者とは違って清いという妄想的願望に溺れ、それがキリスト教だと思い込んでいる。これは自らの内に悪の傾向を認めていることの裏返しであり、それから逃れる方法として、他と比べる手段を取っている。これは本質的にパリサイ人の特徴である。

 

・「聖書は書き終えられて完成している」となぜ言えるのか。

背景には、自分たちが神に是認されているという欲が聖書を完成したものとさせるのではないか。信者に必要な教えは聖書に完成しているとしたい誘因が考えられる。そこで人が神に是認されるための必要な情報は既に聖書の中にあるとの主張が成り立つ。しかし、人が神に是認されるか否かは聖書知識によらず、信仰を選ぶか否かにある。それはその人の本性によって分かれるものであって、知識によらない。この点は非常に重要であるのに、キリスト教の教師ら自身が教理に執心するところから、自分と同じような理解者を創ろうとするうちに、自然と知識優先となり、聖書を絶対視する。それも聖書の大半も本質も理解しないでのことである。これはキリスト教界の大きな弱点である。

 

・一般人の正義は個人に依拠せず、宗教団体の正義に依存する。

個人は自分の内の正義や良識が惰弱で脆いことを実感しているほど、集団の正義に頼ろうとする。その結果、自分の良識性や尊厳を外に存在するもの、それも頼甲斐のある多数派に依拠させることに安心感を得て、自分の良識ある価値の体面を保とうとする。即ち、自分の道徳性や敬虔さや善良さの証を、外部の集団や組織への所属によって担保しようとする。「敬虔なクリスチャン」などがそうである。その仲間が多かったり、伝統が深かったり、規律が厳格であるなどで、自分の正しさへの疑念を宥め、表層を取り繕う誘惑は、キリストの時代に主要な問題点となっている。

これには大きな誤解がある。外見の善良さで自分と社会の目は欺けるとしても、『アダムの罪』の前に個人の義は無力であり、そこでパリサイの轍を踏む危険が大きい。それは社会的道徳性と人間に深く本質的に宿った倫理不全とを錯覚することで容易に陥る罠であり、その機会は実生活でも、宗教行動でも無数に落ち込む穴が開いている。人は権威有る他者に善悪を定めてもらえることを喜ぶが、それは自分の倫理性に不安があるからに他ならず、有る意味では正直なことろもあるが、何かの規範を取り入れると、傲慢に豹変しかねない。大半の人々はそれに気付いていない。

さらには、終末での背教への誘因もそこにある。社会に対して自らの是認を求めようとしてキリストの犠牲の贖いの価値を否認し、却って神の善意を拒むことになる。

そうした集団への帰依や所属は、この観点を遮断させる雲のようになり、深入りするに従って引き返せない個人の重要点を過ぎ越すことになり、そうしてエデンの蛇の目的がその個人について成功することになるのであろう。

 

 

・北イスラエルの捕囚は三回行われている

1.ティグラト・ピレセルの治世でイザヤの「65年」の預言の翌年あたり

2.シャルマネセルの治世

3.エサルハッドンの治世、これはゼルバベルにサマリア人が訴えている

 

 

・人間社会の虚無は個人の内面から発しているが、その社会は逃れ難い。

人は自分の益になることで必要がある事には動くが、自分が行わなくても動く事には何もしようとしない。また、自分が微力であると思っても何もしようと思わない。また、損得勘定から動くにも自分個人への見返りを求める。自分は賢いと思い、他者の働きに冷笑的で、知識もなく批評的判断を留保しようともしない。それでいながら興味のある事には執心し、価値の些末なことに敬意を示す。これらは世に慣らされた結果のようである。そのため公に資する努力をしてもたいていは損失になる。これが人間の真の傾向であるので、何にせよ個人の利得に訴えない限り賛同を得ず成功はない。だが、その結末は意義の浅薄なものにしかならないのだが、欲得を恰も最大の価値があるかのように扱わせるのが「この世」というものなのだ。そのため奴隷のような生涯を送らされることになっている。価値観の麻痺が根底にある。麻痺している人間は真に価値あるものを芥のように扱う、自分を利さないからである。こうして欲得が世の趨勢を形作るので、異質なものはせめて保存されるために何らかの強固な保護を得る必要がある。豚に真珠は要らないとしても、その真珠を踏みつぶされるままにして良いか?どこに保管するのか? そのうえイミテーションも数多い。

 

 

・ユダの終わりの四王、22年の統治

神はマナセ王の悪行の酬いを与えることを差し控えず、アッシリアへの救援に向かうネコをヨシヤ王には敢えて攻撃させ、ユダ王国を終焉へと追いやった。ヨシヤ王の子らからはまともな支配者は出なかった。唯一五男シャルム(シャルティエル)がバビロンでゼルバベルへと王統の血筋を伝える。

エホアハズ :ヨシアの第一子ハナニヤ。23歳で即位し在位三ヶ月の統治でファラオネコによってエジプトに幽閉

エホヤキム :ヨシヤの第二子でネコの傀儡としてエリヤキムから改名されて25歳から11年統治、エジプトからの重税と本人の贅沢と統治の怠慢から国力は削がれ、多くの略奪を受け、その死に当たってエルサレムの民は王の遺骸をまともに葬らず

エホヤキン : エホヤキムの子でエコニヤとも。18歳で即位し三ヶ月の在位でネブカドネッツァルによりバビロンに高官や縁者と共に捕囚となるが、エビルメロダクの時に厚遇を得る

ゼデキヤ  : ヨシヤの第三子でエホヤキンの叔父に当たる。バビロニアによりマッタヌヤの名をゼデキヤと改名されて傀儡王とされる。21歳で即位し11年治めた。在位の第9年10月10日からバビロニアの攻囲を受け、ネブカドネッツァルの第19年にエルサレム陥落と共に王権喪失

 

 

キリスト教は徹頭徹尾、人に倫理に関わる愛「ヘセド」を問う書である

  世界観や歴史観などを超越している

 預言は事前に書かれた歴史ではない

  預言は人に在り方を説き善悪を知らせるものである

 預言と予言が混同されやすいのが日本語読み漢字の弱点では(中文は意味も異なる)

 ヘブライ語ではローエーとナーヴィーの差が意識される

キリスト教界の認識の甘さはユダヤ教徒が近くに居た逆効果だったかも知れない

彼らは宗教改革期に、あわよくばユダヤ教を伸張させようと目論見、拒絶されている

両者の不和は避けがたいにしても、協力関係も僅かながらあった

それはイスラエルが永らく負って来た神との関わりに協働することであった

しかし、それは双方の宗教の独善により困難なものとなってきた

 

 

アウグスティヌスの照明論は大袈裟過ぎるうえ、認識論に終始するプラトンの枠のなかに留まり抽象思考を現実に入れ替えようとしている。

彼の時間説も現代の物理学からすると、過去を人間の認識に頼りすぎている

自由意思論には神の恩寵が有って正しい行いができるという仮定にも原罪理解の不足が見える。「そもそも神は人間を正しい行いをするように創られたはず」という前提はどこから出てきたものか。「信仰するものが人間だ」というのは原初に立ち返るなら、ありえないことである

少し考えるだけで論駁可能な思想であるのに、ルターの時代ならともかくキリスト教界が、未だにこれほどの思い込みの影響から逃れられていないのなら、むしろ叡智の後退ではないか。何が正しいかについて人の認識や思考は常に従属的なものに過ぎず、真理を言い切るところで行過ぎている。ここに自然科学に対する宗教の蒙昧の悲劇、自分を正しいとする宗教に普遍的な最大の傲慢がある。時期としてもキリスト教の権威が帝国のカトリック教令の後で、権力化するレオⅠ世の前に在って、その後に続くヴァチカン封建制度の準備のために備えられたかのような歴史上に位置しているのも偶然ではないように見える

 

創造の観点からすると、過去には行けないことになる。

裁きの観点からすると未来にも行けない。

 

ルターが恭順し、エラスムスがたじろいだこの古代の人物の著作が膨大だから、その歴史上の影響が根深いからと言って、その根底から問い直す場合、簡単な事で崩れ去る砂上の楼閣ではないか

 

 

 

・アケメネス第二王朝

ダレイオスⅠ世(~486oct)

 ギリシア遠征を開始 490年マラトンで大敗

 キュロス大王の娘アトッサを娶りその子クセルクセスに王位を継承

クセルクセスⅠ世(大王)=アハシュエロス(486-465aug)

 エステル記の帝王

 ギリシアに侵攻しアテナイまで征服するが後にテレモピュライで敗退

アルタクセルクセスⅠ世;(位465~424)498からはバビロン在住

単独治世は465開始であるが、皇太子の10年の訓練期間共同王として即位するペルシアの風習からすると、その統治は十年前の475に始まっていたことになる。従って治世の第20年であれば455となり、この年にネヘミヤの城壁再建を下命したと云える

 

455-483=28+1=29 ルカを信じるとティベリウス帝の第15年に相当し、キリスト受難は西暦33年となる。但し、ヘロデ神殿改装の年代とズレは生じる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マタイ11:12 天の王国は襲われている

 

天の王国は力ずくで襲われている

 マタイ11:12

 

「 11:7 彼らが帰ってしまうと、イエスヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。
 11:8 では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。柔らかい着物をまとった人々なら、王の家にいる。
 11:9 では、なんのために出てきたのか。預言者を見るためか。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。
 11:10 『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。
 11:11 あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。
 11:12 バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天の王国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。
 11:13 すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。
 11:14 そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。
 11:15 耳のある者は聞くがよい。」【口語】

[7Τούτων δὲ πορευομένων ἤρξατο ὁ Ἰησοῦς λέγειν τοῖς ὄχλοις περὶ Ἰωάννου· τί ἐξήλθατε εἰς τὴν ἔρημον θεάσασθαι; κάλαμον ὑπὸ ἀνέμου σαλευόμενον; 8ἀλλὰ τί ἐξήλθατε ἰδεῖν; ἄνθρωπον ἐν μαλακοῖς ἠμφιεσμένον; ἰδοὺ οἱ τὰ μαλακὰ φοροῦντες ἐν τοῖς οἴκοις τῶν βασιλέων εἰσίν. 9ἀλλὰ τί ἐξήλθατε ἰδεῖν; προφήτην; ναὶ λέγω ὑμῖν, καὶ περισσότερον προφήτου. 10οὗτός ἐστιν περὶ οὗ γέγραπται·
ἰδοὺ ἐγὼ ἀποστέλλω τὸν ἄγγελόν μου πρὸ προσώπου σου,
ὃς κατασκευάσει τὴν ὁδόν σου ἔμπροσθέν σου.
11Ἀμὴν λέγω ὑμῖν· οὐκ ἐγήγερται ἐν γεννητοῖς γυναικῶν μείζων Ἰωάννου τοῦ βαπτιστοῦ· ὁ δὲ μικρότερος ἐν τῇ βασιλείᾳ τῶν οὐρανῶν μείζων αὐτοῦ ἐστιν. 12ἀπὸ δὲ τῶν ἡμερῶν Ἰωάννου τοῦ βαπτιστοῦ ἕως ἄρτι ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν βιάζεται καὶ βιασταὶ ἁρπάζουσιν αὐτήν. 13πάντες γὰρ οἱ προφῆται καὶ ὁ νόμος ἕως Ἰωάννου ἐπροφήτευσαν· 14καὶ εἰ θέλετε δέξασθαι, αὐτός ἐστιν Ἠλίας ὁ μέλλων ἔρχεσθαι. 15ὁ ἔχων ὦτα ἀκουέτω.] NA28

 

Salkinson-Ginsburg

[וּמִימֵי יוֹחָנָן הַמְטַבֵּל עַד־הֵנָּה מַלְכוּת הַשָּׁמַיִם נִתְפְּשָׂה בְחָזְקָה וּזְרֹעֵי־כֹחַ יַחֲזִיקוּ בָהּ] Mt11:12

"And from the days of John the Baptist until now the kingdom of heaven suffereth violence, and the violent take it by force."

<環訳を見たからといって、マタイによるヘブライ語原本も写本も無い以上、ギリシア語本文から考慮するほか無い>

 

この句には、積極的な解釈と消極的な解釈が行われる両極端の意味で読み手を惑わすものとなっている。

この場面は、バプテストのヨハネがヘロデ・アンティパスに囚われた後イエスの活動について聞き及び、マタイ11章ではその弟子たちを遣わされ、イエスが『来るべき方』であるかどうかを尋ねた直後に、イエスが群集に向かってゼカリヤの子ヨハネについて、その働きを賞賛する文脈の中で語られ、それに続いてイエスの福音を受け入れなかった諸都市への糾弾の言葉と、子らの遊びを通して当時の世代がヨハネにもイエスにも無反応であったことを譴責している。

また、ゼカリヤの子ヨハネが象徴のエリヤであったこともこの文脈の中で明かされている。だが、それは彼らが『望むなら』のことであり、ヨハネ自身は自らがエリヤであるか尋ねられたときにこれを否定し答えている。しかし、その尋ね手はパリサイ派に遣わされた者らに対してであり、イエスは『人々はそれを見分けず、思うとおりにあしらった』と後に語って、さらにはイエス自らも同じよう扱いを受けることを使徒らに語っている。即ち、誰がマラキの予告した『エリヤ』であるかは不信仰な者らからは隠されていた。ヨハネはエリヤの扮装をしていたのは、そのように見る者に信仰を誘っていたといえるが、言葉に拘る者らはヨハネがエリヤであると知れば、不信仰のゆえに象徴的に捉えることができず、『父の心を子に、子の心を父に向かわせる』という本来の働きを封じられてしまい、心の悔いによらず、言葉の表面でヨハネを迎えてしまう。

 

エリヤはアハブ王治下にあるイスラエルでのバアル崇拝の隆盛とYHWH預言者の殺害に立ち向かい、イスラエルの人々を旱魃とバアルの祭司らとの対決という奇跡を通してYHWH崇拝に引き戻す働きを為している。

ゼカリヤの子ヨハネの時代には、メシアの到来の直前に於いて、ヘブライ民族に千五百年も続いた律法体制とその善悪応報的な精神からの『悔い』による離脱が求められており、それが『新しい契約』を通して『天の王国』に入れられる大前提となっていた。

従って、ユダヤ人にはヨハネバプテスマを経てキリストのバプテスマに進むべき理由があった。(使徒19:1-7)

その一方で諸国民は律法の下にはなかったので、ヨハネの浸礼を受けるいわれなく、イエスバプテスマに直に与り、そのまま聖霊の注ぎを受けて『王国の権威の下に置かれた』(コロサイ1:13)

そこでヨハネバプテスマの役割が、律法に対する『悔い』を求めるものであったことになる。そのため律法墨守に拘るパリサイ派から遣わされた者らに対し、ヨハネは自分がエリヤではないと告げる理由があった。彼らにには律法への悔いが無く、なお律法を行うことでの『義』を追い求め続けていたからである。

これはエリヤの時代では、バアル崇拝を肯定し続けることに相当し、第一世紀ではヨハネの勧告にも、イエスの奇跡にも動じない頑なさに相当した。

一方では、多くの平民がヨハネの下でバプテスマを受け、イエスの癒しに頼って各地から人々が集まっている。

従って、マタイ11章の前半は、バプテストのヨハネの働きとそれに対しユダヤ人がどう反応したのかと、イエスの働きへの反応を並列させ、全体としては神の王国に対するヨハネとイエスの働きに対するユダヤ人の反応を述べている。

 

「律法と預言者とはヨハネに至るまで語った」ということは、ヨハネが旧契約の終点に位置しており、『新しい契約』による『王国の子ら』はそれ以上の次元にあることもこの場面で語り、旧新の契約の流れの意義をも教えられている。

この律法契約の終わりが近づく中でのユダヤ人にとっては、自分たちが律法を守りきれないものとの見切りをつけ、自らの内に宿る『アダムの罪』を認めることにより『悔い』を示すべき時に差し掛かっていた。

そのしないなら、その先にある『新しい契約』による『天の王国』へと入ることは叶わない。しかし、律法も預言者らもその目的としていたことはイスラエルが『祭司の王国、聖なる国民』とされることであったから、旧約聖書の語るところはヨハネに至るまで、メシアによる『天の王国』という新たな次元に備えさせることにあった。

そこではバアル崇拝からYHWH崇拝へとイスラエルの民を引き戻すほどの大きな宗教上の転換を要したのであり、それを成し遂げた預言者エリヤに相当する働きがゼカリヤの子ヨハネの任務であった。

ヨハネが単なる旧型の預言者に留まらず、最も偉大な者とされたのは、律法体制の総決算を任され、ユダヤ人がもはや律法墨守によって『神の義を追い求める』ことを止め、新たな『義』を得るための「メシア信仰」に至るべきことを知らせるという、それまでにない型の預言者としての働きを為した。(ルカ7:26)

それが水のバプテスマに象徴されたのであり、それゆえ当時の宗教家らはそれを受けることが出来ず、またヨハネから拒絶されていたのである。(ルカ7:30・20:4-6)

 

このことは余りに明白なことで

キリスト教とは『アダムの罪』への『悔い』のない者には関わりのないものである。

 

そこで『天の王国は力ずくで襲われている』を読み返すと

これは『群集』に語られており、イエスの許に集まっていた人々の多くはヨハネを見るために川辺に出かけたことが前提もされている。従って、その場でゼカリヤの子ヨハネについて『あなたがたが望めば、この人は来るべきエリヤである』と条件付きながらその身を明かすことに差し支えなかったであろう。

ヨハネの時から今に至るまで』との言葉にはヨハネとイエスの活動と双方のバプテスマの施策を含んでいると見れば、律法契約の終点から『新しい契約』への始点へと人々が進んでゆく道程が語られていることは明らかで、ヨハネが既に捕らえられているとはいえ、民には彼への信仰心が強く働いていたから、宗教家らは群集の前でヨハネを否定して、その結果石打に遭うことを恐れたのである。

従って、『天の王国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている』とは、その時点で反対者は『奪い取っている』とは言えず過去形をとっていない。それを制圧したかの偽りの勝利を得るのは後のキリストの処刑であり、またユダヤ人に関しては、数世紀後のナザレ派の消滅まではそれに該当する事例はないと言える。

そのうえ、キリスト教使徒らの活動を通して諸国に広がり、ヨハネバプテスマを要しない段階に進んだのであるから、『天の王国』を反対によって奪い取ることは不可能であったといえる。

むしろ、ゲネサレ湖の漁師たちのように、ユダヤ人の平民層の中で『ヨハネの時から今に至るまで』律法による義を追い求める宗教家らを後にして、ヨハネの『悔い改めのバプテスマ』を経て、メシア信仰へと導かれつつある人々の数が多く、恰も「殺到する」かのようにその価値を見出していることを『激しく襲われている』と表現したとするのが本来の趣旨であると結論できる。

実に、イエスの許にはヨルダンやシリア方面からも人々が押し寄せ、ガリラヤ湖に小船を漕ぎ出して講話するほどであり、奇跡の給食には五千人もの男が与っている。最終的なエルサレム入城では祭司長派がローマ介入を危惧するほどになっており、これでは奪い取るのは反対派ではなく、ヨハネからイエスへと価値観に導かれた群衆の方であり、カペルナウムではイエスの家の屋根を破壊してまで癒しを得ようとするほどであった。

加えて、カエサレイアに家を持つ士官コルネリウスに対しての使徒ペテロの講話にも、ヨハネからイエスへの活動について要約されている。

『あなたがたは、神がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、イスラエルの子らにお送り下さった御言をご存じでしょう。
 それは、ヨハネバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音を述べたものです。
 神はナザレのイエス聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よき働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々を尽く癒しながら、巡回されました』。(使徒10:36-38)

これら西暦29年に始まったヨハネとイエスをつなぐ一連の業は、パレスチナに住む異邦人支配層にもよく知られたことであり、使徒らの活動がその延長線上にあることが表明されている。それは預言者の去ったイスラエルにとって特筆すべき宗教上の大きな変化であり、

これについてはフラウィウス・ヨセフスのユダヤ古代史(18:116-)にもヨハネの活動が僅かながら記されており、その中で『群集はヨハネの命じることであればどのような事でも行うつもりでいた』と記される。そこでアンティパスはヨハネの影響力を脅威と見做し、自分の弟フィリッポスの妻ヘロディアとの関係を咎められたことを機に、彼を牢に入れていたということがある。ヨハネの活動の地域はローマ直轄領よりはヨルダン川方面に掛かったため、アンティパスの施政権の中に入ることが多く、その機会を王は得ていた。

牢獄でイエスの活動について知ったヨハネは、その見えないイエスについて弟子らを遣わし、そこで頭書のイエスの言葉が語られることになっている。

以上と概観すると、『天の王国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている』とは、反対者の成功を述べていると捉えるよりは、よほどヨハネからイエスへのパレスチナで起こった革新的運動にアブラハムの子孫が勢いよく流入してきた様を描写していると捉えるべき理由の方が大きく、理に適っている。

 

また、「笛吹けど踊らず」の例えの結論としての

『知恵の正しいことは、その働きが証明する』は、ルカでは

『知恵の正しいことは、そのすべての子が証明する』または『知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される』とあり、反応しない宗教家らに対し、反応した『子ら』の受ける益によって、その結果から明らかになると云われる。

大局的に言えば『霊と火とのバプテスマ』の違いとなってゆく。

加えて、イエスヨハネとの関わりの文脈の中で新しい葡萄酒と古い皮袋の例え話に及んだのは、仮にヨハネが幽閉されなかったとしても、断食を行うヨハネが律法契約の終点に位置し、イエスが新たな契約の起点に在ったところから、両者の運動が合同されるべきものでなく、それは『聖霊と火』というユダヤの裁きをもたらす権威者としてのメシアの働きをヨハネも認めていたところに表れている。

ヨハネは律法契約の囲いの出口であり、イエスはその中の羊を導き出す務めがあった。

自らのすべての羊を外に出した時、その囲いは崩壊する運命にあった。ヨハネの働きはそれまでに終わるので『わたしは減って行き、あの方は増えてゆく』べき大きな理由があった。

 

総じて

ヨハネの弟子らが尋ねて来た機会によって、イエスヨハネからご自分へと連なるユダヤの民に対する神の経綸の流れと民の反応を総括された。

それはイスラエルという神の選民に対するモーセからメシアへと続く神の目的に対するこの血統上の民族へのこの上ない相続財産であった。ヨハネもイエスも『天の王国は近づいたので悔いるよう』宣べ伝えたが、イエスの死と復活により、もやは『近づいた』とは宣明されなくなり、「キリストの死と復活」が使徒以降の宣教の主題となる。

なぜなら『天の王国』は五旬節以降、イスラエルの中に到来したからである。