Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

教会員の質問と誤答

教会員の質問と誤答

 

・一番悪い罪とはなんですか

これを「裏切り」とするのは幾らか部分的に本質に触れてはいるが、直接には『聖霊に対する冒涜』である。

この罪を指摘する聖句は聖徒に対する契約履行に関する勧告であって、一般信徒の個々の悪行の軽重を判断するのは大きく間違っている。

これでは悔いるべき『罪』が何であるのかを理解できなくさせている。

 

・信者・善人は救われて天国に行けると教える教師が増えている。

これではパリサイ主義の焼き直しでしかない。善行で御子の贖いを不要にする究めて破壊的な教えである。

 

・『聖霊を悲しませてはならない』は、これは象徴表現であり、聖霊に人格や感情がある証拠にはならない。これは神から発しキリストを介して注がれる貴重な聖霊の助けを得ていることの価値を低めることへの警告の言葉であり、聖霊に対する聖徒の責務を表している。「名誉や肩書きが泣く」といえば、与えられた価値にそぐわない事態が起こっていることを表すように、三位一体説擁護のバイアスの掛かった真理が、この一つの句に人格を読み込むのは文章読解の合理性を欠いている。

 

・救いのために何を信じるべきか

「救われている」と思ってよいか?

認罪・信仰すれば神との契約を持てるのか?

それは「契約」そのものの目的を理解していないがこそ言える妄言である。

注目しているのは自分自身の立場であって、人類への神の救済の意図を無視してこそ信者が救われているかどうかに執着するのであって、他の多くの人々が置き去りにされている。

 

 

・神殿の緞帳が避けたことによりキリストが至聖所に入ったとするのは

キリストの復活の意義を否定することになる。また死というものの真相をゆがめるものである。キリストが『霊への復活』を遂げたのはニサン16日であり、その魂はシェオールに置かれたままであった以上、命を失っていた三日の間何らの行動も有り得ない。

同様に、『獄にいる霊に宣べ伝えた』というもの霊への復活の後であり、それは悪霊らへの裁きの宣告であったと解するのが順当である。

 

 

・信仰の業、善行、敬虔さなどで「神を喜ばせる」は本末転倒である。

人に拭いがたい『アダムの罪』を悔い、キリストの贖いに頼る他に神の是認はなく、言動の善は悔いに伴うものではあっても「神を喜ばせるためのもの」ではなく、悔いの結果としての変化よりも、神は悔いそのものを評価し喜ばれる。その悔いは「神を喜ばせる」ためのものではなく、罪への自覚による自分自身への反省である。

それはアハブ王やマナセ王のようにもとより善良であるかどうかには関わらない。また善良な人々は「神を喜ばせよう」として善良に行動するのではなく、それが当然の行いなのであり、見返りを求めての行いではない。

そうでなければ善行に見返りや代価を要求することになり動機からして異なったものになりかねず、パリサイ派の轍を踏むことになる。

「善行によって神を喜ばせる」という考えそのものが、神に対して作為的であり、自分へ注目するところでは偽善的となる。

 

 

・「キリストは神だと聖書に書いてある」というのは妄言であり、みすぼらしい強弁である。

せめて、その証拠を具体的に挙げ、反対証拠と照らし合わせて主張すべきである。

しかし、聖書全巻を流れるのはやはり唯一神とその御子であり、これは創造者と被創造者との最も象徴的な関係を示している。

三位一体説はそのものがヘレニズムからの影響の産物であることは、どうにも覆せないものとなっている。

聖書そのものには、キリストが神に従属するものであることを述べる句が圧倒的に多く、旧新の聖書を通底するものである。

むしろ『父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません』とあり、天上の存在者について、ギリシア哲学の影響を許し、空しい論議を行うことそのものが愚行である。まして聖書の概要に反して三位一体を主張するのは、考えなしに伝承を鵜呑みにする魔術の様相を呈するものである。

人は教会に近づかず、聖書を読むだけであれば三一論者になる可能性がゼロであろう。

フィリッポスへの発言は、「厳密な描出」としての子を見ていながら神を見せろという要求に対しての反論を成している。『子と子が望む者にだけ示される』のであれば、使徒らは十分にそれに預かっていたはずであり、もとより神を人が直視することはできない。この点でフィリッポスの要求は使徒として的外れであった。

トマスの発言は普段から軽率であった傾向がヨハネ福音に見える。どうして傷口を見てそこに神を見ることがあるか。

 

・教会の教えの要諦は、「個人を特別視してくれる神」である。

典型的な「ご利益信仰」であり、確かに生き辛い『この世』に在って、何かにすがりたいとの欲求は不自然ではない。

しかし、キリストの犠牲はあらゆる人々のためのものであり、個人による救済の確約ではない。『神の王国』は『この世』と対峙し終わらせるものであり、個人個人が安楽に過ごすための「天国」ではない。また、キリストと同じ苦難の道を歩む人々を必要としており、それ以外の人々にも利他的な精神を抱くべきことを教えるものであるから、諸教会の基本的なスタンスとは一致しない。ここにキリスト教界の最大の病根がある。

 

 

 

 

 

イザヤ66:21

 

 

Isa66:21

 

[וְגַם־מֵהֶ֥ם אֶקַּ֛ח לַכֹּהֲנִ֥ים לַלְוִיִּ֖ם אָמַ֥ר יְהוָֽה׃]

 

And I will also take of them for priests and for Levites, saith the LORD. KJV

 

"And I will also take some of them for priests and Levites," says the Lord. NKJV

 

口語

「わたしはまた彼らの中から人を選んで祭司とし、レビびととする」と主は言われる。

 

新共同

わたしは彼らのうちからも祭司とレビ人を立てる、と主は言われる。

 

新改訳3

わたしは彼らの中からある者を選んで祭司とし、レビ人とする」と【主】は仰せられる。

 

 

BHSとLXXもほとんど同じ意味なので、この前の文脈から判断するのみ

そrでも「与えられた者」(ネトゥニム)を表すと捉えるとコンテクストと合致する。

その点で口語訳は深い意味を捉えている。

 

この捉え方でゆくと

それらの者らが祭司やレヴィそのものとされるとは言われていない。

 

しかし、献じられた『兄弟たち』とは異なる諸国に散らされた者たち

が誰なのか?

ここの理解は非常にむずかしい。

自身もイスラエルなのか、それであれば、使徒時代には合致する。

逃げ延びた人々の全員が生徒であれば・・そうではないかも知れない。

それが散らされた後となると終末とは異なっている。

 

ユダヤ教の立場からすると、本来はレヴィ族の血統にない者をレヴィ人として、まして祭司としての役職に就けることは律法に反する。熱心な正統派であれば、これは到底認められないであろう。

但し、現在では系図が失われたためその立場を証しできる者がおらず、せめて、代々の言伝えや、姓くらいで、祭司団もレヴィ族も律法に則って再構成するのは難しい。

 

そこで異邦人に崇拝の中枢への関与は、ネットゥニムが順当ではある。

敷衍すると、新しいエルサレムの崇拝について地の領域で関わるものを選び取ることを神が表明されているという解釈も可能と思われる。

 

ここには、終末での誤解を誘う意図があるかも知れない。

 

 

 

 

 

ダニエルの70週の概要

 

70週の啓示を受けたのはメディア王ダレイオスの(バビロニア支配の)第一年(前539)

そのときダニエルはエレミヤの書から「70年」の予告を知り神殿復興を祈願する

三週後に悪霊に阻まれていたガブリエルが到着し、ダニエルに70週の秘儀を託す。

「70年」と「70週」の共通点は神殿と崇拝の復興にある。

「70年」の開始は神殿破壊であり、「70週」の開始は都市再建の勅令である。

それぞれ、前586年と前455年に相当するとされている。

『アルタクセルクセスの第二十年』Neh2:11-

 

「70週」はメシア到来まで69週があることを告げる。

これは69週が満了する時にメシアが到来すると解する。

ルカは西暦28-9年にバプテストの活動の開始を告げている。

メシアの油注ぎは明らかにその後になる。

 

69週の終わりはメシアの油注ぎであって誕生ではない。

『一日を一年』として483年、455年からすると西暦29年に相当

ヨハネ福音書は年毎の祭りを記載し、イエスの活動期間が3年半であったことを示す。

 

『週の半ばで犠牲と供え物を廃する』

これは69週が終わった後となり、第70週に入っている。

メシアの活動の三年半は、律法契約の終了と『新しい契約』の開始に懸かっている。

第70週の全体がメシアの活動と捉えれば、その半ばで契約を更新している。

残りの三年半について『1週の間、契約を固く保つ』と捉えることができる。

なぜ『固く保つ』と告げたかは、その三年半がメシアの現れの残りに関わる、

 

 

即ち、三年半は『何者もその時を知らない』再臨に残されている契約期間である。

 

北の王の権力崩壊と、不法の者の台頭、神殿建立と宗教対立の解消。

「70週」の全終了によって契約は完了し、イスラエル12部族が天界に揃う。

この段階で『70週』は満了し、混乱の内に「ダニエルの民」への目的は果たされる。

 

但し、三日半の猶予あり、崇拝の復興まではさらに時があり、『七日の間』待つ。

ここで、神殿の落成がある。しかし、崇拝は再興されない。

 

その間に、地上では『七つの怒りの鉢』が注がれる必要がある。

また、聖徒の蝗害の去った後に、騎兵による糾弾がある。

アンチ・キリストによる世界統治とその綻びの果てに訪れる大患難。

メシアの王権の行使が起こる。この世の終わりと『シオン』の保護。

 

その後も世の最終的な状態があり、この世が崩壊し終息する。

崇拝の復興までに期間あり(2300の夕と朝)

この辺りの情報はかなり制限されているらしい。

 

以上のような期間区分をする目だった宗派は存在していないらしい。

 

 

 

quartodecimani.hatenablog.com

 

Daniel 9:27 集の半ばで

 

 

ダニエル9:27について、『週の半ば』

おおよそどの翻訳も意味の違いは無いといってよいほどの差に留まるように見えるが

『週の半ばに』とするか『半週の間』とするかで読み手の意識は異なる。

 

問題は、メシアが犠牲と供え物を廃止させるのが、第69週目のことか、それとも第70週に入った一週のことかによって、メシアが契約を保つ期間の残りが一週であるか半週であるかに違いが出るところにある。

 

再掲 ⇒ 「半週の間」か「週の半ば」か

 

 

9:27 彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。口語

 

9:27 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。新改訳3

 

 9:27 彼は一週の間、多くの者と同盟を固め/半週でいけにえと献げ物を廃止する。新共同

 

 

 

27 He will make a firm covenant with many for one week, but in the middle of the week he will put a stop to sacrifice and offering.  Holman CSB

 

27 And he shall make a strong covenant with many for one week, and for half of the week he shall put an end to sacrifice and offering.  ESB

 

27 And he shall confirm the covenant with many for one week: and in the midst of the week he shall cause the sacrifice and the oblation to cease, KJV

 

27 "And he will make a firm covenant with the many for one week, but in the middle of the week he will put a stop to sacrifice and grain offering; NAS

 

27 Then he shall confirm a covenant with many for one week; But in the middle of the week He shall bring an end to sacrifice and offering.  NKJV

 

27 The ruler will make a treaty with the people for a period of one set of seven, but after half this time, he will put an end to the sacrifices and offerings.  NLT

 

27 And he shall make a firm covenant with many for one week: and in the midst of the week he shall cause the sacrifice and the oblation to cease;  ASV 

 

For one week, he will make a strong covenant with many people. For a half-week, he will stop both sacrifices and offerings. CEB

 

He will make a strong covenant with leaders for one week [of years]. For half of the week he will put a stop to the sacrifice and the grain offering. CJB

 

27 And he shall confirm a covenant with the many [for] one week; and in the midst of the week he shall cause the sacrifice and the oblation to cease, DBY

 

 

27 Und er wird einen festen Bund mit den Vielen schließen für eine Woche; und zur Hälfte der Woche wird er Schlachtopfer und Speisopfer aufhören lassen.  ELB

 

27 And one week shall establish the covenant with many: and in the midst of the week my sacrifice and drink-offering shall be taken away:  LXX

 

27 And he shall confirm brit (covenant) with rabbim for one heptad; and in the midst of the heptad he shall cause the zevach and the minchah to cease,  OJB

 

27 And he shall confirm the covenant with many, in one week: and in the half of the week the victim and the sacrifice shall fail: RHE

 

27 Confirmabit autem pactum multis hebdomada una: et in dimidio hebdomadis deficiet hostia et sacrificium: VUL

 

 

ディスペンセーションという神学に立つ人たちは、69週の後に、教会時代と称し、二千年以上の空白期間を設け、その後に最後の一週の7年間を持ってきて、この難題をクリアーしようとした。

  横手聖書やすらぎ教会

こちらの見解では

けれども、こんなに空白期間を設けていいのかという疑問も提示されている。別の解決策として、7年間、3年半を字義通りではなく、象徴的に受け止めて、それをキリスト昇天後からキリスト再臨の時までの期間に当てはめるという解釈もある。誰もが納得する結論は出ていない。

と続けている

 

もとより、メシアが犠牲と捧げ物を廃したのは、自らの完全な犠牲を捧げて律法祭儀を終わらせたことを意味し、それはメシア到来の後のことで、三年半の宣教の後のことであるから、これはメシアの到来までの69週を待った後のことと云える。

そこで、契約を固く保つ『一週の間』は『新しい契約』の使者として第70週目に始まっており、メシアの契約が発効したあのペンテコステの日を以って、律法祭儀は意味を失い、その後ローマ軍による神殿破壊が起こって、今日に至るまで律法祭儀は行われていない。

対して、メシアの契約に聖霊が伴う以上は、再臨の時に聖霊注がれて語る者たちがいる以上、二千年もの空白があるとしても、初臨と再臨との間がどれほど開かれようとも、残りの三年半は契約締結の期間として残されている。

第七十集そのものはメシアの到来を指しているものであり、それは初臨の三年半と再臨の三年半によって満たされるものと捉えるなら、聖霊を与える契約は、二千年もの空白も問題としないはずである。

 

キリスト教界にかけている理解は、このメシアが保つ『契約』が何であるのかを見失っているところにある。

 

ディスペンセーション主義、また福音派であれば日本語の場合、新改訳聖書を好んで用いると思われる。それは69週目に起こることとして、第70週をまるまる終末に置けるからなのであるが、そう捉えるべきどのような理由があるのだろうか?

 

 

 

水のバプテスマの意義

バプテスマの意義は「悔い」にあり、次いでメシア信仰への表明にある。

キリストのバプテスマは「救い」を確約しない。それは聖霊バプテスマによる。

しかし、聖霊バプテスマであっても契約の履行が取られることが前提される仮承認である以上、水のバプテスマに救いの確約はますますない。また、それは「献身」も意味しない。

それは聖霊注がれた者がキリストと同じ道を全うするために『新しい契約』に入ることで献身とは言えるが、霊による崇拝奉仕は聖なる者だけが為し得るものであり、契約は明らかに聖霊の注ぎによる奇跡を伴う。Isa59:21/Joe2:28

彼らの地上の奉仕を行うために聖霊は必須とされるので『霊による崇拝』ということができる。その聖霊を受ける格別な立場をもたらすのが契約への参与であり、その契約は参与者がアダムの罪を負ったままでも『義』を仮承認する。そのため、彼らは神の前に契約を守ることを前提に『義』とされ、それがその人を仮に「救われた状態」に入れる。

それでも彼らは最終的に契約の仲介者キリストに地上の生涯を裁かれる立場にある。したがって、契約にない者の場合は信仰の表明により、世の裁きにおいて神の側を支持したことの意志表明となる。それは終末の裁きまで依然として救いの確約を意味しない。

それでも水のバプテスマは、神と子と聖霊に対する信仰を表明し、それは世の反対に面しても揺るがず聖徒を支持することの決意表明となる。

 

 

ヨハネの浸礼の要旨は『悔い』にあった。

その悔いとは律法不履行についてのものであり、『罪』の自覚にあった。

それは律法契約の結論を意味した。

そのためヨハネが神殿から離れた荒野に現れた理由がある。

永く続いた律法体制の結果、イスラエルは誰も完徳に到達せず、メシアを求めるべき時期に来ていた。

したがって、ヨハネは律法契約の終点に位置し、『新しい契約』への導き手であった。

それを彼は端的に『聖霊と火とのバプテスマ』を施す人としてのメシアを予告した。

本来のイスラエルは、『肉のイスラエル』から『神のイスラエル』へと昇華されるべき民族であったが、その大前提として『律法による義』を断念するべき理由があった。

当時の宗教家らが『ヨハネバプテスマを受けていなかった』のは、彼らに対するヨハネの糾弾の言葉からすると、浸礼を拒否されていたと見るのが自然である。

それは彼らが『律法による義を追い求めた』その姿勢からしても、『悔い』に到達していたとは言い難い。

結果として、律法への姿勢によって彼らはメシアを屠る役割を果たす側となり、却って律法に無数のミシュナーを付け加え、また神殿祭司職に安住し、その意義を見過ごした。

『こうして古びてゆくものは、やがて消え去る』のであり、メシアの教えは『新しい皮袋』に収められるものとなってゆく。

四百年の沈黙を破って現れた律法体制最後の預言者であるヨハネは、律法の終焉を迎えるユダヤに対する警鐘を鳴らす役割があった。

 

 

キリストの水のバプテスマ

公生涯中では、やはり『悔い改めよ』がその呼びかけとなっている。

聖霊が降る以前の水のキリストのバプテスマは、ユダヤ人への呼びかけでは変わらないが、キリストの水のバプテスマは、後に聖霊バプテスマへと道を開いている。ヨハネバプテスマ聖霊降下の効力はなかった。

律法下のユダヤ人に対するヨハネの水のバプテスマはやがて終息し、あのペンテコステ以降には効力を持たなかったようであるが、しばらく継続していた可能性はある。諸国民へのバプテスマはキリストのものでなければ意味を成していない。それは諸国民が律法の罪の下になかったからであろう。

諸国民への用件は、メシア信仰となっているように見える。アダムの罪への悔いについては明言されていない。しかし、キリストに信仰を働かせるとは、罪の贖いとしてキリストの犠牲が払われたことを認め、自分が罪人であり神の前にキリストを通して赦される者であることの自覚がなくては成り立たない。

使徒をはじめ聖なる弟子らの行う奇跡や宣教によって、諸国民がメシア信仰に至り、受けたのは、キリストのバプテスマであり、これはフィリッポイの牢番でも、アレクサンドリアからのグループでも、聖霊降下が先んじたコルネリウスの場面でもメシア信仰への到達と水のバプテスマが関係している。

宣教者フィリッポスのバプテスマでは聖霊は降っていない。そのままエチオピアの宦官は帰国したようで、聖霊の降下の確認はない。サマリアの人々もそのようで、ペテロの按手を待つ必要があった。ペテロは明らかに『鍵』となっており、『天の王国』に入る機会をそれぞれの民族に開いている。

 

ユダヤ人の場合には、律法履行に関する罪への悔いが求められたことは、パリサイ派などがヨハネからバプテスマを拒絶されたことからも分かる。

異邦人の場合には『律法の呪い』にはないにしても、パウロは『イエスを信じて頼るなら救われる』と云っている。(act16:36)

 

これらからすると、ヨハネと公生涯中のイエスユダヤ人への宣教での水のバプテスマは、律法への悔いを通してメシア信仰に至ることでの聖霊降下が目的とされていたことになる。

これはサマリアについては関わりがないらしい。シェカルの町の人々はメシア信仰に達したが、そこでバプテスマの話はない。川がなかったからか。

 

諸国民については、メシア信仰に至ることで水のバプテスマが命じられ、一人一人が聖霊を必ずしも受けたのかは分からない。

たとえとして、テモテが預言の霊を受けたのは年長者団が按手して後のことであったとされている。但し、それ以外の霊をその以前に持っていたかは不明。またテモテの母がユダヤ人であったことから、彼が律法下に育っていたかも幾らか影響があったかも知れない。テモテは割礼を受けていたようである。しかし、パレスチナで活動したヨハネ派が外地までバプテスマを施したかは疑問がある。ヨハネの活動はメシア到来の準備にあり、そのメシアも公生涯は内地での活動に限っている。

俯瞰すると、水のバプテスマは受ける人に確定的な立場を与えていない。それは人の側からの意思表明であって、神の側からのコミットメントではない。

 

 

今日のバプテスマ

ヨハネバプテスマは過ぎ去っており、メシア信仰に至った者へのバプテスマ以外に現在は意味はない。

使徒時代と異なるのは、『新しい契約』の契約期間外であるため(ダニエル9:27)、聖霊が注がれることはなく、再臨を待って召される者が現れると思われる。

但し、水のバプテスマが必ずしも先行するかどうかは分からない。

 

問題は、どのような方法またグループの水のバプテスマが神の前に有効であるのかであり、誰がそれを先導するのかというところにある。

それ次第では、受けた水のバプテスマに意味が生じないということも考えられる。

ただ、水のバプテスマはすべての者にではなくとも、聖霊降下へと導く目的を持っていたことにはなり、少なくともキリストの水のバプテスマに神の前でその意義があったことは間違いない。しかし、今日キリストのバプテスマを施すことができる人物が存在するのか、また、『神と子と聖霊の名による』浸礼を行えるものかという問題もある。

 

現状では、多様な教派があり、それぞれにメシア理解や教理にズレがあり、多くには終末の『違背』に組みしかねないものが多い。原因は教理にあり、その教えが地上に現れる偽キリストを容認し、『神の座』に就け兼ねないところにある。結果として地上に神の王国を築いてしまうことに協力し、むしろ、その主要な勢力となる「クリスチャン」をバプテスマを通して量産していることになる。

そうであれば、それらのバプテスマ聖霊をもたらさないだけでなく、そもそも意味が無いものが多いことになる。

どのような水のバプテスマであっても聖霊が降る者には降るとすると、使徒時代のような聖徒の一致も築けないにちがいなく、聖徒としてこの世に対峙することは最初から難しくなるに違いない。やはり、聖霊をもたらすキリストの水のバプテスマは相当に限定された範囲の中で行われるものでなくてはならない。

 

では、今日有効な水のバプテスマとはどのようなものになるか?

 

思うに、少なくとも『聖霊』が降下するときに、その意義を弁えているか、降下した後でも、その真価を知らされる必要はある。

だが、それは水のバプテスマを必ずしも必要とするものかどうかは不明である。

 

『新しい契約』が期間外である間、キリストの再臨が有って、それから聖霊の注ぎがあり、三年半があるのかも知れない。その場合には、再臨が起こった後に水のバプテスマが復興するとも考えられる。キリストの三年半はダニエルでは契約が固く保たれるとあり、それは地上宣教の後から始まっているが、一週の間とは残りの三年半になり、しかも臨在の合計時間が一週ということになる。

そうなると、残りの半週はいきなり聖霊降下で始まることになるが、それでよいか?

結果として、三年半の終わりは聖徒招集の終わりであり、この世はもうしばらく続くことになり、その間に信仰に至る者が出ることは十分に考えられる。

そうすると、シオンに参入してくる人々は、なお水のバプテスマを受けるべき理由もある。だが、そのバプテスマ聖霊の注ぎをもたらすものとはなりえない。

 

もうひとつの問題として

再臨に先駆者は居るのか?

・「忠実で聡い僕」はいる。明らかに再臨前から活動しており、仲間の奴隷たちをその時々に応じた食事を提供して養っているが、それは聖霊の賜物によるものではない。

そこでイエスは『だれか?』として、再臨の時について忠実であれば信任を、そうでなければ『厳しく罰する』としている。

但し、水のバプテスマについては語られていない。

 

そこで『神と子と聖霊の名によるバプテスマ』が聖霊降下のない状態で施せるのかどうかが鍵になる。

それでも、現在でもその三つを信仰の対象とすることは不可能ではない。聖霊の賜物を『見なくても信じる者は幸い』と言える可能性も高い。実際、人は神もキリストも見ない。

しかし、聖徒らの声を聴いて信仰を惹き起こす人々があり、それも天地を揺るがす聖霊の証しによって人が満ち、あるいはシオンの峰に流れのように向かうのであれば、その人々は聖霊の印に信仰を働かせているのであるから、遅くとも、『神と子と聖霊の名によるバプテスマ』がこの人々に行われることは極めて妥当と思われる。

 

問題は、そのシオンそのものが聖霊降下の前にどのようにバプテスマの意味を持ち、また行うべきかが不明であるところにある。

 

 

 

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一般的教会の見解

 
  • 罪の清め:
    水に沈むことは、過去の罪や過ちを洗い流し、清められることを象徴します。
    <水に浸されることは、罪に於いて死ぬことの暗喩があり、罪の自覚と悔いが必須である。社会的善悪とは別問題であるが、以後は愛によって他者と生きるべき理由が生じる>

    神への献身:
    水から上がることは、神に献身し、新しい生活を始めることを意味します。
    <献身は『新しい契約』に入る者だけが可能である>

    キリストとの一体化:
    バプテスマは、キリストの死と復活を象徴し、信者がキリストと一体となることを表します。
    <信者自身の『罪の酬い』としての死と、そこからの救出を象徴している>

    信仰告白:
    バプテスマは、公に信仰を表明する行為であり、周囲の人々に自分がクリスチャンであることを示すものです。
    <その信仰の対象は神と子と聖霊であり、聖徒への支持を公に表明することに主旨がある>

    教会への加入:
    バプテスマは、教会の一員となるための儀式であり、共同体の一員としての自覚を促します。
    <「教会の一員」と誤解されているのは、聖徒としての『神のイスラエル』『キリストの肢体』の構成員となることである>
     
     
    概して、水のバプテスマ聖霊バプテスマが混同され、聖霊バプテスマは信仰した瞬間に受けたとも言われる。しかし、これには大きな誤解がある。
     
     

エリヤの消息

 

エホラムはエホシャファトの長男であったので、ほかの六人の王子とは別にユダ王国の王権を継承した。治め始めたのは32歳で8年間在位した。歴代第二21章

この時代は、すでにエホシャファト王の存命中、アハブと共にモアブと戦争を構えたときには、既に預言者はエリヤからエリシャに変わっていたことが分かる。

 

しかしエホシャファト王は北王国のアハブがそのシドン人の妃イゼベルを通してバアル崇拝に染まっていたイスラエル王国と融和な姿勢を見せてモアブ攻撃にも協力していたが、その宗教的に不釣合いな協調は預言者エリシャの譴責を受けている。

 

やがてエホシャファト王は崩御し、皇太子のエホラムが即位したが、その王妃はアハブの娘アタリアであり、その母イゼベルのように強硬なバアル崇拝者であった。そのため、エルサレムにはバアルの神殿が建てられ、フェニキアからバアルの司祭が呼び寄せられ、YHWHの神殿の貴重なものはバアル神殿に奪われた。

民はバアル神殿に詣で、YHWHの神殿は衰退していた。

この時点で預言者エリヤはその務めをエリシャに引き継いで久しく、火の兵車に乗って中天に去ったエホシャファトの時代から後の世代ことである。

兵車に乗って去り、人々が探しても見つけることのできなかったエリヤからエホシャファトの後継者、ユダ王国のエホラムに預言を含んだ手紙が送られている。

その内容は、エホラムの悪行を譴責するものであり、この王が重い病に罹り、ついには彼の腸が体外に出てしまうほどになると予告するものであった。

やがて、フィリスティアとアラブがユダを攻めてきて、エホラムは末息子を残して後継者を失い、生涯最後の二年は腸の病を患い、やがて腸が体外に出てしまうほどになってしまった。エリヤによる手紙の預言が成就した。

 

これらの記述から、火の兵車に乗って中天に去った後にも、エリヤが地上に在って預言者としての活動を続けていたことは、聖書の記述順からして明らかなことである。

 

エリヤは他の多くの預言者と共に、アハブ王とその妃イゼベルから命を狙われていたので、神は人知れぬ水の湧き出る渓谷に潜ませ、日々からすに肉を運ばせて養った時期があり、その後はシドンの困窮した子持ちの寡婦の家に三年同居して、身を隠し続けている。加えて、カルメル山上のバアルの祭司団との対決の後、イゼベルの殺意から逃れるために、荒涼たるホレブの山に至り、そこで神からの指示を受け後継者エリシャを任じるよう命じられた。

 

したがって、エリヤはエリシャに預言の業を引き継いだその後も、神によって人の見出せない場所に隠されたのであり、火の兵車と人々の捜索は、彼が神によって誰にも明かされない安全な場所に隠されたことを表す神の人への表明であったといえる。天から羊皮紙に書かれた手紙を送るまでもなく、エリヤ以外のミカヤのような預言者を用いることもできたに違いない。(列王第一21:24)

南のユダ王室にエリヤから手紙が届いたことは、北のイスラエル王国にカナンのバアル崇拝をもたらしたイゼベル以来、その娘のアタリヤを皇太子に娶らせたエホシャファト王の王位を継承したエホラムに至る一連のバアル尊崇とYHWH崇拝の衰微を憂いて生涯を捧げたエリヤの手になるものとしてたいへん妥当と言える。

エリヤはホレブ山でYHWHに奏上し『わたしは万軍の神、YHWHに情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています』とイスラエルの神への命がけの熱意を貫いてきたことを証している。(列王第一19:14)

そのエリヤが、イゼベルから始まるバアル崇拝の最後のユダの王となるエホラムに、最後の預言を手紙を以って伝えたということは、すでに、エリシャがエリヤの業を引き継いでいるとはいえ、長く続いたバアルの時代の終わりを宣告するかのような意義を持っていると言える。

 

 

 

 

 

 

 

 

聖霊のバプテスマの実相

バプテスマの意義は「悔い」にあり、次いでメシア信仰への表明にある。

キリストのバプテスマは「救い」を確約しない。

それは聖霊バプテスマであっても同じである以上、水のバプテスマに救いの確約なない。また、それは「献身」も意味しない。それは聖霊注がれた者がキリストと同じ道を全うするために『新しい契約』に入ることで献身とは言えるが、霊による崇拝奉仕は聖なる者だけが為し得るものである。

それでも彼らは地上の生涯で最終的に契約の仲介者キリストに裁かれる立場にある。したがって、契約にない者の場合は信仰の表明により、世の裁きにおいて神の側を支持したことの意志表明となる。それは終末の裁きまで依然として救いの確約を意味しない。

それでも水のバプテスマは、神と子と聖霊に対する信仰を表明し、それは世の反対に面しても揺るがず聖徒を支持することの決意表明となる。

 

 

ヨハネの浸礼の要旨は『悔い』にあった。

その悔いとは律法不履行についてのものであり、『罪』の自覚にあった。

それは律法時代の結論を意味した。

そのためヨハネが神殿から離れた荒野に現れた理由がある。

永く続いた律法体制の結果、イスラエルは誰も完徳に到達せず、メシアを求めるべき時期に来ていた。

したがって、ヨハネは律法契約の終点に位置し、『新しい契約』への導き手であった。

それを彼は端的に『聖霊と火とのバプテスマ』を施す人としてのメシアを予告した。

本来のイスラエルは、『肉のイスラエル』から『神のイスラエル』へと昇華されるべき民族であったが、その大前提として『律法による義』を断念するべき理由があった。

当時の宗教家らが『ヨハネバプテスマを受けていなかった』のは、彼らに対するヨハネの糾弾の言葉からすると、浸礼を拒否されていたと見るのが自然である。

それは彼らが『律法による義を追い求めた』その姿勢からしても、『悔い』に到達していたとは言い難い。

結果として、律法への姿勢によって彼らはメシアを屠る役割を果たす側となり、却って律法に無数のミシュナーを付け加え、また神殿祭司職に安住し、その意義を見過ごした。

『こうして古びてゆくものは、やがて消え去る』のであり、メシアの教えは『新しい皮袋』に収められるものとなってゆく。

四百年の沈黙を破って現れた律法体制最後の預言者であるヨハネは、律法の終焉を迎えるユダヤに対する警鐘を鳴らす役割があった。

 

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諸教会の誤解

 

1コリント15章36節で、蒔くこととは死ぬことである、ということが書かれていますが、44節では「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされる」と続きます。御霊に属するとは、言い換えるなら御霊に支配されている状態です。

シャローム教会

 

聖霊によるバプテスマをよく理解するためには、三つの事実を検討してみる必要があります。まず第一に、コリント人への手紙第一 12:13には、救われたもの全ては、聖霊によるバプテスマを受け、また同時に一つの聖霊を飲んだ(聖霊が信徒のなかに入って来る事)と書かれています。

第二に、聖書のどこを探しても、『信徒たちは、聖霊によるバプテスマを受けなさい』と勧めている箇所はありません。それなのに、「救われたものは全ては、聖霊によるバプテスマを受け」と書かれているという事は、聖霊によるバプテスマは、キリストを受け入れると同時に、神から与えられるものだと言う事ができます。

最後に、エペソ人への手紙4:5の「一つの霊」とは、聖霊によるバプテスマのことを話しているように解釈できます。もしそうであるのなら、「主は一つ、信仰は一つ」であると同様に、聖霊によるバプテスマは全ての信徒にとって事実だということです。

God Questions

 

リバイバル集会の説教者から「お若いの、あなたは聖霊によるバプテスマを受けましたかな?」と聞かれた。私は「はい」と答えた。「いつ聖霊バプテスマを受けたのですか」と続いて尋ねられたので、「キリストを救い主として受け入れた時です」と私は答えた。説教者は当惑したような表情で私を見ながら「そんなことはあるはずがない」と言った。

しかし、ずっと聖書を学んで来て、すべての信者の生涯には一回しか聖霊によるバプテスマはないこと、それは回心した瞬間に起ることを確信するようになった。

この聖霊によるバプテスマは、ペンテコステの日に初めて起こり、イエス・キリストを救い主として知るようになった人はみなその体験にあずかって、新生の瞬間に御霊によるバプテスマを受ける。

亀有教会(ビリー・グラハム

 

エスは、疑わずに、熱心に求め続けるなら、必ず与えられると教えられました。しかし、疑いがあると、求めることが出来ません。聖霊バプテスマ聖霊の満たしについて、疑いを抱いてはいないでしょうか。聖書は、聖霊に満たされるようにと命じています。ですから、疑わずに、熱心に聖霊バプテスマ聖霊の満たしを求めましょう。

湘南セントラルチャーチ

 

 

新約聖書中、使徒言行録以降に書かれる「救い」は、一つにはユダヤ人が負う律法不履行の罪からの救いである。

異邦諸国民にこの罪は無いが、律法がイスラエルを最たる例として、アダムからの罪を明かした以上、現在の虚無の生涯からの救いを必要としている。

この『二つの民』の双方から『新しい契約』に選ばれ召された者には奇跡の聖霊の注ぎが契約参入の証しとなり、彼らはもはやアダムの後裔としてではなく、『キリストの命を生きる』ので神の前に『義』と仮承認され、キリストの兄弟『共同相続人』となり『神の子』とされたことにより、「救われた」といえる。

しかし、契約は不定の物事について交わされるものであり、キリストが再三『離れ墜ちることのないよう』『狭い門を通って入るよう努めよ、入ろうとしながら入れない者は多い』と言われたように、最終的に『一人は連れてゆかれ、一人は残される』という厳粛な契約の履行の有無が問われることは無視できない。

そのうえ、諸教会は信者の皆が契約参与者であるかのように「救われている」とするばかりか「一度の救いは終生の救い」とするところに於いて二重の過ちを犯している。

それは信徒を「救いから」引き離すばかりであり、利己的性質を助長するものともなっている。これは軽い問題ではない。

 

 

 

 

エレミヤ25:31 『神と人の論争』

 

    Jer25:31           ☜

בָּ֤א שָׁאוֹן֙ עַד־קְצֵ֣ה הָאָ֔רֶץ כִּ֣י רִ֤יב לַֽיהוָה֙ בַּגּוֹיִ֔ם נִשְׁפָּ֥ט ה֖וּא לְכָל־בָּשָׂ֑ר הָרְשָׁעִ֛ים נְתָנָ֥ם לַחֶ֖רֶב נְאֻם־יְהוָֽה׃ ס

[רִ֤יב]=quarrel  dispute  fight 用例 Isa50:8 [יָרִ֥יב] 「誰がわたしと争い得るか」

For the Lord has a controversy with the nations; 【NKJV】

the LORD has an indictment against the nations【ESV】

God makes his case against the godless nations.【MSG】

the LORD has a controversy with the nations.【NAS

the LORD will bring charges against the nations;【NIV】

この点で主要日本語訳は的を外している

『主が国々と争い、すべての肉なる者をさばき、悪人をつるぎに渡すからであると、主は言われる』【口語訳】 

『【主】が諸国の民と争い、すべての者をさばき、悪者どもを剣に渡されるからだ。』【新改訳】

『主は、諸国民と争い/肉なるものをすべて裁き/主に逆らう者を剣に渡される』【新共同訳】

ヘブライ語から見れば

単なる「争い」fight [מַאֲבָק]マーヴァク や「戦い」[מִלחָמָה] ミルーハマ だけでない [רִ֤יב } リヴには controversy など論議の衝突の意味がある

 

LXX

[ἤκουσαν ἔθνη φωνήν σου, καὶ τῆς κραυγῆς σου ἐπλήσθη ἡ γῆ, ὅτι μαχητὴς πρὸς μαχητὴν ἠσθένησεν, ἐπὶ τὸ αὐτὸ ἔπεσαν ἀμφότεροι.]

LXXではヘブライ語 [רִ֤יב } リヴが無く、「諸国民が声を聴く」に意訳されている。

これはギリシア語話者の異邦人を刺激しないための手加減ではないか?

やはり、Ps76:8でも同様の忖度が見られる

ἐκ τοῦ οὐρανοῦ ἠκόντισας κρίσιν, γῆ ἐφοβήθη καὶ ἡσύχασεν,

やはり翻訳の問題はLXXでも避けられなかったか

 

Isa41:21-22 では、終末の諸国民への提題として明示されている。

YHWHは言われる「あなたがたの訴えを出せ」。「あなたがたの論拠を示せ」とヤコブの王は言われる』。

 

 

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共観福音書にある、聖霊によって語る聖なる者らが支配者や高官の前に引き出されて語る『反駁できない』言葉の要点がここにあると思われる。

神に問いかけられる人類にまともな答えはなく、沈黙させられるので、聖徒に対しての実力行使する以外になくなる。

『人々がその死を喜び贈り物を交わす』というほど、聖徒の語る内容には激しいものがあるのであろう。

もしかすると、三年半というのは実数であるのかどうか?契約期間との意味が込められているのかも知れない。Dan9:27

それはハガイの天地を揺るがす地震に相当し、ゼカリヤでは地上のエルサレムからの逃避を可能とするものと捉えることもできよう。ウジヤの時の地震は預言されたものでなかったゆえに、終末の時の不明性が含まれているのではないか。

 

 

 

 

 

「携挙」という誤解

◆携挙とは何か

テサロニケの句から、信者(教会)がキリストに迎えられて天に挙げられると信じること。

<この句の言葉の表層にのぼせたために自分に益が望むと思い込んだところから始まったらしい>

あの五旬節以降に信者になった者は「教会」の一員であるという。

<では信者は『新しい契約』に与っているのか?>

信者はキリストと一体になるのであるから、死んだ信徒は復活により栄光の体に変えられ、生きている信者も栄光の体に変えられ、空中で主に会う。

<キリストと共になるのは、キリストの血と肉に与る聖なるイスラエルだけである>

 

ヨハネ14:3 『あなたがたを迎えるために再び来る』を携挙の根拠の一つとしている。<しかし、これは最後の晩餐の席で使徒らに語られている>

 

1)携挙では、信者は空中で主にお会いします(Iテサロニケ4:17)。再臨のときには、信者は主とともに地上に帰って来ます(黙示録19:14)。

<ここにキリストの地上顕現の危険がある>

2)再臨は艱難のあとに起こります(黙示録6-19章)携挙は艱難の前に起こります(Iテサロニケ5:9、黙示録3:10)。

<大患難を惹き起こすのが天への召しの結果である>

3)携挙は、救出するために信者を地上から取り去る行為です(Iテサロニケ4:13-17、5:9)。再臨は、不信者をさばきのために取り去る行為を含んでいます(マタイ24:40-41)。

<天への召しは救済ではなく契約遵守者の酬いである>

4)携挙は秘密裏に行われ、瞬間的です(Iコリント15:50-54)。再臨はすべての人が見ることができます(黙示録1:7、マタイ24:29-30)。

<天への召しは、見えないゆえに終末のこの世に脅威を与える印となる>

 

5)キリストの再臨はほかの特定の終末的なできごとが起こったあとでないと起こりません(IIテサロニケ2:4、マタイ24:15-30、黙示録6-18章)。携挙は迫っています。いつ来てもおかしくありません(テトス2:13、Iテサロニケ4:13-18、Iコリント15:50-54)。

<再臨は信仰の目で見えるものであり、終始一貫キリストは不可視である>

 

高原

『キリストにある者』は誰であれ携挙で天に挙げられる。

キリストの体に所属する者はバプテスマを受けて一つの体になったのだから、クリスチャンは皆が携挙されると言っている。「一つの聖霊によってバプテスマ」を受けたのだから、聖霊が内住した者は携挙されるという。1Co12:3

「キリストは主であるとは聖霊に拠らなければ言えない」が根拠という。

<そのように薄弱な理由で聖霊が降る目的はない>

 

 

◆携挙説の間違い

・天への召しは信徒ではなく聖徒に対するものであり、それも『新しい契約』を遵守したと認められた者に限られる。信徒は聖徒の苦難に共感し、援助する機会があり、その結果、この世から離れて神の側に立つことができる。

・天への召しは、患難から逃れるためではなく、むしろ患難を忠節の内に耐えた聖なる者が、混乱し迫害を受けている極み、また収監されているところで天への召しが起こる。

・大患難は聖徒ではなく、信徒の救済が行われる機会であって、この世と聖徒ら王国との戦いに中でこの世が瓦解してゆく過程を指している。

・天への召しは予告なく生じるが、状況の伸展なくは発生しない。現在は聖徒の現れも起こっていないので天への召しが起こる状況にはない。

・天への召しは『神の王国』のイスラエルが集められることを意味し、その権力を振るう準備が完了するためのものである。

・テサロニケのラッパは、厳格に定められた契約満了の時の到来と、キリストの権威の実現の『その時』を宣告するものであり、『三年半』が終了し、更に死せる聖徒らが復活したことを知らせるものであり、四方から忠節を保った聖徒をイスラエルとして集め出す精密に定められた時を指す。聖徒の召しを見定める者にだけその時が来たことが知れる。

・天への召しは『雲と共に』行われ、そのものは不可視であるが、聖徒が不在となることで『この世』も気付かざるを得なくなり、ヨナの奇跡に相当する印となる。それはシオンへの諸国民の流れを形成するほどに、終末最大の徴となって、『騎兵隊』を召喚する。

・結論として、これらを主張する教会の指導は誤解があるだけでなく、患難への備えを怠らせ、さらに聖徒の天への召しを見誤らせ、キリストの地上再臨をも期待させることに於いて、偽キリストによる終末の『背教』に信者を加担させる要素をすでに抱えている。

 

 

 

 

 

 

イスラエルを集める

イスラエルという創造される民を集める

 

Ezk20:41  わたしがあなたがたをもろもろの民の中から導き出し、かつてあなたがたを散らした国々から集める時、こうばしいかおりとして、あなたがたを喜んで受けいれる。そしてわたしは異邦人の前で、あなたがたの中に、わたしの聖なることをあらわす。

Ezk28:25 、わたしがイスラエルの家の者を、その散らされたもろもろの民の中から集め、もろもろの国民の目の前で、彼らにわたしの聖なることをあらわす時、彼らはわたしが、わがしもべヤコブに与えた地に住むようになる。

 

Ezk39:27-29 わたしが彼らを諸国民の中から帰らせ、その敵の国から呼び集め、彼らによって、わたしの聖なることを、多くの国民の前に示す時、
彼らは、わたしが彼らの神、主であることを悟る。これはわたしが彼らを諸国民のうちに移し、またこれをその国に呼び集めたからである。わたしはそのひとりをも、国々のうちに残すことをしない。
 わたしは、わが霊をイスラエルの家に注ぐ時、重ねてわが顔を彼らに隠さないと、主なる神は言われる」。⇒ 36章の「山々」に関連

 

Isa43:4-12   あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。
 恐れるな、わたしはあなたと共におる。わたしは、あなたの子孫を東からこさせ、西からあなたを集める。
 わたしは北にむかって『ゆるせ』と言い、南にむかって『留めるな』と言う。わが子らを遠くからこさせ、わが娘らを地の果からこさせよ。
  すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた」。
  目があっても目しいのような民、耳があっても耳しいのような民を連れ出せ。
 国々はみな相つどい、もろもろの民は集まれ。彼らのうち、だれがこの事を告げ、さきの事どもを、われわれに聞かせることができるか。その証人を出して、おのれの正しい事を証明させ、それを聞いて「これは真実だ」と言わせよ。
  主は言われる、「あなたがたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、わたしが主であることを悟ることができる。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。
  ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない。
 わたしはさきに告げ、かつ救い、かつ聞かせた。あなたがたのうちには、ほかの神はなかった。あなたがたはわが証人である」と主は言われる。

 

 

Ezk16:37 見よ、わたしはあなたと遊んだあなたのすべての恋人、およびすべてあなたが恋した者と、すべてあなたが憎んだ者とを集め、四方から彼らをあなたの所に集めて、あなたの裸を彼らにあらわす。彼らはあなたの裸を、ことごとく見る。

栄光の前の恥辱

 

Iza43:2   わたしは、北に向かって『引き渡せ』と言い、南に向かって『引き止めるな』と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。

すべてわが名をもって称えられる者を来させよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた。

 

 

Ps102:18 This will be written for the generation to come,That a people yet to be created may praise the Lord. NKJV

これは後に来る世代のために書き記される、創造された民が主を賛美するために。

 

Isa41:27 The first time I said to Zion,'Look, there they are!' And I will give to Jerusalem one who brings good tidings. NKJV

[רִאשֹׁ֥ון לְצִיּ֖וֹן הִנֵּ֣ה הִנָּ֑ם וְלִירוּשָׁלִַ֖ם מְבַשֵּׂ֥ר אֶתֵּֽן׃ ]

[主要日本語訳が妙]

「見よ!彼らはここに居る!」

 

Isa59:20 「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中の背きの罪を(悔いる者)[捕虜]のところに来る」とYHWHは言われる。

[וּבָ֤א לְצִיּוֹן֙ גּוֹאֵ֔ל וּלְשָׁבֵ֥י פֶ֖שַׁע בְּיַֽעֲקֹ֑ב נְאֻ֖ם יְהוָֽה׃]

(Dan8:12)

これはシオンの中に違背を退ける者が加わるの意

違背への勝利が神から来るIsa48:3-7

 

Isa 46:13  I bring My righteousness near, it shall not be far off ; My salvation shall not linger. And I will place salvation in Zion, For Israel My glory.

[主要日本語訳が妙]

わたしは自らの義を近くにもたらす、それは遠くない。我が救いは遅れることなく、シオンに救いを、イスラエルに美をもたらす。

 

 

Isa43:21 (わたしの選んだ民に飲ませる) この民は、わが誉を述べさせるために/わたしが自分のために造ったものである。

これは再創造ではなく、その前段階でなくては意味が無い

 

 

 

雑記録25-5

・人が虚無から逃れる道は、「自分の生に目的を見出すこと」とすれば、それは自己完結になり、個人の目的の達成に留まる以上、自己満足はあっても、やはり虚無のままである。たとえそれを神に与えられた目的と主張しても、その確証はないままで、自分の中の推論で終わり、虚無の域は出ない。

虚無を逃れる道は、創造者との生きた相互の関係性にあり、創造されて存在していることの意義はその創造者からもたらされなくてはならない。なぜなら、誰も自分から存在したわけではないからである。

現状で人が虚無に置かれていることの理由を含め、それを創造者がどのように見做しているのかを弁え知るところに虚無から逃れる道への門口があり、人の創造と根本的な問題を明らかにする聖書にそれが暗示的に示されている。同時にそれは無条件ではないことを聖書の記述そのものの不明性の中に示されている。

キリストが『耳ある者は聴け』と聴衆に言い添えたように、創造者はすべてを誰にでも分かるようには語らない。その理由そのものも人の創造の直後の根本的な問題の発生に起因することは暗示されているのだが、それは明言も確証もされず、拒否することもできる記述に終始している。

これは創造者の側ではなく、人間の側に問題が残っていることを示しており、ある条件に適うところで聖書が益になるという、人知を超えた知恵と原則がそこにある。

これに対して、「人は生かされている」、「自分の人生の目的を見出す」、「人を愛して生きる」などは、虚無への解答とはなっていない。

 

 

・知識で判断する人は神に裁かれる

エマオに向かう途上に在った二人の心は燃えた

しかし、それが彼らの裁きを左右するわけではない

奥義を授けられたパウロでさえ「前にあるものに手を伸ばす」という。

神の経綸に触れた感動や興奮が意味を成すかは、その心の奥底に眠るもの次第で

それは本人に分からず、周囲のある人にそれとない直感を与えることはある。

大抵の場合、言われても分からない。分かれば悔いている。

そこが神の裁きたるところ。

ヨハネが現れ「悔いよ」との一言にそれが凝縮されているのかも知れない。

キリストは『悔いて福音に信仰を持て』と言われた。ヨハネは『悔いよ』がその教えであったのは、印を伴う音信はメシアのものであったからであると思われる。

両者共に悔いは律法を通して惹起される各人の悔いであったろう。ヨハネのものが悔いのバプテスマであれば、イエスの水のバプテスマは悔いの結果としてのメシア信仰へのバプテスマであったのであろう。そのメシア信仰は律法の悔いに裏付けられたものであり、ヨハネの悔いよりも先に進んだ価値を持っている。

アレクサンドレイアから来た十人ほどのグループに聖霊が注がれていなかったのは、メシア信仰に到達していなかったことを明らかにしている。そこでメシアに関する知識を必要としたにせよ、その知識は悔いを伴い、頼るべき唯一の道としてのイエスを実感している必要があったろう。イエスは道であり、そこを通らずに神の御許に迎え入れられることはない。

水のバプテスマヨハネによる律法への悔いに発し、キリストのものは諸国民に対してはアダムの罪への悔いに及んでいると見ることは的外れではないように思われる。

どれほど経綸への理解や洞察を持っていようとも、悔いなくしてはメシア信仰に達することはない。これが両者のバプテスマに共通する意義であろう。そのため当時のパリサイ人らはヨハネバプテスマを受けていなかったのは、ヨハネが拒絶したと思われる。そうでなければ彼らを『まむしの子孫よ』とは呼ばなかったに違いない。

この関係は終末に於いても繰り返されると思われる。終末の象徴的ヨハネが居るとすれば、聖書や経綸に通じた者であっても、悔いなき者にバプテスマは施さないであろう。

 

 

・義神論

「神の善性および愛は完全であり、神は悪や苦しみに対する責任を持たない」また、「悪は人間の原罪によるものであり、悪のこの世への侵入は原罪および自由意志の人間の乱用による罪の持続的な存在に対する罰」という見方は平板で人間的な観点の所産ではあっても神の悪をも含めた善用の観点を持ってはいない。これがアウグスティヌスの限界であろう。

 

・「罪」について

「神の背を向けることだ」「神の掟を犯していることだ」

というありきたりの理解であってはそれこそ「的外れ」ではないか。

『罪』は人の不倫理性を指すのであって、他者との関係で利己的に振舞う原因となっている内面を言う。

加えて、やたらに原語の意味に拘われば聖書に書かれた真意に到達するということはない。使徒らがどれほどギリシア語に精通していたのか、また、その字義に拘ったかは分からないのであれば、それは決定的証拠とは言いがたい。

宗教関係者にはグレーな部分を尊重せずに、白黒をはっきりさせたがる傾向が強い。何かを断言すること、単純化することが「信仰」であると思うらしい。むしろ、蓋然性のある物事をより信じるのが人間の自然な傾向であり、奇跡という『父の業』をキリストが見せたのも、その傾向を用いてのことではなかったか。それは明確な信仰を惹起させ得るものでありつつ、拒むこともできる奇跡であった。即ち、グレーであったのだ。

但し、グレーにも明るいものと暗いものがある。そこで「信仰」に意味が出てくる。

それであれば、グレーはグレーとしてそのまま認められた上で「信仰」があり、決め付けるだけのことではないと言える。つまり、「自分にはどのように見えるか」なのであり、それが奇跡についても言えるのであれば、当然、原語の字義についても言えることになる。

 

・罪人の転向について、舌足らずなところがあった。

ペテロ、マタイ、パウロにせよ、キリストからの召しに際して転向している

したがって、ザアカイ、罪人として知られた女、ベツサダの池の病人、なども同様と云える

キリストとの邂逅は、人が転向するきっかけとなっており、後の聖霊の注ぎへの集め出しでもあったといえる。メシアが契約の使者であり、行う奇跡と感化を通してユダヤ人を救ったというのが当時の実際であったろう。

 

・教会では『第二の死』を「不信者への処置」としている。

もちろん、そのように単純なことではない。決定的な死は存在の抹消であり、創造の逆である。

 

・教会では「終末時代」に偽預言者らが現れると教え、聖徒の現れを教えないので、聖徒の発言を退ける危険が高い。つまるところ、何が偽であるのかを定めるのが社会の大衆であるとすれば、大衆化したキリスト教は龍・獣・偽預言者の煽動を受ける対象であり、適正な判断はむずかしい。

それはまた、教会が今後も聖徒を理解せず、世のものとして終わりを迎えることを予示させるものでもある。終末の裁きは、徹底して聖徒と聖霊の言葉を巡るものとなる。

 

・教会の信仰に関する説明は方法論に偏っていて、部分の解説に終始している。その原因の一つは、キリスト教の基本が宣教側からして理解されていないところにあり、またキリスト教が欧米宗教文化となっているために前提と目的から語られないところに原因があり、それが不信者への間口を狭めている。この入り口を広めるなら、教会員にも再考を促すことになると思われる。

 

・「アリウス派は、アウクセンティウスが全面的に支持していたキリストの神性を否定する異端の考えを支持していた」と言うが、「キリストの神性」の前に『あなた方は神だ』、また『あなたは神々の集いに在って裁く』ということの意味を捨て置いて良いか?いやむしろ、その『神々』たる者らを無視させるのが三一の主目的ではないのか?

この点では、先立つ第二世紀のエイレナイオスの見解が遥かに優れている。この教父は『神々』がそのような者らを表しているかを把握していたが、三一論を称える者らはそれを無視しなければ立ち行かなかった。これは終末に知らされていなくてはならない奥義であるが、現在のキリスト教界は到底知ることのないものとなっている。

 

ヨハネ14:27を「わたしはあなたがたに平和を与える」と訳すと大きな誤解をまねく。平和ではなく平安であるから、他者との共存を意味しない。

 

エズラエルサレムに到着したのはアルタクセルクセス王の治世7年

ネヘミヤがアルタクセルクセス王の治世20年に到着したとされている

これがアルタクセルクセス1世(紀元前465-424年)の治世であれば、エズラは紀元前458年、ネヘミヤは紀元前445年に到着したことになる。ネヘミヤ記8-9章では、(おそらく編集上の誤りにより)二人が一緒に登場しており、このシナリオを裏付けている

エズラ記にはダレイオスⅠ世の治世中の記述にアルタクセルクセスの時代の記述が混じるところあり、編集にある種の混乱があり、エズラの時代からの観点で書かれている様子が見える。エズラとネヘミヤは元々一書を構成していたが、16世紀にラビらによって分離された。どちらもダニエル書のように公文書部分はアラム語のまま記される。

LXXではエズラ記・ネヘミヤ記とエズラ記上を「エズラ記B」と「エズラ記A」としている。

第三エズラ(エスドラスα)はヒエロニュモスが外典に位置づけた。ギリシア語であるためヤブネでも除外されている。内容では一部の付加があり、そこの内容は低劣ではある。

第四エズラ(エスドラスβ)については、本編が3-14章であり、後に1-2章と15-16章が追加されたものを見做されている。キリスト教徒による作とされるが不明。一次資料ラテン語のみ

(第一章の最後にマラキ書そのものへの言及があるが、時代が合わない)

本編はダニエル書のような幻視を扱うが内容は稚拙でダニエル書追加の程度に留まる。

しかし、第二章の預言は格別の高尚さを持っている。但し、新しい啓示はほぼ無い。

エズラが預言を受けたのであれば、ラビの扱いにも格別のものがあったのではないか?

この点でエスドラスβには謎がある。

 

アウグスティヌスの「告白」の冒頭からすると、彼のキリスト教信仰の目的が幸福の追求と充足感の満たしであったことになる。倫理上の問いはなく、自分が既に神との深い絆に入っているものとしている。ここに大きな問題がある。

以後の欧米の教会の基本的観念も同様で、信じた自分たちは既に神の祝福に入っていると前提している。これは契約にある聖なる者についてのみ当てはまるのだが、契約についての見識が抜け落ちており、契約にある聖徒らをそもそも想定していないところから来る誤謬であろう。

欧米型キリスト教会は終末に至って聖徒への最大で最強の反対者となるのであろう。

 

・米国の福音派について[Frank Schaeffer]

アメリカの福音派の認識はこうです。
パレスチナ人の土地の回復に繋がるような行為、例えば中東和平プロセスは阻止しなけれなならない。イスラエルが古代と同じ領土を取り戻して初めてイエスの再臨が実現する。」

アメリカの福音派の認識はこうです。
パレスチナ人の土地の回復に繋がるような行為、例えば中東和平プロセスは阻止しなけれなならない。イスラエルが古代と同じ領土を取り戻して初めてイエスの再臨が実現する。」

ハルマゲドンを待ち望んで米国政治を動かす福音派

 

・クリスチャン・シオニスト

神がアブラハムと結んだ「アブラハム契約」に基づき、シオン・エルサレムアブラハムの子孫に永久の所有として与えられたとするキリスト教の教理の一つ。全教派で認められている、信じられている訳ではなく、むしろ信じている者は一部であり、キリスト教プロテスタント福音派の一部や、ドイツルーテル教会のマリア福音姉妹会、末日聖徒イエス・キリスト教会などで信じられている教理。

 

そもそも欧州のキリスト教徒は中世までユダヤ人をイエス・キリストを十字架につけた民として、差別し、繰り返し迫害してきた。クリスチャン・シオニストもこの思想を前提としており、イスラエルの国民たちがキリスト教徒にならない限り「地獄に落ちる」と考えているため、実は反ユダヤ主義者であることも少なくない。

数としても、政治力としてもクリスチャン・シオニストユダヤシオニストを圧倒しているという事実は、欧米諸国がイスラエルを止められない理由を理解する上で看過できない事実である。しかもクリスチャン・シオニストたちが関心を寄せているのは、あくまでも聖書に基づいて想像された「イスラエルの民」であり、現実のユダヤ人ではない

 

現在のクリスチャン・シオニストとは、近代的な個人主義に基づく米国の民主党的なアジェンダに耐えられず、黙示録的な共同幻想に陥っている集団なのだ。「イスラエルの民」の救済、シオニズムは、彼らの共同幻想を駆動する物語の一つに過ぎず、結局ユダヤ人は彼ら自身の救済のための駒に過ぎない。欧米の白人たち主導の共同幻想に巻き込まれて、無辜のパレスチナの人々が殺されている現状は、間違いなくあってはならない事態である。

2050年までにキリストの再臨を信じる・・

柳澤田実 

 

 

ユダヤ民族を祝福するものを神は祝福する」という約束をディスペンセーショナリストたちは字義通り受け取っており、そのためユダヤ人の国家建設を支援するようになったともいえる。

 

原理主義がいつのまにか福音派と呼ばれるようになる80年代後半から90年代にかけては、この集団は米国人口の25%以上を占めるようになり、福音派の大部分がこの考えを信奉するようになったこともあり、ユダヤ人を支援することで神の祝福を得ようと、イスラエル国家への支持が強まっていくようになる。ちなみに、ピュー研究所の2022年の調査によると、福音派の63%が今まさに人類は終わりの時を生きていると信じているという!

 

ジョン・ヘイギーによって2006年に始められた「イスラエルのためのキリスト教徒連合」(CUFI)だ。米国の福音派教会を中心に2018年には500万人だった会員もわずか2年後の2020年には1000万人を超えたといわれている。無党派の団体と謳ってはいるが、当然のことながら共和党寄りであり、7月の会議では共和党の大統領候補デサンティスが講演しており、代表のヘイギー牧師もハマス襲撃後の教会の説教のなかで明確にバイデン政権を批判した。ヘイギーの過激な終末論に導かれ、この団体は国際法的にまだ問題のあるヨルダン川西岸地区や東エルサレムを神に約束された正当なユダヤ人の土地だとみなし、積極的にユダヤ人入植の支援や福音派教会の牧師やリーダーたちのためのイスラエル旅行のプログラムを実施してきた。

加藤喜之 

https://newspicks.com/news/9150846/body/

 

アルマゲドン(善と悪の最終戦争)やキリスト降臨といった一連の出来事すべてを含む「終末論」は旧約・新約を問わず聖書全体の様々な箇所――ダニエル書、エゼキエル書ヨハネの黙示録など――で語られている。その一連の流れの中に「イスラエル国家の再建」が重要な一歩として含まれているのだ(たとえばエゼキエル書37章の「干からびた骨の復活」、ルカの福音書21章の「いちじくの木」など)。そのため、福音派イスラエルを、終末に向けた「神の計画」の要となる絶対に守られるべき国とみなしている。

田尻潤子 

https://agora-web.jp/archives/250617201017.html


agora-web.jp

 

福音派の入植地拡大によるイスラエル国家支持によってキリストの再臨やハルマゲドンを誘発させようという企ては害悪と邪な意図がある。

ユダヤ教側もそれを承知で福音派の援助を受けてはいるが、これは分裂の火種を抱えた野合でしかない。土地を失い生業にも困る現地人を排除するところは民族浄化を聖書の名の許に正義感さえ持って推し進めている。

これらの企みが神の是認するところのものとなるはずもなく、キリストの当時にもユダヤ人がサマリア人を虐げたようなものである。

これは宗教の教理が人を狂わせる典型的な例であり、善からも愛からも遠ざかるばかりのことで、宗教の美名の許に残虐を行うことであり、人を神の象りとは見ていないことの表れではないか。

 

 

 

 

第四世紀 ローマ帝国のキリスト教

 

 

ニケーアの裁定を後悔した大帝

コンスタンティヌス大帝の時代、教会内部の争いはニカイア会議で終わらず、ニカイア信条の定式化は反アリウス派の教会関係者の間でも論争の的となった。コンスタンティヌスは寛容を訴えながらも、自分が間違った側に立ってしまったと考え始め、アリウス派を激しく迫害するニカイア派が、実際には教会内部の争いを永続させていると考え始めた。⇒ コンスタンティヌス(大帝となるまで) - Notae ad Quartodecimani

コンスタンティヌスの息子でローマ帝国東部の後継者となったコンスタンティウス2世(位337-361)は、コンスタンティヌス2世、コンスタンス1世との三兄弟で帝国の三分割統治を始めたが、兄弟が争い反乱も多発し、353年に単独統治者となる。アリウス派を偏愛し、ニカイア派の司教たちを追放した。猜疑心が強く少なくない近親者も犠牲になっている。最後はユリアヌス討伐の陣中で病没し、その際にユリアヌスを後継とした。

コンスタンティウス2世を継いだ甥で後継者ユリアヌス(背教者)は、コンスタンティヌスの改宗後、キリスト教を拒絶した唯一の皇帝であり、最後の「異教徒皇帝」ともされる。自らを「ヘレネ」と称し、ヘレニズム宗教の諸形態を支持して宗教的多様性の復活を奨励することで、キリスト教会の分裂と影響力の弱体化を企てた。

ユリアヌス(位361-363)はローマの伝統的な宗教崇拝とユダヤ教を擁護し、さらに様々な非正統派キリスト教宗派や分裂運動に対する寛容を宣言した。ユリアヌスの後継者ヨウィアヌスはキリスト教徒であったが、在位期間はわずか8ヶ月で、コンスタンティノープル市内に入ることはなかった。ヨウィアヌスがコンスタンティノープルへの帰還途中にガス中毒で事故死したため、軍はニカイアで後継の皇帝を選ぶことになった。

 

ウァレンティニアヌス朝

軍は実務経験のある優秀な軍人を後継者にすることを望んだ。こうして白羽の矢が立ったのが当時43歳の将軍ウァレンティニアヌスであった。女系ながらコンスタンティヌス朝の諸皇帝とは血縁関係にあるウァレンティニアヌス大帝が364年にコンスタンティウス2世からユリアヌス、ヨウィアヌスを経て帝位を継承した。東ローマ帝国には、弟のアリウス派のウァレンスを任命した。こうしてウァレンティニアヌス朝が始まり四世紀の後半を占める。

 

379年、ウァレンスの後を継いでテオドシウス1世が即位した頃には、帝国の東半分ではアリウス派が広く信仰されていた一方、西半分では依然としてニカイア派が堅固な信仰を維持していた。ヒスパニア生まれのテオドシウス自身もニカイア派キリスト教徒であり、非常に敬虔であった。8月、西ローマ帝国のグラティアヌス帝は西ローマ帝国における異端者迫害を推進した。

 

グラティアヌス;359年4月18日 - 383年8月25日)は、西ローマ帝国の皇帝で、367年から383年まで在位した。ウァレンティニアヌス1世の長男であるグラティアヌスは、幼少時にアウグストゥスの位に上げられ、375年の父の死後西ローマ帝国を継承した。グラティアヌスは、幼い異母兄弟であるウァレンティニアヌス2世と名目上は共同で政治を行い、ウァレンティニアヌス大帝の死後、異母弟ウァレンティニアヌス2世もパンノニア皇帝として奉じられた。ウァレンティニアヌス2世の宮廷はメディオラヌムに置かれたが、実際の政治は幼いウァレンティニアヌス2世に代わって母ユスティナやメロバウデス、バウト、リコメルといったフランク人の老臣たちが行った。

東ローマ帝国は叔父のウァレンスが統治したが、378年のハドリアノポリスの戦いの後にグラティアヌスの要請によりテオドシウス1世が継承した。熱狂的なアリウス派の信徒であるウァレンスがこのような不名誉な死を遂げたことが伝わると、弾圧されていたアタナシウス派(三位一体派)は歓喜したといわれる。


グラティアヌスはその後ライン川を渡る作戦を率いてレンティエンス族を攻撃し、部族を降伏させた。同378年、東ローマ皇帝ウァレンスがアドリアノープルの戦いでゴート族と戦って戦死したため、グラティアヌスは379年にテオドシウスを後継者に据えた。グラティアヌスは伝統的なローマの宗教よりもニカイア・キリスト教を支持し、三皇帝共同の名で380年のテッサロニキ勅令を発布して最高神父の職を拒否し、ローマ元老院のキュリア・ユリアから勝利の祭壇を撤去した。ローマ領ガリアのイゼール川沿いの都市クラロは彼にちなんでグラティアノポリスと改名され、これが後にグルノーブルへと発展した。383年、簒奪者マグヌス・マクシムスの反乱に直面したグラティアヌスは、ルテティア(パリ)に向けて軍を進めた。彼は敗走してルグドゥヌムに逃亡したが、後に殺害された。
グラティアヌスは369年にゲルマニクス・マクシムスとアラマンニクス・マクシムス、フランキクス・マクシムスとゴティクス・マクシムス の勝利の称号を与えられた。

 

グラティアヌス帝からマルキアヌス帝までの皇帝は、自らを「名誉ある神官」を意味するポンティフェクス・インクリュトゥス(pontifex inclytus )と称した。ローマの司教が最高神官(pontifex maximus)の称号を採用したのはルネサンスになってからである。

 

マグヌス・マキシマス

グラティアヌスからの皇位簒奪者マグヌス・マキシマス388年8月28日没)は、383年から388年まで五年間、西ローマ皇帝であった。

グラティアヌスからの皇位簒奪者マグヌス・マキシマス388年8月28日没)は、383年から388年まで西ローマ皇帝であった。西ローマ皇帝グラティアヌスは、多くのアラン人を護衛として迎え入れ、ローマ市民を犠牲にしてこれらのイラン語を話す外国人を優遇したとして非難された。383年、不満を抱いたローマ軍はグラティアヌスに代わりマクシムスを皇帝に宣言した。彼はグラティアヌス帝から帝位を簒奪し、後にはグラティアヌスの弟ウァレンティアヌスⅡ世に対して387年にイタリアへ侵攻し388年にテオドシウスⅠ世に敗北した。

マキシムスは帝国樹立の野望を追求するため、ブリトン軍の大半を率いてガリアへ向かった。 パリ近郊で5日間の小競り合いの後、マキシムスはグラティアヌスを破ったが、グラティアヌスは戦場から逃走し、 383年8月25日にリヨンで戦死した。マクシムスによってグラティアヌスが殺害されると、グラティアヌスによって帝国東方へ派遣されていたフランク人の将軍バウトが東帝テオドシウス1世の軍団を率いてイタリアへと引き返し、マキシムスと対陣した。

イタリアへの遠征を続けていたマキシムスは、わずか12歳のウァレンティニアヌス2世の打倒を阻止しようとしたが、強力な軍勢を率いるバウトが彼を阻止しようと現れた。384年にはミラノ司教アンブロシウスの介入を含む交渉が行われ、ウァレンティニアヌス2世とテオドシウス1世との間で和平が成立し、同時にマキシムスは西ローマ帝国におけるアウグストゥスとして認められた。
マクシムスはガリアのアウグスタ・トレヴェロルム(トレヴェス、トリーア)を首都とし、ブリタニアガリア、スペイン、アフリカを統治した。彼は貨幣を発行し、ガリアの属州制度を再編する数々の勅令を発布した。
マクシムスは異端者を厳しく迫害した。プリスキリアヌスと6人の仲間が異端の罪で処刑されたのは彼の命令によるものであったが、マクシムスが実際に告発したのは魔術の使用に関するものであった。聖アンブロシウスやトゥールの聖マルティヌスといった著名な聖職者たちは、世俗権力が教義問題に介入することに抗議したが、処刑は執行された。
452年のガリ年代記は、プリスキリアヌス主義者を「マニ教徒」と表現している。これはディオクレティアヌス帝の治世下で既にローマ法で非難されていたグノーシス主義の異端であり、マグヌス・マクシムスが彼らを「最大限の熱意をもって捕らえ、根絶した」と記している
マクシムスは、おそらく384年の春から387年の夏の間に書かれた、ウァレンティニアヌス2世に宛てた脅迫状の中で、アンブロシウスとニカイア信条の信奉者に対するウァレンティニアヌスの行動について不満を述べ、次のように書いている。「尊敬すべきあなたの平静さは、神自身が確立し、人々の心に一度根付いた宗教が、根こそぎにされることがあるとお考えなのでしょうか?」これは「カトリック法の混乱と激動」に対する反応である。
逆に、ローマのキリスト教徒がユダヤ教の会堂を焼き払ったことを非難したマクシムスの387/388年の勅令は、人々が「皇帝がユダヤ人になった」と叫んだとアンブロシウス司教によって非難された。

 

383年頃、マクシムスはブリタンニアのローマ軍団によって皇帝として宣言された。皇帝となったマクシムスは息子フラウィウス・ウィクトル(英語版)を共同皇帝とし、ブリタンニアの軍団を引き連れてガリアへ侵攻すると、ルグドゥヌムにて西帝グラティアヌスを捕らえて処刑した

西ローマ皇帝グラティアヌスは、多くのアラン人を護衛として迎え入れ、ローマ市民を退けてこれらのイラン語を話す外国人を優遇したとして非難された。383年、不満を抱いたローマ軍はグラティアヌスに代わりマクシムスを皇帝に宣言した。しかしゾシムスは、マクシムスがテオドシウスが皇帝になったのに自身が昇進しなかったことに憤慨し、グラティアヌスに対する反乱を扇動したと描いている。

彼はグラティアヌス帝から帝位を簒奪し、グラティアヌスの弟ウァレンティアヌスⅡ世に対して387年にイタリアへ侵攻し388年にテオドシウスⅠ世に敗北した。

 

マキシムスは帝国樹立の野望を追求するため、ブリトン軍の大半を率いてガリアへ向かった。 パリ近郊で5日間の小競り合いの後、マキシムスはグラティアヌスを破ったが、グラティアヌスは戦場から逃走し、 383年8月25日にリヨンで戦死した。

しかし大テオドシウスの子であるテオドシウス1世にはマクシムスと争う意思がなかったようで、テオドシウスはミラノ司教アンブロシウスを調停役としてマクシムスと和議を結んだ。さらに翌384年にはテオドシウス自らイタリアへと赴き、マクシムスを共同皇帝と認めるようグラティアヌスの異母弟ウァレンティニアヌス2世を説得した

 

384年にはミラノ司教アンブロシウスの介入を含む交渉が行われ、ウァレンティニアヌス2世とテオドシウス1世との間で和平が成立し、マキシムスは西ローマ帝国におけるアウグストゥスとして認められた。
マクシムスはガリアのアウグスタ・トレヴェロルム(トレヴェス、トリーア)を首都とし、ブリタニアガリア、スペイン、アフリカを統治した。彼は貨幣を発行し、ガリアの属州制度を再編する数々の勅令を発布した。


マクシムスは異端者を厳しく迫害した。プリスキリアヌスと6人の仲間が異端の罪で処刑されたのは彼の命令によるものであったが、マクシムスが実際に告発したのは魔術の使用に関するものであった。聖アンブロシウスやトゥールの聖マルティヌスといった著名な聖職者たちは、世俗権力が教義問題に介入することに抗議したが、処刑は執行された。
452年のガリ年代記は、プリスキリアヌス主義者を「マニ教徒」と表現している。これはディオクレティアヌス帝の治世下で既にローマ法で非難されていたグノーシス主義の異端であり、マグヌス・マクシムスが彼らを「最大限の熱意をもって捕らえ、根絶した」と記している
マクシムスは、おそらく384年の春から387年の夏の間に書かれた、ウァレンティニアヌス2世に宛てた脅迫状の中で、アンブロシウスとニカイア信条の信奉者に対するウァレンティニアヌスの行動について不満を述べ、次のように書いている。「尊敬すべきあなたの平静さは、神自身が確立し、人々の心に一度根付いた宗教が、根こそぎにされることがあるとお考えなのでしょうか?」これは「カトリック法の混乱と激動」に対する反応である。」
逆に、ローマのキリスト教徒がユダヤ教の会堂を焼き払ったことを非難したマクシムスの387/388年の勅令は、人々が「皇帝がユダヤ人になった」と叫んだとアンブロシウス司教によって非難された。

 

 

テッサロニキ勅令

380年2月27日、グラティアヌス帝、ウァレンティニアヌス2世、テオドシウス帝はテッサロニキ勅令を発布した。この勅令により、ニカイア・キリスト教キリスト教の唯一の合法形態とされ、他のすべての宗派は非合法とされた。 これにより、ユリアヌス帝の死後、広く信じられていた宗教的寛容の時代が終焉を迎えた。

テサロニケ勅令(ギリシア語:Διάταγμα της Θεσσαλονίκης)は、380年2月27日にテオドシウス1世によって発布され、ニカイア・キリスト教ローマ帝国の国教会とした。この勅令は、アリウス派などの他のキリスト教の信条を「愚かな狂人」の異端として非難し、それらを処罰することを認可した。

テオドシウス帝がコンスタンティノープルを帝都とするために住民を鎮圧しようとしたこの勅令は、その前文においてキリスト教徒であるローマ皇帝が宗教的正統性として何を認めるかを明確に定義した、世界初の世俗法として知られ、異端者とみなされる反体制派に対する弾圧の道を開きました。テッサロニキ勅令は後にテオドシウス法典第16巻に組み込まれ、ローマ帝国の公式キリスト教化における画期的な出来事となりました。

 

 

クィントゥス・アウレリウス・シンマクス

345ca-402 (クィントゥス・アウレリウス・シュムマクス・シグノ・エウセビウス)
ローマの政治家、弁論家、文人であった。373年には執政官アフリカの総督、384年と385年にはローマの都市長官、391年には執政官を歴任した。シュムマクスは、貴族がキリスト教に改宗していた時代にローマの伝統的な宗教を保存しようと努め、フォルム・ロマヌムにあったローマ元老院の主要会合場所であるクリアから勝利の祭壇を撤去せよというグラティアヌス帝の命令に抗議する代表団を率いたが、失敗に終わった。 2年後、彼はグラティアヌスの後継者ウァレンティニアヌス2世に有名な嘆願書を出したが、ミラノ司教アンブロシウスによって反駁された。

 

クリア・ユリア
クリアとは「集会所」
フォルム・ロマヌムに建てられた元老院議事堂の3代目の建物である。共和政ローマ時代の末、ガイウス・ユリウス・カエサルがスッラが建てた先代の議事堂クリア・コルネリアを取り壊し、フォルム北西部のコミティウムに、議員の待合室や記録保管庫と共に、向きを変えて建て直したもので、アウグストゥスが完成させ、紀元前29年8月28日、タレントゥムからウィクトーリア像を移して奉献した。
後81年から96年に掛けて第11代皇帝ドミティアヌスにより改築され、283年の火災の後、284年から305年に第51代皇帝ディオクレティアヌスにより改築されている。

キュリア・ユリアの内部における2つの大きな特徴は、勝利の祭壇と印象的な床である。
ユリアにある勝利の祭壇は、元老院の役割が縮小したにもかかわらず、ローマ軍の永続的な優位性を証明している。

ホールの奥には「勝利の祭壇」があり、テオドシウス当時のキリスト教詩人プルデンティウスによれば勝利の擬人化であるヴィクトリア像が地球儀の上に立ち、花輪を差し出していた。この祭壇は、ローマの軍事的武勇、特に紀元前31年のアクティウムの海戦におけるアウグストゥス自身の勝利を祝うために、教皇庁に設置されました。この祭壇は、キリスト教の台頭後、古代ローマの異教の伝統に対する一般的な反発の一環として、西暦384年に撤去された。

ブルディンティウスの*Libri contra Symmachum(「シンマクスを駁す書」)は、異教徒の元老 院議員シンマクスが、グラティアヌスによって撤去された勝利の祭壇を元老院議事堂に戻すよう要求したことに反対している。

 

387年、マクシムスはウァレンティニアヌス2世をミラノから追い出すことに成功した。ウァレンティニアヌスはテオドシウス1世のもとへ逃亡し、二人は東から侵攻した。リコメレスら将軍率いる軍勢は、388年7月から8月にかけてマクシムスと戦った。マクシムスはポエトヴィオの戦いで敗北し 、アクイレイアへ撤退した。一方、マルコメルス率いるフランク族は、この機会を捉えて北ガリアに侵攻し、マクシムスの立場をさらに弱体化させた。

マクシムスの騎士長であり、グラティアヌス帝を暗殺したアンドラガティウスはシシア近郊で敗れ、マクシムスの弟マルケリヌスはポエトヴィオで戦死した。

 

387年、マクシムスはウァレンティニアヌス2世をミラノから追い出すことに成功した。マクシムスはテオドシウス1世とウァレンティニアヌス2世からブリタンニアガリア、ヒスパニア、アフリカの統治権を認められたが、それに飽き足らず、387年に突如としてウァレンティニアヌス2世をイタリアから追放して強引にイタリアをも支配下に置いた。ウァレンティニアヌス2世はテッサロニキのテオドシウス1世のもとへと逃亡し、当時15歳前後であった妹のガッラをテオドシウスに差し出すことでテオドシウスにマクシムスと戦うことを約束させた。二人は東から侵攻した。リコメレスら将軍率いる軍勢は、388年7月から8月にかけてマクシムスと戦った。マクシムスはポエトヴィオの戦いで敗北し 、アクイレイアへ撤退した。一方、マルコメルス率いるフランク族は、この機会を捉えて北ガリアに侵攻し、マクシムスの立場をさらに弱体化させた。

マクシムスの騎士長であり、グラティアヌス帝を暗殺したアンドラガティウスはシシア近郊で敗れ、マクシムスの弟マルケリヌスはポエトヴィオで戦死した。
テオドシウスがリコメルやアルボガストらを率いて侵攻してくると、マクシムスはテオドシウスをパンノニアで迎え撃ったが立て続けに敗れてアクイレイアへと逃亡し、マクシムスの騎士長であり、グラティアヌス帝を暗殺したアンドラガティウスはシシア近郊で敗れ、マクシムスの弟マルケリヌスはポエトヴィオで戦死した。間もなく捕らえられて388年8月28日に処刑された。

マクシムスの処刑後、元老院ではマクシムスに対するダムナティオ・メモリアエが決議された。マクシムスが妻を持っていたことはトゥールのマルティヌスの記録により確実視されているが、彼女の名前や、彼女がどうなったのかは不明である。テオドシウスはマクシムスの軍を破り、事実上、帝国の統一支配権を再建した。

 

388年ウァレンティニアヌス2世が復帰した後もテオドシウスは西ローマ帝国の首都メディオラヌムに留まった。ウァレンティニアヌス2世の住処はヴィエンヌへと移され、西ローマ帝国の高官はテオドシウスの腹心へと次々に入れ替えられていった。ウァレンティニアヌスの名で発行されたコインの裏面にはテオドシウスの肖像が描かれ、誰が帝国の真の支配者であるかを仄めかした。テオドシウスは彼の忠臣であるフランク人の将軍アルボガストを軍司令官に任じて西ローマ帝国を任せ、391年に東ローマ帝国へと帰国した。

ウァレンティニアヌス2世は成長するにつれ自身がテオドシウスの傀儡であることに不満を持つようになった。アルボガストはテオドシウス個人に対してのみ忠誠を誓っており、ウァレンティニアヌスに対しては主人のように振る舞った。ウァレンティニアヌスがアルボガストを降格しようとすると、アルボガストは「私を任命したのは、あなたではない」としてこれを退けた。ウァレンティニアヌス2世はテオドシウスに苦情を申し立て、テオドシウスはアンブロジウスを調停に向かわせたが、392年5月15日にヴィエンヌの住いの梁にぶら下がっているウァレンティニアヌス2世の姿が発見された。自殺か他殺かについては意見が分かれている。

 

 

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アムブロジウス人物補足メモ - Notae ad Quartodecimani

 

 

 

 

 

 

 

 

「闇の支配」 ルカ22:53

・『闇の権威』

Lk22:53『今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である』

καθ’ ἡμέραν ὄντος μου μεθ’ ὑμῶν ἐν τῷ ἱερῷ οὐκ ἐξετείνατε τὰς χεῖρας ἐπ’ ἐμέ,

ἀλλ’ αὕτη ἐστὶν ὑμῶν ἡ ὥρα καὶ ἡ ἐξουσία τοῦ σκότους.

[ἐξουσία] エクソーシア fs 権威・主権 

なぜ主要な日本語訳は「支配」や「力を振るう」などと意訳するのか?

口語訳、新改訳、新共同訳、岩波委員・・

 

 

・Mr13:33-37 『 13:33 気をつけて、目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである。
 13:34 それはちょうど、旅に立つ人が家を出るに当り、その僕たちに、それぞれ仕事を割り当てて責任をもたせ、門番には目をさましておれと、命じるようなものである。
 13:35 だから、目をさましていなさい。いつ、家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、にわとりの鳴くころか、明け方か、わからないからである。
 13:36 あるいは急に帰ってきて、あなたがたの眠っているところを見つけるかも知れない。
 13:37 目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、すべての人々に言うのである」。』

 

門番であれば、主の臨在に先立つ存在であるので、これは聖徒ばかりを指すわけではない。これは信仰者全体に対する下命であり、聖徒は聖霊降下後に、彼らには別の意味で警護しているべき契約がある。

エスは信仰者に向けて聖霊の奇跡でも起こったら腰を上げろとはけっして言い得ない。闇の権威の中から灯火を見ているべき理由がある。『暗闇の中で灯火は消えていない』とはそのような支えのためであると思われる。

 

終末に入る前に、必須とされる行動があるに違いなく、それはシオンに連なるものであるに違いない。

だが、そのように目覚めているような行動を起こすためには、それなりの信仰を要し、世の暗闇の中でも何事かに注目している状態にあるに違いない。殊にパスカはなおざりにすべきでないのは、婚礼からの主人を待つ他の例えと併せて考えるなら、その蓋然性は否定できるものではない。

行おうを思っても行えない者があり、行おうと思っても注意が不足する者あり、行っても要旨を誤解している者あり、「見張っている」というのは、パスカ一つ捉えるにもけっして易しくはない。ただパンさえ焼ければ良いと思っているなら、「儀式の罠」に陥るし、重大性を弁えていなければ何事も無益なままである。但し、弁えていても出来なかった者が居ることは理解されるべきではある。そこに不注意や慢心や安易な諦めが無いならばではあるが。このことを考えると集団で行うパスカも有意義ではあるし、パウロは集団で行うパスカに言及している。

 

・この世での平和は権力なくして有り得ない。

この世の実相は闇であり、平和は銃口から生じる。

本来、その平和とは真に平和ではない。

なぜ、戦争が無くならないかを問うのは実は愚かしい。

 

 

 

 

 

 

 

背教と携挙

2The2:1『参集』[ἐπισυναγωγῆς]「名)属女単 集められること、集会、一緒の集まり」

「パルーシアとエピシュナゴーゲースについて」

Mk13:27[καὶ τότε ἀποστελεῖ τοὺς ἀγγέλους καὶ ἐπισυνάξει τοὺς ἐκλεκτοὺς [αὐτοῦ] ἐκ τῶν τεσσάρων ἀνέμων ἀπ’ ἄκρου γῆς ἕως ἄκρου οὐρανοῦ.]

[ἐπισυνάω]集める

「そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集める

1The4:17 「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいる」

Act8:39 「主の霊がフィリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった」

[ὅτε δὲ ἀνέβησαν ἐκ τοῦ ὕδατος, πνεῦμα κυρίου ἥρπασεν τὸν Φίλιππον καὶ οὐκ εἶδεν αὐτὸν οὐκέτι ὁ εὐνοῦχος, ἐπορεύετο γὰρ τὴν ὁδὸν αὐτοῦ χαίρων. ]

⇒ 'αρπαζω  ハルパゾー 奪い取る

 

2The2:3「なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ない」

[ ὅτι ἐὰν μὴ ἔλθῃἀποστασία πρῶτον καὶ ἀποκαλυφθῇ ὁ ἄνθρωπος τῆς ἀνομίας, ὁ υἱὸς τῆς ἀπωλείας,]

[ἀποστασία]名)主女単 背く

 

◆所見

使徒らの文書は聖徒を中心に語り、信徒をほぼ度外視している。そのため非常に誤解を招く記述が続いており、恰もその誤謬を誘っているかのようである。即ち、キリスト教界は陥るべくして現状が在り、これは聖書記述によって、ほとんど矯正不能にされている。これはどうしようもない。

神が人を裁くためにキリスト教界は利用されているのであり、これはもはや動かし難い。従って、自分たちは集められるとか、救われるとか信じ込むことで、背教の担い手が既に召集されているに等しい。キリスト教とはこうも恐ろしい宗教であったのか。

 

 

2The2:8 「その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の顕現によって滅ぼす」*日本語訳に問題あり

[καὶ τότε ἀποκαλυφθήσεται ὁ ἄνομος, ὃν ὁ κύριος [Ἰησοῦς] ἀνελεῖ τῷ πνεύματι τοῦ στόματος αὐτοῦ καὶ καταργήσει τῇ ἐπιφανείᾳ τῆς παρουσίας αὐτοῦ,]

 

携挙を唱える派では空中再臨と地上再臨とを分け、前者は「良いクリスチャンが天に召されキリストに迎えられる」とし、後者を地上の裁きを行い不法の人を無に帰させると教える。

前者は召される者を「患難時代」から逃避させるてめであるとし、後者はその後の裁きであるとしている。

だが、前者は迫害を忍んだ聖徒らの天界への召しであり、後者は地上へのメシアの現れではなく臨在の権限としての背教してこの世への裁きである。

厄介なのは、時間経過だけは整合していることであり、その内容が異なっている。

 

終わりの日の背教は、聖徒の現れ有って後の独麦のような脱落者からのものであり、迫害に妥協する者らが世と野合して権勢を得た後のものである。

これをダニエルは「ペシャ」と呼んで聖徒の滅ぼしに関して要所に使われている。

 ⇒ 「天の軍勢」

 

ここは「背教」から説明して方が理解され易いようだ。

 

携挙が信じられ称揚される誘因には、自己保存本能があるらしい。

患難を逃れキリストの許に挙がられるとすれば、何の苦労も試練もないことになるうえ、聖徒を支持するでもなく、神の側に着くような忠節な行動が善良で敬虔であることに置き換えられている。

これは裁きに面するに当たり何の忠節さも示して居らず、地上再臨を説いているところでは偽キリストを支持するよう既に誤導されている。

終末の背教はこれらを信じる人々を支持の中核とするように観察される。

これは危険が大きいが、それも罠であるならその趨勢は動かしようがない。

やはり、聖書は誤解を与えて最悪の役者を召喚するところは初臨のユダヤと変わらない。むしろ、次回はユダヤ教徒キリスト教徒は神殿を巡り宗教合同を起こすのであろう。

 

・ 空気、空中と訳される[ἆηρ]には、風[ανεμος]や雲 [νηφελη]の領域であるという。

-abarim出版の聖書辞典-これは敷衍して世の霊や社会潮流をも指すと

だが、ここで「雲」が出てくるのはRev11:15について非常に暗示的

 

 

 

「この世」はイエスを見る

 

 

 『子らよ、わたしはまだ暫くあなたがたと共に居る。あなたがたはわたしを捜すだろうが、既にユダヤ人らに言ったとおり、今あなたがたにも言う、「あなたがたはわたしの行く所に来ることができない」』。ヨハネ13:33

 

 もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。ヨハネ14:19

 

 わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。ヨハネ第一3:2

 

わたしたちはみな、顔覆いなしに、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。コリント第二3:18

 

平和と神聖さを追い求めよ、それなくして主を見ることはない。ヘブライ12:14

 

わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。ヨハネ20:29

 

◆所見

再臨のイエスは『雲』と共に来るのであって、『世はもはやわたしを見ない』、見える者が現れるなら、『見よ!ここを、とか、そこを、と言う者』であり『ついて行ってはならない』、肉で現れるキリストは偽者であり、アダムの贖いを行っていないことになり、そのうえ地上の『神の神殿』に座するなら『不法の人』以外にない。いまさらユダヤ教徒と共に動物の犠牲を捧げるなら、それはキリストの贖いの否定である。

再臨のイエスを見てユダヤ教徒が改宗するなら、律法祭儀の必要はなく第三神殿の意味も無いはずだが、霊的蒙昧の中にいる大半の「クリスチャン」は歓呼してこのアンチクリストを迎え入れる以外ないことになる。即ち、ユダヤ教徒は正しくキリスト教を受け入れるわけではなく、第三神殿建立の目出度さに押されるような仕方でキリスト教側もそれを祝ってしまうであろう。そこで、宗教合同の大儀が強調され、イスラムも妥協を求められ、危うい宗教的和平と宗教の大合同が提唱される。その主賓はアンチクリストであり、「究極の偶像」となる。新約聖書、わけても黙示録にまで偶像崇拝の危険が喚起される道理がここにある。

一般大衆はこの雰囲気に飲まれ、平和を称揚して聖徒が主張していた原理と対立し、最終的にシオンとの対決に至るのが既に見えている。

この点で、人々は暢気に過ぎる。たとえこれらの先見についての知識を得てすら、大半は「そうなったら行動しよう」として、単なる傍観者となるであろう。それは『心の無感覚さの表れであり、悟って癒されるということのないためである』。当然シオンに加わるには中立的に過ぎる。『信仰』というものを「知識の把握である」と勘違いしているからであり、これは神の裁きである以上、どうにもならない。

たしかに『信仰』を働かせる間口は広げられてはいるが、だからと言って緩いわけではない。そこを誤解して振るい落とされるのが先に知識を得た者への罠であろう。

しかし、あまり明解にこれを語らない方が良いのかも知れない。裁かれる者は裁かれなくてはならず、警告しても無駄に終わる。それを考えると聖徒ばかりでなく、人類の裁きにも峻厳たるものがある。

 

 

・終末のキリスト教界の動向;地上に現れる肉のメシアを受け入れ、ユダヤ教イスラムと共に結束してペシャに加担するが、何らかの事でアポスタシアとは逸れてゆき、内部でも分裂が起こる。以降、衰退が急激に進み、他宗教と共に公権力によって突然に解体される。

不明な点は、アポスタシアとどのように分裂するか。