Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

激動の第四世紀

始まりと終わりでまったくキリスト教の姿が異なる

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303ディオクレティアヌスの禁令の開始
304アレラーテ会議
306コンスタンティヌス一世即位
311この頃ウルフィラス生
312ミルウィウス橋の戦い
312コンスタンティヌス一世西正帝、東正帝はリキニウス
313メディオラヌム勅令
314シルウェステル一世教皇
315ヒラリウス生
316マルティヌス生
321コンスタンティヌスの日曜安息令
324コンスタンティヌス一世唯一帝
324セルディカ会議
325ニケアー会議
328アタナシオス叙階
330ビザンティオンに遷都
335アタナシオス第一回追放
336マルクス教皇
336アレイオス逝去
337コンスタンティヌス一世崩御
337コンスタンティウス二世即位
337アタナシオス恩赦で帰還
337ユリウス一世教皇
339カエサレイアのエウセビオス逝去
339アタナシオスローマに逃れる
340ヒエロニュモス生
340c.アムブロジウス生
341ローマ会議
341アンティオケア会議
343サルディカ会議
345アレクサンドレイア司教グレゴリウス逝去
345アタナシオス帰還
345アキュレイアのルフィヌス生
347テオドシウス生
348ウルフィラスがゴート語への聖書翻訳を始める
350ヒラリウス叙任
350コンスタンス帝暗殺
350ユリウス教皇薨去
352リベリウス教皇-366
354アウグスティヌス
355メディオラヌム会議
355メディオラヌムディオニュシオスの追放
355アタナシオス第三回追放エジプトの隠修士の中に逃亡
356ベジエ会議
356ヒラリウスの追放
356アムブロジウスはメディオラヌムに赴任
354シンマクス首都長官就任
357この年以前にアタナシオスはアントニオスの「伝記」を著す
359アルミニウム会議
359セレウケイア・リミニ会議
359グラティアヌス生
360コンスタンティノープル会議
360アタナシオスは大バシレイオスと会い昵懇
361コンスタンティウス二世の崩御 
361ヒラリウスの帰還 
361マルティノスがリグージュでアベイ建設
362アタナシオス帰還
362アレクサンドレイア会議
362アタナシオス第四回目の追放再びエジプトへ逃亡
363ユリアヌス帝の戦死
363アタナシオス恩赦で帰還、直ぐに追放、四か月で帰還
364ウァレンティアヌス西帝即位、東帝はウァレンス
365地中海東部の地震チュニジアネアポリス水没 7/21
366教皇リベリウス薨去、ダマシウス教皇
367ヒラリウス逝去
371マルティノス、トゥールで叙任
371ヴァレンティアヌスⅡ世、メディオラヌムで誕生
373アタナシオス没
374メディオラヌムのアウクセンティウス逝去
374アムブロジウス叙任
374cヒエロニュモス東方へ旅立
375西帝ウァレンティアヌス薨去グラティアヌス西帝
376西ゴート族がドナウを渡河し帝国に侵入
379大バシレイオス没
387ハドリアノポリスの大敗でウァレンス帝戦死
378ヒエロニュモス叙階
378アルゲントヴァリアの戦い
379テオドシウス副帝
379グラテイアヌス帝のメディオラヌム行幸
379カッパドキアのバシレイオス没
380カトリック勅令
380グラティアヌス帝は最高神祇官職を放棄
381アキュレイア会議
381コンスタンティノープル合同会議
381ローマ市内から異端を追放
382ヒエロニュモス、ローマに移る
382コンスタンティノープル補足会議
383グラティアヌス帝暗殺
383ウルフィラス没
384アウグスティヌスメディオラヌムに着任
384ダマシウス薨去、シリキウス教皇
384ヒエロニュモス、エルサレムに移る
385皇太后ユスティナのメディオラヌム介入
386ドロストルムのアウクセンティウスの訴え
386ヒエロニュモス、ベツレヘムに移りアベイ設立
387アウグスティヌス、息子と共に受浸
390テッサロニッキ暴動
390c.ナジアンゾスのグレゴリオス没
392ウァレンティアヌスⅡが弑逆される、テオドシウス唯一帝
393オリンピアードを中止させる
394ニュッサのグレゴリオス没
395テオドシウス帝崩御
395ローマ帝国の東西分裂 西ホノリウス 東アルカディウス
396アウグスティヌス、ヒッポで叙階
397アムブロジウス逝去


402ホノリウス帝、メディオラヌムからラヴェンナに遷都
403ボルレンティアの戦い
405ウルガタ訳の完成
408スティリコの処刑
410西ゴート族がローマを占領
415アレクサンドレイアのヒュパティアの処刑
420アウグスティヌス逝去
420ヒエロニュモス逝去



                                  • -

これほど見事に大役者らを揃えた世紀の舞台が欧州にあったろうか?
このような「傑作」は16世紀と19世紀が比肩できるくらいではないだろうか。



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