Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

終末預言の前後関係

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マタイとマルコの文章は似通ったもので、一連の時の流れは双方ともにつかみ辛い。その特徴は『その時』(τότε)という語に用法の曖昧さを逃れてはいないところにある。この語には「その時」のほかに「それから」また「その後に」の意味も持っているので、この語の前に存在する事態とその語の後の事態が同時に発生するのか、相次いで発生するのかの判別が難しい。

対してルカの記述は時間の流れに注意を向けている。
例えれば、国民と国民の戦い、地震、疫病、飢餓などに、聖徒たちの為政者への宣言が先立つことを明らかにしている。
この点、マルコ13:8-を見ると、『その時』(τότε)の語を挟んで接するふたつの事象の時間の流れは明瞭とは言えない。
マタイはこの点、記載されている章までが異なり時間軸を取ることさえ難しくなっている。

ルカは単に「その時」や「そして」という言葉を多用せず、「この前に」(προ δε τουτων)「同時に」('οταν δε)「その日」(ταις 'ημεραις)などを用いる仕方には時間の流れに対する配慮を見ることができる。

では、この違いをどうみるか。
マルコやマタイは、イエスの発言を書洩らすまいと、並置して述べるようなニュアンスがあり、ルカはそれらの語られた事象がどのような順番で起こるかに関心を向けていると見てよいようだ。(Luk1:3)
この点、ルカ書が時の順序について傑出したとしても、本人がそう述べている以上、この点での信頼性があって不思議もない。
それは他の場面でも証明されている。(22:21-22)

次に「艱難」(θλιψις)と「大患難」(θλιψις μεγλη)の区別は漢字での印象ほど分けられてはいないし、ルカは「大患難」の語を用いていないし、マルコも『二度と起きないような艱難』としている。

では、そのような「大患難」とも呼ばれるものが何を指すのかについては、いずれも明瞭ではない。

ただ、エルサレムの滅びにおいては、陥落と破壊を意味したと捉えることはできる。
そこで、対型的「世の滅び」については、いよいよという終末、古い天と地が過ぎ去り、その支持者が滅ぼし尽くされることを指すのではないか。

というのも、それ以上の破滅の理由がないと思えるからで、神は必要のない暴力を放たれたままにするとも思えない。

そこで、これらの預言に時間の流れの観点から見直すと、ルカだけでなく、ダニエル書、黙示録、そして預言者たちの記述をトータルに並べて、共通する順番をある程度は追うことができる。

こうして並べ変えると、全体像はマルコとマタイの福音書の預言そのままの順ではないながら、他と整合するところが接する。

終末預言の前後関係については21:12
Πρὸ δὲ τούτων πάντων ἐπιβαλοῦσιν ἐφ・ὑμᾶς τὰς χεῖρας αὐτῶν καὶ διώξουσιν, παραδιδόντες εἰς τὰς συναγωγὰς καὶ φυλακάς, ἀπαγομένους ἐπὶ βασιλεῖς καὶ ἡγεμόνας ἕνεκεν τοῦ ὀνόματος μου·[W&H]


Πρὸ δὲ τούτων πάντων ἐπιβαλοῦσιν ἐφ᾽ ὑμᾶς τὰς χεῖρας αὐτῶν καὶ διώξουσιν, παραδιδόντες εἰς τὰς συναγωγὰς καὶ φυλακάς, ἀπαγομένους ἐπὶ βασιλεῖς καὶ ἡγεμόνας ἕνεκεν τοῦ ὀνόματός μου·[NA27]


これらすべてのことの前に
として、戦争、地震、疫病、飢餓に対して、聖徒らの迫害や捕縛が先行することを明らかにしている。

20-24は第一世紀特有の事象と見なすことができる。
諸国民の蹂躙の対型は聖徒迫害の以前に終わるから

25-28は再び世の終末について述べている
「諸国民」が恐ろしい予想に気絶する時点については明瞭でないが、天に徴が現れていることからすれば、これはエピファネイア後を指す以外にないだろう。天が揺り動くとは、世の支配体制全体が崩壊を始めている状態を指しているだろう。

そうなると、最終的な処断が何かが見えてくる。
やはり黙示録の順序でよいようだ。ダーニエールも整合して論議を補強するので、まずは得心あり。他に反論を今のところ聖書中に見ない。


もしそうなら、これでチェックメイトに持ち込んだことになる
20世紀初頭から続き、数百万人を巻き込んだ「終末論」はこれで論旨を失う

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いずれにしろ時代はかなり煮詰まっているのだ。しかしこのまま聖書に無知な日本人が終末を迎えるとしたら、はたしてどんな惨状をみることになるのだろうか?主よ、この国にあわれみを!

ドクター・ルーク

このように理解を得る者が救われるとする宗派は多い。そこに優越感や慢心がある。



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