Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

信仰の類別

補填的基礎教理

新十四日派は
今日広くみられる西暦第四世紀のニケア会議以降のキリスト教より以前の原始キリスト教、特に第二世紀の小アジアに存在していた「十四日派」の再興を目指す

その教えは、最後の十二使徒ヨハネによって完成された当時のキリスト教を基礎とするもので、今日の多くの教会が「ギリシア=ローマ型」の教理であるのに対し、ヘブライの伝統の上に立脚する

しかし、その教えはまったくキリスト教であり、ユダヤ教やメシアニック・ジュウとも一線を画する


簡単に教理の特徴を挙げる

1.聖書は、全て聖霊によって霊感された神の言葉であり、全ての人の信仰の基礎である。
但し、聖書を余りに神聖視すれば、著者よりも著書に栄光を帰し、偶像化してしまい、それは律法偏重主義と変わるところがなくなってしまうので、逐語霊感説を採るものではない。

2.神は唯一絶対であり、全被造物の創造主として、全知、全能、永遠、である。
但し、天使や人間は『神の象り』に創られているので、神はそれぞれの意志を尊重し、全知性を制限されることがある。

3.唯一の創造の神は「独り子」を最初に創られ、他のすべてのものはこの「独り子」を通して創られた。この『独り子』は『大能の神』とも呼ばれている。

4.ナザレのイエス聖霊によって処女マリアより肉体を持って生まれ人と成られた。その教えはご自分が王となる王国の民たる『聖徒』たちの救いの真理であり、その『王国』は全人類を『罪』から救う手立てとなる。

5.キリスト・イエスの『魂』は人類の『罪』を贖う唯一の犠牲として捧げられ、三日目に霊に復活され、四十日後に天に帰られた。このイエスは神と人との仲介の働きをし、大祭司として従属の祭司たる『聖徒』たちを浄め、神の定め給う時に至ってこの世に聖霊も以って全地に臨在され、この世界を裁かれる。

6.キリストの約束された聖霊は、初期の弟子たちの注がれていたが第二世紀頃にキリストの不在の開始と共に一旦は引き上げられている。しかし、再び約束の聖霊が注がれるときに、キリスト教が浄められ、聖霊を受ける『聖徒』たちによって正しい教えが回復される。

7.イエスなる方こそ、こうして千年続く『神の王国』を立て、その『聖なる国民、王なる祭司』の民、『神のイスラエル』を率いて全人類の正義の支配と贖罪行うところのキリスト(任命された者)であられる。

8.磔の刑死により、まず『聖徒』たちの、次いで全人類の罪の『贖い』となって死なれ、三日目に復活された神の御子イエス聖霊によって証しする奇跡と言葉を信じ、キリストとして受け入れ、聖霊の明かす神の『御名』を呼び求める人は、信仰による義を受け、裁きにおいて救われる。

9.聖霊による満たし、その実と賜物の現れは、真実に聖霊を注がれた『聖徒』だけのものであり、初期キリスト教徒以来、現代においては未だだれも経験することの無い神の恵みである。

10.欲によって動かされるこの世の精神とは異なり、『愛の掟』は永遠の道徳律であり、神の創造のままの人間の持つべき精神であり、今日も信仰者の生活と行動の指針となるべきものである。



こうして補填すると、同じ型にはまってしまう

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しかし、こうした規定も参与者のアプローチによってすっかり違ったものになってしまう。それは個人毎に異なる。

思いつくままに挙げると

・保険投資型:将来への不安を処理しておくために
・家族幸福型:家族生活を幸福に送るためのものとして
・交友願望:グループに属して、そこでの交友を楽しみたい
・ハイクラス指向:より高度な解釈をするエリートを演出
・救済熱望:自分が救われるためにより確実と思えるものを探す
・不可抗力型:他に良いものが無いのでとりあえず信じる
・互助会型:相互扶助の実現を望む
・冠婚葬祭型:人生の節目をそれなりに迎えるために
鬱病:藁をもすがるために
・教理マニア:教理を理解することに快感を覚える
・義人演出:自分がきちんとした人間であることをアピールするため





では正しいと思われるところは何か
・神との関係を探りたい
・何のために生きるかを知りたい
・この世の悪の理由と解決はあるのか
・人の生と死の意味は何か
・人は隣人とどう生きるべきか
・人の悪の傾向の解消はできるのか









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