Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

教派紹介として書くと

・神とは全物質、事象またすべて霊の創造者である
・神存在は物質や事象を超え、客観的観察では証明できない
・現在のところ神そのものは信仰の中に存在するが経綸は聖典に確認できる
・神は唯一無二であって三位一体ではない
・すべての人は始祖からの倫理上の欠陥である『罪』を負う
・真理も正義も神の許にだけ有り、人は持たない
・神は人類を自らの創造物『子』として復帰させる意図を持つ



・キリストは天から遣わされたアダムに属さない霊者であった
・キリストは神が唯一創造した『独り子』であり『初子』である
・第二の存在であるキリストの忠節な愛によって神は神とされる
・キリストは神への忠節な愛を以って完全にされ神の栄光となった
・キリストは人類を『子』に復帰させる手立てである


・聖書の記述は不動であっても、完全無欠には書かれていない
・聖書は全てを開示しようとしておらず、全てを理解する人もいない
・古い言葉には意味不明のものあり、母音により複数に意味になる箇所もある
・古写本に異本もあり、聖書翻訳には意訳が避けられない
・聖書の目的は神の経綸の進展状況を記録し、一定の信仰を与える
・聖書に従っても是認される保証なく、正しい崇拝も生じない
・聖書には人々の内心を暴き出すよう書かれた箇所が罠のように存在する


・信徒は神の経綸を知り、そこに信仰を置き協働する者を指す
・信徒は『罪』を赦された状態にあるわけではない
・信徒は『救われた』状態に入っていない
・『信徒』は「信頼できる者」を含意する


・人の死は『罪の酬い』であり『罪』が贖われない限り永生はない
・人類全体の『罪』を贖罪するのは『神の王国』である
・永生に至らせるものは『愛』であり、永生は副次的産物である
・『愛』は『罪』の対極にある
・人は『罪』を悔いることはでき、それがメシア信仰を生む


・キリストは『大祭司』であり、まず従属の祭司団を贖罪した
・人類が贖罪されるために全祭司団『十四万四千人』が挙げられる
・祭司となる者は聖霊が注がれ『聖徒』となりキリストの業を行う
・『聖徒ら』は聖霊の注ぎによりキリストと共に『神の王国』を共同相続する
・『聖徒ら』に注がれる『聖霊』は彼らにキリストの奇跡の業を行わせる
・地上の『聖徒ら』は『新しい契約』に参与することで『罪』を仮贖罪されている


聖霊注がれる者は『新しい契約』に入り地上で試みられる
・キリストを退けた血統のイスラエルは既に契約も恩寵も無い
・『神のイスラエル』が『神の王国』であり、地を支配する
・『聖なる民』は未だ集められておらず『神の王国』は存在していない
・『神の王国』はキリストの臨御の後に千年間建てられる
・『神の王国』は現在までの諸政府に取って代わる


・本来エクレシアを構成するのは『聖徒ら』であり『キリストの肢体』とされる
・『聖徒ら』は聖霊の言葉を語り為政者と対峙し、それが地を揺さ振り聖霊信仰を起こす
・『聖徒ら』は終末に迫害により試みられ、脱落する者らが出て『背教』を起こす
・『聖徒ら』は『キリストの兄弟ら』であり聖霊信仰が人々を分ける
・地上で『主の晩餐』が行われている限り『聖徒ら』は天に召集されず、何らの支配もない
・『聖徒ら』は『キリストへの死のバプテスマ』を受け、肉の命に生きることを止める
・『聖徒ら』に先立って十二使徒らが二度目の聖餐に天界で与り、聖徒全体を裁く
・『聖徒ら』の昇天は終末最大の印となり、世界を震撼させるがこれは「携挙」ではない


 
irenaeus.blog.fc2.com



                                        • -