Notae ad Quartodecimani

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ゼカリヤ6:13の訳

Zec6:13

והוא יבנה את-היכל יהוה והוא-ישא הוד וישב ומשל על-כסאו והיה כהן על-כסאו ועצת שלום תהיה בין שניהם

LXX
καὶ αὐτὸς λήμψεται ἀρετὴν καὶ καθίεται καὶ κατάρξει ἐπὶ τοῦ θρόνου αὐτοῦ, καὶ ἔσται ὁ ἱερεὺς ἐκ δεξιῶν αὐτοῦ, καὶ βουλὴ εἰρηνικὴ ἔσται ἀνὰ μέσον ἀμφοτέρων.

NKJV
Yes, He shall build the temple of the Lord.
He shall bear the glory.
And shall sit and rule on His throne.
So He shall be a priest on His throne.
And the counsel of peace shall be between them both.

KJV
Even he shall build the temple of the LORD;
and he shall bear the glory, and shall sit and rule upon his
throne; and he shall be a priest upon his throne:
and the counsel of peace shall be between them both.




これがどうして以下のようになったのか?

口語訳
『すなわち彼は主の宮を建て、王としての光栄を帯び、その位に座して治める。その位のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間に平和の一致がある』。

新改訳
『彼は【主】の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、その王座に着いて支配する。その王座のかたわらに、ひとりの祭司がいて、このふたりの間には平和の一致がある。』

新共同訳
彼こそ主の神殿を建て直し/威光をまとい、王座に座して治める。その王座の傍らに祭司がいて/平和の計画が二人の間に生ずる。

これらに類する英訳
Todays English Version
He is the one who will build it and receive the honor due a king, and he will rule his people. A priest will stand by his throne, and they will work together in peace and harmony.


それにしても、代表的和訳が横並びとは・・

この違いが軽いものと思えるなら、その人はメルキゼデクが予表したキリストの意義も、「神の王国」の意味を知らないと云うことになるのでは?
だが、作られる金冠は一つだけに違いなく、ならばどうしてゼルバベルではなくエシュアの頭にそれを置かせたのか?
『新芽』とは別に祭司が居ると訳すのではなく、王座に在って大祭司となると解釈するべき理由は多く、強力である。

おそらく;ゼルバベルとエシュアの関連で判断したのではないか
しかし、金の冠を作らせ、それをエシュアの上に置かせたのは、大祭司職者に王権が降ることを予表している。この点で『新芽という者がいる』と言っているところでもはやメシアの象徴としての金冠であることは明白であり、しかもその『新芽』が神殿を建てると言われる。さらに建設が中断している段階で、それを神殿に保管せよと命じられている。これらは明らかに第二、また第三神殿を超える事象を指している。

もちろん、ゼルバベルの頭にその金冠を載せるなら、彼はペルシアに対して大逆罪を犯すことにはなった。
だが、とりあえずそれに影響されて大祭司に金冠が授けられたとみるべき理由はないであろう。なぜなら、ペルシアは神殿再建事業を推進させていたからである。
ただ、金冠の件が近隣のサトラップに知られるところとなるのには危険があったとも思われる。だが、金冠はエシュアの家にまず保管され、彼がそれを着けて出歩くことなどなかったであろう。その金冠は後のメシアが大祭司権の上に王権を重ねられることの象徴であったに違いない。

それであるから、この王位に就く者と大祭司とは同一人物と見るべきであり、既に前536年の春に神殿の礎石が置かれた後であるのに、ダレイオスの第二年になってから『新芽』と呼ばれる者が呼ばれ、その者が神殿を建て、神自身が礎石に彫り込みを行いそれは『七つの目』を持つと預言される。
これらはの事象はすべてメシアに当てはまる。『七つの目』とは全地を見る神の聖霊であることは黙示録に於いて犠牲の子羊と結びつけられ、神殿の礎石とはメシアの犠牲による義の完成であるので、新約は『隅の親石』としている。そのうえゼルバベルに相当する者が、礎石を据えた上で完成まで行うとも預言されている。これはメシアが自らの忠節の死によって達した義の完全性を担保として、従属の祭司らを神殿の素材として相応しい義の基準を与えることを意味している。この論議は新約のヘブライ人の第二章に明瞭に語られている。
また、新約聖書中の使徒時代にメシアは既に大祭司と呼ばれている。未だ大祭司権については、従属の祭司団を生み出すに至っていないが、犠牲の死により自らの大祭司の清めは終わった段階に入った。その大祭司が後にシオンで王権を得て、支配に乗り出すという聖書全巻の筋書きからすれば、大祭司に金冠を置くというのはまったく順当なことではないか。

ハガイ書が、第二神殿建設再開を促すと共に、その建設される神殿を超える神殿について預言しているように、ゼカリヤは更に踏み込んでメシアの天界の神殿について預言している。そのため、ゼカリヤ書の全体もその時代までの事柄に収まらず、分かったような解釈を施すことそのものに無理がある。






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