Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

ユダヤ教徒にとってのタルムード

モリス・アドラー Morris Adler ”The World of the Talmud”
引用とメモと所見
(括弧内は自問)

「タルムードは知恵と思いやりの心を授けてくれる宝庫であり、そこで正しいと認めている事柄を個人的、社会的生活の中でいかに行動的な力に移し変えるかという要求にかかわっている。」

「タルムードは不合理な程にほとんど知られず、非常に誤った判断をされてきた作品である。これまでタルムードは酷評され続け、発禁や焚書処分を受けてきた。その迫害の歴史は、これをつくりあげた人々が受けて来た迫害の歴史に匹敵するといわれている。タルムードを「死書」として葬ろうという試みは、固い意思のもので絶えず続けられてきた。迫害の理由は、タルムードがキリスト教の信仰と、この信仰を生み出した人々たちを冒涜するものだからだというのであった。そればかりか、キリスト教の信仰を守り続ける人々の堕落と非道を助長しているからだともいう。教義や律法は、タルムードのせいで、人間の悪魔的な想像力の限りを尽くした忌まわしいものだとされた。」


ナチスの哲学者と呼ばれる」アルフレート・ローゼンベルク”タルムードの不道徳性”

「西欧文明の伝承や文学の中で、パリサイ主義やパリサイ的ユダヤ教徒、パリサイ人といった言葉に今なお悪い連想がつきまとっている・・」「パリサイ主義の真の意味を理解しないで、形式的な律法主義、狭量性、独善主義、偽善、杓子定規的な法律厳守といった概念と同一視するようになったのは新約聖書に原因がある。」「西欧文明と切っても切れない関係をもつユダヤ人は、ともすると自分たちの背景についての、こうした何世紀にもわたる根深い誤謬を安易に受け継いで、犠牲者の身に甘んじてしまうことがある。そのようにすることは、知らず知らずのうちに、真実の歪曲に手を貸し、ユダヤ人としての自尊心に泥を塗ることになる。」
「十何世紀も前、一人の異教徒が偉大な賢者に、自分が「片足で立っていられる」程度の短い時間内にトーラーの定義を聞かせて欲しいと言った。すると「自分にしてほしくないことを人にするな。これがトーラーだ」という返事がかえってきた。」-このあと改行しただけでタルムードの解説が続く-(だが、トーラーとタルムードには雲泥の差があるのでは?)

「タルムードは63の項目から成り、そのうちで一人の著作者だけの手になるものは一篇もないのだ。」
「タルムードは、肯定的な言い方をするならば、その作成に要したおよそ一千年の間にユダヤ人たちが追求した知的、社会的、民族的、宗教的な活動の広範囲な記録である。」

「クリスチャンの学者(誰?)は次のように書いている。「パリサイ主義は理想を信仰の対象としているのに対して、キリスト教は理想とする一人の人間を信仰の対象としている」と。この「パリサイ主義」という言葉の代りに、もっと包括的な「ユダヤ教」という言葉を使えば、ユダヤ教キリスト教の基本的な違いをついたことになる」(新約聖書を書いたのはキリストの弟子たちであり、ネイヴィームが霊感を受けてそれぞれに預言書を書いたのと変わらないのでは?)ユダヤ教にはキリスト教の信仰の中心的人物のように崇められ神聖視されている人物はモーセを含めて存在しない。・・もしモーセが居なかったならエズラが律法を受けたであろう。

バビロン捕囚を解かれて国に帰ったエズラは仲間と共にトーラーの地位を高めることに心を砕いて、再建を願ったユダヤ的生活の最高の位置にあるものとした。『エズラは主の律法を探り、そして行い、イスラエルのうちに掟と法を教えることに専念した』(Ezr7:10)とある。この「探り」という翻訳されているくだりのヘブライ語「リドロッシュ」は「注解する」という意味でもある。トーラーには人々がさまざまな変化を受けた場合にも適切に対応できる機能性が備わっていることを示している。トーラーは注解によって拡大解釈が可能であり、このプロセスを表すヘブライ語は、エズラ記で使われた言葉の語源から派生している。そのプロセスがミドラシュ、即ち注解である。」
「こうして注解をはじめた人たちはソフェリームと呼ばれた。」「ソフェリームたちの真の目的は、聖書が行いと信仰の手引きとなって、その言葉や教えが善行とよい習慣を促し、善良な生活と気高いこころに導く力になるようにすることだった。聖書が共同体の生活と個人の生活にとって欠かせない、中心的な権威となることだけは少なくとも実現させたいと願っていた。」「ソフェリームが登場した時代はユダヤ人の生活に宗教の民主化と文化革命をもたらす先触れとなったのだ。」

「ソフェリームは聖書に書かれていることが、かならずしもすぐ実行に移せるとは限らなかったことを知った」「聖書は、本来が神の手になるものであったにもかかわらず、あいまいな箇所がいくつかあった。・・それを遵守する方法がわからないこともしばしばあった。何度も繰り返し出て来て、なぜそのように頻繁に出て来るのか理由が説明されていない場合もあった。またあきらかな矛盾がまったくないというわけでもなかった。聖典の場合、こうしたあいまいさや難しさを著者のせいにすることはできない。」「トーラーは生活の掟であり、彼らはその言葉を行いに移し変えることを意図していた。そのため成文化されたものに口伝の注解が補足されてモーセに伝えられたと言われている。はじめから、聖書には付録や注解が添えられていたのだ。(これは証明不可能、しかもミドラシュの内容の程度が余りにも低い) 聖書を実行に移すには、それに伴う口伝の詳しい内容に照らして考えなければ不可能なのである。トーラーには、そこに書かれた法律に従い、またその教えと言葉を充分に理解するのに必要な指示がはじめから組み込まれていたわけである。したがって、ソフェリームやその後を受継いだ人々は、自分たちが聖書に意味を加えたとは思っていなかった。」(この辺りには口伝弁護の筆者の感想と事実が暗に混じって書かれている)

例えれば
ユダヤ教の中心を成す「シェマ」の一節に、「さらにこれをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に着け、あなたたちの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい」(申命6:8-9)この「印」という「レトタフォット」という原語の正確な意味は当時もわからなかったし、今もあまりはっきりしない。このように意味のわからない言葉をどうやって実行に移せたか?それはどんなものでどうやって作るのか?この例をみれば注解が必要とされた理由がわかるだろう。」(象徴的命令とは捉えていない)
「また、離縁状を書くという点についても、聖書はあまり助けにならない。聖書には「セフェル・ケリトゥート」つまり別れの文書、という意味のことが書かれているだけである。はっきりした書式のものが使われていたことを示唆している。しかし、聖書に書かれた律法からだけではどのようなものを指すのかわからないのだ。」(書式の規定まで神が指示することを期待するか)

「マイモニデスは序文の中で(何の?)、モーセの時代からベン・ハ ナスィの時代まで口伝律法(というか口頭伝承)がイシュヴァーでテクストを用いて教えられることはなかったと述べている。もしかするとイシュヴァーの院長が、先人から受け継いだものを書き留めていたのかもしれない(なんと根拠薄弱な!)」
「何世紀もの間、口伝律法を成文化することに強い反対があった。三世紀になってからも、ラビ。ヨハナン・ベン・ナッパーという賢者は、律法の(口頭伝承のことを時々このように言い換えて煙に巻こうとするのか?)成文化を禁止するべきだという方針を固く守っていた。そして「口伝律法を書き留める者はトーラーを火にくべるに等しい人間だ」とまで言っている。(ごもっとも!)・・また口頭で教えるものと定められていることを書き留めてはならないと、まるで絶対命令のように言っている学者もいる。・・このように奇妙な拒絶反応があったのはなぜだろうか?(どこがどう奇妙なのか?)」

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全体として、タルムードまたユダヤ教の方向性がはっきりと出ている。つまり、「人が正しい生活を送るためのもの」であり、「徹底した従順」がその精神である。神の言われる通りにする事がトーラーの基本とも言える。だからこそキリスト教とは正反対ではないか。元パリサイ人のパウロは『律法によってユダヤ人にもギリシア人にも罪が明らかにされた』と書いている。トーラーによって人は『貪りとは何かを知った』というように、人間に宿る『罪』とそのための『贖い』と知らせる目的があったとするが、この点でユダヤ教は、ナザレのイエスを認めなかったために、聖霊の教えに浴すことなく、『罪』というものを意識せず、その代りに律法に違反したか否かを考える。即ち「原罪」の有無に於いて、ユダヤ教キリスト教とはけっして相容れないものとなった。ユダヤ教は自らの行動によって神の前に『義』を得ようとするが、キリスト教では、人は誰も自分自身で『罪』から逃れることができず、どれほど敬虔な善人を装ったところで神の前の『義』にはけっして到達しない。
だが、中世以降にキリスト教はこの点の理解を不明瞭にし始め、敬虔や善良な人間を作ることがキリスト教の目的であり、そのような信者が神に受け入れられて「天国」に行けると考え始めた。その趨勢は動かし難く、キリストの贖いの価値は後退し、今やパリサイ派とは名前が異なる程度の差があるのみのキリスト教宗派も多い。

以前にもこの著者の歴史書らしきものを読んだかもしれないが、歴史書という名前ながら客観性に乏しく、やはり本人のバイアスの強い意向が感じられ、某国の「歴史認識」のようで、歴史書としてはほとんど参考にならなかった。
それから、ユダヤ文化を愛好するキリスト教徒の文章も偏向を強く感じられることが多い。そこでタルムードやユダヤ教にとって新約聖書キリスト教が脅威になっている背景が見えるように感じられる。それほどにタルムードやユダヤ教には立つ瀬がないらしい。
近年は、ユダヤ教徒でありながらキリスト教徒でもあろうとするメシアニックジューというアプローチが流行しているのであろう。そうしてキリスト教徒をユダヤ教の優位の下に引き込むべくする動機が見える。そこにキリスト教の幼稚さもユダヤ文化の優位に貢献してしまっている。キリスト教の脆弱さがその原動力ともなっているのだろう。キリスト教がどれほど優れているかを知らない「クリスチャン」があまりに多い。

それから、トーラーを国家法のレベルにしようとすると、内容が大雑把過ぎて施行が難しいというのは、なるほどその通りなのだろうと思える。例えれば、トーラーを日本国の法律、それも憲法にさえ挿げ替えたらどんなに混乱するだろうか想像もつかないし、日常生活は立ち行かないほどになるに違いない。法は人や社会に合わせて変化しなければならず、一式の方が永続することには無理があるし、律法と雖も人と社会の有り様に合わせていることは明白で、山上の垂訓に明らかなように不変のものは背後の精神と言える。だが、律法に従い続けることはモーセの時代の教えをそのまま守ることを意味するほかなく、せめては、今日的事象にどう合わせるかというところでタルムードの意向が問われることになっている。根底にあるのは、「神に取り入るためには、言われた通りに行動する」という「従順」によって神に自らの価値を訴えるところにある。だが、従順というものには、自らの意向を殺し、自分がどのような者であるかを隠すという面があることは考慮されない。つまり、神の裁きを自分を殺すことによって回避しようとしているのである。「言われた通りにしていたのだから、自分に責任はない」「むしろ、他の者に勝って自分は神の意志に従った」とも主張するのがその精神となっている。

また逐一言葉を追ってゆけば、古代の彼方に行かなければわからなくなっていた条文も出て来るのは当然で、しかも、それが人間の設けた規則であれば変更もできようが、神の指示となると変えようが無い。そこでミドラシュというのは苦肉の策であったとは言える。しかし、それはやはり人間の策でしかないので、トーラーの次元には達していないのは内容に明らかではないか。そこで口伝(口頭伝承)がモーセからずっと有ったことにしたというのは大きな踏み外しであったのが見えている。それはこの著者も曖昧な言い回し(〜といっている)になるので、確信は無いように読める。それはタルムードそのものの書き方にも表れていて、「ラビ〇×はこう言った」また「シャンマイ派は許さないがヒレル派は許す」のような言い回しの連続が状況を示している。それなら、「人の意見であり従うも従わないも自由ですよ」と断っているようなものであるのだから、口伝を律法のレベルまで高める必要もなかったのではないだろうか? つまり、「実は口伝はありませんでした」で良かったのでは? 「これは国家法としての施行のための細目であり、原則であるトーラーにはっきり抵触しないことは神の名の下には裁きません」としておけば(そこが難しいか)、イエスとの衝突が避けられたか、相当に緩和されたのではないだろうか。イエス自身も「律法を廃棄する」とは言っていなかったのだから。イエスは書士(ソフェリーム)と律法学者(タナイーム)とそれに従うパリシームを『外側を清めて内側は汚れで満たされている』と糾弾している。

ミドラシュなどを高めずにいることが難しかった背景には、「行いによる義認」を主要な崇拝にしていたことがある。自分たちが義人であるという前提で聖書を捉えると、どうしてもトーラーの言葉に対して硬直化せざるを得なかったろう。(やはり聖書という書物には恐るべき罠がある)まだ、神殿祭祀を優先していた方が(サドキームのように)良かったか? エズラの改革は崇拝を家庭や個人の行いにまで浸透させたが、後にはそれが平民には精神的牢獄ともなっていた。それを指摘するのがタルムードではなく新約聖書であるところは何というべきか。「ユダヤ教の暴走」のようなものが始まる端緒が「口伝の確立」であったように見える。西暦前5世紀にもなってから、いったい誰が口述してきたというのだろう。口述者が居たなら、なぜ聖書にずっと痕跡が無かったのか? 「新約聖書に三位一体がある」というようなほどに無理がある。むしろエズラ聖典の保存にこそ尽力していたそうではないか。
ただ、それでもユダヤ人の付け加えた習慣が神に受け入れられていないわけではないことも新約聖書は明らかにしており、それはもちろん旧約でも度々に示されている。であれば、何も「口伝」など持ち出すまでもなかったのではないか。
トーラーの価値はメシアが成就させたところにあり、だからこそ、エシュアが『一度限りの犠牲を永遠に捧げて神の右に座した』と言える。他の者は誰であれ、その基準に適わないことを山上の垂訓が明示している。

だがその一方で、実際にタルムードを読んでみると、恐ろしく些末な規則の止め処も無い羅列と、異邦人への差別と、子供の論議としか思えず失笑させられるような条文に出くわすのは紛れもない事実であり、ユダヤ教はトーラーの見方、扱い方を誤った。それはメシアを退けたところにも見えている。だから、どう持ち上げようと口伝やタルムードが「素晴らしい」とは言いようが無い。しかし、旧約聖書には世界に広められる潜在的な価値がその内容に備わっている。それはまったく確かだ。だが、タルムードは「不当に知られていない」のではなく、その内容に聖なる書のような潜在力は到底望めない。むしろ、ユダヤ教徒にとっては、タルムードが書店で買えるほどに普及していないからこそ面子も保てるのではないか。それは「不当」などではなく、ユダヤ教にとっては、その内容が白日の下に曝されないだけ恥ずかしくないと言えるほどではないか。実際、ユダヤ教徒がタルムードの価値をキリスト教徒のように熱心に世界中に知らしめて来ただろうか?そのようには見えない。

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ローマ法では奴隷たちが何の権利も与えられずに義務だけを課せられていた。ヘブライ人の考え方の中では、異教徒の奴隷もヘブライ人も、死刑を宣告された者も、一切の権利を奪われるというような非人間的な状況に置かれてはならないとされていた。強制的ともいえる強い調子で、聖書の句には「兄弟(同朋)や貧しい人々や、困っている人たちに「あなたの手を開きなさい」という意味のヘブライ語「バトアハ・ティフタハ」が繰り返し使われている。そして「ナトン・ティテン」(その人のために必ず施しをしなさい)という言葉からこの義務が如何に重要で、その義務が如何に強く反映されているかがわかる。」

(とはいえ、ローマに於ける奴隷であっても主人の恣意的横暴が続けば、逃亡だけでなく次世代の奴隷にも影響が出た。従ってローマ法が奴隷を保護しなかったというより、現実が奴隷の扱いを規定してもいた。奴隷の能力をある程度高めることは主人の益のために必須であり、奴隷生活への顧慮はその家のステータスともなっていた。だが、戦争捕虜などには犯罪者に近い苛酷な役務や死刑としての見せ物の犠牲となる危険があり、これはキリスト教のローマ国教化への過程で軽業や手品や演劇に入れ替えられ消えていったとされる。
アリストテレスの奴隷観からすると、人に対する表層的判断での差別意識は確かに有った。⇒「アリストテレスの奴隷観」
それを考えると諸国の奴隷に自らの境遇を変える自由がなかったところでモーセの律法はイスラエル同朋については勝っており、他方で古代の奴隷は条件に於いては現代日本の非正規雇用に勝ると思える点もなくはない。

(だが帝政ローマ時代での「奴隷」という言葉に含まれる非人格的印象は、以後の黒人奴隷のように捉えるべきでなく、「新約聖書パウロが奴隷の存在を是認している」と譴責するのは筋違いなところが大きい。『銀三十枚』がどの程度の金額かがはっきりしないが、いずれにせよローマで、若く健康でラテン語を解する奴隷を買うには一般家庭の年収に近い額を要したという。そのため、逃亡や略奪を防止するために顔に入れ墨や焼き印を押す習慣も時に招いたが、律法では志願奴隷を識別するために耳たぶに穴を空けるに留まっている。
しかし、当時の奴隷は現代のアルバイトや家政婦に近く、そのうえ衣食住など生活保障がある。逆に言えば、「苦しく悲惨な奴隷制度」は現代社会にも名を変え形を変えて存在している。パウロがどうこう言うよりも、むしろ問題はそちらの方では?古代の奴隷も主人の扱いによって境遇は異なっていたとされるのであれば、制度について紋切型の判断は下せないところもある。)

ザンクウィルは「利己主義は神の存在を否定することになる」と言ったが、ラビたちの特徴を捉えた言い方である。社会を基盤とし、教義よりも実践を強調する信仰〜気配りのゆきとどいた法制度が生まれるのも当然の成り行きだった。」

聖書に不可欠な考え方は社会的な正義を強く求めることだったが、これは預言者と結びつけて、ラビたちは預言者の教えを律法的なものから切り離すことなく、両者の影響がラビたちの考え方に溶け込んでいた、その結果、生まれた法体系は、その背後にある先例の影響を受けるだけでなく、目の前に「終りの日」のヴィジョンを想定してつくりあげられていた。
ユダヤ教は、人々から隔絶された隠遁生活を目標にしたものではなく、仲間と過ごすのが善い生活であり、相互に関連する重荷を負ってゆくものだからである」「クリスチャンに特殊な意味を持つ「世俗」という概念はラビたちの思考パターンにないものだ。ラビ・フーナは息子のラバーに、「なぜ、ラビ・ヒスダの講義を聴きに行かないのかと尋ねると、ラバーは、その講義は世俗的なありふれたことばかりだ」と答えた。するとフーナは「ラビ・ヒスダは神が創られたものの命について一生懸命に考えておられるのだ。お前はその話を聴きにゆかねばならない」。」


聖書の律法には、確かに人道的な規約が多い。だが、それに沿ったラビたちの教えの実例をなぜ挙げないのだろうか?それならイスラムの施しの掟の方がよほど明解ではないか。新約聖書が描く当時の宗教に熱心な人々は、清くあるために一定の経済力が必要であり、その清さに達している人は多くはなく、貧しいゆえに『呪われている』群衆)に相当する「アム ハ アレツ」として差別されていた人々の姿が度々現れている。勿論、当時にはミシュナーが書き加えられていた時期で、タルムードはまだ存在していなかった。しかし、パリサイ主義と教導するタナイームは活発に活動していた姿は新約聖書にも見られる。では、そのような格差は当時だけのことだったのか?タルムードを読んで、上記のように聖書に高邁な精神に倣っているような感動を味わえないのはなぜか?つまるところ、タルムード擁護のために聖書の精紳を唱え、理想を描いているだけではないのか?それに律法主義には選民とイスラエルには越えられない障壁がいつもある。例え割礼を受けても、異邦人には一定の限界があり、聖書の律法からしてそのようである。この限界は新約でなくてはけっして越えられないではないか。異邦人は契約外であり「良くても付録」である、そこで現在パリサイ派が多数を占めるイスラエル共和国のパレスチナ人に対するひどい不公正はどうなのか。契約の選民は旧約聖書からして動かし得ないことではある(詩147:19-20)。ただ、将来にそれが解消される希望はネイヴィームにはある。ではそれはどう実現するのか。それを語るのなら意味のあることだが、それは新約聖書には書かれている。だが上記のようでは、トーラーに閉じ籠るための言い訳、何か根拠のない人間の宥めの言葉のようにしか聞こえない。やはりイエス新約聖書は彼らにとって逃げ場のない脅威なのだろうと実感する以外にない。マラキ3:2)人を超えた神意こそ偉大ではないか。タルムードはユダヤ教徒の卑近な生活規準を並べたもの以上には到底読みようが無い。別に誰が策略を以って「死書」にしようなどという以前に、タルムード自らその価値の程度を世に示してきたのではないのか。イスラエルユダヤ系の人の一部にさえ躓きを与え、この書のために聖書まで共に低められてしまっている。その一方で、ユダヤ人の誰かが異邦人にこの書を誉めれば「そういうものか」と思われるだろうから、宣伝次第の成果も上がるだろう。ほとんど内容が知られておらず、読まれもしないのだから、多く誉めれば印象だけは向上するだろう。だが、実際に読まれたらおしまいなのだ。
それにしても、手取り足取り指導されることを望み、そうする「従順」で義を得るつもりの一方で、不公正と自分善がりを行っては周囲を蔑視するのであれば『ぶよを濾し取り、駱駝を呑み込む』と言われても仕方ないのではないか。



バビロニアンタルムード優位の由来

四世紀の半ばにユダヤ人とローマ人の間で激しい騒乱が度々に起こり、ユダヤ民族の本国に在った有名な学府は破壊されてしまった。ティベリアス、セフォリス、ロドの町にあった教学院は跡形もなく消えた。これにより二世紀前のハドリアヌス帝による迫害の時代と同じように多くの人々がパレスチナからバビロニアへと逃れて行った。
パレスチナ版は四世紀末にかけて編纂された。パレスチナで栄えていたいくつかの学派がつくったものだが、実際の編集作業はティベリアで行われた。
バビロニア版は民族伝承や当時のゾロアスター教の影響を受けて人気のあった悪霊学に関する話などを自由に組み入れていたが、パレスチナ版に天使や悪霊の話はない。パレスチナ版の方が短いが、編集に優れているバビロニア版に比べて繰り返しが多く、内部の矛盾も多い。離散の民族は好んでバビロニア版を使ったため、やがてユダヤ人はこの版を公認した。
バビロニアでは、チグリスとユーフラテスの間に大きな共同体を作った。ネハルディアに立派な教学院が建てられたが、紀元260年に破壊された。そこでプンペディタに場所を移し、スーラにあった教学院と共に以後数世紀の間バビロニアユダヤ人の知的、宗教的生活を導く存在となっていた。
こうした初期の時代の教師として有名なのはラブとサムエルで共にハナスィの弟子であった。ラブは219年に学問の重鎮としてバビロニアに戻ってきた。・・スーラの講堂には1200名の学生がつめかけたという。
彼と並び称されるサムエルはユダヤ教の知識だけでなく天文学者としても名高く、ネハルディアの校長を勤めていた。過越し前のアダルと高い聖日の前のエルルの二か月は学問をおさめる集会の月として特別に定められて仕事を休んで農民や手職人、商人などが集まった。この二か月は「ヤルヘイカラー」と呼ばれた。おそらく「集会の月」という意味であろう。シュヒター博士は「カラー」にはヘブライ語の「花嫁」の意味があるのを利用してこの大集会の月を「精神の密月」と名付けた。

五世紀になると・・ペルシア皇帝はゾロアスター教を国教としただけでなく、帝国のすべての住民が守るべき宗教と定めて、ユダヤ人に対する激しい抑圧政策をとった。ユダヤ人の子供を強制的に改宗させたり、シュナゴーグを焼き討ちしたり、ユダヤ教の基本となる戒律を禁止する措置がとられた。ユダヤ人の多くは他の国に逃れた。
数世紀にわたる研究と討論によって蓄積された膨大な資料を収集し、系統立て、編集しようという努力は暗雲に包まれた。
ラビ・アシは375-427年にわたってスーラの教学院の院長を務めた人物であり、五十年以上にわたる歳月を資料の取りまとめの仕事に捧げた。
彼の死後、弟子たちが仕事を引き継ぎ編集選定と校訂の最終的な作業はラビナの手によって行われた。ラビナが500年に世を去ると、タルムードの時代は終わった。
(アモライームとは「言う」の語源から「翻訳者」の意)
(双方の版ともにゲマラは欠落がある)

口伝律法にはふたつの流れがある。ハラハーは法規であり、義務と権威のある行いを定めている。
アガダーは非法規的な要素のもので、個々の教師の自由な想像や民間伝承によって生まれた力である。
ハラハーというのは法という意味の言葉として知られているヘブライ語である。聖書にこれを表す言葉はなく、最初に使われたのはミシュナーの中である。「歩く、または行く」という意味の語源からきているようで、「生きる方法」という派生的意味がある。


小アジアについての気になるわずかな記載

二世紀の賢者ラビ・メイルは小アジアユダヤ人共同体に来たとき、エステル記を一冊も見つけることができなかった。
律法学者であったかれは記憶を辿って書き出すことができた

これはエイレナイオスのエズラの話を彷彿とさせる。しかもこの教父は小アジア出身で二世紀後半を生きている。



・ミシュナーとラビ ユダ ハ ナスィ ⇒[http://d.hatena.ne.jp/Quartodecimani/20121010/1349826625:title=家系と業績
]

第二世紀末彼は人々を召集してミシュナー(研究)の編纂作業をはじめた。
伝承によれば、彼の生まれた日にアキバが殉教したというのが、「太陽は沈んでもまた別の方向から昇る」と言い習わしてきたユダヤ人には本当であることが証明されていたようなものだった。50p
彼はラビ ユダ ベン イライの許で学んだ。非常に貴族的に洗練された人物でアントニヌス帝とも親交があったといわれる。
それまでは教学院の院長たちがそれぞれにまとめた註解を用いて指導していた。信心深いラビたちの記憶に残されているだけで大半が記録されないままであった膨大な量の中から彼が選択編纂を行った。
アモス8:12について「人々が明確な決定や註解を見出すことができないという意味だ」とラビ シメオンは言う。
ジョージ・フット・ムーアは「律法を学ぶための道具であり、教えるための手段だ」とミシュナーについて言う。

L.ギンスブルクはミシュナーの523の章で専門家の意見が食い違うのは6章だけであるという。

ユダを編纂に駆り立てた要素は四つある
①口伝が発達して各方面でバラバラになっていた
②法律の解釈に統一性を持たせる尺度が必要であった
ユダヤ高等教育を施す基礎となるテクストが必要であった
④政治的混乱と抑圧が繰り返されたため子孫に残す権威ある口伝を要した

カノン・ダンビは英訳本の序文でこういう
「ミシュナーはパレスチナユダヤ人たちの四世紀にわたる宗教的、文化的活動の蓄積だといえる。その活動が始まった時期は正確には分からないが、おそらく前二世紀から四世紀後の二世紀末まで続いた。活動の目的はトーラーを保存し、これに命を与えて、幾世代にもわたる同じ心のユダヤ人の宗教指導者たちがそれを理解するに至ったまでの過程を形にすることである。」


ミシュナの構成 - Quartodecimaniのノート


<口伝もミシュナーもシュナゴーグの機能が高まった後の自然発生的文化というのが真相らしい。ユダヤ文化と一言で云っても、神殿以降では特にディアスポラの影響が大きく、ハザール・アシュケナズの文化、カライ派、スファラディ中欧系、イエメン系など、ユダヤ文化をひとまとめに見ることは不可能になっている。その中で二種類のタルムード、特にバビロニアのものは、彼らに一定の精神的統一を与えるものとなっている。シオニズムが進む原動力となったのも、余りに広がっていたユダヤの文明への収束が目指された側面がある>

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所見;スピリチャルとかわらないユダヤ教かぶれ

シャロッシュ・レガリームの時には、神の時のデザインがあると言い、それが人間の生きるリズムのようなものだと
朝昼晩のリズムのようなものだとも
人間は神の時の中に入って生きるというのは、生理的にもその通りだとは思うが、恐るべき聖書の言葉に、神の経綸の時を混同するとしたら、それは自己義認に過ぎる。ユダヤ教の末路を思いみるなら、謙るということを知らない善人意識だろう。「我々にはアブラハムがいる」という選民意識が先に立ち「アダムの罪」を裁かれる身の程を弁えていないのではないか?

総じて「律法主義」のもたらしたものといえば、パウロの指摘通り『業による義認』なのだろう。ルカ福音にある収税人とパリサイの例えをエシュアが話したことそのものを、ヒレル・パリサイを継承する人々が受け容れられるものだろうか?
トーラはイスラエル民族と神の経綸を知らせ、マシアッハの到来まで意義深かったのであろう。
しかし、その到来は『精錬』を伴い、ユダヤ律法体制にはバプテストの予告した『火のバプテスマ』が臨んでいる。その原因は、エシュアの到来までにユダヤ教が偏ってしまい、字面の規則に固執し、その精神を探り、不変の意義を探ることをおろそかにしたからなのだろう。
故地エレツツィオンを失った民族は、ユダヤ文化を守ることに一方ならぬ努力をしたが、そこには神殿祭儀の無い状態で、シュナゴーグ文化が発展するべき状況以外になかったに違いない。
だが、マシアッハただ一人が律法を成就して、その不変の意義に到達したことについて、ユダヤ人の誰にせよ、当時に気付かなかったことは無理からぬように感じられる、聖霊の啓示によってパウロがそれを指摘することで、ごく一部のキリスト教徒だけが理解したことであった。
その意味で『律法の一点一画といえども朽ちることはない』のであり、イスラエル民族が律法によって『業による義認』を目指すのは二千年前に的外れとなっている。
現に、『業による義認』によるイスラエル優越主義の実といえば、優越感と排他主義になっている。
その状況は今も変わらず、キリスト教界も似たり寄ったりであり、真相の幾許かがユダヤ教キリスト教に散乱したままになっている。
他方で、イスラエルと異邦人の『垣(ソーレグ)を取り除いた』というキリスト教は、真実のイスラエルアブラハムに約束された『地のすべての氏族が祝福する』という『神の王国』という『神のイスラエル』へと昇華しており、これは原罪を認め、人が等しくキリストの犠牲を必要とする罪人であるゆえに、本来は自ら謙ることを教えている。その差はあまりにも大きい。



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ユダヤ教徒の祈りへの認識

祈りは鬱積した感情を解放し、はっきりしない考えを具体化し、意志の力を奮い起こすなど、大きな精神作用を及ぼすものとなる。
祈りへの認識はユダヤ人の間でも、最大主義者と最小主義者の間に開きがある。
前者は、祈りの過程は純粋に自然なものであり、神という概念に人間が示すまったく正常な反応であるとする。後者は、神からのものに満たされ、自然の法則を遥かに超えた体験となるという。
前者は、祈りが物質的な世界に働きかけるのは人間の力によるものだ。とする一方で、後者は、人間から離れた部分や事柄にも直接の影響をもたらすとする。
超最大主義者ともいうべき人々にとって、自然のすべても神の道具に過ぎないので、奇跡も不可能でないという。
この点で、ユダヤ教徒には広い範囲にばらつきがある。

ユダヤ教では、一挙手一投足男子に律法の日々の規律を厳格に求めるが、女性に対してはほとんどを免除する。この理由として、家事への影響があると唱える人もいる。男子のように律法に縛られていては、家事が停滞することは目に見えているという。

男子は一日に三度の正式な礼拝(シャハリート・ミンハー・マアリヴ)を守るべきであり(ミンヤンが必要)、テフィリンを外すまで食事を採ることができない。
生活のすべての場面で祝祷を持つことが命じられているので、彼らはその節目節目で神名を思い起こさねばならない。(当然、発音は求められない。しかし何と念じるか?)
朝に覚醒してから、どんな事を行い、どんな知らせを受けても、その都度短いながらでも祝祷されなくてはならない。それは床に就くまで継続する。


(この習慣性が却って神との関係を無意識的なものにしたことをイエスは論駁したのでは?)


Novum Quartodecinum

イェヒディームはトーラーの原理と意図から導かれたのではない独自の注解を持っている。
・・様々な理由を以て、それを超える解説は大衆のためでないので、そこには知る者と知らざる者との区別が生じる。
哲学者にはこれらの言葉を真実なものとすることに関してより大きな完全性がある。ただし、哲学者はこれらについて文字にせよ口頭にせよ一切解説しない義務がある。(エリヤ・デルメディゴ「ブヒナット・ハダト」9)

「人間は服従のみによっても救済される」⇒理性的に証明されないが、「道徳的確実性」(certitudo moralis)によって受容され得る。Spinosa 150

 
スピノザの聖書へのアプローチ法 - Quartodecimaniのノート


ラシ(ラビ・シェロモー・イーチャキ、西暦1040‐1105年)は、創世記 4章26節をこう訳出「それから、俗衆が主のみ名によって呼ばれた」。








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