Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

安息日運搬の規制 - タルムード -

シャバット篇から

・膿痬を切開した者は、口を開けるためであったなら罪科を負う。しかし、膿を出すためであったら免責される。
・蛇を捕獲した者は、それに咬まれないようにするためであったなら免責される。
・穴の空いた植木鉢から植物を引き抜く者は罪科を負うが、穴が空いていない植木鉢の場合は免責される。
・羊飼いは粗布を来て出掛けても良い(ウラは女性はこの規定に当てはまらないと言う)
・(バライタの中で)女はクールヤール(ラブによればブローチ)や香料の入れ物を携えて外出してはならない。(ラビ・エリエゼルは香料とバルサムは免責)
・蝗の卵、キツネの歯、絞首台の釘を治療のために持ち出しても良い(ラビ・メイル)しかし賢者らは言う「それはアモリ人の風習であるから平日でさえ禁じられる」(アモリ人の習慣の禁止も相当数有る)
・偶像の社に隣接する家の持ち主は、壁が崩れたなら再建が禁じられる。彼は4アンマ引っ込めて彼の家を建てるべきである。(ラビ・アキバは言う「それ(偶像)は生理中の女と同じである」ラビたちは、爬虫類と同じという)⇒シックース!
<運搬に関することが延々と続くが、どうして運搬から始めるのか?>
・トーラが安息日に授与されたことは全員が同意する。
イスラエルの民がエジプトを出立したニサンの14日に彼らは彼らの過ぎ越しの犠牲を屠り、15日に出発し、そしてその晩に長子が打たれた。「その晩」とあなたは考えるだろうか。そうではなくて、その前の晩に長子は討たれている。またその日は木曜日であった。ニサン15日は木曜日であったため、イッヤールの月の朔日は安息日にかかり、シヴァンの月の朔月は日曜日にかかった。これはラビと矛盾する。
・第二の年の第一の月のの一日に幕屋が建てられたが、それについてタンナは10の冠を取ったという。創造の業の最初、王子たちの初日、祭司の初日、供儀の初日、火の降下の初日、聖別食物を採る初日、臨在の初日、民の祝福の初日、丘の禁止の初日、最初に月である。
・七週の祭りから七週の祭りまで、新年と新年の間には4日の違いしかない。閏年なら5日。従って、イッヤールの朔月は金曜であり、シヴァンは安息日であったはずなので、これはラビ・ヨセにもラビたちにも矛盾する。ラビ・ヨセに従い、彼らは七つの小の月を、ラビらに従い八つの小の月を創った。
・セデル・オーラムでは「民がエジプトを出立したニサンの14日に過越しの犠牲を屠り、15日に出立したが、その日は金曜日であった。」
・右手であれ左手であれ、懐に入れてであれ、肩の上であれ、搬出した者は罪科を負う。手の甲、足で、口で、耳で、毛髪で、口が下を向いたベルトで、ベルトとシャツに挟んで、下着の縁に入れて、靴の中に入れて、サンダルの中に入れて搬出した場合には免責される。普通の仕方ではないからである。
・シャンマイ派は言う「祭日に子供、ルーラヴ、トーラの巻物を公共領域に搬出してはならない」だがヒレル派は許す。
・異邦人が点灯した火であればイスラエル人が利用してもかまわない。異邦人が家畜のために水を汲んだ後なら、イスラエル人はそれを利用して構わない。だが、それがはじめからイスラエル人のためであるなら禁じられる。
・ラビ・ベン・パズィがベン・レヴィ、バル・カッパラの名に於いて言った「誰であれ安息日に三食を守る者は、三つの不運から救われる、メシアの患難(マラキの)、ゲヒンノムの裁き、ゴグとマゴグの戦い」


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便所に入る者は、4アンマの距離でティフェリンを外し、それから入らなければならない。
この国から貧困者がいなくなることはない(申命15:11)
「幸運[ガド]であれ、昼も夜も疲れてはならない」と言う者はアモリ人の風習のゆえに禁じられる。(イザヤ65:11)

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総論としてのあとがきから

ユダヤ教安息日は、それとは逆に、楽しみごとはおろか、不断の日常生活の営みさえ何かと制限される、日本人の生活感覚からすればやたら窮屈な日なのである。

ユダヤ人が安息日を守ってきたのではなく、安息日ユダヤ人を守ってきた」の言い習わしがある。


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ラヴ;(アッバ・アリハ)第一世代のバビロニアのアモラ。(175-247)スーラ学院の創設者、富裕なバビロンの家に生まれたが、イスラエルの地に行き、叔父であるタンナ、ラビ・ヒヤと共に、ハナスィの学院で学び、他のタナイームからも多くの影響を受けた。バビロニアに戻ってからはネハルデアの学院で学んだが219年にスーラに自分の学院を建てた。ネハルデアの学院長シュムエルが民法の権威であったが、彼は祭儀的な事柄が専門であり、この二人によってバビロニア地域の学院の権威が高まった。


ラヴァ;(ラブ・アッバ・バル・ラヴ・ヨセフ・バル・ハマ)280-352
バビロニアのアモラ。スーラの学院長ラヴ・ヒスダにも学んだが、主な教師はラヴ・ラフマン・バル・ヤコブ(ネハルデア)
マホザの学院は彼が死去するまでバビロニア唯一の学院であった。
ハラハーのほとんどは彼の見解を支持している。


ラビ・ヨセ;2世紀中葉のタンナ。ツィポリ生まれ、アキバの弟子、ハドリアヌス帝期の迫害期に、ラビ・ユダ・ベン・ババによりラビに叙任を受ける。迫害後、ユダヤ教再建に尽力。ハナスィの強力な支持者であった。創造からアレクサンダー大王期までの年代学書「セデル・オーラム・ラッパー」の著者とされる。ハラハーは彼の見解を支持

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所見;ユダヤ教は神殿を失った第二世紀以降に急速な発展を遂げている。それがミシュナとタルムードに見える。むしろ、レヴィ系の祭儀を失ったことが発展の背景にあることは少し調べるだけで圧倒的証拠に出合う。しかし、価値観は倒錯しており、ミクラの水準からは遠くかけ離れてゆく。これでは異邦人ばかりかクリスティアノイからさえ蔑視や軽視されるのも道理であったろう。この時期のキリスト教に帰依するユダヤ人は異邦人の指導に服し、多くのユダヤ性を払拭するように求められていたというが、然も有り何む。
一方で、神殿を持たないユダヤ人が、トーラという破格の相続物をどう継承してよいのかに相当な不安があったのではないか?ナザレのイエスをけっして認めることはできないという硬直さも手伝って、頑迷にキリスト教徒の迫害に加担していった時期でもある。だが、キリスト教側も第三世紀以降に大きく堕落してゆくところで、以降は、双方のヒステリックな対立に置き換わってゆき、ユダヤ教は社会的に敗北を始める。バビロニアの本土に対する優位は、ローマ支配から免れたところにあるのでは?
ラビ・ベン・パズィの言葉「メシアの患難」とは、西暦70年の滅びがあろうと、何が何でもナザレのイエスは認めないという事の裏返しと読める。マラキの時代以後、神の裁きに向けてイスラエルが試しに入ったのか?「レヴィを精錬する」とは、アブラハムの裔としての資質が問われることを言っていたように思える。

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モリス・アドラーの”タルムードの世界”
この著者にはユダヤ教徒の善くも無い傾向が感じ取れ、その内容の全体がどこまで信じられるものか疑わしく感じられる。いわば「多少の不正確を使ってでもユダヤ教を擁護しよう、どうせ自分たちは正しいのだから」と言っているような甘えを感じる。
但し、河合氏の前書きはタルムードに至る過程をコンパクトで明解に説明しているので、以下にノートをとる

ソフェリームの時代は前5世紀から後1世紀になる。彼らが最初に「賢者」(ハ ハム;ハ ハミーム)と呼ばれる。
その後、1-2世紀の賢者らがタナイームと呼ばれた。最後にハ ナスィが口頭伝承をミシュナーにまとめた。
賢者たりが律法を教える学院のことをイェシバーあるいはベイト・ミドラシュと称する。単に教室である以上に、律法の重大問題を賢者同士が論じ、法規の決定がなされてゆく高等アカデミー、学士院、最高法廷のような機関の役割も果たした。
ミシュナーが出来た後にも賢者らはそれを元に口伝律法の研究と発展に尽くし、ミシュナーの内容をさらに註釈・論議していった。時代時代にそれぞれ問題はある。その注解もまた膨大なものとなってゆき、整理されて文章化された。それをゲマラという。
ゲマラはミシュナーの注解であって当時の日常語であったアラム語で書かれている。
ゲマラを生み出したのはアモライームと呼ばれる賢者らである。
ミシュナーとゲマラを合わせたものがタルムードである。タルムードの中は二種類の本が合本されたようになっている。ミシュナーはヘブライ語、ゲマラはアラム語で出来た。時代も二、三百年の違いがある。しかし、テーマは口伝の律法である。
タルムードとは「学習」の意であり、それを学んだ者はトーラー(教え)に精通してのであるからラビと呼ばれる資格を得る。
タルムードには二つの版がある。ゲマラが編纂されたのがパレスチナバビロニアの二か所あったためである。
バビロニアタルムードは六世紀に成立した。
タルムードには別の見地からの分類もある。つまり、ハラハーとアガターという二大要素に分ける見方である。
ハラハーとは非法規的部分、伝承・説話・小話などだが、一つのページにこれはハラハー、これはアガターと書き分けられてはいない。
賢者の活躍はタルムードばかりでなく様々な文献を残しており、それらを総称してラビ文学という。文学といっても一般の文学とは異なる。そのなかで最も重要なものにミドラシュがある。これは聖書本文の注解であるが、聖書を文字通り読む以上に隠された意味を探ろうと(ダラッシュ)したことからこう呼ばれる。しかし、恣意的な解釈がよいわけもないので、解釈学の法則がラビらにより挙げられている。ミドラシュにはトーラーへのものもあり、有名である。
「トーラーには七十の顔がある」という賢者の言葉が象徴するように、ユダヤ教はミドラシュという手法により、トーラーが常に新しい洞察とあらゆる問いへの答えが発見される。


「厳格化されたシャバット」








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