Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

墨塗

提題--------------------------

じゃあ、正しくイエス・キリストを信じている教会って、具体的にどういう教会なの?かというと。

1.三位一体を信じていること(神は三つの形でこの世界に存在すること…例えば地球上には水という物質は、気体、液体、固体、という形で存在しますが、それと同じように、この世界に創造主は、神、神の子、聖霊、という形で存在する)

・単なる物質に過ぎない水が、熱に相転移させられている状態を例えた。


2.ちゃんとした聖書[例えば新共同訳、共同訳、新改訳]をつかっていること(勝手にあとから加筆されたものは×…この点については後から解説します)。

・主要な翻訳聖書にまるで加筆がないと前提した。これらの聖書にも多くの難点があり、傾向の異なる翻訳を比較できるように薦めるほうが良い。それはときに理解も要点も異にするほどに違う。


この2点について問題なければ、大丈夫だと思います。地上には多数の教派が存在しますが、その教派の違いはチューリップの花の色・形の違いのように、神が与えてくれた多様性だと思います。

・分派している理由を避けている。それは真摯な人の思想信条の異なりであり、花の云々では語れない。


服のサイズだって、1サイズしかなかったら、そのサイズぴったりの人はいいでしょうけど、その他の人はみんな困ってしまいます。あなたにとって、サイズのぴったり合う教会を探してみてください。

・信徒が自分の必要や好みで崇拝や教理を決めることを肯定。自分を合わせず、崇拝を自分に合わせることで、崇拝の主体者を自分に据えさせている。


上記の1.2.を満たしていれば、それらの教会はみんな天国という1つの教会へ続いていますよ。

・異教の「天国」の概念に染まっている。またご利益信仰の奨励となっている。


あと当たり前だと言われるかもしれませんが、牧師や神父と呼ばれている人が「実はわたしがキリストの生まれ変わりなんです」というとか、「この人がキリストの生まれ変わりなんです」というとか、「ああ、イエスの十字架は、失敗です、何の意味もありません、キリスト(救い主という意味)?そんなわけないでしょう、はは」という教会はキリスト教の教会ではありません。

・怪しげな教派が存在するという趣旨は分かるが、キリストを信じる以上はそれはキリスト教であり、そうではないと言い切ることで、まったく他派を裁いて自分たちを正統の位置の置いている。それが「怪しい」、せめて「危険性有り」という言葉で留めるべきだったろう。


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洗礼の儀式そのものによって救われるのではない。今までの罪を悔い改めて、イエス・キリストを救い主として受け入れることによって、新生し、救われる。

・キリストや使徒たちが『救われる』と述べたのは、聖霊の注ぎを通しその人が「新しい契約」に参与することで「義」の状態に入ったと看做されることを意味した。(Rom8:1)
その前段階としてイエスをキリストとして認め信仰することが必要条件であった。
彼らが「義」の状態に入ったと看做されることは、異邦人であればアダム由来の『罪』から、ユダヤ人であれば加えて『律法の呪い』からの『救い』を得ることを意味した。
それ以外の人類の一切は、『聖なる者』と呼ばれるこれらキリストと天で共になる格別な弟子たちを通して『贖罪』されて初めて『救い』に近づくのであり、その『贖罪』は『千年』続く『神の王国』を通して享受されるものであり、『聖なる者』はその『千年の間、王また祭司として』の権能をキリストと共に生ける人類に対して働かせることになる。「救い」は第一に、この働きを為させるために付随するものであった。
したがって、上記のように「洗礼の儀式そのものによって救われるのではない」ことはもちろん、「今までの罪を悔い改めて、イエス・キリストを救い主として受け入れることによって、新生し」て救われるわけでもない。
悔い改めるべき「罪」とは、個人の個々の不行跡を指すわけではなく、キリストを受け入れて新生するのは、真に聖霊の賜物を下賜され『神のイスラエル』として生み出される格別な弟子のことであり、初代後から今日までこの人々は絶えて居ない。聖霊の注ぎがキリストの不在と共に中断しているからである。
キリストと共になる人以外の大多数にとっての「救い」は、千年王国の間に生じるものである。



◆聖徒攻撃と中庭
わたしたちに敵対する者たちがあなたの聖なる所を踏みつけました。わたしたちは長い間,あなたが支配しなかった者,あなたの名をもってとなえられたことのない者のようになりました。Isa63:18-19


◆御名と激動
ああ,あなたが天を引き裂かれたなら! あなたが下って来られたなら! 火が茂ったやぶを燃え立たせ,火がまさに水をも沸き上がらせるときのように,あなたのゆえに山々が震い動いたなら! そうすれば,あなたに敵対する者たちにあなたのみ名を知らせることになり,あなたのゆえに諸国民が動揺するものを。あなたは,わたしたちの望みえなかった,畏怖の念を起こすことを行なわれたとき,下って来られました。あなたのゆえに山々は震い動きました。そして,待ち望む者のために行動してくださる神は,あなた以外には,昔からだれも聞いたこともなければ,耳を向けたこともなく,それを見た目もありません。あなたは,歓喜し義を行なう者に,あなたをあなたの道において覚えている者たちに会ってくださいました。Isa64:1-5







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