Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

完徳と覚醒

究極的には神にのみ属する完全。修道者の場合、清貧・貞潔・従順の勧めの実践によって達成されるべき目標。

カトリック理解---------------
「完徳」、それはカトリックの重要な教えの一つです。
つまりマタイの福音書にもあるように、「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全なものとなりなさい」というところからきているのでしょう。
もしも わたしのような拙い者がそのような人格的な成長を目指すとするなら、清貧、貞潔、従順の誓願を立てて、修道の道を歩まなくてはなりません。それには、
自分をまったく忘れ、内的にも外的にも真の克己心で取り組み、神さまのみ旨にすべてを委ねて、造られたすべての物からも完全な離脱を実現しなければなりません。

アルベリオーネ神父---------------
「最終目的:神の栄光。〔この目的は、〕人間をとおして、人間の側から達成されなければなりません。地上では、賛美と、知性と心の神への温順によって。永遠においては、神の完全な認識、賛美、神への愛によって。すなわち、人間の至福をとおして。……地上では神の知識と愛が完全になればなるほど、それは達成されます。無知と誤りから出発して、ついにはイエス・キリストにおいて神のように考えるところにまで至る神の認識です。常に神と一つに結ばれていて、神のうちにすべてを見、判断し、秩序づける魂の状態です」(Donec formetur Christus in vobisp.25、日本語訳34−35)。
人間の「協力」は、「神のように考える」こと、つまり神の望みをわたしたちの望みとすることによって実現します。「神の意志を最高の法、最大の愛の行為として受け止めること」(DF p.19、日本語訳21)。「神の意志は、ひまわりのように魂がいつでも向いていなければならない、大いなる太陽です」(DF p.20、日本語訳22)。
この神の望みは、イエス・キリストのうちに完全に示されました。「イエスは主の意志をおこなうことにおけるモデルです。神の意志をおこなうことは完徳です。神の意志をおこなうことは主への真の愛です。神の意志をおこなうことは最も確かな道です。このように、わたしたちの主イエス・キリストはおこなわれました。……イエス・キリストの生涯は『神の意志を完全におこなった者の生涯』という表題に要約することができます。『わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行うことである』(ヨハネ4・34)。『わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行う』(ヨハネ8・29)」(DF p.44、日本語訳114−115)。


ベネディクト16世-----------
コリントの信徒への手紙一は、からだのたとえを用いて、聖霊のさまざまなたまものが一つの教会の善のために競い合うことを説明します。その後で、パウロは完徳の「道」を示します。パウロはいいます。この道は特別な性質をもつことではありません。すなわち、それは新しいことばを語ることでも、あらゆる神秘を知っていることでも、驚くべき信仰をもっていることでも、英雄的な行いをすることでもありません。この道は愛(アガペー)のうちにあります。この愛は、真の意味での愛です。すなわち、神がイエス・キリストのうちにわたしたちに示された愛です。


カッシアヌス----------
畏れ、痛悔、断念、謙遜、意欲の滅却、悪徳の拒絶と諸徳の成長、心の清らかさ、愛の完成、これらこそ完徳の道であり、また、その行き着く先に「使徒的愛徳の完成」という「最高度の完成」がある。「共住修道会則」(Institutions cénobiques)の序文
完徳あるいは愛徳は、したがって洗礼によって始められた生活の充実(plenitude)であり、完全無欠のキリスト教的生活である。「講義」第2巻の序文



カタリ派--------------
カタリ派グノーシス主義と同じように、物質世界に捉えられた魂はこの世を逃れることで非物質世界である天国に到達できると考えた。そしてこの世から逃れるための唯一の方法が、汚れた世俗と関係を断ち切って禁欲生活を送ることであった。このような完全な禁欲生活を送る信徒が「完徳者」(ペルフェクティ(Perfecti))とよばれていた。完徳者には世の人々の罪を取り除き、物質世界とのつながりを断ち切る力があると信じられ、死後はすみやかに天国に行くと考えられていた。完徳者たちが送る完全な禁欲生活は、当時の教会の聖職者たちの堕落した生活とは対照的なものであった。


ベンジャミン・フランクリン------
「道徳的完全に到達する大胆で難儀な計画」
1.節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
2.沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
3.規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
4.決断 なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
5.節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
6.勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
7.誠実 詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出だすこともまた然るべし。
8.正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
9.中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
10.清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
11.平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
12.純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
13.謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし。
その他、名言至言多し・・
Benjamin Franklin 1703-1790
避雷針、フランクリンストーブとして知られる燃焼効率の良いストーブ、ロッキングチェアー、遠近両用眼鏡、グラスハーモニカなどを発明した。
宗教的にはボストンでチャールズ・マザーの影響下にあり、社会変革の聖書的夢想を描いた。The evangelical minister George Whitefieldの神学に賛成はしなかったが、その貧窮者救済の姿勢に同意して、ホワイトフィールドの著作を公表し、結果的に大覚醒を推進することになった。
エピクロスの焼き直しのようなことろあり>

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完全な倫理性について聖書が語るところあり
それは犠牲の死を遂げたキリスト・イエスについてのみ言われる
Heb2:10 5:9
1Tem6:16
Mt5:17

この完全さに与るのが聖なる者らであり、彼らは『新しい契約』に参与することにより
キリストの完全さを貸し出されるようにして仮承認されるのであり
この意味に於いて聖徒らの主はイエス。キリスト唯一人である



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