Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

終末に現れる者らの表象と角色

 

・反キリスト [ 'αντίχριστος ]

出;ヨハネ第一×4、『イエスと父を否むもの』『来るであろうとあなたがたが聞いていた』『今でも多くの反キリストがいる』

ヨハネ第二×1『キリストが肉体で来たことを告白しないもの』⇒仮現説のグノーシス

Mt24:11「偽キリスト」

アンティ・クリストは、キリストに対立するの意味のほかに、キリストに成り代わる者の意あり。

 

 

・不法の人 [ ἄνθρωπος τῆς ἀνομίας ](S)

出;2Th2:3=「滅びの子」=Jh17:12

Mt24:12『不法[ανομίαν]が増すので人々の愛は冷える』

出展は聖書中1個所のみ、しかしヨハネがユダ・イスカリオテとの同義を指摘

同節で『背教』の到来に言及

不法[ανομία];iniquity 12, unrighteousness 1, transgress the law + 4160 1, transgression of the law 1; 15 1) the condition of without law 1a) because ignorant of it 1b) because of violating it 2) contempt and violation of law, iniquity, wickedness  

背教['αποστασία]; to forsake + 575 1, falling away 1; 2 1) a falling away, defection, apostasy  

パウロは2Timでも人心の乱れを終わりの日の事象に挙げているが、『これらの者から離れよ』とも『崇拝心に本質のない者となる』とも記すので、これは世相を言うのではなく、より深刻な事態を指している。この観方からキリストの終末預言の『不法が増す』の句も読まれる必要がある。

 

 

・偽預言者 [ ψευδοπροφηται ](P)

 Mt7:15;羊の覆いを被って来る貪婪な狼、24:24偽キリストや偽預言者が多くを惑わす Mk13:22偽キリストや偽預言者が選ばれた者さえ惑わそうと 『実によって見分けるべき』 Act13:6偽預言者バルイエス 2Pet2:1分派をもたらす 1Jh4:1多くの偽預言者が世に出た、霊感は試すべき Rev16:13神の戦争に集める Rev19:20野獣の像を崇拝する者らを惑わした 存続期間はGBよりも延命する Rev20:10 野獣と偽預言者はサタンに先立って滅亡の湖にいる 

多くの箇所で複数であるのは、非常に示唆的である。それは単にあちこちから現れるという意味だけではない。

 

 

・大いなるバビロン [ Βαβυλὼν ἡ μεγάλη ] 


Rev14:8あらゆる国民に淫行の葡萄酒を飲ませた 16:19巨大な都市は三つに裂け神の怒りの葡萄酒を飲む 17:1-6王たちを淫行を行い多くの水の上に座る 野獣の上に座す紫と緋を装う冒涜の女 娼婦たちと地の嫌悪すべきもの*の母 聖なる者らの血に酔う 18:2倒れ悪霊のこもる場所となった

最終警告の「七つの鉢の災い」が終わる段階でまだ存在している

大河の水量を失うところで、残るのはその体制に頑迷にしがみ付く組織人であり、大多数の人は去っている 

*['ο βδέλυγηα]=[ το βδέλυγμα τῆς ἐρημώσεως]Mt24:15

特徴;諸国民への誤導、政治との癒着、大衆支配、支配権の装い、聖徒の犠牲を祝う、悪霊の巣と化す、聖徒の犠牲の倍の報復を受け諸国の権力により短期間で滅亡する

「彼女の高官である旅商人(エンポロイ)」;政治に関与する部分(宗教的政党?) 

「水夫、海で生きるものら」;末端の宗教教師、神秘家、易占業者など

 

・荒らす憎むべき者 [βδέλυγμα τῆς ἐρημώσεως]

Mt24:15ダニエルの語ったものが聖所に立つを見たなら=Mk13:14

Dan9:27憎むべきものの翼の先端*には荒らすものがいる

Dan11:31腕が聖所と砦を汚し常供の犠牲を廃し荒らす憎むべきものを据える

Dan12:常供のものが廃され荒らす憎むべきものが据えられてから1290日がある

[שִׁקּ֣וּץ];abomination アモリ人の慣行への嫌気など<呪い、偶像崇拝等>

<上記GBの子らに「嫌悪すべきもの」と有り>偽預言者と偶像か

Deu7:25-26では、諸国民の彫像を「嫌悪すべきもの」[שַׁ קֵּ ץ ]としてイスラエルの家庭に持ち込まぬよう規定している <ここからすれば、「嫌悪すべきもの」とは偶像(また異教慣行)を含意するとも言える>

וְלֹא־תָבִ֤יא תֹֽועֵבָה֙ אֶל־בֵּיתֶ֔ךָ וְהָיִ֥יתָ חֵ֖רֶם כָּמֹ֑הוּ שַׁקֵּ֧ץ׀ תְּשַׁקְּצֶ֛נּוּ וְתַעֵ֥ב׀ תְּֽתַעֲבֶ֖נּוּ כִּי־חֵ֥רֶם הֽוּא׃ פ

Jer32:34によれば、まず間違いなく偶像を意味している

וַיָּשִׂ֣ימוּ שִׁקּֽוּצֵיהֶ֗ם בַּבַּ֛יִת אֲשֶׁר־נִקְרָֽא־שְׁמִ֥י עָלָ֖יו לְטַמְּאֹֽו׃

これはマカベア記第一1:54でも用いられており、動かし難い

*「翼の先端」おそらくは物事の行く先or結果

YHWHの怒りの日を述べるEzk7:22はAD70の予告のように読め、それはヨセフスが語るところとなった。

この者が権勢を窮めて後、七つの鉢の災いが下ると見るべき理由は多い。

 

・マゴグの地のゴグ [ גֹּוג֙ אֶ֣רֶץ הַמָּגֹ֔וג 

Ez38:2-

ゴグの正体は客観的には追求不能ながら、その角色からすれば同定は難しくない。ゴグそのものはマゴグという地を故地とするが、これを地理的に探る努力は水泡に帰すことになる。これは実際の地方を指してはいない。ただ、ゴグの「故地」である。黙示録で同じ角色を持つものはゴグそのものではなく、その「故地」の方が語られている。(黙示録に現れる『ゴグとマゴグ』とエゼキエルで語られる『マゴグの地のゴグ』とは角色において同じではあるが、実体は別ものである)

したがって『お前の地』また『北の最果て』とは地理的方向を指さない。この句と『ロシュ』[ראש]からロシアとするのは、この秘儀への罠であり、かなりの人々が現にこれを信じている。⇒「文語訳に現れるロシ」この罠は、地上のエルサレム(エレツ ネゲヴ)への誤解を呼び起こすことで、まさしくゴグがゴグとなるための神の布石となっている。しかし、自身がゴグだとは思わず、別の者をそう呼ぼうとするのであろう。そこでダニエル12:4は良い意味で語られていないようである。 <ゴグを来たらすのは、このゴグの記述そのものとなり得る>

マゴグは集団と見てよく、聖所を汚す者らに敷衍される。⇒ アヴァスターのmag または mayu に由来するなら、東方の三博士とマゴイの関わりに共通性がある。Rev12:1は三度目を示唆している蓋然性も生じる。Ezcは最初のマゴイの関わりを暗喩しつつ、第三のマゴイを予告しているかも知れない。⇒ マゴグの地のゴグ

 ・北の王 [ מֶ֣לֶךְ הַצָּפֹ֔ון ] 

ダニエル書第11章の黙示(キュロス3年)に現れる南北で対立する王朝の一方

ダニエル書の記述の流れからしセレウコス朝を指しつつ、それだけでは収まらない記述が混在している。⇒「ダニエル11章

特に『契約』との関係性に特色があり、常に逆らう姿勢を示す。

南(negev)の王と『争い』[יִתְנַגַּ֤ח]多くの土地に侵入し『飾りの地』にも侵入する。軍備が非常に多く南の王や諸国を圧倒する。

取るが、急を告げる知らせに慌てて『飾りの地』を滅ぼし尽くそうとする矢先に突然の滅びに面する。⇒「二度救われる女

「終末の北の王」

[מִלְחָמָ֔ה]「戦争」(Dan9:26)とは言わない理由?

「南の王」[מֶ֣לֶךְ הַנֶּ֔גֶב]は掛詞の意味か

 

小さい角  [ פינה קטנה ] [ Μικρή γωνία ] 

ダニエル書第七章(ベルシャッツァル1年アラム語)以降に現れる獣の幻に一貫して現れる表象であり、『第四の獣』に属する十本の角の間から生じ、他の三本を引き抜く。これには人の目があり、大袈裟な事を語る口がある。D7:8

はじめは小さい角であるが、後に他の角よりも大きくなっている。D7:20  この角は『聖なる者ら』と戦って勝利する。同21 cf;Rev13:7

語る大袈裟な事とは至高の者への逆らいの言葉であり、『聖なる者ら』を絶えず悩ます。この角は『時と法を変えようとし』聖なる者らは『一時と二時と半9時の間その手にわたされる』25

 ダニエル書第8章(ヘブル語)では一角の山羊から出た四本の角の一つから『小さい角』が現れる8:9 これは『天の軍勢にまで達するようになり、一部を踏み躙る』また『常供のものが(違反のため徐々に)取り去られ』『聖所は打ち捨てられる』また南と東に侵攻し「飾りの地」にも向かい天軍の幾つかと星の幾つかを地に落とす。8:9-12

 

8:23 一人の王 自力でなく強大となる 『人手によらず砕かれる』8:25 

それから神に裁かれ支配権を失い、滅ぼし尽くされる。26

<第七章の四野獣と歴史上の相違が出るのだが、却ってこれは第11章の解き証しに証明を与える印となり得る>

 

 

・七つの頭を持つ野獣  [ θηρίον με επτά κεφάλια ] 

Rev13 聖徒攻撃のために悪魔が呼び出す権力の集合体

野獣の概念はダニエル書後半で繰り返されるが、黙示録には七つの頭を持つ野獣と子羊に似た野獣が登場し、七つの頭を持つ野獣についての『像』を作り、それを生きたものとするのが子羊に似た野獣の仕業となる。

ダニエル書の四頭の獣の概念を黙示録では七の覇権に拡大しており、それらを同時に具現する『だれがこれを戦い得るか』と言って人々が驚嘆するこの七つの頭を持つ野獣は、史上現れたことのないほどの権力を持つ。

人類の権力を合わせるほどの権威は過去に一度だけ登場しかけたことがあり、それはシュメール文明期に人類統一政府の野望を達成しかけて神の介入により挫折したニムロデの政権が挙げられる。そこで屠られた頭のひとつとは、唯一直接に神の裁きを受けていた第一の覇権シュメールを指すと思われる。

終末にこれは『奈落の底から這いあがり』*それまでどの覇権も得なかったほどの権力を以って『神の王国』の支配権を有する『聖なる者ら』と対峙し、迫害し、遂にまったく勝利を収める。しかし、その活動期間は『42ケ月』に限定されており、聖徒を滅ぼすと直ちに姿を消すことになる。

しかし、その十本の角はその後も存在し、やがてこの獣は『像』となって政祭の頂点に上る。

*この表現は遥かな時間の隔たりについて用いられている。cf;ニサン14夜の滅び、AD33のシャヴオート

 

・二人の証人 [ Δύο μάρτυρες ]

Rev11 終末の『1260日』(42ヶ月/三年半)『粗布をまとい預言する』即ち『聖霊によって語る』『聖なる者ら』

彼らが奇跡を行う姿、また神の崇拝の復興に携わることは三つの二人組によって示される。(エリアとエリシャ、ゼルバベルとエシュア、モーセとアロン)

彼らは七つの頭を持つ野獣によって死に至らされるが、それは彼らを地上で練り清め、世を糾弾して殉じキリストに続く者として認められる。彼らの滅びは世の反対者、特に宗教関係者に喜ばれるが、それは『三日半』という僅かな間に過ぎず、また幾らかの残った聖徒らは、一時に地上から姿と消して死体も残さず天界に召されるために、この世を震撼させ、その激震も印として示される。Hgi2

キリストの声を聞いて死人が蘇るというのは、この時の聖徒の天への召集を表す。ゆえに『第一の復活』では生前の行いが問われることになる。

 『わたしの名のためにすべての人に憎まれる』Mt24:9

 

・蝗 [ אַרְבֶּ֔ה ] [ ἀκρίδες ]

黙示録では天から降った[πίπτω]星で表される者に与えられた『底知れぬ深み』[ἀβύσσος]の鍵を解くことによって登場する。(その以前に煙は出ている)

ヨエルに似た預言があるが、こちらはあのペンテコステからしばらくの間に成就しており、ユダヤ体制を暗くし蝕んだ。

同様の事態がキリストの再臨によってもたらされるが、この蝗害はまず地上の全体への苦痛を与えるものとなるが、実際の昆虫としての蝗の寿命『五か月』という限定された期間に限られ、蝗害がそうであるようにいずれはまったく去って行く。

これは聖徒の表象であるので、王冠とライオンの歯を持つ、彼らには義が仮承認されているため鉄の胸当で心は守られる。尾と針は、その影響を後にしようとする者、無視するものにとって耐え難い苦痛を与える。これはヨエルの預言のようにユダヤ教固執した者らがかつて使徒らによって味わされた感覚でもある。

彼らの主人であるアバドンは出エジプトに登場しており、その働きによって結果的にレヴィの選びに到達している。⇒ヘブライ

 

・騎兵の軍隊 [ στρατευμάτων τοῦ ἱππικοῦ ] 

蝗によく似た姿を持つが乗り手を伴い、滅びの象徴の三色(特有)、無視して通り過ぎる者を害する蛇の尾を持つ。権威が口と尾とにあるのは、彼らの発言が裁きに至ることを表す。

これら二億もの騎兵を導き出すのはユーフラテス河畔を解かれる四人の使いであり、蝗ではなく、おそらくはアリヤー・シオンの残りの者に相当

この騎兵が攻撃するのは地の三分の一であり、それを『殺す』。⇒Rev19:9

その時点で蝗害は去っている。蝗を葬ったのが三分の一だからであろう。従って、蝗の報復を三分の一に対して行うことになる。

GBではなく『三分の一』に対する行動であるところが『十本の角』と異なる。『三分の一』がGBではないところは、ラッパの黙示に表れている。

 

・十本の角  [וְקַרְנַיָּ֣א עֲשַׂ֔ר ]Da7:24  [ δέκα κέρατα ]Rv17:12

ダニエルの第四の獣に属するもの、また黙示録での七つ頭のある龍にあるもの、同じく、海から上がり、『底知れぬ深み』[ἀβύσσος]から呼び出される野獣に属する。黙示録での『十本の角』は『七つの頭を持つ野獣』と共に終末に於いて王の権威を持つことになる者らを表す。

この者らは『大いなるバビロン』を直接に滅ぼす権力を行使する。そのときに『七つの頭を持つ野獣』が存続しているかは不明。

『これらは一つの考えを懐き自分の権威を野獣に与える』の『野獣』が曖昧な語であるのは、元の『七つの頭を持つ野獣』が姿を消して『像』に入れ替わっている可能性がある。cf;Dn7:12

 

・忠実で思慮深い(奴隷・家令)

[ὁ πιστὸς δοῦλος καὶ φρόνιμος(単数)]Mt24:45

[ὁ πιστὸς οἰκονόμος ὁ φρόνιμος(単数)]Lk12:42

キリストにより語られた時点では何者であるか、聖徒か信徒かも不明。

婚宴から戻る主人を待ち続けることにより忠実を尽くす奴隷の頭、または家計を司る家令で、家の奴隷たちに定時の食事を与え、準備を怠らない。

主人は予期せぬ帰宅をすることが強調されており、それを待たない誘惑が強いことが警告されている。

主人の帰宅を相応しく迎えるなら、異例の厚遇を受け主人の持ち物の一切の管理を司ることになる。

富者の家で会計担当の家令(オイコノモス)は、まず間違いなく一人である。だが、これを理由に終末での相当者が唯一人であるかは不明。

 

・シオン [ צִיֹּ֖ון ] [ Σιών ] 

元来はダヴィドの街となったエルサレムの乗る岡の名称。

ネイヴィームによって「回復の預言」の象徴ともなるが、律法契約の不履行により荒れ塚となって後、奇跡的復興を遂げる。子を失い、夫に去られた女として預言書に語られ、アブラハムの妻をも暗示されるが、やがて多くの子らと夫たる神YHWHが帰り、再びその名を置く処となる。

やがて王権も伴うようになり、終末が進むと諸国民が流れのように向かう。

イザヤによれば、この世に暗闇が覆う時に目ざめ、神に光明によって輝き始める。そこに子らが四方の国々から集められ、この女の許に参集してくる。

荒れ果てた寡婦であったこの女そのものは栄光を受け、諸国の宝物が運ばれ、新たに改善されて新しい名で神から呼ばれる。

二度の危機があるが、どちらからも保護される。

終末でこのシオンは地上に存在する神殿を伴う街と歪曲して解釈され、しかも、実際の場所から幾らか離れた広く高い土地に『新しいエルサレム』として新設される恐れが考えられる。

 

・太陽と月と星で装った女 Rev12:1

[γυνὴ περιβεβλημένη τὸν ἥλιον, καὶ ἡ σελήνη ὑποκάτω τῶν ποδῶν αὐτῆς καὶ ἐπὶ τῆς κεφαλῆς αὐτῆς στέφανος ἀστέρων δώδεκα]

天空の光をまとう。妊娠の苦しみにあるが遂に子を産み、悪魔の策略を排して子は神の許に納められる。

天空に現れた幻ではあるが、地に堕ちた悪魔の攻撃に曝されるので地上のものである。悪魔の攻撃からは地の援助を受け三時半は猶予される。その保護が解かれる時、それは大患難の始まりを画するが・・

明らかにイザヤ書の女シオンであり、黎明から覚醒して聖徒を生み出し、聖徒の活躍中は保護を受け、聖徒を支援する機会を得る。

 

・七つの頭を持つ龍 [ δράκων ] 

火の色で、七つの頭に王冠を戴き、十本の角を持つ。Rev12

黙示録では『原初からの蛇』が悪魔であることが明瞭に暴露される。

天界での天使長ミカエルとの争いに敗れて地に落とされる。

天界の印である『女』が子を産むところを襲って、その子を食い尽くそうとするが失敗し、『女』を攻撃することにも失敗する。そこで『聖徒』である『女の裔で(地に)残っている者ら』と戦うが、そこで七つの頭を持つ野獣を『海』(cf;Is57:20)また『底知れぬ深み』[ἀβύσσος]から、呼び出し42ヶ月活動させ、最終的に『聖徒』に勝利する。⇒Dn7:25/8:24

その直接の手先となるのは小角であり北王から興る。Dn8:24

 

・ミカエルとその使いら[Μιχαήλ καί οι ανγγελοι]

ダニエル書の天使長ミカエルはペルシアの君を抑えることができる。

また、ミカエルは終末の聖徒らの復活に際して決起する。それに際して、或いはその直後に聖徒の復活と裁きが起る。地上の聖徒らの召しが伴うかは不明。

黙示録では聖徒らの登場に際してその使いらと共に悪魔とその一党と天で争い、優勢となって一味を地に放逐する。

これは聖徒の全容が生み出され、サラの出産が終わったことに関連する。

黙示録での『ミカエルとその使いら』は天界のサタンに組みしない天使らの勢力を表すのであろう。しかし、御子の戴冠はまだ先になる。Ps2:1-

黙示録でのミカエルと仲間の悪魔一党への戦いは天界の趨勢を変えるが、ダニエル書ではその直前に北王とその連合(七つ頭の野獣)の瓦解が起っている。おそらくはそれがきっかけとなって黙示録の野獣の偶像化が起る。したがって、黙示録のミカエルの戦いはダニエル書のミカエルの決起に先行している。

 

 

 

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ここから下は今では随分間違っていると思う・・

だが、余裕なく面倒で直せない

 

?七つの頭を持つ野獣の以前の女に対する攻撃、また出産するときの悪魔の策略は何を指しているか?黙示録の中でのダニエルの北王の恫喝はどこに相当するのか?

時間軸の整理

一度目のシオン恫喝の以前にGBは過去のものとなっているか?

北王の崩壊⇒小角の失墜⇒十角によるGB攻撃⇒不法の人⇒666

一度目の恫喝はこれらに先んじている必要があるので、聖徒征服の直後ではないか?

二度目の恫喝は不法の人の顕在を必要とする

解答は「一度目の恫喝は聖徒攻撃に付随するのでGBは健在である」となる

GBが『野獣の上に座す』のは『像』でない方の野獣そのものになる。

時間的に、北王と小角の野獣が失墜するに伴いGBの立場は著しく悪くなる。この場合、北王が小角を伴うのは、北王が反宗教的に過ぎて諸国の賛同を得るに至らないことがあるように思われる。

またGBが力を失う大きな原因に、残りの聖徒の消滅があるらしい。次いで不法の人の背教が猛烈な潮流となって人々の宗教心を煽り、大河の水が引いてゆく*。そこで小角が過去のものとなっていても、残った十本の角に一致した行動をとらせやすい状況が生じると考えられる。(『像』の前後関係は?)

或いは、GBの滅びと666とは連動するか?宗教心の受け皿としては都合はよいことになるが

*それでもGGの現れが聖霊降下に起因するのであるから、水位の退潮は大いなるキュロスの功績と云える。 

 

北王が自分を神よりも高めるのがGBの依然として存在している間であるとすると、見かけ上でしっくりしない。もしGBが座るのが北王であれば、振り落とされる。そこで小角は北王からある程度独立したものである必要性がある。

北王が自分を神よりも高めるというのは、その反宗教性を言うのかも知れない。また聖徒への勝利に自信を深め傲慢を極めるとも言える。

そうなると、不安を煽る知らせとは聖徒の消滅か?そうではないらしい。権力基盤の喪失に関わることである可能性をシリア史とアッシリア史が示唆する。

シリアの地名はアッシリア(日の出の地アッシュール)が転訛したものとの説もある。それならばDan11の謎の転換に意味が出て来る。

 

そのように北王は徹底した非宗教であるが、小角はどうか?全球的な権力を束ねるとなると、非宗教を貫徹することは相当に難しいに違いない。

小角が宗教容認の姿勢を持つものであれば、その『像』というものが作られる誘因は大きいとは言える。しかも北王は一度神に勝って自分を高めている。

やはり現時点では『像』の建立がGB滅亡の前後いずれかについて不明。

<北王がなぜ北に向かわないかは現状のところよくわかる。だが、西に向かわない理由については、その対外政策からすれば問題を自ら招きたくないはず。そこで回教をどうするかという問題があるが、そちらも一枚岩ではないので、その一派と結びつくのかもしれない。そうすると、おそらくトルコの南部、イラクの北部を避けるかも知れない。何とかシリア領内に入れるなら欧州を切り崩そうとするのかも知れない(ユークレインが狙われるか?)。この対立が続いている間はGBは健在であるように思われる><この南と東というのはエピファネスとの異なりを示すためか?>

背教は北王の下ですでに始まっていた。背教が引き返せなくなるのは聖徒が去った時であり、人々はここでも*多くが二分される。そこでは北王も小角もGBも健在でなくてはいけない。従って『像』と不法の人はまだ無い。*「測ってはならない」

それから『像』と666には建設準備が要るし、宗教合同の合意も必要と思われるので、GBの滅びはその途上での「出し物」になるのかも知れない。その結果、人類は宗教的に後戻りができなくなり、神に関わる論争が二極化する。渡海した船を焼くようなもの。結局は脱落聖徒の貪欲ではないか!

信仰合同ではユダヤ教に相当な準備が必要になるけれども、これは現状でさえ箱物が出来ればよいくらいには仕上がっている。あとは背教の教理だが、これも骨格は古来から出来てきている。三一、地上再臨、など、あとはトーラーとクルアーンの終末思想(ハディース)をどうまとめるか。エルサレム問題はエゼキエルで簡単に解決してしまうだろうし、イスラームの終末教理にイエスばかりかGGも存在している。

北王の失墜は、シオンとの関係が何か関わるらしい。いずれにせよ「契約」に最も反対し自国民を盲目にしておくことはできなくなる。そうでなければ神の公平性に反する。元々情報の遮断そのものが人類の性質や進歩に逆行しており時代と技術に於いて無理があり、人間性を無視した支配は早晩挫折する。これは四つの金属の像の足先の部分と何か関わるか?関わるだろう、権力と人数のせめぎ合いの結果、権力が崩壊すると思われる。南王がこれを慫慂する可能性は大きい。

おそらく、世間はこれらを知っても知らないかのように行動するのだろう。それで「わたしが暗闇であなたがたに話すことを、明るみで言え! 」と言われたのも「耳に割礼のない」者を怖れる必要もないからではないか。

「顎に鉤をかけて」神は経綸のために邪悪を使役する。

 

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