ダニエル書第11章を中心に探る
天使の現れはキュロスの第三年(前535)で最後の啓示 (祭祀復興まで20年)
この天使はメディア王ダレイオスの第一年から、その王権の護持者となっていた。『なお三人の王がペルシアの為に立つ』というのは、第四の王がギリシアを攻めているので、それがヒュスペスタスの子であるダレイオスⅠ世であることが分かる。それ以前の三人は、キュロスⅡ世、カンビュセスⅡ世、ガウマタ(スメルディス)ということであるかも知れない。
次いで『一人の強大な王』とは、四方に分かたれるマケドニアを指していることが明らかなので、これはアレクサンドロスⅢ世以外にない。
『そして南の王が強くなる』というのはディアドコイの一人プトレマイオスであることも疑いを残さない。
ここから(11:6)南北の王の争いの記述が始まり11章の全体に及んでいる。
この時点での北の王の実体もセレウコス朝であることもまず間違いはない。
しかし、その後の記述は謎が満ちている。
この頁では、フランシスコ会の解釈に沿って追ってみる・・
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5.南の王は強くなるが、それに増して一人の将軍が王をしのぐ力をつける
セレウコス・ニカトールはしばらくプトレマイオスの支配下にあったが、独立してシリアを治める
6.南の王の娘は友好のために北の王に嫁ぐが、彼女は勢力を失いその子孫は存続しない
北のアンティオコスⅡ世と南のプトレマイオスⅡ世と後に平和条約を結び、妻ラオディケーを離婚してプトレマイオスⅡ世の娘ベレニーチェ<ベルニケー?>を娶る
しかし、プトレマイオスⅡ世が死去すると、アンティオコスⅡ世はベレニーチェを離婚し、ラオディケーと再婚するが、アンティオコスⅡ世もベレニーチェも、その間に出来た子らもすべて彼女によって毒殺された(伝承?)
北にはセレウコスⅡ世が立つ
7.しかし、彼女(ベルニケー)の一族から若枝が出て父(プトレマイオスⅡ世)に代わる。彼は北の王に向かって進軍し、戦って勝利する。
彼女(ベルニケー)の弟プトレマイオスⅢ世エウエルゲーテスが姉の復讐のためにシリアを攻撃する。
9その後何年かは彼も北の王に手出しをしない。北の王は南の領土に侵入するが自国に退却する。
セレウコスⅡ世の遠征失敗をいう
10.その息子たちは戦いに備えて軍隊を召集する。彼らの一人は抗しがたい洪水のように敵の砦に攻め寄せる。
セレウコスⅡ世の長男セレウコスⅢ世と、次男アンティオコスⅢ世を指す。
次男は即位まもなくエジプトに挑んで、セレウキアの砦、コエレ・シリア、ツロなどを奪い前217にはプトレマイオスⅣ世の大軍を破ってパレスチナ一帯を占領するが、翌春にはガザの南西20kmのラフェアでプトレマイオスⅣ世に敗北しコエレ・シリアは再びエジプトのものとなる。その後一年間平和条約が結ばれた。
13.北の王は、前回に勝る大軍を起こし、数年後に進軍する。
アンティオコスⅢ世は、ラフィアの敗北から13年目にマケドニアのフィリッポスV世と同盟を結んで革命中のエジプトに侵入する(前202)
14.多くの者が南の王に対して立ち上がる
お前の民の中の暴力をふるう者たち
ユダヤ人の中でエジプトに抗いアンティオコスⅢ世に着く者らが
幻を成就させようと
プトレマイオス王朝の支配からの解放と無名の預言者らが唱えた自由のことと考えられる
15.北の王は進軍して堡塁を築き城壁に守られた都市を占領する。南の軍はこれに対抗する力がない。
プトレマイオス家の将軍スパコスが軍を率いてユダに進軍するが、ヨルダン源流のパネイオンでアンティオコスⅢ世に敗北する(前200)彼がシドンに逃れ、エジプトが降伏することで全パレスチナはシリアの支配に入る。
「城壁に守られた都市」はシドンを、「選ばれた兵士ら」は、スパコスの軍を指す。
17.彼は南の王国全体の支配を意図して同盟を結び、娘を嫁がせ、彼女によってこの国を滅ぼそうとする。しかし、それは成功せず、役に立たない。
アンティオコスⅢ世は、エジプト占領をたくらんだが、最後にローマの権威を恐れ、エジプトと平和条約を結んだ。アンティオコスⅢ世は娘のクレオパトラをプトレマイオスV世に与え、それによって再びエジプトを手中にしようとするが、嫁いだクレオパトラは夫と共にローマと同盟を結んでしまい、父に思惑は潰えた。
18.次いで彼は島々に目をつけ、多くを占領するが、一人の指揮官が彼の悪行を制し、報いる。
アンティオコスⅢ世は前196年頃には小アジアの全域を手中にした。前192年には、領土を拡張するべく、ギリシア占領を目論んだが、191年テルモピュライでローマに敗れた。
翌年には八万の軍を興すもスミュルナ近郊マグネシアで完敗し、その支配は終わりを告げる。ローマの指揮官はスキピオ・アシアティクスと言った。「島々」とは地中海沿岸の国々を指す
19.そこで失脚して姿を消す
アンティオコスⅢ世は前187年にローマに課された税を払うためにエラムの神殿から略奪を謀るが、住民の反感を買って殺害された。
20.彼に代って立ち上がる者は、国の栄光のためにと税を徴収するものを派遣する。しかし、彼も数日の内に怒りや争いによらず滅ぼされる。
アンティオコスⅢ世の死後、セレウコス四世フィロパトル(187-175)アンティオコス四世エピファネス(175-164)が順に王位に就いた。
セレウコス四世は在位中9年にわたり毎年千タラントンをローマに支払う義務を負ったため、高官ヘリオドロスをユダに派遣し徴税させた。王は更に神殿の金銀を収奪させようとしたが、彼は王に反旗を翻し暗殺した。「幾日の内には」:セレウコス四世がシリアを収めた12年間を指す。
21-45まではアンティオコス四世エピファネスについて述べている。
彼はセレウコス四世フィロパトルの死後、正統な後継者であった甥のデメテリオスを陥れ自らが王位についた。その彼を「卑しむべき者」と言っている。また「小角」とも象徴されている。
「洪水のような軍勢」とはヘリオドロスの軍勢の勢いを言う。
「契約の君」とは大祭司オニアであり174年にアンティオコス四世によって職を追われ、シリアに送られた後、170年にダフネでアンドロニコスによって殺害された。「油注がれた者」と同義で「契約の民の君」の意である。
23.同盟を結ばれても彼はそれを裏切り、僅かな民によって強くなる。
アンティオコス四世は、ヤソン(175-174)メネラオス(172)など、自分の都合で大祭司を決めた。「僅かな民によって強くなる」とは、アンティオコスⅢ世のシリアよりは弱くなったことを言う。
24.彼は最も豊かな地域が平和であった間に侵略し、父も祖父も為しえなかったことを行う。彼は分捕り品を家来の間で分配し、砦の征服をたくらむが、それも一時のことである。
アンティオコス四世エピファネスは、家来には寛大で一人一人に金貨を与えたという。また、彼はエジプト征服を夢見ていた。「一時のこと」とは神の定めの時までの意である。
25.彼は力と勇気を奮い軍を率いて南の王を攻める。南の王も自ら奮い立ち強大な軍を持って挑むが、陥れようと謀る者のために対抗することができない。王の碌をはむ者たちが彼を滅ぼす。王の軍は押し流されて多くの者が戦に倒れる。
アンティオコス四世の最初のエジプト遠征では、エジプト軍を破りプトレマイオス6世を捕虜にする。彼は宦官の勧めに従いサモトラケに逃避する。
27.二人の王は互いに悪意を持ちつつ同じ食卓を囲み虚言を語り合う。しかし何事も成功しない。終わりは定められた時にくるからである。
二人の王とはアンティオコス四世とプトレマイオス6世である。プトレマイオスは捕虜として優遇されていながら不利であった。
28.北の王は莫大な富を携えて戻るが聖なる契約に逆らう思いを懐いて思うままに振る舞う。
アンティオコス四世はエジプトの帰路にエルサレムに寄り、神殿の金銀を奪い殺戮を行った。
29.定められた時に、彼は再び南に攻め込むが、前と同じにはならない。キッティムの船隊が敵対し、彼は阻止される。
このキッティムは島々を表し、更にローマを表す言葉となった。ローマの執政官ポピリウス・ラエナスが伝えた元老院の要求は、アンティオコス四世が武器を捨て、エジプトからもキプロスからも撤退することであった。
30.彼は帰途で契約に対して怒りをもって行動し、契約を捨てた者には好意を示す。その軍隊は神殿と砦とを汚し、常供の犠牲を廃し、憎むべき荒廃をもたらす者を据える。
アンティオコス四世はエルサレムに進軍し、神殿周囲の城壁を壊して要塞を建てた。更にヘレニズムを推奨して神殿の犠牲を中止させ前167年12月7日にゼウス像を作らせユダヤ人に犠牲を捧げることを強要した。この迫害は三年の間続いた。
33.民の賢い者らは多くの者を導くが、ある期間は剣にかけられ、火あぶりにされ、捕えられ、略奪されて倒れる。彼らが倒れるときそれを助ける者は少ない。多くの者が彼に組みするが、それはへつらいに過ぎない。
「民の賢い者ら」とはヘレニズム化を拒んだ者、「ある期間」は迫害の間、この辺りはマタティアとマカベア兄弟、ユダ・マカベアの初めの反乱を指している。真の解放は武力ではなく、神の恵みによると考えるハシディームに属する本編の著者は初期にはマカバイの運動に加わっていたが意見の不一致から次第に離脱していった。
35.終わりの時にに備えて精錬され白くされるためである。その定められた時はまだ来ていない。
「終わりの時」はアンティオコス四世エピファネスの終りを指している。
36.あの王はすべてに優って自分を高め奢る。神の神の対して信じ難い言葉を吐き、怒りの時が終わるまで栄える。
自分を高めるとは、数々の強固な砦に異国の神のもの(異教崇拝者)達を護衛兵として置き、自分への礼拝を強要し、銀貨に自分の像を神として刻ませた。「信じ難い言葉」とは神への反抗の姿勢を、「怒りの時が終わるまで栄える」とは、アンティオコス四世の悪行のひどさを言う。「女たちの慕う神」とはアドニスやタンムズ<泣く神>
39.彼は砦の神を崇め、財宝を以って先祖たちの知らない神を崇める。
数々の強固な砦に異国の神のもの達を護衛兵として置き、気に入った者らには名誉を与える。
砦の神とは、オリュンピア山のゼウス、アンティオケイアにもゼウス神殿を建てたが、彼は捕虜として過ごしたローマのカピトリヌス丘にあるゼウス(ユピテル)を見慣れていた。
『数々の強固な砦に異国の神のもの達を護衛兵として置き』とは、ヘブライ語の発音を換えて読むとこうなる。マソラでは「強固な砦の数々を異国の神に頼って攻め」。アンティオコス四世はシリア人と棄教したユダヤ人を神殿傍の砦に兵士として立たせた。
44.東と北からの知らせが彼を怯えさせ、多くの者を滅ぼし尽くそうと怒り立って進軍する。
アンティオコス四世はエジプトに攻め込んだときに自国の東に居たパルティアと(北の)アルメニアの反乱を知って当地に向かった。
『王宮の天幕は張り』の王宮とは原語「アペデン」でこれは聖書中一か所だけ用いられているペルシア語からの外来語である。
『その時』アンティオコス四世が没して以降、ユダヤは『見たこともないような苦難』を受けたと解釈。
『リビアとクシュも彼の歩みにつく』エチオピアとリビアは共にアンティオコス四世に征服されている。
『多くの者が右往左往する。そして知識は増す』この二つの文のつながりが不自然であるので、LXXは『多くの者は戸惑い。地に不義が満ちるまでになる』と訳している。最初の動詞を「探る」と訳すことも可能。
cf;Ams『8:11 見よ、その日が来ればと/主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく/水に渇くことでもなく/主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。8:12 人々は海から海へと巡り/北から東へとよろめき歩いて/主の言葉を探し求めるが/見いだすことはできない。』*[יְשֹֽׁוטְט֛וּ]
ダニエルでは『終わりの時までこれらの言葉を秘して、この書を封印せよ』と前置きされているが、ダニエル書はそのままに読めるのであり、言葉そのものは秘められていない。秘められているのは言葉の意味であり、それは封印されたままであるので、多くの人々がこの書を探って右往左往して『知識が増す』といっても、真意を悟るのではなく、様々な謬説が蔓延るので、その誤謬が罠として作用するというようにとれる。
『多くのものが逸れてゆき、(彼女は)知識を増す』
「 יְשֹׁטְט֥וּ רַבִּ֖ים וְתִרְבֶּ֥ה הַדָּֽעַת」
これは・・まずそのようだ(おそるべし)
『1335日』外典の「イザヤの殉教と昇天」に於いて(4:12)反キリストの支配の日数として示される。
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アレクサンドロス大王には、エルサレム到着の折に、ダニエル書の予告が本人に示されたとされる。(山羊の紋章)
大王はユダヤ人に好意を持ち、アレクサンドレイアへの移住を促進
前323に大王が崩御してから281年にセレウコスがシリア覇権を確立するまでディアドコイ戦役が続き、セレウコス朝はアンティオコス13世の時にポンペイウスに退位させられ前64年にまったく消滅した。<ダニエル書はセレウコス朝の終焉の史実とは一致していない。それ以前に権力は喪失されていた>
翌63年にポンペイウスはユダヤ占領に乗り出したが、ハスモン朝は分裂抗争の最中にあり、ローマ軍はヒルカノスⅡ世と連合してエルサレムに籠るアリストブロスⅡ世を攻撃し、三か月の後にポンペイウスはエルサレムに入城する。
彼は神殿内に偶像がないことを確認するために至聖所まで侵入したが、確認だけに済ませ、内部には手を付けず、翌日からの祭祀の継続を認めている。
前30年にアクティウムの海戦でプトレマイオス朝もローマに敗北し、マケドニアは完全に姿を消して、東方ヘレニズム文化が残った。
帝政ローマ期の到来と共に、ユダヤにはエドム人ヘロデ大王の覇権が敷かれる
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所見;フランシスコ会は、全体を歴史上の既成の事実として見ている。しかし、それだけでは収まらない言葉が余りに多い。
それでも、これを二重の成就を込めた黙示と捉えることはできる。
そうであれば、すべての語句をひとつの時代に当てはめることは難しくなるはずであり、またその必要もない。
また、この章やダニエル書に関連を限定するなら、相当に重要な意義を外す。
現代の視点からすれば、過去の実例によって将来の終末の姿をより示唆的に予測する助けとなる。
東方はペルシア後、ヘレニズムの約三百年間は不安定で、ユダヤは南北の覇権に揺さぶられ続け、僅かながら70年ほどの独立王権を得ただけで、宗教的にはディアスポラへの教育とタナイームの勃興があり、極端な教条主義に染まりつつあった。
・ダニエル書の大まかな目的
世界覇権の動きと捕囚期終了以降の契約の民の処遇とを予告する
その後に始まる南北の王権の抗争を予告しつつ、終末の情勢も予告している
(但し、当時に充分悟られたとは言い難いところあり)