Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

「ホ アンスローポス テース アノミアス」

時間的要素

Dan11:聖徒攻撃の前、荒憎者が据えられる
   聖徒攻撃の後、己を神とする


   大王は聖徒を背教に誘う


2Th2:抑制するものが無くなったときに現れる
   キリストのエピファネイアで除き去られる


   毒麦はシュンテレイアに不法を行う



注意点:大王はエピファネイアの前に自壊するらしい
    「新しい角」は「他の王たち」よりも先に姿を消す
    大王はシオン攻撃中、ミカエル決起の以前に滅ぶ
    (聖徒とシオンは明らかに別物となる)
    (エピファネイアまで存在するもの、諸王、HATA)


    不法の人が己を高めるのは聖徒後であるらしい
    パウロは「抑制するもの」が無くなってから不法が顕在すると言う


    聖徒が召集されることで地には神を自称する隙ができる
    脱落聖徒は地上に残るだろう
    彼らは背教しており「不法」に加担する道筋がある
    そうして「外の闇」に投げ出され「歯噛みする」のか
        (そうなると聖徒の選別は唯ならぬことになる)

    「ホ アンスローポス テース アノミアス」が
    「ホ ヒュイオス テース アポーレイアス」と同じなら
    Y/Iとも共通することになる

    もしそうなら、彼はパスカのエレメントに与ったに違いない
    (多くの宗派はそれを回避しようとしているが)
    一度、契約に与るものとなったが故に罪も決定的であろう

    ではホ アンスローポス テース アノミアスは元聖徒か?
    偉大な業を行い、不法を為し、外の闇に置かれる
    (業を為した「十二人」には当然彼も含まれる)


    それは大王とも荒憎者とも異なるのか?
    北王と増長で共通しているが


?大王と七頭獣と新しい角と野獣の像と荒憎者と不法の人?


cf:「ひとりは連れてゆかれ、ひとりは捨てられる」とは一般人を意味しないのではないか。語られた対象もユダヤ人(で使徒)である。
とすれば「連れて行かれる」のは召集であって「捨てられる」は実質「残される」ことで、聖徒にとっては恐るべきことであろう。引き網の例えも同様。


『彼らは雲に乗って天に昇った。敵らはそれを見た。このとき大地震が起こって都の十分の一が倒れ、七千人が死に、生き残った人々は驚き恐れて天の神に栄光を帰した』。『わたしは七千人を残しておいた、その膝がバアルに屈まなかった者たちである』。『騎兵隊の数は二億であった』。


聖徒壊滅後、幾らか残されないと「連れて行かれ」も「人々は恐れ驚き」もしない。「人々が恐れ驚く」という感情は一般人のもので、非常に複雑なものだろう。そこでもなお帰依があるのか。


1Joh2:18 今でも多くのアンティ・クリスト(名 主男単 )が
2Joh7 それがアンティ・クリストである

サム下 22:49 敵からわたしを救い/刃向かう者よりも高く上げ/不法の者から助け出してください。

詩 18:49 敵からわたしを救い/刃向かう者よりも高く上げ/不法の者から助け出してください。

詩 18:48 わたしの敵からわたしを救い出されました。まことに、あなたはわたしに逆らって/起りたつ者の上にわたしをあげ、不法の人からわたしを救い出されました。

詩 140:2 主よ、さいなむ者からわたしを助け出し/不法の者から救い出してください。

詩 140:5 主よ、主に逆らう者の手からわたしを守り/不法の者から救い出してください/わたしの歩みを突き落とそうと謀っている者から。

詩 140:12 舌を操る者はこの地に固く立つことなく/不法の者は災いに捕えられ/追い立てられるがよい

箴 6:12 よこしまな者や不法の者は、曲がったことを言って歩き回り、(新改)





使2:23 あなたがたは彼を不法の人々の手で十字架につけて殺した。


感想:やはり聖書のほとんどは聖徒の事柄を記している。
エスは彼らをこそ気遣い、将来の決定的な時に起こる試練に対して、多くの言葉を語って備えさせ、励ましているというよりほかない。



  小麦と毒麦の例え 不法の人の現れる時
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