Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

「魂」(ネフェシュ)翻訳の実態

1.(ネフェシュ)初出箇所「水は生きたを続々と出させよ」
創世記1:20
וַיֹּאמֶר אֱלֹהִים יִשְׁרְצוּ הַמַּיִם שֶׁרֶץ נֶפֶשׁ חַיָּה


LXX
Καὶ εἶπεν ὁ θεός Ἑξαγαγέτω τὰ ὕδατα ἑρπετὰ ψυχῶν ζωσῶν
NKJV
"Let the waters abound with an abundance of living creatures,
口語訳
「水は生き物の群れで満ち
新改訳
「水には生き物が群がれ。
新共同訳
「生き物が水の中に群がれ。


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2.創世記2:7「人は生きたとなった」

וַיִּיצֶר יְהוָה אֱלֹהִים אֶת־הָאָדָם עָפָר מִן־הָאֲדָמָה וַיִּפַּח בְּאַפָּיו נִשְׁמַת חַיִּים וַיְהִי הָאָדָם לְנֶפֶשׁ חַיָּה׃

LXX
καὶ ἐγένετο ὁ ἄνθρωπος εἰς ψυχὴν ζῶσαν.
NKJV
And the Lord God formed man of the dust of the ground, and breathed into his nostrils the breath of life; and man became a living being.
口語訳
主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
新改訳
神である【主】は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。
新共同訳
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

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3.「には
申命記19:21

וְלֹא תָחֹוס עֵינֶךָ נֶפֶשׁ בְּנֶפֶשׁ עַיִן בְּעַיִן שֵׁן בְּשֵׁן יָד בְּיָד רֶגֶל בְּרָגֶל׃

LXX
οὐ φείσεται ὁ ὀφθαλμός σου ἐπ' αὐτῷ· ψυχὴν ἀντὶ ψυχῆς,
NKJV
"Your eye shall not pity: life shall be for life,
口語訳
あわれんではならない。命には命、
新改訳
あわれみをかけてはならない。いのちにはいのち、
新共同訳
あなたは憐れみをかけてはならない。命には命、

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レヴィ16:29

NKJV
”his shall be a statute forever for you: In the seventh month, on the tenth day of the month, you shall afflict your souls, and do no work at all, whether a native of your own country or a stranger who dwells among you”

口語訳
これはあなたがたが永久に守るべき定めである。すなわち、七月になって、その月の十日に、あなたがたは身を悩まし、何の仕事もしてはならない。この国に生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者も、そうしなければならない。

新改訳
以下のことはあなたがたに、永遠のおきてとなる。第七の月の十日には、あなたがたは身を戒めなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの中の在留異国人も、どんな仕事もしてはならない。

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4.レヴィ17:11「肉のは血にあるからである。あなたがたののために祭壇の上で、贖いをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血がその内のによって、贖いを為すからである。」


כִּי נֶפֶשׁ הַבָּשָׂר בַּדָּם הִוא וַאֲנִי נְתַתִּיו לָכֶם עַל־הַמִּזְבֵּחַ לְכַפֵּר עַל־נַפְשֹׁתֵיכֶם כִּי־הַדָּם הוּא בַּנֶּפֶשׁ יְכַפֵּר׃

LXX
ἡ γὰρ ψυχὴ πάσης σαρκὸς αἷμα αὐτοῦ ἐστιν, καὶ ἐγὼ δέδωκα αὐτὸ ὑμῖν ἐπὶ τοῦ θυσιαστηρίου ἐξιλάσκεσθαι περὶ τῶν ψυχῶν ὑμῶν· τὸ γὰρ αἷμα αὐτοῦ ἀντὶ τῆς ψυχῆς ἐξιλάσεται.

NKJV
'For the life of the flesh is in the blood, and I have given it to you upon the altar to make atonement for your souls; for it is the blood that makes atonement for the soul.'

口語訳
肉の命は血にあるからである。あなたがたののために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。
新改訳
なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。
新共同訳
生き物の命は血の中にあるからである。わたしが血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである。

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5.レヴィ17:14「あらゆる肉なるもののは血であり、その中にがある」
כִּי־נֶפֶשׁ כָּל־בָּשָׂר דָּמֹו בְנַפְשֹׁו הוּא וָאֹמַר לִבְנֵי

LXX
ἡ γὰρ ψυχὴ πάσης σαρκὸς αἷμα αὐτοῦ ἐστιν

NKJV
"for it is the life of all flesh. Its blood sustains its life.
口語訳
すべて肉の命は、その血と一つだからである。
新改訳
すべての肉のいのちは、その血が、そのいのちそのものである。
新共同訳
すべての生き物の命はその血であり、それは生きた体の内にあるからである。

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詩篇16:10
なぜなら、あなたは見捨てない、わたしのを墓に。あなたは、あなたを敬う者に墓穴を見る事をさせない。

כִּ֤י׀ לֹא־תַעֲזֹ֣ב נַפְשִׁ֣י לִשְׁאֹ֑ול לֹֽא־תִתֵּ֥ן חֲ֝סִידְךָ֗ לִרְאֹ֥ות שָֽׁחַת׃

LXX
ὅτι οὐκ ἐγκαταλείψεις τὴν ψυχήν μου εἰς ᾅδην
οὐδὲ δώσεις τὸν ὅσιόν σου ἰδεῖν διαφθοράν.


NKJV
For You will not leave my soul in Sheol,Nor will You allow Your Holy One to see corruption.
口語訳
あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。
新改訳
まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
新共同訳
あなたはわたしのを陰府に渡すことなく/あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず


          • 引用箇所 -----

使徒言行録2:27
なぜなら、あなたはわたしのをハデースに見捨てず、その聖なる者に朽ち果てることを見させない。

NA28 Act2:27
ὅτι οὐκ ἐγκαταλείψεις τὴν ψυχήν μου εἰς ᾅδην
ἐγνώρισάς μοι ὁδοὺς ζωῆς, 

NKJV
For You will not leave my soul in Hades,Nor will You allow Your Holy One to see corruption.
口語
あなたは、わたしのを黄泉に捨ておくことをせず、/あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならない/であろう。
新改訳
あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
新共同訳
あなたは、わたしのを陰府に捨てておかず、/あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない。





詩篇66:9
(神は)命の内に我らのを置いてくださる。

הַשָּׂ֣ם נַ֭פְשֵׁנוּ בַּֽחַיִּ֑ים וְלֹֽא־נָתַ֖ן לַמֹּ֣וט רַגְלֵֽנוּ׃

LXX
τοῦ θεμένου τὴν ψυχήν μου εἰς ζωὴν καὶ μὴ δόντος εἰς σάλον τοὺς πόδας μου.


NKJV
Who keeps our soul among the living, [And does not allow our feet to be moved.]

口語訳
神はわれらを生きながらえさせ、[われらの足のすべるのをゆるされない。

新改訳
神は、私たちを、いのちのうちに保ち、私たちの足をよろけさせない。

新共同訳
神は我らの魂に命を得させてくださる。我らの足がよろめくのを許されない。




詩篇74:13-14

יָ֭חֹס עַל־דַּ֣ל וְאֶבְיֹ֑ון וְנַפְשֹׁ֖ות אֶבְיֹונִ֣ים יֹושִֽׁיעַ׃
מִתֹּ֣וךְ וּ֭מֵחָמָס יִגְאַ֣ל נַפְשָׁ֑ם וְיֵיקַ֖ר דָּמָ֣ם בְּעֵינָֽיו׃


彼は貧しいものらのを憐れみ
彼は横暴や虐待から彼らの魂の数々を請戻し、彼らの血の価は彼に尊い

LXX
φείσεται πτωχοῦ καὶ πένητος
καὶ ψυχὰς πενήτων σώσει·
ἐκ τόκου καὶ ἐξ ἀδικίας λυτρώσεται τὰς ψυχὰς αὐτῶν,
καὶ ἔντιμον τὸ ὄνομα αὐτῶν ἐνώπιον αὐτοῦ.

NKJV
He will spare the poor and needy, And will save the souls of the needy.
He will redeem their life from oppression and violence; And precious shall be their blood in His sight.

口語訳
彼は弱い者と乏しい者とをあわれみ、乏しい者のいのちを救い、
彼らのいのちを、しえたげと暴力とからあがなう。彼らの血は彼の目に尊い

新改訳
彼は、弱っている者や貧しい者をあわれみ、貧しい者たちのいのちを救います。
彼はしいたげと暴虐とから、彼らのいのちを贖い出し、彼らの血は彼の目に尊ばれましょう。

新共同訳
弱い人、乏しい人を憐れみ/乏しい人の命を救い
不法に虐げる者から彼らの命を贖いますように。王の目に彼らの血が貴いものとされますように。



詩篇89:48

מִ֤י גֶ֣בֶר יִֽ֭חְיֶה וְלֹ֣א יִרְאֶה־מָּ֑וֶת יְמַלֵּ֨ט נַפְשֹׁ֖ו מִיַּד־שְׁאֹ֣ול סֶֽלָה׃
生きているどんな人(男)が死を免れるのか、彼は墓の手から逃れられるか。セラ!

LXX
τίς ἐστιν ἄνθρωπος, ὃς ζήσεται καὶ οὐκ ὄψεται θάνατον,
ῥύσεται τὴν ψυχὴν αὐτοῦ ἐκ χειρὸς ᾅδου;
διάψαλμα.


NKJV
What man can live and not see death? Can he deliver his life from the power of the grave? Selah


口語訳
だれか生きて死を見ず、そのを陰府の力から/救いうるものがあるでしょうか。〔セラ

新改訳
いったい、生きていて死を見ない者はだれでしょう。だれがおのれ自身を、よみの力から救い出せましょう。 セラ

新共同訳
命ある人間で、死を見ないものがあるでしょうか。陰府の手からを救い出せるものが/ひとりでもあるでしょうか。〔セラ





◆結論--------
このように実在するネフェシュやプシュケーの語を「命」や「もの」に置き換え、ヘブライ語ネフェシュの本来意味するところを無視して、理解し易さを追求すれば、却ってその文章の真に意味する重要さ、即ちキリストと「贖い」に関わる意味の重さから離れてしまい、結局深い理解には到達させず、事の重大さを教えないことになる。

「魂」(ネフェシュ)は、「喉」を含意するヘブライ語であり、その生きる体の必要物のすべてが通過する場所であり、その生きるものの渇望、また敷衍して想いや意識を表す象徴の座と言える。アダムは呼吸を始めた時に創造されたとも言える。加えて、アダムが土から創られ『魂となった』ように、創造された「もの」を「魂」が表していると捉えるなら、『魂を滅ぼす』などの旧約に広く見られる用例の理解ができる。つまり、生きる、或いは生きた存在の決定的消滅を企図する殺意の強さを表す場合、また、罪が重いゆえに、『魂を取る』が死罪を強調するために単に「殺す」という意味を超え、創造神に裁かれ存在価値を抹消されるという意味で比喩的に用いられていると解することができる。

また、イエス・キリストの復活については、『肉体に於いて死に渡され、霊に於いて生かされた』のであれば、その双方をつないだものが『魂』であったとすることができる。まさにペテロは、『あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない。』と詩篇16:10を引用してキリストの復活に適用している。(使徒2:27)
ゆえに『魂』は生死に関わりないものであり、かと言って、『死したる者は何事をも知らず』であるから、所謂意識を保つ意味での「霊魂不滅」ということでもない。それは一度創造されたものについて創造の神が顧慮するところの本質的被造物存在を示している。(コヘレト9:5)
それが創造された生けるものであったゆえに、生命としての様々な願望を有するので、『魂が渇く』ことがある。また、生きるものとしての様々な感覚や必要や想念も有するので、『魂が厭う』ということも『魂が望む』こともある。
これらを俯瞰して『私の魂は・・』と聖書中で誰かが述べるときには、自分を深く根源的に述べているのであり、内奥の自分、生きるための必要や動かしがたい感情や想いを抱く座としての自己について発言している。

「魂」と「命」が同じものでないように、これらの単語を入れ替えてよいものか。
聖書の主題である「人の罪の贖い」が、「命の贖い」とされることに違和感はないだろうか?何故ならパウロも言うように『人は一度死ぬ』からであり、聖徒らでさえ『キリストへの死へのバプテスマ』を受ける。やはり「贖い」は「罪ある人」が受けるものであり、生死を超えた存在としての人を何等かの語で示す必要があったといえる。人が単に生き続けることよりも「罪」の浄めである「贖罪」の方がよほど重い意義をもっている。それは人の生死を超えて行われる。人が生きたいから神が生かすわけではない。

ネフェシュがギリシア語プシュケーに翻訳されたときでさえ、ヘブライ語本来の意味が危険に曝された。(それはセプチュアギンタを作成するヘブライ人も注意するところであったという)
それでも、ユダヤ人の場合には注意もできたろうが、異邦人がプシュケーを読むときには、日本人が「魂」を読むときのような意味の誤解が起きる危険があった。


それを理解し易くするためにプシュケーをさえ捨てて別の言葉「命」ゾーエーなどに置き換えてしまっていたなら、元のネフェシュは回復できないほどの打撃を受けただろう。
(多くの翻訳のしていることはそれではないか?)
しかし、せっかくギリシア語訳が上記の例に見られるように、ヘブライ人の監修の下に「ネフェシュ」の在る箇所をLXXに慎重にプシュケーと置いたなら、この単語に関する限り、以後の翻訳も「魂」を保存するべきだろう。
そしてこのネフェシュの含意するものはヘブライ独特のもので、「贖い」という聖書主題に直結する最も重い意義をもつ単語であることは明白である。

エスが払った犠牲の「代価」は命でもなければ液体の血そのものでもない。(ペテロ第一1:9/ヨハネ第一3:16[ψυχη]有り)<律法後に液体の血に拘る理由はなくなっている>
磔刑上の死は確かにイエスの命を奪い、流された血は契約を発効させた。血と別にされた体は、聖徒らへの復活のイエスと同じ霊の体への召しの象徴のパンともなった。
それでも贖いとなれば、その代価は人間イエスの血の中に在ったアダムの「魂」に相当する「魂」であったという事はまったく動かし難い。「魂には魂」が求められた。今の命の源であるアダムの魂は裁かれ消滅したというべきように思える。従って、代替される祖先の魂が無いなら、人類の拠って立つ「父」は居ないことになる。そこでメシアは『とこしえの父』とされる理由がある。
復活の概念を持つキリスト教の場合、「命に命」が求められたとすると、単なる生命力の問題になってしまう。しかし、『魂』は創造者の創ったゆえに所有するところのものとしての存在であり、それは単なる命を超えるものであることは『体も魂も滅ぼすことのできる方』としての神存在を証ししたキリストの言葉にも表れている。
アベルに勝る血の語り』Hb12⇒『世の基の置かれて以来』Lk11

Mt10:28
Καὶ μὴ φοβεῖσθε ἀπὸ τῶν ἀποκτεννόντων τὸ σῶμα, τὴν δὲ ψυχὴν μὴ δυναμένων ἀποκτεῖναι· φοβεῖσθε δὲ μᾶλλον τὸν δυνάμενον καὶ ψυχὴν καὶ σῶμα ἀπολέσαι ἐν γεέννῃ.

口語
体は殺しても、を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

このキリストの言葉はどうしても「命」に置き換えることが難しい。同時に「魂」の特異性を余すことなく表している。
『魂』は『死ぬ』とされながら、なお肉体の死を以って『滅ぼされる』ことなく終わらず、『すべての魂はわが物』と言われる神の所有権の不滅をも指し示している。それほど事は単純ではない。
Ezk18:4
הֵ֤ן כָּל־הַנְּפָשֹׁות֙ לִ֣י הֵ֔נָּה כְּנֶ֧פֶשׁ הָאָ֛ב וּכְנֶ֥פֶשׁ הַבֵּ֖ן לִי־הֵ֑נָּה הַנֶּ֥פֶשׁ הַחֹטֵ֖את הִ֥יא תָמֽוּת׃

口語
見よ、すべてのはわたしのものである。父のも子のもわたしのものである。罪を犯したは必ず死ぬ。

この箇所も「魂」を別の語に入れ替えるには難しい。そこで「『魂』とは何であるのか?」という問いは聖書に関する限り避けられないことになる。
その概念はヘブライ語に特有のもので、且つ、聖書の書き手ら、また神の霊感するところに存在していたものであり、聖書翻訳はこれを尊重しなければ、その全体の理解に関わる概念を示すことができなくなる。最低限「ネフェシュ」や「プシュケー」の場所に、相当する語を置くべきことは明白ではないか。

しかし確かに「ネフェシュ」には意味が広く用いられており、必ずしも常に「魂」と訳すのが難しい。
出埃23:9では『寄留者を虐げてはならない。あなたがたも寄留者の気持ち(ネフェシュ)を知っているのだから・・』とあり、感情の座としての魂も意味しているが、そのまま「魂」とすれば読者の理解を妨げる。だが、それがヘブライ語「ネフェシュ」の本来の意味としての人というものの、「根本的存在」また「地上に生きるもの」としての必要を渇望する内奥の存在者として、すべての必要物が通過する「喉」の語をはじまりとする言葉を、より抽象的な「魂」としていった特性をそこに認める必要があり、やはり『寄留者の気持ち』と訳しても、括弧書きでも(魂)と付け加える必要があるように思える。
やはりヘブライ語「ネフェシュ」は、キリストによる神の経綸の根幹に関わる単語であり、特に異邦諸国民の方がヘブライの概念に注意を要する特異な一語と云える。

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血は契約を発効させる犠牲の命の印(モーセの対型)
「罪」の赦しは肉ではなく血による
(血抜きされた)体は新たな体への召し(天からのパン)
犠牲の血抜きにより肉(パン)と血(葡萄酒)が分離
キリストは肉を食され体を分かち、血を飲ませて近親とした
血の中の「魂」は失われた「魂」への代替(アダムの贖い)
神のものである血を飲む者は格別の恩寵に入る
キリストの体を共有する者は霊体を受け天界に生きる
聖徒以外の地に生きる者らには双方共に必要がない
どちらも天界の祭祀制度の確立のためのものである
地に生きる者らのための贖罪の「千年王国」の樹立



 メモ 魂への考察

 記事 命に優る魂

 記事 ネフェシュという死生観





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