Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

はじめに

 学習することは生涯を費やしても到底足りるものでもありません。
調査したことは後になると忘れがちであり、このようなブログに記録しておくのもひとつの方法であると考えました。

今後、学ぶであろう多くの事柄をここに記して自分の便宜を図りつつ、ご覧になるであろう方々のご意見をいただければと思います。

様々な内容を書きこんでゆくと思いますが、おおよそ二つの分野が主になることでしょう。

 そのひとつは「社会」についてですが、わたしは社会の全体には関心を持ってはいても、地上にある特定の政治団体に肩入れするつもりも支持する意志もありません。ですから何某かの意見を記すことがあったとしても、それが相克する人類の政治へのアプローチの意図をもっているわけではありません。
しかし、社会に見られる事象が自分にとってどのように観察されるのかを書き表すことは、けっして社会一般から忌避されるべきものではないでしょう。
その意味において、わたしの学ぶ事柄と社会的状況(これには自然環境をも含みます)から考えられるものを陳述してゆくつもりでおります。


 このブログにおいてもうひとつの主な分野は「宗教」であり、キリスト教に関する記述が主になるでしょう。ですが、わたしは特定の宗教なり教派なりを誹謗する意図を持ちません。
 この点に関するわたしのスタンスは、「人は信じたいものを信ずるのであり、それを阻害するべきではなく、それが尊重されて初めて人の尊厳が守られる」というものです。しかし、誰かの信条なり宗教行動がわたしの目から見てどのように映るかについて発言することもまた尊重されるべきものと信じております。奇異なものは奇異なるものとして表現する事こそが「裸の王様」の誤謬を避けるために是非とも必要なものであり、そこに悪意を持つものではありません。

 以上のような主旨のもとにこれからの日々の学習を進めたいと思います。
この学習が閲覧なさるであろう人々に僅かでも益となり、且つわたし自身の蓄えとなることを念願します。


Quartodeciman