Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

高等批評 "higher Criticism"


高等批評 "higher Criticism"は、資料説"Documentary Pypotfesis"と共に19世紀後半から20世紀前半に興隆してきた。
旧約学においては、ユリウス・ヴェルハウゼン[Julius Wellhausen 1844-1918]を挙げるべきである。
ジャン・アストリュック(Jean Astuc 1684-1766)以来の高等批評への努力は、ヴェルハウゼンの「プロレゴメナ」1882、及び「イスラエル」1878によって世界観を構成している。
即ち、四つの原初資料J・E・D・Pの定説化であった。
しかし、20世紀も後半に入ると、旧約学では高等批評の限界が語られる趨勢になる。
(この懐疑は、近代欧州の精紳の土台を疑うことでもあるという)
19世紀初頭にドイツに於いて歴史学・古典学が科学(Wissenschaft)の地位を得た。その嚆矢はFriedrich A Wolf 1759-1824であるという。(意外に古い)
彼はホメロス解釈に於いて、テキストの不統一を表明し、統計学や地理学の応用を試みた。


しかし「高等批評」という言葉の生みの親は、Johann G Eichhorn 1752-1824(やはり古い!)であると
その著"Einleitung in das Alte Testament:3"において"höher Kritik"と自らの旧約研究を定義したと
同じ頃、ユダヤ学も科学的探究をコンセプトにLeopold Zunz 1794-1886によって開始される。彼はベルリン大学でヴォルフやアイヒホルンの講義を受けている。そこから影響を受けて自分たちのユダヤ研究を"Die Wessenschaft des Judentums"と名付けた。ほぼ同時期のユダヤ人学者Isaak Jost 1793-1860 もゲッチンゲンでアイヒホルンに学んで高等批評に共感していたとされる。






















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Eph4:14「波によるように振り回されたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりする」とは聴いたことに価値観が十分に作用しなかったからでは?
つまり、その重さが分からず知識をもてあそぶばかりでそれが空回りしている。知識に優れても倫理観が欠けていたり、命の軽重を弁えなかったり、エサウのような行動によって、その知識を無意味にすることではないか?これは隠された人格であり、即座に判別はできないが、しばらく観察するうちに露呈してくるもので、初めは時折言葉の端々や不釣り合いな行動に現れる位だが、やがてはっきりと知識を相殺してしまうような言動を取ることになる。それは単なる認識不足ではない。その人の倫理性が神の重い言葉を会得してはいないばかりか、それを無にするほど違背的であることを示す。そこに自己犠牲的精神はぽっかりと欠落し本質的に自己中心的である。この人々には知識は覚えることにしかならず、この人たちの信仰とは知識を取り入れる作業そのものでしかないので、その精神が人格の内奥まで浸透することはないようだ。(というよりも、み言葉はその人の内面にある「何か」を反応させるものであるように思える)そのために「あらゆる教えの風にあちこちと運ばれ」る危険もあると思える。事の軽重が分からないので様々な教理が同じように見えるらしい。そしてそれらを「統御」するのは自分である。
しかし、この人々はけっしてサイコパスのようでも犯罪者のようでもない、日常の社会では適性を以って事に当たれる人々である場合が多い。むしろ、仕切ることが得意な或いは好む人であるようだ。但し、人間関係はそう良好でもない。この人々はなぜかキリスト教に意欲的に近付いて来るがその理由は不明。しかし、この人々に適った宗派もあるので、勧めはしないが、こちらへのアプローチを出来る限り柔らかく断れば、自然とそちらに流れてゆくものと思われる。(こうしてみると様々な宗派にも意味がある) 残念ながら本質的にキリスト教とは反対の資質に支配されているのであろう。聖書の言葉によって変化を期待することは殆ど無理らしい。しかも恐ろしくこの件について無自覚である。指摘されても自分の事とは思えず、却って反発するほどである。聖書を学び続けて感動さえしても内面の倫理的「何か」が動いていない。それでいて本人はキリスト教を実践していると思えるようだが、それはどこか利己的で真似事となってしまう。キリストの精神という本質を突いてはいないからなのだろう。但し、性急に決め付けることは厳に慎む必要がある。それでも倫理面に結果が現れるので、長い時を経ずにはっきりと分かることになるようだ。それは外面の道徳性ではなく、内面の極めて本質的な事柄という動かし難いところに於いて現れる。もちろん、この人々と交友することは相応しくなく、つり合いのとれた関係にはけっしてならないし、終末には危険をさえ予知せねばならなくなる。ひとつの特徴に「自分には愛というものが分からない」と発言することがある。愛が分からないというのは本当に分からないので、平然と発言できるのであり、分かる人は愛がそこに在るばかりで、けっして分かるとも分からないとも言う必要がない。その人にとって愛は魂を込めて務めるばかりであり、分かる分からないの処には居ない。また辛いことに「分からない」人々に分からせる方策はまず無さそうである。一二度、忠告して後は本人の行く道に委ねる以外にない。この人々は大抵忠告されると反発して去って行くようだ。だが、共に居ることはけっして誰の為にもならない。それが家族である場合、それはなんと苦しいことか。
『人々よ,何度も何度も聞け。だが,理解するな。何度も何度も見よ。だが,知識を得るな』とイザヤを通して呼びかけられたイスラエル人は多く、イエスの時もそうであった。様々な意味でキリスト教界も同様とならない保証はない。その中にあっても、この人々は「信仰」を抱いて同朋に入ってくるところが格別である。






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