Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

エクソドン

ルカの用いた[εξοδον](エクソドン)の意義について

ルカはイエスの帰天の場面をオリ−ヴ山として、マタイ、マルコと異ならせる。

この前兆のようなことは、変貌の場面で『エルサレムからの出立(エクソドン)』を述べているのもルカだけである。(9:31)

これに加え『預言者エルサレムの外で滅ぼされることは許されない』とも言い添えている。(13:33)⇒ これもまた意義深く別に頁を設けたい
また宣教の基点もエルサレムからと二度書かれている。


「出立」についてはペテロ第二1:15でペテロが自分の死後のことを「旅立った[εξοδον]後に」と述べる際にも用いられている。

そこでルカには、帰天という事実が「エルサレムからの出立」として語られるべき理由があったのであろう。それはガリラヤについて沈黙させるほどのものであったようだ。

ルカがメシアのエルサレムでの死と復活(生き返りではなく)にこれほど拘った理由はまだ見えない。

ひとつには『預言者を殺すもの』としてのエルサレムの断罪、また犠牲をささげる祭壇のある都市の意味も考えられる。
つまり、イサクの犠牲が準備され、また開放された場所である。

それが『出立』となれば、犠牲となることよりも、死から戻され、帰天するところに何かエルサレムの意味があるのだろう。
そこでルカとしては、エルサレム近辺からイエスが昇天する場面を描く必要があり、弟子らに『エルサレムを離れずに留まる』こと、またそこで聖霊待つよう求めた理由があったのだろう。この命令もルカだけが伝えている。(Act1:4)

エスの帰天から聖霊降下まで十日であったから、何かのことでこの奇跡を逸することのないように弟子らを留まらせたのであろうし、五旬節はすぐそこまで近づいていた。

五旬節がアロンの油注ぎであったという伝承が正しければ、確かに大祭司イエスは祭司たちの贖いをこの日に行ったと云える。しかし、ヨム・キプルではない。(ヨム・キプルはむしろ民の贖罪に意義があるのだろうか)
終末預言で『異邦人の時の満ちるまでエルサレムは諸国民に踏みにじられる』と書いたのはルカだけであり、他の福音書にこの言葉は出てこない。

また、『出立』というのが生き返りか、それとも帰天を意味するのかという問題は、イエスは四十日エルサレムにだけとは言わないが、地上に姿を現したのであるから、その期間を『出立』したとは言わないだろう。

すると、イエスの昇天を『出立』とみてよいだろう。
そしてルカは『エルサレムからの出立(エクソドン)』と書いて、それがエルサレムでなくてはならない理由を感じて強く感じていたであろう。既に犠牲として捧げられていたが、昇天の場所はガリラヤでもナザレでもベツレヘムでもいけなかったのである。なぜか?
(名を置く処、律法と預言者

幻とはいえ、モーセとエリヤにイエスの帰天について語るべき何があったのか?
変貌の栄光は、到来以前のものか帰天後のものか?
三つの天幕は逗留を表したのか?

以前にも書いたとおり、ルカのギリシア語文にはヘブライ語の習慣が観察される。この拘りも単に異邦人向けであったとは思えず、却ってユダヤ人(ヘレニスト)らしい発想があったのでは?













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