Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

「魂」に関する句 MEMO

前記⇒ネフェシュについて



Ezk18:4
見よ,すべての魂―それはわたしのものである。父の魂がそうであるように,子の魂も同様に―それらはわたしのものである。罪を犯している魂―それが死ぬのである

魂の所有権と神の生殺与奪権の表明

Mat10:39
自分の魂を見いだす者はそれを失い,わたしのために自分の魂を失う者はそれを見いだすのです

同上


Gen1:31
その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた

植物は魂を有さず、魂を有するものの食物となる

Rev24:18
家畜の魂を打って死に至らせた者は,その償いをすべきである。魂には魂である

Gen9:3-6
生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。
ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。
さらにわたしは,あなた方の魂の血の返済を求める。すべての生き物の手からわたしはその返済を求める。人の手から,その兄弟である各人の手から,わたしは人の魂の返済を求める。
だれでも人の血を流す者は,人によって自分の血を流される。神は自分の像に人を造ったからである。

動物を食物としてよいが、血の処理法を通して魂の所有権を尊重するべき
神に象られた人間の魂については、その返済が求められる。 贖いの原則か



Jer40:14
「あなたは,アンモンの子らの王バアリスが,あなたを魂に至るまで討とうとして,ネタヌヤの子イシュマエルを遣わしたことを少しも知らないのですか」

強い殺意(存在抹消の願望)を表す


Nub15:30
何事かを故意に行なった魂は,その地で生まれた者であれ外人居留者であれ,YHWHについてあしざまに語っているのであり,その魂は民の中から断たれねばならない。

罪の重さを強調する


1Sam22:22
「わたしはあの日,エドム人ドエグがそこにいたので,彼が必ずサウルに告げるということをよく知っていた。わたしとしてはあなたの父の家のすべての魂に悪いことをした

為された損害の程度の強調


Rom13:1
すべての魂は上位の権威に服しなさい。神によらない権威はないからです。

従うべき程度の強調


Act27:37
わたしたち船の中にいた魂は,全部で二百七十六人であった
1pet3:20
つまり八つの魂が無事に水を切り抜けました

命の貴重さを表す


Ezk33:6
で民は少しも警告を受けず,剣が来て彼らから魂を奪い去るなら,それはそれ自身のとがのために必ず奪い去られる

同上


Act2:27=Ps16:10
あなたはわたしの魂をハデスに捨て置かれず,あなたの忠節な者が腐れを見ることもお許しにならないからである

元々詩文であるので象徴表現か?

Ps:30:3
あなたはシェオルからわたしの魂を引き上げ,
わたしが坑に下ることのないよう,わたしを生き続けさせてくださいました

同上


Phi1:27
あなた方が一つの霊のうちにしっかりと立ち,一つの魂をもって良いたよりの信仰のために相並んで奮闘し

聖徒がキリストと体を共にすることを踏まえた表現


Gen9:16
神と地にいるすべての肉なるもののうちのあらゆる生きた魂との間の,定めのない時に至る契約


Gen35:18
その魂が去り行こうとするとき(彼女は死んだのである),彼女はその[子の]名をベン・オニと呼んだ。






所見;
命と言わず魂と呼ぶことで別の概念を示している
創造物に対する、それも神の象りに対する尊重が人に求められている。

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生と死

人は一度死ぬ
死は一切の思考の停止、意識の消失、生命活動の終了
聖書の教えは死者の世界ではなく復活
二度死ぬのは、永遠の魂の滅び

今の生命の存否は神から見て然程の問題とはならない。
復活のための礎は、キリストの人としての魂の犠牲と、死んだ者らの魂にある。

魂の存否は生命に関わりなく、神にある。
創造者にとって重要なのは生命ではなく魂である。
復活があるので、生命も過渡的な状態であり、最重要のものは生命よりも魂となる。

霊は魂に生命を与えるための媒介であり、生命活動の原動力である。死後、霊は肉体から消失し、象徴的に神の許に引き上げられる。霊に個性はないが、魂はその個体の特徴を余すところなく有する(Ps139:16)
(「命の書」との関連?ps69:28/Rev20:15)


魂は「死ぬ」ことがあるが依然滅んでいるわけではない(Ezk18は象徴表現?)、現在まで死んだ者らの魂はすべてが神の許にある。(そうでなければ復活は無い)

動物も魂を持つが、これが創造者の生命体への権利を表す。このために祭壇上の犠牲が意味を持った。その権利は祭壇下を流れる血流によって魂だけは神のものとして保たれた。ノアの禁令はこの概念と調和する。

元来は牛や羊でさえ、神の前に損なわれるべきものではなく、食物は植物の果実だけであった。

キリストの肉体の死を通しても、その血の権利は神に保たれた。血は地面に注がれることで神に帰る。その魂は神のものとなり、アダムの魂の贖いとして、罪の相殺に供えられることが可能となった。

キリストの生き返りも復活も、この魂が神の許に保たれたことによる。

血の禁令は象徴であり、これを尊重できるのは人間だけである。尊重とは、生けるものはすべて神に属するという創造者の権利を畏敬することであり、血の扱いを以って具体化されるが、それは象徴である。

これを犯すことを「血の罪」と言う。それは単なる血の扱いを超えて、憎しみを抱くことである。憎しみは相手の存在を否定することであり、カインがそのはじまりであった。この論拠としてレヴィ族の「逃れの城市」がある。

愛と魂の保存は相関関係にあるようだ。人間価値の表出は愛?

人は今の生命の喪失を怖れる
しかし、怖れるべきは神の前における魂の喪失である
『罪を犯している魂が死ぬ(滅ぶ)』
(原文調査)
הַנֶּפֶשׁ הַחֹטֵאת, הִיא תָמוּת.
その魂 罪を犯している それ 死ぬ
ここではユダ滅亡を指すか?

魂の場合「喪失」というよりは、その存在そのものの消滅を意味するので、「滅絶」という単語の方が有体といえる。

殺奪は創造者だけ属する正統な権利だが、これが正当か否かをめぐってメシアの忠節が関わった。

サタンを罪せるものは独り子をおいて外になかった。つまり、神を離れた者らの滅絶の当否を裁く根拠を神に捧げたのはキリストひとりである。(死に至る忠節⇒創造物は根源的に忠節たり得るからか?)(派生問題;以後、王権拝受までの約二千年は?「あなたがたの預かるところではない」)


宣証;
現在の死を怖れるべからず
人の死はその人にとって避けがたいものだが、それは先祖由来の遺伝による。
人を存在させた創造の神はこの窮状のために、自らの独り子を犠牲とし、創造本来の生命、永遠の命の木を食するようアダムの子孫を招いた。
我々は一度の死を被るとしても、魂を保たれ、メシアの犠牲のゆえに再度生命が与えられることはゆるぎない神の意志となっている。(創造者ゆえにそれを疑う必要はない)
しかし、復活後に再びアダムのように神への愛ある忠節を選ばないなら、二度目の死を被ることになり、それは「滅絶」を意味し、創造されなかったものとして永遠に魂も存在しなくなる。
△死は恐るべきものながら、人を創造した神はこれを本意とはしていない。それでも死があるのは神の意志ではなく、サタンとアダムの選択の結果である。それは創造界に神の意図しないものを持ち込んだ。そこでは寿命を設ける必要が生じた。▼
神は全能者として、創造物の自由意志を尊重する仕方で、この不調和を解決する。
(時間の必要は「王権」と関係があるらしい)

王国の民:死を経ずに贖罪に入る。新しい支配を受け、新しい事物を造る民として用いられる。格別の人類。
サンプルとして諸世紀の人々に示される。最後の裁きの試金石




魂への先見の例
Jug13:5サムソン


LF





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