Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

ハンナへの啓示

YHWHツェバーオートの初出はエルカナ
・ハンナの祈りについて-
「勇士の弓は折られるが
よろめく者は力を帯びる。

食べ飽きている者はパンのために雇われ
飢えている者は再び飢えることがない。
子のない女は七人の子を産み
多くの子をもつ女は衰える。
・・・
YHWHは貧しくし、また富ませ
低くし、また高めてくださる。

弱い者を塵の中から立ち上がらせ
貧しい者を芥の中から高く上げ
高貴な者と共に座に着かせ
栄光の座を嗣業としてお与えになる。
・・・
YHWHは逆らう者を打ち砕き
天から彼らに雷鳴をとどろかされる。
YHWHは地の果てまで裁きを及ぼし
その王に力を与え
油そそがれた者の角を高く上げられる。」


所見:どうして王の無い時代に、しかもひとりの主婦が終末の出来事を言い得たか?この「子のない女」についてはおそらく後のシオンを予告。
「角」処刑する権力、「祭壇の角を掴む」権力行使への猶予の願い。「角に血を塗る」神憤への宥め。「角を上げる(挙げる?)」処刑の権力を振り翳すこと? (直訳「振る」は「振り上げる」の方が誤解がない)
これほど古くから啓示されたからには、この「油灌がれた者」がその「角を上げる」という一件が容易ならぬ事態であることを示唆。(但し、トーラーに在り)
エルサレムV.Sバビロン では子の無い「シオン」はどんな子持ちの女に相対するか? サラV.Sハガルか?しかしサラは「上なるエルサレム」がパウロによって適用されている「新しい契約」。イザヤでの扱いは対立的な度合は弱い?しかしハンナの祈りでは対立が強いように読める。ハンナが女であったので、「女シオン」への予告啓示には相当な共感が込められていたはず。


Jer15:9

・2Th2:6「もの」[τὸ κατέχον] 同7「者」[ ὁ κατέχων]何故言い換えたか?前後比較から文法問題?現状では:それが物性と人格性の双方を持ち得ると解釈中。

・ヤコヴの「離散している十二部族」はどちらを指すか?



・贖罪の日の大祭司の初めの服装は他の祭司と同様のもので、未だ特殊性を表していない。
崇拝者は断食をすることになっていて、その魂を悩ます日から他と異なる状況が現れた。
それが聖なる「第七」の月の十日、ということに意味があると。つまり一年の内の安息の月と見る。それは収穫と共に一年を閉じる最後の祝祭であり、それをもって民は神の前に喜び、その年に冠を与えるものとなる。贖罪の日の重要さは穫り入れの祭に先行しながらもより顕著である。その例証としてヨベルがこの十日を持って宣され開始されたところにある。












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