Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

初期ローマ司教

ウィクトル(c189-c198)9
パスカ論争で小アジアと対立したウィクトルはアフリカ出身(の何処か。エジプトの可能性はないか?)
権威主義的にローマの優位を主張


ゼフェリヌス(198/9-217)
前任者とは対照的に権威を振うことをしなかった。
それが「全異端反駁」を書いたピュッポリトゥスのような人物からは批難を受けた。「無知な欲張り」「賄賂の亡者」「腹心の言いなり」
しかし、その評価が相応しかったかは不明。
彼の在任中からローマはペテロとパウロの記念碑(墓所)を持つ優位性がほのめかされ始めた。(モンタノス派への書簡)


カリストゥス(217-222)
おそらくギリシア人で奴隷上り、数奇な運命、あるいは破天荒な生き方の末に司教職を手に入れた。
ウィクトルに生活費を工面されつつアンティウムで暮らしていたが、かれの死後はゼフェリヌスに取り入り、出世を果たす。






・AmbrosiusはμυστήριονとSacramentumを区別していないという。また訳語Misteriumも同様であると。
だが、その理解は異教の密議と混同してしまっている!
パウロがμυστήριονと言ったとき、それは異教参入密議のように解されるべきではなく(コイネでは「隠されたもの」の意)、この使徒の用例からも文脈からもそれが何を指すかは明白であるのに、その誤謬を犯したために聖餐や洗礼が異教化してしまった。これはどうやらその以前から東方でそうされていたようだ。それがミラノ典礼を後押しした。但し、彼の言葉からミラノ典礼は彼の以前から存在したことが分かるが、彼が何の変更もしなかったとは到底思えない。彼を総評すると「東方の誤謬を西方で確定した人物」となるか?
アムブロシアノミサ典礼文はラテン式(現今)ミサ典礼文の中心部分とほぼ同じとなっているという。その点、彼の本文はラテン式では最古のものとされている。
パウロの発言はπροθεσιςとの関連で考慮されるべきだと思われる。(Co1:26/Rm11:25/16:25/1Cor2:7/4:1)ヘブライの概念で言えば「供えの餅」。これは週毎のものと、シャブオートの種入りのふたつのものがある。後者は分かりやすいが前者は何か?
パウロは1corの頭書で世が理解せず、その耳が聞かず目も見ぬことについて語っている。ここで神秘主義を述べてはまったくいない。
οικονομιαがdispositioとされつつ、λογοςの受肉と誤解された。この背景は語られた文脈と聖霊理解の喪失が重なったのだろう。
Sacramentumの訳例Ep3:3.9/Co1:27/1Tm3:16
μυστήριονを「予型」とするのは的外れでは?もちろん、それと対照を成すように使徒らは語っているが、ネメシェギの言うように初期教父らが「隠れた超自然的賜物を示す徴」と解釈していたというのは、そこで既に異教化している解釈であろう。それは清流が下流で濁るように、後代から想像しただけの解釈ではないのか?実際に初期教父でも進んだ時期の人々にはそれに近い理解があったのだろう。しかし、パウロをはじめとする聖霊時代の人々がそのように理解していた理由なく道理が成り立たない。
神秘主義は、絶対者との合一を行わせるもので、様々な宗教に広くみられるものであり、交霊と言ってよいようだ。キリスト教では後に「聖霊の内住」という名目で潜り込むが、その下地を形成したのがミュステーリオンを異教的に解釈する無聖霊時代初期の教理であったことだろう。



「供えのパン」or「覚えのパン」=レヘム・パーニーム [顔≒御前]




使徒史略表-


36 ピラトゥスはメシア運動を禁じる
37 ヘレニスト信者がアンティオケイアとキュプロスに到達
38 パウロの回心


41 パウロエルサレムヤコブバルナバに会う 

43 使徒ヤコブ殉教ペテロはエルサレムを離れる(翌年ローマ?H.E)
44 バルナバパウロを伴いエルサレムに行きマルコを連れ出す
45 パウロバルナバがキュプロスに到着


48 パウロはアンティオケイアに戻る
49 エルサレム会議 ローマでキリスト教徒の騒擾

51 パウロはアキュラとプリュスキュラに会う 翌年まで滞在 1&2Th

53 パウロアナトリアを周る
54 以後三年エフェソスに滞在 アポロはアカイアに向かう Gal/1Cor


57 パウロコリントスに到着 Rom
58 エルサレムに到着したパウロの捕縛
59 フェストゥス着任
60 パウロの移送
61 パウロ第一軟禁 Col/Eph/Phip/Phil
62 ヤコブの殉死 アルビノス着任
63 パウロの釈放  1Tim /Tit/ Heb
64 ローマ大火 7月 フロールス着任
65 パウロ再逮捕 2Tim
66 ユダヤ騒乱 ペラへの逃避
67 パウロとペテロの殉教
68 ネロの死と後継争い
69 ウェスパシアヌスの登壇
70 エルサレム陥落


80 使徒フィリポの殉教


96 ドミティアヌス帝暗殺 使徒ヨハネの帰還




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