Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

エフェソス第一章7-14節

NA28-

7 Ἐν ᾧ ἔχομεν τὴν ἀπολύτρωσιν διὰ τοῦ αἵματος αὐτοῦ, τὴν ἄφεσιν τῶν παραπτωμάτων, κατὰ τὸ πλοῦτος τῆς χάριτος αὐτοῦ

8 ἧς ἐπερίσσευσεν εἰς ἡμᾶς, ἐν πάσῃ σοφίᾳ καὶ φρονήσει,

9 γνωρίσας ἡμῖντὸ μυστήριον τοῦ θελήματος αὐτοῦ, κατὰ τὴν εὐδοκίαν αὐτοῦ ἣν προέθετο ἐν αὐτῷ

10 εἰς οἰκονομίαν τοῦ πληρώματος τῶν καιρῶν, ἀνακεφαλαιώσασθαι τὰ πάντα ἐν τῷ Χριστῷ, τὰ ἐπὶ τοῖς οὐρανοῖς καὶ τὰ ἐπὶ τῆς γῆς ἐν αὐτῷ 

11 Ἐν ᾧ καὶ ἐκληρώθημεν προορισθέντες κατὰ πρόθεσιν τοῦ τὰ πάντα ἐνεργοῦντος κατὰ τὴν βουλὴν τοῦ θελήματος αὐτοῦ

12 εἰς τὸ εἶναι ἡμᾶς εἰς ἔπαινον δόξης αὐτοῦ τοὺς προηλπικότας ἐν τῷ Χριστῷ. 

13 Ἐν ᾧ καὶ ὑμεῖς ἀκούσαντες τὸν λόγον τῆς ἀληθείας, τὸ εὐαγγέλιον τῆς σωτηρίας ὑμῶν, ἐν ᾧ καὶ πιστεύσαντες ἐσφραγίσθητε τῷ πνεύματι τῆς ἐπαγγελίας τῷ ἁγίῳ,

14 ὅ ἐστιν ἀρραβὼν τῆς κληρονομίας ἡμῶν, εἰς ἀπολύτρωσιν τῆς περιποιήσεως, εἰς ἔπαινον τῆς δόξης αὐτοῦ.


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口語訳-
1:7 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。
1:8 神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとをわたしたちに賜わり、
1:9 御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。
1:10 それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである。
1:11 わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。
1:12 それは、早くからキリストに望みをおいているわたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためである。
1:13 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊証印をおされたのである。
1:14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

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新改訳-
1:7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
1:8 この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、
1:9 みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、
1:10 時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。
1:11 この方にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。
1:12 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。
1:13 この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました
1:14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。

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新共同訳-

1:7 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。
1:8 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、
1:9 秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。
1:10 こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
1:11 キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。
1:12 それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。
1:13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊証印を押されたのです。
1:14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

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新世界訳
わたしたちはこの方により,その血を通してなされた贖いによる釈放,そうです,[わたしたちの]罪過の許しを,その過分のご親切の富によって得ているのです。
8 [神]はそれを,あらゆる知恵と分別とにおいてわたしたちに満ちあふれさせてくださいました。
9 そのご意志の神聖な奥義をわたしたちに知らせてくださったことにおいてです。
それは,10 定められた時の満了したときにおける管理のためにご自身のうちに意図された意向によるものであり,すなわちそれは,すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び集めることです。
[そうです,キリスト]において,11 この方との結びつきにおいて,わたしたちはまた相続人として選定されたのです。ご意志の計るところに応じてすべてのものを作用させる方の目的のもとに,わたしたちがあらかじめ定められていたからであり,
12 それは,キリストに望みを置く点で最初の者となったわたしたちが,その栄光の賛美に仕えるためでした。
13 しかしあなた方も,真理の言葉,すなわちあなた方の救いについての良いたよりを聞いた後,この方に望みを置きました。そして信じた後,やはりこの方により,約束の聖霊をもって証印を押されたのです。
14 それはわたしたちの相続財産に関する事前の印であり,また,[神]ご自身の所有物を贖いによって釈放し,その栄光ある賛美とすることを目的としています。

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μυστήριον ミュステーリオン 「隠されたもの」
οἰκονομίαν オイコノアン 「家計」
πρόθεσιν プスェシン 「目的・供えのパン」《ギリシャ正教》奉献礼儀
ἐσφραγίσθητε エスフラススェーテ 「封印された」
ἀρραβὼν アッラーン 「約束手形
κληρονομίας クレーロノアス  「遺産」(「国」の意は無し)


所見;
パウロはこの部分でミュステーリオン、オイコノミア、プロスェシス、クレーロノミアスという教理の全体を左右する単語を次々に用いているので、それらの語の関連を窺わせ、それぞれの意味を探るということにおいてこの部分は重要な範囲を形成している。
これらの言葉の性質を通してパウロが伝えようとしていたことは、コイネの表現からヘブライ由来、そして旧約の底流に触れ、それがキリストにおいて成就する内容に向かっている。つまり「新しい契約」がもたらしたものが何であるか、また、それを継承するのが何であるかを究めて明瞭にしている点で、これほど各語の相互関連を証しするような箇所は聖書のほかのどんな部分にも無いように思える。


同所NKJV-
1:7 In Him we have redemption through His blood, the forgiveness of sins, according to the riches of His grace
1:8 which He made to abound toward us in all wisdom and prudence,
1:9 having made known to us the mystery of His will, according to His good pleasure which He purposed in Himself,
1:10 that in the dispensation of the fullness of the times He might gather together in one all things in Christ, both which are in heaven and which are on earth-in Him.
1:11 In Him also we have obtained an inheritance, being predestined according to the purpose of Him who works all things according to the counsel of His will,
1:12 that we who first trusted in Christ should be to the praise of His glory.
1:13 In Him you also trusted, after you heard the word of truth, the gospel of your salvation; in whom also, having believed, you were sealed with the Holy Spirit of promise,
1:14 who is the guarantee of our inheritance until the redemption of the purchased possession, to the praise of His glory.



奥義⇒Co1:25- 過去の世代から隠され聖徒に示された
Rm11:25- 異邦人の参入 16:26 ミュステーリオンがアポカリュプシンされた
1Cor2:7- 目も見ず,耳も聞かず 4:1- 奥義の家令

パウロの言葉を選輯してゆくと議論の余地なくミュステリオンは超自然の密議や、そこから派生したサクラメントゥムを意味しない。それはまったくはっきりとしたことである。
聖霊を失ったのちのアムブロジウスの時代に、キュリアコスを権威付けしたい場合、特に新規参入者であるバプテスマ直後の信徒らには、神秘主義に走らせるほかなかったのだろう。それがカトリックの基調となっていったので、そこでアニミズムへと向かう同派の将来が決したと云ってよいように思う。
他方で、ルターが聖書第一主義(これは問題がある)を掲げたときに逆のことが起こったであろう。皮肉なことに無神論への走路が拓かれた。その当然の帰結がチュービンゲンやニーチェなのであろう。(ルターが聖質変化に拘ったのはなぜか?)
したがって、今日のキリスト教界の趨勢はアニミズム無神論に二極化している。カトリックでは相変わらず本能的信仰心が絶えない一方で、新教欧州では理知的に信仰から離れた現実が見える。北米の新教ばかりが特殊な様相を見せている。そしてユダヤはイエスはもちろんパウロの言葉を解くことはないし、メシアニック・ジューはユダヤ優越を唱えてパウロと正面衝突している。


直訳-

7 これによって贖いを得た 彼の血を通して、 
恵み(カリトス)の富(プルートス)によって罪(複)の赦しを、
8 わたしたちに対して満ち溢れさせた、
あらゆる知恵と理解を
9 わたしたちにその意志のその奥義(ミュステーリオン)を知らせた、
彼のこの行おうとした(アオ)意志に従ったもの
10 その時節(カイローン複)の満了(プレーマトス)のための管理(オイコノミアン)に対して、
あらゆるものがキリストに集約される、(アナケファライオーサススァイ[αからω])
その天に属するとその地に属するものが彼に対して
11 これによって予め選ばれて(アオ)、(その)目的(プロスェーシン)に対してあらゆる力を働かせる(エネルグーントス現)彼のその指示(ブーレーン)の意志(決意)(スェレーマトス)により
12 キリストに最初に期待した(プロエールピコタス完)わたしたちが彼の栄誉を賛美するものとなるため(エイス)
13 これによって、あなたがたは真実の言葉を聞いた(アオ)、
あなたがたを救う福音の、
信じることによって封印された(エスフラギススェーテ)、約束された聖なる霊で
14 これはわたしたちの遺産への約束手形である、贖いを得ることに対して、彼の栄光を賛美するための

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所見:

「時期の満了」とは千年期の終わりを表し〈文末?〉、そのときにはキリストを要として天地のすべての知的創造物の安定が果たされ、全創造物が創造者の企図の通りに成し遂げられる。
それをオイコノミア「家計」と呼んでいる。つまり全創造物の「管理の方式」であり、キリストの第二位性のゆえにこれが可能となる。
(これはコリント第一の終わりの方で、キリストが最後に神に服することであらゆるものが神に服すという趣旨に合致する〈文末?〉)
この管理の方式を具体的に成されるのが「聖徒」の存在であり、彼らはこの管理についても「最初に期待された者たち」ということができる。彼らはキリストの下に第一に集められるので、「キリストに最初に期待した」と言われるのだろう。それは彼らが「初穂」であることと整合する。それは神の意志(スェレーマトス)であり、彼らは事の初めから「女の裔」として選ばれていた(個人としてではなく)。つまり『世の基が置かれる前から準備された王国』である。このことをパウロは度々『奥義』(ミュステーリオン)と呼んでいるのである。
この目的(プロセシン)に対して神は力を働かせることがその意志である。このプロスェシンは、事の順序を重ねる必要があり、それは「女の裔」が「神の王国」へと進む過程を見る通りであり、これを予表したのが幕屋の机に置かれた十二枚の丸い無酵母パンであり、六枚ずつに二列ならべられていた。([τοὺς ἄρτους τῆς προθέσεως]Mk2:26)それは七日を経る毎の安息日に更新されたが([πρόθεσιν]LXX2Chr2:4(3))、各六という数字が七に至る過程を示したとすれば、エフェソス書当該部分からして、それが千年期をも含んでいることを教えているのかもしれない。(年代計算は意味がない)
しかし、それが二列にされた理由は不明(天にあるものと地にあるもの?)。六がふたつで十二という全数を象徴させるためだったのだろうか。(不完全な六が重なって全数が全うされる)ともあれ、それは七に至る過程を表したのではないか。プロスェシスはパウロは三回使用Act20:27/Heb6:17 (ヒレル系タナイーム、ガマリエルから学んだシャウルはLXXでのプロスェシスの使用法を知っていたことだろう)
[πρόθεσις]="proposition"提案,提議,発議,建議,(提案された)計画,企画

プロスェシスは「目的」というよりは「意志」と「手段」の双方の意を持つ言葉で表されるのが良いと思える。「目的」としてしまうと、それはたどり着くべき終点のような印象が拭えない。と言って「手段」というのではかなり異なってしまうし、輝かしさに欠ける。何とか訳せば「ご意志の手順」か? やはり「経綸」というところに落ち着くようだ。
それは幕屋、また神殿の聖所に置かれた机の上のパンが「御前のパン」直訳「顔のパン」と呼ばれ、それが重ねられたところに「手順」の意味が表れているかのようだ。

このパンをラテン教父らが聖餐のパンの意味にすり替えてしまって、ミュステーリオンはますますサクラメントゥムとされてしまい、パウロの意図から大きく逸れた。
ともあれ、聖徒らはそれを彼らを救い得る真実の福音を信じることで、約束の聖霊で証印を押されたが、その聖霊を持つそのことが、アブラハムの遺産、「女の裔」となるということへの約束手形となっている。

以上がこのエフェソス書簡のこのはじめの部分の要旨であり、淡々と語られながらも、それは神的観点のような非常に壮大な構想を持っており、ここに聖書の全体を流れる経綸が簡潔に俯瞰され、ここに千年王国の目的が描き出されるというおどろくべき内容である。この書を偽書扱いする方々はパウロ以外のどんな「奥義の家令」を想定するのだろうか。

 ミュステーリオンがその言葉の通りに隠され『目も見ず、耳も聞かない』『世から隠され』たものであれば、まず、今日のキリスト教界は知ることができず、見て見ず、聞いて聞かないのではないだろうか?1Cor2:7-10
聖書の最重要な理解の底流であるべきものが、ユダヤ教徒にもキリスト教徒にも知らされないとは! その理由は彼らの理解拒否にあると思える。ユダヤ教徒はキリストもその教えも受け入れず、メシアニックジューは自分たちの優位を唱えるばかりで、キリスト教徒は三位一体と心中するつもりでいる。だれも神の真意を探り出すことよりも、自分が正しいかどうかに関心をもってしまってはいないだろうか。
その一方で、まさしくパウロの「奥義の家令」の面目躍如たるエフェソス書簡といえる。

ここでもっとも注意を引くことは「千年王国」の役割を教えていることであり、これは聖書中でも稀なことである。ヨハネは王国が千年続き、聖徒が王なる祭司となることを知らせても、その向かうところについてはこのパウロの具体的な「オイコノミア」の言葉を待たねばならない。「命の木々」さえもその手段となる。
オイコノミアは「配列」Dispositioとラテン語に訳されるようになったが、この配列とは手順ではなく、全体管理のための「陣容」「状況」「布陣」Circumstantiaの意味にとる方がよさそうだ。
したがって、王国であってさえ、オイコノミアを成し遂げる手段の位置にあり「過程」であって「完成」ではない〈文末?〉。しかし、神の千年王国が第七千年紀であるとは、いったい誰が言い出したことなのでろう。聖書が明らかにそれを記しているのだろうか?
この過程について六枚ずつのパン、つまり「目的」と訳されているが、意義は「手段」に近い。人は日毎にパンを必要とするが、パンを必要としない神がなぜ七日毎のパンを置かせたか? それは第七日が訪れる時に目的が完遂されることを表していたのではないか?つまり、神の目的は第七日への到達であり、安息日の訪れと共にそのパンは御前から下げられたのではないか。マナも六日間降って安息日には降らなかったが、第六日には倍の量が降っていて、ぴったりとは整合しない。
「王国」もまた手段である。この手段またはプロスェシスが奥義(ミュステリオーン)とされ、世から隠されてきたもので、実際聖書は世界で最も頒布されているのにこれを理解している人はまずいない。
こうしてみると、オイコノミアに向かって他のすべてのものが貢献し関係していることになる。「創造界のオイコノミア」にすべての「完成」があるということであろう。

☆神にとっても人にとってもパンは目的ではなく過程で必要な備えである。プロスェシスは「目的」や「意志」というよりはパンの置き方から観ると「過程」「配列」「経綸」という方が確かに聖書中では相応しく見える。
☆直訳してみると、プロスェーシンのために聖徒が予め選ばれたという部分が現れ、十二枚のパンと対応しているように見える。聖徒を表すであろう十二という全数であっても目的の過程として分割されたことで六となり、彼らも「過程」であり「配列」であり「経綸」であるというようにも解釈できそうだが・・聖徒はユダヤと異邦で二分割され、初代と終末で二分割もできそうだが、これは深読みか?(シャヴオートのふたつの酵母パンでそれは既に表されていたのでは?)それとも神は何かふたつの経綸を有していたのだろうか?やはり天にあるものと地にあるものか?いや、それは時間差が大き過ぎないか?それとも天にあるものとは天使を指したのだろうか?
☆講話するキリストが王国について常に譬えで語った背景は、それが奥義であったからということが成り立つ。Mt13:35Joh16:25.29
聖徒らが仮贖罪を受けて後、聖霊は譬えを経由せずに奥義を伝え始めたとみてよいようだ。Joh14:22しかし、贖罪が仮のものであったため、それは「部分的なもの」であったのだろうか。1Cor13:12
信仰と贖罪が奥義の理解に関わったので、世はこれを知るに至らないのか。終末の裁きでは奥義はどうされるのだろう。

◆[ἀπὸ καταβολῆς κόσμου]は、「世の種が撒かれて以降」つまり創造が完成し、それが法則に従って運用され始めたことを云うのでは?The first start operating or It being established, and beginning to function.これに相当する表現は新約だけか?LXXは?


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「神の王国」
都市国家であり、ウルまたバビロンに相対するもの
城壁と土台を持ち、市民は十四万四千ということになるようだ。
律法契約下のエルサレムが予表していた実体「上なるエルサレム」(サラ)の産出す「子ら」、また「シオンの娘」によって構成される。これらの娘たちがメシアと結婚することによって出現する。
地の王らが出入りし、王座から流れる川に「命の水」が流れる。その両岸に命の木々が植えられ、それらは年に12回実を結ぶ、その葉は諸国民を癒す。この川の流れが具体的な人類贖罪に結びつくらしい。これは聖書中少なくとも三度、ユダヤ習慣にひとつ関連する事柄を見る。それらは予型、また予型の示唆となるようだ。



?満了する期間とは
千年期を指してはいないかも知れない。そうなるとオイコノミアは至上命題ではなくなる。権威主義からすればこれは喪失に見えるにしても、それが神意でないなら、それを放棄しなければならない。人間は統治や支配権の概念に余りに慣れているが、知的創造物の本来の在り様を熟考してみる必要が生じる。それはこれまでに経験したことのない「無原罪」の社会の様相となる。







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