Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

平和

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わたしは言った。聞け、ヤコブの頭たちイスラエルの家の

指導者たちよ。正義を知ることが、お前たちの務めではないのか。

善を憎み、悪を愛する者人々の皮をはぎ、骨から肉をそぎ取る者らよ。

彼らはわが民の肉を食らい皮をはぎ取り、骨を解体して鍋の中身のように、釜の中の肉のように砕く。

今や、彼らがYHWHに助けを叫び求めても主は答えられない。そのとき、主は御顔を隠される。彼らの行いが悪いからである。

わが民を迷わす預言者たちに対してわたしは言った。聞け、ヤコブの頭たちイスラエルの家のはこう言われる。彼らは歯で何かをかんでいる間は平和を告げるがその口に何も与えない人には戦争を宣言する。

それゆえ、お前たちには夜が臨んでも幻はなく暗闇が臨んでも、託宣は与えられない。預言者たちには、太陽が沈んで昼も暗くなる。

先見者はうろたえ託宣を告げる者は恥をかき皆、口ひげを覆う。神が答えられないからだ

しかし、わたしは力と主の霊正義と勇気に満ちヤコブに咎をイスラエルに罪を告げる。

聞け、このことを。ヤコブの家の頭たちイスラエルの家の指導者たちよ。正義を忌み嫌い、まっすぐなものを曲げ

流血をもってシオンを不正をもってエルサレムを建てる者たちよ。

頭たちは賄賂を取って裁判をし祭司たちは代価を取って教え預言者たちは金を取って託宣を告げる。しかもYHWHを頼りにして言う。「YHWHが我らの中におられるではないか災いが我々に及ぶことはない」と。

それゆえ、お前たちのゆえにシオンは耕されて畑となりエルサレムは石塚に変わり神殿の山は木の生い茂る聖なる高台となる。


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身分の低い者から高い者まで、みな利得をむさぼり、預言者から祭司に至るまで、みな偽りを行っているからだ。
彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。
彼らは忌みきらうべきことをして、恥を見ただろうか。彼らは少しも恥じず、恥じることも知らない。だから、彼らは、倒れる者の中に倒れ、わたしが彼らを罰する時に、よろめき倒れる」とYHWHは仰せられる。

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盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。
人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。
しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。
あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。
従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。
眠る者は夜眠り、酒に酔う者は夜酔います。

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所見:平和の想いと夜が常に関連付けられる

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Ps25

「ラはメーは」- [־רַחֲמֶ֣יךָ] 複数形で強調される

6「はサデーは」 - [חֲסָדֶ֑יךָ]

[חסד]ヘセドゥ=Grace

Mic7:18
Lam3:22

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キリスト教自死

聖アポロニア(249年殉当時アポロニアは、教会内の協力者を務め非常に尊敬されていた)の殉教伝を記したディオニシュオスAlx(在任:247年-265年)は、処刑用の火に自ら飛び込んだ彼女の結果的な自死を批難していないというし、アレクサンドレイアでは聖人として祀られた。これにヒッポのアウグスティヌスが疑問を「神の国」中で呈しているというが、キリスト教界が自死を罪悪視し始めたのは、デキウス帝(位249年 - 251年)時代に殉教(250年勅令-251)が流行してからではないのか?この場合には殉教と自死紙一重であったろう。但し、この流行は悲しみや絶望とは無縁の、聖者となる名誉欲からきたもので、陶酔感を伴う「死に急ぎ」であった。ひどいものは、迫害も無いところでの集団「殉教」(自死)が発生している。当時のキリスト教界が憂慮し、禁じたのはこの類いのものであったろう。また、殉教時の苦しみを避けるために自死を活用すると、殉教の栄光を損ねることにもなる。これが、その後の自死の裁きに尾を引き、自殺者の断罪と儀式の拒絶が盲目的に存続したと見るべきだろう。
聖書に明確な自死を禁じた文はなく、サウル王の自決とユダ・イスカリオテ自死を試み失敗したようなところがあるくらいで、旧約に至っては、死の願望を云い表す例が幾つかある。神は「世代」の死に絶えることを急がせたことがあり、それは自然死だけではなかったことが伝えられている。
自死を単に「自分であっても殺すことであるから罪だ」という主張をキリスト教に立脚して主張することは出来そうにない。敢えてそうするとなると社会通念を根拠にすることになる。
自死にも様々な理由があり、そこを単純に割り切ることは過酷な裁きともなり兼ねない。⇒オフィーリアの死と僧正の判断


ウァリアヌス帝期⇒260年の失脚まで
257年の教会禁止令
258年の全教職処刑令

ディオクレティアヌス帝期
302年





Novum Arianismus
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