Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

ヨハネ著述の傾向

・[世を征服]のリファレンスはヨハネ著作のみ
「征服」[νικάω](勝利)はLk×1,Rom×3,の4回のみ
確かに黙示録では「世を征服」[νικά τον κόσμον]という成語では出ないけれども、新約全体に亘って「征服」を強調した記述は黙示録を含めて筆者としてのヨハネの特徴と言える。

Joh16:33 わたしは世を征服した
1Joh5:4 神から生まれた者は皆、世を征服する。信仰が世を征服する
1Joh5:5 イエスを主と信じる者でなく、だれが世を征服するか
Rev2:7征服する者に命の木から食することを許す
〃2:11 征服する者は第二の死に損なわれない
〃2:17 征服する者には隠されたマナを与える
〃2:26 征服する者には諸国民を治める権威を与える
〃3:5 征服する者は白い外衣で身を包む
〃3:12 征服する者は神殿の柱とされる
〃3:21 征服する者にはわたしの座に共に座ることを許す
〃5:5 ダヴィデの根が征服を遂げたので
〃6:2 彼は征服し、征服を完了するために出て行った
〃12:11 彼らは自分たちの証しの言葉によって(サタンを)征服し
〃17:14 子羊は主の主であり征服する、召された忠実な者も征服する
〃21:7 誰でも征服する者にはこれらを受け継ぎ神の子となる
羅[triumphus]は[θρίαμβος]に由来



・神の子[τέκνα θεου]と成る
Mtを初め共観福音書ではほとんどの箇所で、イエスが神の子であることについて述べる。一度だけ『平和を愛する者は神の子と称される』がある。
これに対してヨハネはその著作中で、信じる者が神の子となるという概念をはっきりさせている。

Joh1:12 彼を迎えた者に神の子となる権限を与えた
〃8:36 子が自由にするなら自由になる
1Joh3:2 彼が現される時に彼のようになる(これは類似多し)
Rev21:7 誰でも征服する者にはこれらを受け継ぎ神の子となる



ヨハネ福音書では、筆者がサンヘドリンの内部に詳しいことが何度か示され、使徒ヨハネの手引きでペテロが大祭司邸に侵入している。また、黙示録筆者は旧約への並々ならぬ把握を持っていることが明らかで、異邦人を想定するには無理があり、むしろ、黙示録はそのユダヤ性とタナハへの精密な関連から、やはりキリストに近いユダヤ人を想定する方が理に適うように思える。しかも、ユダヤ教からは聖霊理解を以ってすっかりと離れており、仮現説を排斥しているところからして、グノーシスにはっきりと反対している。
この筆者のユダヤ的把握力については、使徒ヨハネの母がサロメで、マリアの姉妹という伝承に一定の蓋然性を与える。もしそうなら、アロン=ザドク系のエリザベツとも縁続きであったことになり、サドカイ派に近かった可能性が高い。そしてサドカイ派は祭司長派とも非常に近い。この点は彼の兄ヤコブも、ヨセフの子イエスも同じだが、イエスの場合は素性を隠して過ごしてきている。おそらく、ゼベダイの子ヨハネは、年若いせいで、祭司長派の誰かに気に入られてもいたのではないだろうか?
いずれにせよ、多くの二世紀の証言からこの著作群が、黙示録をも含めて使徒ヨハネの手になるものであったと見做すべき理由は十分のように思う。その驚くべき認識は『奥義の家令』パウロと双璧を成すほどに高められており、黙示録の不可知性にも関わらず、今日まで敬意を払われたような聖性がそこに感じられるものである。
冒頭で名を明かしている理由で、福音書筆者と異なるとするのは、内容に踏み込まずに外見で判断するようなものに思える。例え、文体に相違があっても、黙示録の多くが「与えられた文」で出来上がっていると見做すなら、どうなのだろうか。
なお、不思議なことに、エフェソスのポリュクラテースはヨハネを指して「エフォドを着けた祭司」と呼んでいる。その理由は不明。


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Rev20:12-13
12.それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて彼らは裁かれた。

12. ὅ ἐστιν τῆς ζωῆς, καὶ ἐκρίθησαν οἱ νεκροὶ ἐκ τῶν γεγραμμένων ἐν τοῖς βιβλίοις κατὰ τὰ ἔργα αὐτῶν.

13.καὶ ἐκρίθησαν ἕκαστος κατὰ τὰ ἔργα αὐτῶν.

[ἔργα]=「行い」名

・どちらも生前の行いを指してはいない。

Joh5:29
善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ

καὶ ἐκπορεύσονται οἱ τὰ ἀγαθὰ ποιήσαντες εἰς ἀνάστασιν ζωῆς, οἱ δὲ τὰ φαῦλα πράξαντες εἰς ἀνάστασιν κρίσεως.

[πράξαντες]=分)アオ能主男複 「する」
直訳:「そして、出てくる、善を行った(アオ)者は命のための復活へ、悪を習わしにした(アオ)者は裁きのための復活へ」
・主要日本語訳の訳者は、この節が生前の行いで、いずれかの復活へと出てくるものと考えている。しかし、そうではなさそうだ。

LK3:19
ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、

Ὁ δὲ Ἡρῴδης ὁ τετραάρχης, ἐλεγχόμενος ὑπ’ αὐτοῦ περὶ Ἡρῳδιάδος τῆς γυναικὸς τοῦ ἀδελφοῦ αὐτοῦ καὶ περὶ πάντων ὧν ἐποίησεν πονηρῶν ὁ Ἡρῴδης,

[ἐποίησεν]= 動)直アオ能3単 「する」


Lk9:10


Καὶ ὑποστρέψαντες οἱ ἀπόστολοι διηγήσαντο αὐτῷ ὅσα ἐποίησαν.  Καὶ παραλαβὼν αὐτοὺς ὑπεχώρησεν κατ’ ἰδίαν εἰς πόλιν καλουμένην Βηθσαϊδά.

[ἐποίησαν]=動)直アオ能3複 「する」


Joh4:29



δεῦτε ἴδετε ἄνθρωπον ὃς εἶπέν μοι πάντα ὅσα ἐποίησα, μήτι οὗτός ἐστιν ὁ χριστός;

[ἐποίησα]=動)直アオ能1単 「する」


Joh7:21
エスは答えて言われた。「わたしが一つの業を行ったというので、あなたたちは皆驚いている。

ἀπεκρίθη Ἰησοῦς καὶ εἶπεν αὐτοῖς· ἓν ἔργον ἐποίησα καὶ πάντες θαυμάζετε.


[ἐποίησα]=動)直アオ能1単 「する」







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