Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

意識と物質

表象とは、それ自体でないもの、または存在しないものをさえ表す。
数字は数を表象するが、数というものは自然界には存在しない。それは概念だから。
また、心の状態も人は表象できる。例えれば、絵画や音楽がそうである。
では、表象はなぜ可能か?
それは受け取る心が存在し、知覚を通して意味を悟るからである。
ヴィットゲンシュタインは絵を用いて、人が表象を見る時に、前提条件を付けていることを説く。<裁きのキリスト?>確かに絵で「もし、〇〇でなければ、××をしよう」を表象することはほぼ出来ない。<組み合わせならできるのでは>
ジョン・ロックは「言葉は観念の可感記号である」とまとめた。
プラトンの対話編「メノン」で、ソクラテスは無意識の知識を提唱し、それが前世からのものもあることを擁護しようとしている。これについて、フロイトは人は意識できる心だけでは、物事を行うことが十分に説明できないことに着目し、潜在意識という無意識の思考という概念に到達した。
ロジャー・ペンローズは「皇帝の新しい心」の中で、「真の知能には意識が必要である」と述べる。(彼は素粒子そのものに意識に関わる未発見の特質が備わっているとも主張している)
<ネフェシュとは「意識を持つもの」を含意か?>
ブレンターノ・テーゼ「志向性が心的現象の特徴」
我々は単なる物質ではないのだが、同時に単なる物質でもある。(睡眠薬の服用の結果など)
ジョセフ・グランヴィル(1636-1680)「純粋なる精神が如何にしてこの土塊と結びつくのか?」(二元論へ発展)
脳が物質であるのなら、どうして脳という物質は表象を行うのか?
デカルトは体と心が別物であると信じていた。(ティム・クレイン)
<実際には思考は肉体の状態や環境から影響を受ける<喉>>
我々が他者の思考を知る方法は観察による。<自分の感覚から類推もしている>
ヴィットゲンシュタインは「考えながら話す事とそうでない事とは、楽曲を考えながら演奏することと、そうでない事になぞらえられる」<というが・・それは御兄上のご意見か?>
アルゴリズムが何かを答えられないなら、数学とは何かが答えられないことになる。チューリング・マシンは規則の集成であり、それはマシンというよりは規則であった。
生物の身体には外界の状況に応じて、生命維持のためにプログラミングされたところがあり、意識するものと無意識のものとがある。意識と神経は密接な関係を持っている。

所見;個人の思考といってもまったく独立しているのでもなく、絶えず周囲の別の思考に影響を受ける。そこで狭い範囲に影響を限れば「洗脳」も可能となっている。


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