Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

聖書に一か所現れる「魔女」

Isa34:14

וּפָגְשׁ֤וּ צִיִּים֙ אֶת־אִיִּ֔ים וְשָׂעִ֖יר עַל־רֵעֵ֣הוּ יִקְרָ֑א אַךְ־שָׁם֙ הִרְגִּ֣יעָה לִּילִ֔ית וּמָצְאָ֥ה לָ֖הּ מָנֹֽוחַ׃

野の獣はハイエナと出会い、鬼神はその友を呼び、夜の魔女もそこに降りてきて、休み所を得る。【口語】

荒野の獣は山犬に会い、野やぎはその友を呼ぶ。そこにはこうもりもいこい、自分の休み場を見つける。【新改訳】

荒野の獣はジャッカルに出会い/山羊の魔神はその友を呼び/夜の魔女は、そこに休息を求め/休む所を見つける。【新共同】

[hoot-owl]NKJV


[לִּילִ֔ית]リリトはバビロニア由来とされている、夜間に出歩き妊産婦や新生児を殺す女
ギルガメシュ叙事詩に原形が見られるとされてきた
しかし、これを追求してゆくとカバラに嵌まり込む

[καὶ συναντήσουσιν δαιμόνια ὀνοκενταύροις καὶ βοήσουσιν ἕτερος πρὸς τὸν ἕτερον· ἐκεῖ ἀναπαύσονται ὀνοκένταυροι, εὗρον γὰρ αὑτοῖς ἀνάπαυσιν.]LXX

[ὀνοκένταυροι]はギリシア神話で`獣人 イタリアの「チェンタウロ」


[et occurrent daemonia onocentauris et pilosus clamabit alter ad alterum ibi cubavit lamia et invenit sibi requiem ]Vulg

lamia=子を奪う女神でゼウスの女だがヘラに子らを奪われ、自らも子を奪うものとなった

イザヤは、悪霊的な有り様を強調するためにバビロニアの魑魅魍魎の類いを列挙したのであろう。

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「上なるもの」への追求本能

人は「上を向く」生き物であり、人以上のものに向かって問い掛ける。その質問の要旨は「自分は何ものか」
これを解く鍵は存在の由来であり、死の意味である。
この二つの解答によってどう生きるかは随分異なってくる。それであるから、自分で確認することを人は本能的に求め、間に自分のような単なる人間を入れることを嫌う。
人間同士にこの普遍的な解は無く、怪しげなものが多いことは意識されている。
従って、真に「上なるもの」と通じる人を「聖」とする。そこに信頼に足るものがなければ、人は自分の生き方を託すようなわけにはゆかない。
しかし、古来人間は荒唐無稽な教えを信じてきた。それはその時代に於いて検証も難しいところがあったと広く考えられており、今日の科学信仰には、「もう騙されない」という意志が見える。しかし、近代以降には、科学的信仰と呼べるような、ランクの上がったような誤謬が見られる。無神論共産主義も新たな宗教であった。そこで人はやはり騙されてきた。
この傾向は終末まで続いてゆくようだが、ひとつの傾向は保持し続けている。無神論や不可知論も、あるいは、終末の宗教強化のための方策であるのかも知れない。
おそらくは、終末の偶像崇拝は「科学」の要素、また「人間賛美」と「未来展望」が含まれるのであろう。

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(the Wicked Bible) [不道徳聖書]:1631年版の欽定訳聖書の俗称;モーセの第七戒の‘Thou shalt not commit adultery.’の not を落としていることから.







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