Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

ヴァチカン写本

 カトリック教徒によって、教皇庁の奥に鎮座ましますものこそが「本当の聖書」だと聖遺物のように尊崇されている第四世紀頃のものと思われる聖書写本がヴァチカン図書館に厳重保管されています。

 Bという略号で表されるこの貴重なギリシア語アンシャル体で筆記されたセプトゥアギンタの聖書写本(1209号)は残念なことに創世記の大半と詩篇の一部に欠落箇所があります。

 この写本についてはヴァチカンの目録で十五世紀以来、数百年間その存在は知られていました。しかし、なぜか保管当局は公開はもちろん一切の調査も許してきませんでしたし、最近の十九世紀に入っても相当程度の頑迷さをもって秘匿する態度を崩しませんでした。

 それでも一度、ナポレオンがローマを征服し、教皇庁からこの写本を入手したときにロゼッタストーンのように解明され或いは公開される大きなチャンスがあったのですが、ナポレオンがコンコルダート(政教条約)を教皇庁と取り結ぶにいたって写本が返還され、再び陽の目を見る機会を逸してしまいました。

 今日、写真コピーが公にされるようになって、ようやくその真価が発揮されるようになりました。それはシナイ写本、アレクサンドレイア写本と並ぶ南方系(エジプト由来)三大ギリシア語写本のひとつとして重きをなしており、人類全体にとっての財産です。

 ヴァチカン当局がこの写本をどのように扱ってきたのか、部外者はもちろん大半の聖職者も分からないことながら、新約(ギリシア語聖書)部分からもテモテへの二つの書簡、「テトス」、「ヘブライ人」の多くの部分、そしてヨハネ黙示録が失われたことにはどんな理由があったのでしょう。

 それはヴァチカンが公的で客観的図書館ではなく、宗教組織であるがゆえに、却って優れた聖書写本を何らかの「宗教的理由」において公的な図書館がするようにではなく私有者としてこれを扱い、外部からの一切の調査をも拒否していたとみられても仕方ないと思えます。

 ことにエラスムスによるウルガタ訳への異文混入の指摘や、宗教改革による「大いなるバビロン」のローマ勢力への適用を、自ら所蔵する1209号写本が裏付けることを危惧した蓋然性は人々の容易に同意するものでしょう。(私個人は「大いなるバビロン」が必ずしもヴァチカンを指すとは思っておりません)




 なお、カトリック旧約聖書ヘブライ語聖書)にマカベア書などの追加を行なっていますが、この写本Bにそれらの部分が存在することを盾にとってのことでしょう。

 しかし、後に16世紀のトレント(トリエント)会議で宗教改革に対抗するための手段のひとつとして勢力威示のために追加がなされたようにとられかねません。いや、実際そうなのでしょう。

 この点でユダヤ人は第二世紀にヤブネで22巻、つまりヘブライ語に原典を確認できないものを排除し、キリスト教における旧約39巻を確認しており、トレントの決定はそれを覆すものです。

 ギリシア語の写本以上のものを確認できないそれらの書を「補遺」とするなり、また別冊扱いにすることができますし、そうして人々の「聖なる書」に対する不要な価値誤認を避けられます。追加された諸書は選ばれた39書に比して内容に見劣りが否めないと感じるのはわたしばかりではないものと思えます。

 聖なる書物は単なる物語ではない証拠が随所に見られ、これを恣意的に扱うことは人類の財産を傷つけることにならないでしょうか。