Notae ad Quartodecimani

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女「シオン」 深まる謎

聖徒が現われるとき、何も無いところから出てくるだろうか?

それなりの認識なくして聖徒たり得ない。それはミナの清算からしても明らかだろう。

では、認識を持つべき機会が提供されねばならない。それも聖霊の降下で与えられると見る事はまず不可能だろう。

そうなると、聖徒を産み出すような人の集まりが要請されないだろうか?

そこから逆に考えると、それが女シオンにならないか?

「街道」は生じるものであるから、これは時を待てばよい。
「旗印」は聖徒が見るものであれば、彼らが現われてからでよい。

だが、女シオンは捕囚の終わりのときのように先在しなければならないだろう。

それは良いとしても

幾つか解けないと充分な納得ができないと思うことは
踏み躙られるエルサレムであり、イスラエルエルサレムは本文中ほとんど分けられていると思う。

しかし、エルサレムとシオンの同義性は非常に高い。

ならば、なぜイスラエルではなくてエルサレムが蹂躙されるのか???

黙示録12とルカ21が衝突している。

あるいは、42×30の後、保護が解かれるのか?
それなら、参入諸国民も迫害を免れないだろう。

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それから、聖所なのか中庭なのかという問題もある。
諸国民(外)の中庭が敷衍されているのか?

立ち上がる腕は聖なる処を汚し、常供の犠牲を絶やす。Dan11:31
聖なる場所は撃ち捨てられ、軍と常供のものも徐々に引き渡されたが、それは「違反」(不法?)のためである。Dan8:11-12

以上の「聖所」はどのような意味での聖所か?軍と常供のものについては、まだ分かり易いような気がするが、聖所が何を表しているか?
ダニエルでは「聖所」とはっきりしており、中庭ではない。

主体者が諸国民か大王かで違ってはいるのだが、それは別の事柄を指しているのか?

犠牲が捧げられたのは中庭(外の中庭に非ず)であり、常供の犠牲は聖所を含む。
現在のようなアプーシアの状況で常供の犠牲というものが有るだろうか?
では、聖霊の再降下の後に常供の犠牲が捧げられるのか?
ならば1260日でも常供と言えるのか?

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①諸国民⇒エルサレムおよび外の中庭を踏み躙る
 (?女シオンへの攻撃か?聖所には入らないらしい)
②大王⇒ 聖所を打ち捨て、軍の一部と常供の犠牲が絶えさせられる
 (聖徒への攻撃に成功し勝利する。至聖所に言及はないが、建物としての「聖所」の意か?)

では、諸国民による蹂躙と大王の攻撃はどう異なるのか?


10/21追記
どうやら、諸国民による蹂躙は先行していて、象徴的なものらしい。それは常供のものを絶やさないし、聖所を壊さない。
しかし、大王の攻撃は実際上のもので、「ふたりの証人の死」をもたらすようだ。

アプーシアにあって常供のものはなさそうだ。
これは回復後に捧げられるようになるのだろう。





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