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[עלייה]
アケメネス朝 10代 220年
1 キュロス[Ⅱ] 550-530
2 カンビュセス[Ⅱ] 530-522
ガウマタと称されるおそらくバルディア(スメルディス)が数カ月在位
3 ダレイオス1世 522-486
4 クセルクセス1世* 486-465 (アハシュエロス) アルタバノスに暗殺される
5 アルタクセルクセス1世 465-424 (アルタシャスタ 「51年統治」の文言有り)
6 ダレイオス2世 424-404
7 アルタクセルクセス2世 404-359
8 アルタクセルクセス3世 359-338
9 アルセス 338-336
10 ダレイオス3世 336-330
BC.539:バビロンの陥落
(メディア人の王ダレイオスの第一年?[ダニエルの祈り])
2年後?キュロス大王(559-530)の勅令
(ディアスポラの開始)
その年内に第一次帰還 ヨム・テルアにはシオン帰還済、ヨム・キプル(?)、スッコートを挙行
比較的早くに祭壇跡地に新祭壇を築き常供の犠牲を開始している
ゼルバベルとイェホシュア(イェシュアと発音された蓋然性高し)
(シェシュバッツァルはイェホヤキンの第四子(レビレート婚?)シェヌアツァル
(シャルティエル)の実子か、ゼルバベルと同一人物か)?
536イッヤール第二神殿の定礎(バビロン陥落から3年、エルサレム陥落から50年
カンビュセスの治世中に神殿再建工事が中断
529キュロスの後継カンビュセスのエジプト遠征 (帰途中於シリア522没)
521ガウマタ(スメルディス? )を倒してダレイオス即位、翌518年ペルセポリス造営に着手
アラム語の公用語化
520(ダリウスの第二年[Hag1:15])第二神殿の造営の再開(586から66年目)
518(王ダリウスの第四年⇒588から70年目[Zek7:1])<588ゼデキヤの第九年第十月、エルサレム攻囲開始Jer39・51&52 Ezc24>
ダレイオスはサルディスに総督府(サトラップ)を置いてアナトリアばかりか、エーゲ海東部の覇権を持ち、ペルシア帝国は最盛期を迎える。
(同「王ダリウスの第4年[ゼカリヤ]第五と第七の月の断食を行って70年」の記述あり)
515第二神殿の完成 ダレイオスの第七年 (エズラ記では陰暦第六年のアダル3日、翌月に奉献。献堂式とペサハにハグハマツォートを挙行。ヨセフスによると第九年)
(バビロン陥落から24年、神殿破壊から71年目)
百年間の帰還者は4万2360+7337+245
490マラトンの戦い
486ダレイオスⅠ没
485ペルシア戦争最中、クセルクセスⅠ世即位 (*以前から父ダレイオスⅠとの共同統治期間が十年ほどあったことを示唆する史料あり)(エステル記のアハシュエロスと考えられる)
480陸海の大軍を率いてヘレスポントス海峡を渡りギリシア本土に攻め込みテレモピュライの戦いで圧倒しアッテカを占領するも、サラミスの海戦で敗北
497プラタイアの陸戦、ミュカレ海戦で敗北しクセルクセスⅠ世は退却 帰国後は建設事業で国庫を消耗
463父王の暗殺で各地で反乱発生バクトリアが、次いでエジプト・リビアが反乱、呼応してデロス同盟がエジプトを支援
464アルタクセルクセスⅠ世即位(父は護衛隊長に殺害され首謀者としたダレイオス皇太子を殺害して即位、ネヘミヤは献酌侍従官)
このころエレファンティネのユダヤ民団が終わりを迎える
449ペルシアはデロス同盟と講和*し、ギリシアとの戦争状態を一度終わらせる。
イオニア・小アジア諸都市の宗主権を放棄、ギリシアはキュプロスを放棄しエジプトに干渉しないことを約す。(ペルシア戦争50年の終結)
ディオドロス、プルタルコスによれば「カリアスの和議」(条約の実在は不明)
テミストクレスを保護し丁重にもてなす
444(アルタクセルクセスの第20年)第二次帰還(ネヘミヤ着任〜432まで12年の任期)
城壁の建造 [第二神殿再建から71年](後95年、後143年) この時点でも市内は空疎
433ネヘミヤ一時帰国、翌年エルサレムでトビヤ、サンバラテ、エリヤシブを追放
430エズラの派遣1760名
424クセルクセスⅡ世即位、在位二か月にして異母弟ソグディアスに弑される。
ソグディアス在位七カ月にして異母兄弟オクスに弑される
423オクスがダレイオスⅡ世として即位
419ダレイオスⅡ世、エレファンティネ島のユダヤ民団にペサハを遵守するよう勅令を発布
410この頃、エジプト総督の不在中にエジプト人はエレファンティネ島のユダヤ教神殿を破壊
407エレファンティネ島の大祭司エドニヤは、エルサレムのペルシア総督パゴアスに神殿再建の許可を申請し承認される
404アルタクセルクセスⅡ世即位
401小アジアの総督「小キュロス」の反乱をクナクサで破り、小アジアの支配権を握る
399エジプト、ネフェリテスⅠ世が即位し第29王朝が成立、スパルタと同盟してペルシアと争う
386ペルシアとギリシア諸都市の間に和議が結ばれ、小アジアの諸都市はペルシアの支配下に入る
387エジプト第30王朝が始まる
358アルタクセルクセスⅢ世即位
343ペルシアは、エジプト再征服に努めて成功、ファラオ・ネクタネボⅡ世はエチオピアに逃れる
337アルセスが即位するも将軍パゴアスに毒殺される
336マケドニア王フィリッポスⅡ世弑される
アレクサンドロスⅢ世が即位
335ダレイオスⅢ世即位
アレクサンドロスはテーベとアテナイの反乱を鎮圧
334アレクサンドロスがペルシア遠征に着手
333イッソスの戦い
ダレイオスⅢ世は敗走
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・ネヘミヤとエズラの改革
サマリアはゲリジムでの崇拝を余儀なくされる
雑婚の禁止
民族主義の強化
聖書の聖典化
シュナゴーグ制
エズラ7:7の問題
『アルタクセルクセスの第7年』ではなく『第37年』とすると428となる説もあり。
サマリアは「エサル=ハッドンから」と民の来歴を自ら語っている。
エズラとネヘミヤの2人がエルサレムに帰還した時代に関しては異説がある。この時代は暗黒時代であり、資料も欠如している時代である。
伝統的な解釈、聖書に記されている順序によれば、エズラがエルサレムに来たのはアルタクセルクセス1世の第7年(前458年,エズ7:7)で、
ネヘミヤは同じ王の20年にエルサレムに到着した(前445年,ネヘ2:1).
ところが別の説では,ネヘミヤの帰還は上記と同じであるが、エズラはアルタクセルクセス2世の第7年(前398年)に帰国したと言う。
更に別の見解では、本文を読み換えて、エズラの帰還はネヘミヤの帰還と同じ王アルタクセルクセス1世の時代であるが、第7年ではなく、
第27年あるいは第37年であったとする。これらの見解ではネヘミヤが先にエルサレムに到着し,しばらく経ってからエズラがやって来たとする。
1960年代まで有力であったネヘミヤ→エズラという見解も、最近ではむしろ伝統的なエズラ→ネヘミヤの順序を支持する立場が強まっている(U・ケラーマン)
[עלייה ציון]
マケドニアのディアドコイ時代へquartodecimani.hatenablog.com
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Joh10:17-18
それゆえ父はわたしを愛される。わたしがいのちを捨てるからである。しかしそれはいのちをまた得るためである。
何びともわたしからいのちを奪わない。わたしが自分でそれを捨てる。わたしにはそれを捨てる権威があり、ふたたびそれを受ける権威がある。わたしはこのいいつけを父から受けた」と。
前田訳
10:29-
わたしに(彼らを)与えられた父はすべてのものより偉大で、何びとも父の手から彼らを奪いえない。
わたしと父とはひとつである」と。
Nestle⇒17:11
διδάσκοντες αὐτοὺς τηρεῖν πάντα ὅσα ἐνετειλάμην ὑμῖν· καὶ ἰδοὺ ἐγὼ μεθ’ ὑμῶν εἰμι πάσας τὰς ἡμέρας ἕως τῆς συντελείας τοῦ αἰῶνος.
あなた方に命じたことをすべて守るよう教えよ。安んぜよ、わたしは世の終わりまでいつの日もあなた方とともにいるから」と。(前田訳)
継続的時間を指すというよりは、「終末」という聖徒の裁きの日にもイエスが聖徒に同伴するの意で、イエスは昇天し、以後は、荒野のイスラエルのときのように、聖霊によって帯同したのであるから、聖霊の無い状態ではイエスが監臨をしているということにならず、聖徒も存在しないところでは、イエスの帯同の意味も必要もない。その意味で、「終末まで常にあなたがたと共に在る」と言える。敢えて意訳すると「終わりの日に至ってなお、常に・・」
ישוע
ישועה
יהושע
יחונן ⇒ יהוחנן
二階席エズラット・ナシーム[עזרת נשים]このエズラは「助け手」の意で写字生の名とは異なる
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