Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

「悔い改め」か「悔い」か

Act11:18
[ἄρα καὶ τοῖς ἔθνεσιν ὁ θεὸς τὴν μετάνοιαν εἰς ζωὴν ἔδωκεν]
"μετάνοια"="repentance";a change of mind, as it appears to one who repents, of a purpose he has formed or of something he has done

"Then God has also granted to the Gentiles repentance to life."

これは「悔い」や「後悔」を表しても、悪行から善行へと変化する「行い」を指すとは言えない。
勿論、ザアカイのように自発的に行動を改めることを評価しない訳ではないが、その律法に準拠する行動をも「メタノイア」の範囲に含めるとギリシア語のニュアンスから離れる。

これはヘブライ語「ナーハム」でも意識について述べる言葉であり、後悔や顧みることを表わしているが、行動を含むようには文脈は見えない。

そこで日本語訳において「悔い」を越えて「悔い改め」と訳すことには、教条的行動の要求という陥穽がある。

・口語
『「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」』
・共同訳
『「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」』
・新改訳
『「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」』


まだ「悔悛」というなら誤解もないのでは

ヨハネバプテスマの本旨はこの「悔い」にあったと言える (Mt3:11/Mr1:4/Lk3:3)
ユダヤ人はこのバプテスマを受けて後、メシア信仰に至っている。
これはアダムの罪とユダヤ人には律法の罪とが二重に作用していたであろう。
特に、律法不履行の咎は、もはや律法の契約に自分の義の望みを託すことを止め
キリストの犠牲に贖いによって、アブラハムの裔イスラエルとしての『諸国民の光』となる希望をつなぐべきことを教えた。
それは『廃れ行く』古い契約ではなく、メシアの仲介する『新しい契約』による、業に拠らず信仰による契約参与であり
「悔い」はメシアへの信仰に一重に頼らせるものであった。

したがって、ヨハネの水のバプテスマは、「悔い」を象徴するものであり
その「悔い」なくしてメシア信仰に正しく入ることはないと言える。
まさに『罪』を悔いることなくしてメシア信仰には至らない。
なぜなら、メシアは贖いの犠牲を捧げるからであり、その働きが最善にして最大のものである。
律法は補助的にメシアの贖いの大きさを知らせ、それが人の努力を遥かに超えたものであることを山上の垂訓は示している。

これはユダヤ人に限らず、契約外の信徒についても「悔い」なくして真実のメシア信仰には至らない。
信仰とは「悔い」を必須とするものであり、神の経綸の知識など、ほとんど役に立たず
場合によっては真のメシア信仰を阻害するものともなり兼ねない。
『知識は人を思い上らせ』「キリストの犠牲は自分のためであった」「だから感謝しよう」などと言っているようでは
「悔いた」と言えるだろうか?





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ユダヤ人との接触

・現代のシュナゴーグで異邦人を含めた参加の条件は?
1.どんなものでも良い(程度問題)ので必ず帽子(キッパでない#)を被る
2.ラフな服装ではならない
血の禁令については専らカシュルートで対応しているので、道徳状態も⎈いちいち問うことなどしていない。
#映像では会堂内でのキッパ着用をよく見かける
道徳的に問題のある人物はバマーでの目立った立場には就けない


・ミンヤンの条件は?
十人のユダヤ人成人男子が揃って初めて公式に祈りを捧げることができる。女性は数に入らないばかりか、会場の隅に居るべきである。
リフォームはエズラットナシームに厳格でない(但し、リフォームは本土にはほとんど見かけない、居ないと思われる)

ユダヤ女性にウィッグ着用が多いのは何故か?
自分の髪は女性の象徴なので見せてはいけないという教え(軽蔑して)がある。そこで多くの女は頭を丸めてしまい、ウィッグを着用している。それはハシディームばかりではない。(ウィッグというものがあるからまだ良いが)結構に居る。ユダヤには迷信のようなものがたいへんに多い。

・その他
本土のユダヤ人の大半はアラブとの対立を望んでいるわけではない。イスラエルは共和国であり、国会議員の二割はアラブ人で占められている。それにも関わらず国家としてアラブ・パレスチナに強硬なのは、ふたつの温厚な勢力が拮抗してしまい、最終的に過激な少数党がキャスティングボートを握る状況になっているからだ。これは民主主義のひとつの欠点であると思う。ネタニアフ自身は右翼であることは事実だが、立場上さらに過激派のように振る舞わねばならなくなっている。そうでなければ、彼は(過激派の)支持を失うことになるだろう。
トランプの娘婿をクシュナーと発音するのは間違っている、「ヤレド・クシュニエール」だ。イヴァンカのように婚姻で改宗者となった元キリスト教徒は日本人が思うより多い、エリザベツ・テーラーが改宗ユダヤ教徒であったことを知る日本人はそう多くない。
日本がイスラエルのアイロンドームの技術を採用する意義はほとんどない。ハマス北朝鮮はあまりに違う。探知技術であれば何か共同開発するかも知れないが。

他にもユダヤ教について幾らか訊いたが不確かさを感じたので差し控えることにする


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聖書探求の姿勢

・聖書に人間以上の著者が背後にあることに畏敬を抱く
・そこに神の人への伝達されるべき内容があると見做す
・自分を捨て、欲得を捨て、著者の意図を追う
・写本や伝承の状況を大まかに把握し、偶像化しない
・原語や訳、また解釈を比較する
・価値観を磨き、様々な解釈や伝承を選り分ける
・抽象と具象の表現への理解のバランスを保つ
・単語や文法に拘り過ぎない 熱狂しない
・謎には大抵は他の部分や古代の状況に答えがある
・確信と蓋然性と不明瞭と理解不能を見分ける
・確信ある結論が出ても少し時間を置く
・時折、自分の把握を疑い、必要な訂正の勇気を持つ







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