Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

「クリスチャン・サイエンス」について

クリスチャン・サイエンスの基本教理

人間を物質の存在と見做しても意味が無い。
人は無限の善を相続するものである。不滅の魂を持ち、永遠に存在するものである。
罪とは無であり、幻想であり、偽りの信念である。神はすべてを善として創られたのであるから(Gen1)罪とは、人間の錯覚に過ぎない。
アダムとエヴァの挿話は象徴であり、現実ではない。



療法「癒し」
「科学と健康」
恐怖、無知、罪が罹患の基盤である。
病気とは、大部分が精神的、心理的なものである。
そこで、まず患者の恐怖を取り除き、療法士は病気の存在を精神的に否定する。


創唱者メリー・ベーカー・エディは1821年7月16日にニューハンプシャーのボウで生まれた。家庭はピューリタンで、毎日家族全員で聖書を読み、討論していた。
彼女は正義感が強く、また病弱でもあった。
クリスチャン・サイエンスを興してから、彼女の肉親で信奉者となったのは、義姉のマッツィー・ベーカーひとりであった。
組合教会に交わってはいたが、運命予定説には得心がゆかなかった。
22歳のとき(1843年)ジョージ・グロバーと結婚したが、彼は黄熱病で七か月後に死亡し、彼女は男児を妊娠していた。出産したが、身を寄せていた姉アビゲールが子供嫌いのため、苦衷の内に40mil離れたところに里子に出した。
この気苦労が祟って、1850年代はほとんど床で過ごすようになる。

1853年に一時的に元気になったところで歯科医のダニエル・パターソンと再婚する。しかし、このダニエルは余りに身勝手な人物で、彼女は何度も引越を行わざるを得なかった。しかも、南北戦争の最中にダニエルは激戦地を見物しようとして南軍に捕虜となった。
その間、彼女の健康は悪化するばかりとなり、様々な療法を試すことになる。

1862年、クインビーという療法士に会う。その治療を受けて一週間ほどで、かなりの回復を見た。クインビーとは治療ばかりでなく聖書についても話合うことができ、大変良い印象を得ていた。(この人物には癒すキリストが宿っているとまで彼女が言っていたとの情報あり)
そこにダニエルが南軍から逃れてきたが、相変わらずの身勝手さで、彼女は再び床に就く日々を送るが、そこで1866年にクインビーも亡くなってしまう。その前年にはダニエルと離婚を決意している。
1866年2月1日の夜に、友人らと外出したメリーは転倒して、頭を強く打ってしまった。回復は不可能に思われたが、床で医薬を拒み、信仰によって治るという確信を持った。
やがて、マタイの中風で動けぬ者が癒される部分を読んだときに、深い感動を得て、自分も立ち上がることが出来た。
友人らは猜疑心を起こしたが、彼女には、霊的なものが見え始めるようになっていった。
彼女は、自分に起ったことが他の人にも起り得ると確信し、指のひょうそうで悩むドー・フィリップスを最初に癒した。
それから、彼女の癒しに関心を持つ人々が現れ始め、彼女も新聞広告を打って宣伝を始めた。彼女は12レッスン一組の指導を始め、その料金を100ドルとした。
1872年2月から「科学と健康」という本を書き始める。それは、癒しの思想と聖書研究を明確に表明するためであり、未だ、新たな宗派の設立を目的とするものではなかった。
しかし、1870年代後半には彼女を中心とする宗教団体が形成され始める。
そこにアサ・ギルバート・エディという人物が療法士のひとりとして加わってきたが、彼女はこの人物の誠実さに惹かれ、1877年に三度目の結婚をする。
しかし、アサは砒素中毒になり1882年に急死することになる。彼女は自分の療法を施したので、かなりの批判を受けたが、その後も指導を続け、1876年に、クリスチャン・サイエンスとして組織され1879年には、教会として公表され彼女は牧師とされた。前年にはボストンの教会を借り、そこを本拠地としていた。
1886年には、全国クリスチャンサイエンス協会が作られた。

しかし、1886年6月に彼女はニューパンプシャーのコンコードに移り、様々な組織を解体してしまった。その理由は分かっていない。
それでも、ボストンの教会を引き継いだカルビン・フライとエピネーザー・フォースター・エディによって発展が続き、1892年からは理事会が全体を仕切る体制を整え、ボストンに本拠が置かれた。
彼女が1908年に創刊した「クリスチャン・サイエンス・モニター」の日刊紙は依然、主要な権威ある新聞として知られている。

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酸素発生型光合成は、およそ30億年前にシアノバクテリアで進化した。二酸化炭素有機物に固定するための電子を水から引き抜くために、水が分解されて酸素が発生する。酸素は強力な酸化剤である。初期の地球には酸素はほとんど存在せず、当時の生物の多くにとって酸素は猛毒だったはずである。酸素シンドロームとよばれる酸素による地球環境汚染が始まり、地球と生命進化は以後、大きく変わっていく。海中で始まった酸素発生型光合成は、還元状態にあった海を激変させることになった。海中に豊富に溶けていた二価の鉄イオンは酸化されて三価の鉄として沈殿していき、これが現在の文明を支える鉄の鉱床を生み出した。金属イオンなどの還元物質を酸化しつくと、ついに大気に分子酸素が放出され、大気の好気化が始まった。酸素21%という現在の大気はシアノバクテリアとその後進化した真核藻類が作り上げたものである。

 海や大気の好気化という酸素シンドロームがもたらした生物進化の大事件は、真核生物の誕生である。その起源については不明な点が多いが、α-プロテオバクテリアを取り込んでミトコンドリアという酸素を用いたエネルギー変換装置を獲得する過程で並行的に真核細胞が生まれたと考えられている。酸素呼吸は嫌気呼吸の19倍のエネルギー効率をもち、これによって、真核生物は大型化と多様化の鍵を手に入れたことになる。現在の1500万種ともいわれる生物の多様性は、元を正せばシアノバクテリアで誕生した酸素発生型光合成によっている。

 酸素発生型光合成は、誰もがほしがる種類の機能である。錬金術のようなもので、光エネルギーを化学エネルギーに変換する無償のエネルギー変換装置である。この装置は、真核生物の中に広がっていった。そのしくみが細胞共生である。分子系統の研究から、光合成を行う真核生物(真核藻類と陸上植物)の葉緑体はすべて共通の祖先から派生したことが分かっている。シアノバクテリアを共生させて、最初の真核藻類が生まれた。この共生を一次共生と呼ぶ。一次共生で生まれた植物の子孫が灰色植物、紅色植物、緑色植物である。しかし、真核生物の植物化はそれだけにとどまらない。二次共生と呼ばれる現象を通じて、真核生物の6つのグループが従属栄養生物から植物に変身したことが明らかになっている。


植物の世界(平成16年度筑波大学公開講座)「植物と動物の境界線」
井上  勲 生命環境科学研究科
から抜粋

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