Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

覚醒

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夜半に目覚めるのは天界でのことか?
これを支持するように見えるのが→「ある者は定めない恥辱に」

それなら、確かに天界の目覚めには功徳を積めるような機会はまったく残されないだろう。元々、花婿を迎えるために出てきたのであるし

すると、何が問題となるか?当然、認識と行動である。

ならば、この目覚める者たちすら検分されるということになる。

2tim4:1「生ける者と死せる者を裁くために定められたキリスト」

サタンは篩い分けのために弟子(汝ら)を手に入れることを求め、まず、おそらく了承された。それは使徒らに限らないのであろう。

しかし、11使徒の特権は天界の裁きにおいても担保される。
Lk22:29 Διαίθημι → διέθετό 直アオ中3単「王権を与えた」また「契約を結んだ」 (どちらとも取れる)(この場合、王権の取得が将来なので、アオリスト時制は沿わないように見えるので、「契約」について語っていたと見るほうが納得できる)


ほかにこうした生涯に亘る警告のようなものは今のところ思いつかない。
ここだけであると思う。

では、現状のままの解釈でよいか?

証拠は複数あり、もうひとつあるとも思う。
もう数日探してみることにする。








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