Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

この世の鉄則、接木の翻訳

ローマ11章25節の和訳に問題あり -翻訳難所--

ローマ11:25
一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。(口語)
その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。(新改訳)
すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。(新共同)
blindness in part has happened to Israel until the fullness of the Gentiles has come in. And so all Israel will be saved (NKJV)Rm11:25


NA28[ ὅτι πώρωσις ἀπὸ μέρους τῷ Ἰσραὴλ γέγονεν ἄχρι οὗ τὸ πλήρωμα τῶν ἐθνῶν εἰσέλθῃ 26καὶ οὕτως πᾶς Ἰσραὴλ σωθήσεται, καθὼς γέγραπται· ]

直訳「なぜなら、イスラエルの一部の内に頑さが生じた[ゲンゴーネン*直完了能3単]、(のは)異邦人が入って[エイセルセー*仮アオ能3単]満ちる[プレーローマ]まで[アクリス] 26そしてそのように全部の[パス×]イスラエル救われる[ソースェーセタイ]直未来受3単」
×用例「全世界」「あらゆるもの〈邪悪なものを含め〉」
「頑なさ」は既に生じた 異邦人が入るのは不定の時 救われるのは未来

異邦人が「接木」なら異邦人で満たされるとそこは満杯になり、「まで」と言っても、その後に頑なさを解消しても余地は残っているか?
また、「異邦人の流入で満たされるまで」というなら、イスラエルに定員があると見るべきようだ。それが満ちることが「イスラエル全体の救い」、つまり目的の達成がある。聖徒になるということが彼らの救いとなる。そうでなければイスラエルに救いも永遠の命も無い。
そこで、イスラエルが聖なる民として満たされ完成されるまで異邦人が補充されることですべてのイスラエルが救われることになる。

Rm11:31-32
彼らも今は不従順になっているが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、彼ら自身も今あわれみを受けるためなのである。
すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。(口語)
このv32は双方の民の同等を述べている。それは神の悔いることのないイスラエルの選びが、異邦人によって支えられるのが他ならぬイスラエルそのものの益であることを言っている。閉じ込められたのは人類全体であり、パウロが言おうとしていたのは同等性のように読める。「すべての人をあわれむために罪に閉じ込めた」は比喩的表現となっているのであろう。用例としてイエスが「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」と言った場面がある。(ヨハネ9:3)別の場面で、罪あるものは皆が罪の奴隷であるとも言っている。そこで癒された対象者に罪が無いということにはならない。しかし、それを超えて神の憐れみはイエスを通してその対象者に注がれた。それを可能にしたのはメシア信仰であった。<「すべての人」はこの場合、聖なる者に限らず人々の全体と捉えることも可能で、それが誰かを問う意味はあまりない>

この比喩性を演繹的に観れば「異邦人が入って満ちるまで」の「まで」は異邦人に対する限りがあることの警告ではなく、神のイスラエルへの愛着を言っていることになる。しかし、その愛着は以後終末に至るまでに血統上のイスラエルへの優先権としては戻って来るものではなく、終末も諸国民と同等に扱われるのであろう。つまり、その時点で「敵」と化していたイスラエルも異邦人の流入によって救われつつあったということであり、諸国民もイスラエルの為のものである。その救いとは個人レベルを超えたところにあった「神の選び」の民としての救いであったろう。それをパウロは「『全部の』イスラエル」と呼んでいるのである。この場合「一部」[メルース]<主要部分に対する一部>という言葉は反語を成していて、これを欠かすべきでない。
その処置の意義は、アブラハムの裔への好意のようなものであり、メシアをその聖霊の働きと共に退けたイスラエルの世代が許されるということではない。それでもイスラエルというもの〈全体〉への神の選びは悔やまれない。但し、『すべてのイスラエルが救われる』のはなお将来のことである。
これの書かれた時点では血統のイスラエルは退けられてはいるが、そこに異邦人に憐れみが臨み、接木されたとしても、それは元々アブラハムの裔というような意味でのイスラエルの為であることを考え、異邦人が高ぶらぬようにともパウロは言い添えている。


,ホティ以降の試訳
『なぜなら、イスラエル人の中の一部で頑さが起こったのも、それが異邦人が流入して満ちるまでに及ぶのであり、そうしてイスラエルという全体は救われることになるのである』。

ペテロも言うように、パウロ書簡は時折判読の難しいところがあちこちにある。「ローマ人」も口述筆記で書かれたのであろう。非常に高度な内容であるのに推敲された文章でないせいか、しばらく読まないと意味が捉えられないようなところがある。一文で何かを即断するのは危うい書簡であろう。



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アメリカ合衆国
国民の過半数プロテスタント
現役軍人145万
国防費5286億ドル,
2012年度の軍事費(歳出推定額)は、7,163 億ドルGDP比は4.6%、政府歳出比は18.8%<世界の軍事費の50.4% GDP比4.06%
中国の6倍 ロシア・日本の13倍 >
展開--
北方軍(北米)
中央軍(中東)
アフリカ軍(アフリカ)
欧州軍(欧州)
太平洋軍(アジア・太平洋)
南方軍中南米


通常戦力で強力さにおいて全く突出している。
核戦力でも弾頭数ではロシアが勝るが運用において凌駕している。
それでも、戦闘が長期化すると終結が難しくなる傾向にある。


国の繁栄と神の恩寵はひとつなのだ」G.ワシントン
マニュフェスト・ディスティニー」J.オサリヴァン:自分たちは神からの使命があり、神の加護の許に在るの意。
W.ウイルソンは従軍チャプレンの息子
CIAは世界各地に送られた宣教師からの情報を利用している。
教育機関で自国の正戦論が正課に挙げられることもある。。



現実に起こったことがみな神の意志であった、またその祈りが聞き届けられたと捉える
ここに『この世』が神と対立しているという理解は無い。
『夜』の理解も無い。
もし、この世を動かしているのが神であるなら、神は過酷であると言うことになる。


「約二千年のキリスト教という宗教と信者たちの歴史に良いことも悪い事もあるが、それは人間に見られる普遍的な傾向だ」、として「人が誰しも抱き得る独善、偽善、偏見、差別は必ずしも宗教的信仰のみの所産ではない」などと言うとすれば、ではそれを抑制するよりは活性化させてきたキリスト教とは何かを問われずには済まないに違いなく、これは「誰でもあることだ」で過去の歴史の言い訳をしようという意図以外の何だろうか?
これがどこかの一国の国民が悪いから戦争が起こったという、民族原因説への反論なら納得もできるが、キリスト教が論じられている中でのこの文言では、言い逃れにしか聞こえまい。宗教により良い倫理性が期待されてよいだろうし、むしろ逆の作用を及ぼしたのであれば、当然、その宗教の価値や質は問われる。もとよりこの面でキリスト教世界は平均的合格点さえとれないだろう。アウグスティヌス以来『神の王国』の理解を混乱させてきたからである。

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どれほど反発しようと動かせない現実、これに反しようとすれば、その害を受けるように思う。

『地は呪われた』
『顔に汗してパンを食し、ついに地に帰る』
『善悪を知る』
『裸を恥じる』
『苦しんで子を生み』
『あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう』
『人が一人でいるのはよくない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう』
『人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』
『男が女のために創られたのではない』



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