Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

任職罪祭

任職罪祭

◆祭司の任命の牡牛と牡羊の犠牲

出埃29:1-

・牡牛の頭に手を置いてから屠り、その血を祭壇の角に塗り残りは祭壇の土台に注ぐ

腸、肝臓、腎臓、の脂肪を取り、それを祭壇で焼いて煙にする

肉、皮、糞は宿営の外で焼き捨てる

・牡羊の頭にアロンとその子らが手を置いてから屠り、その血を祭壇の上に散布する

羊を各部に裂いてゆき、腸をすねを洗い、各部を頭まで揃えて置く、そのすべては祭壇上で焼かれる

・もう一頭の牡羊の頭に同じように手を置き、その牡羊を屠る

その血を大祭司のとその子らの耳たぶ、それから右手と右足の親指に塗り

残りの血を祭壇上に振りかける

それから、祭壇上の血と香油の幾らかを大祭司と子らの職服に振りかける

こうして祭司たちの身と職服が神聖にされる

この羊は任職の子羊であり、その脂肪と脂肪を含んだ尾、腸、肝臓、腎臓に付いた脂肪と右足を取り、丸いパン、油を含んだパンを共にして神前に払い、次いで祭壇上で焼く

この任職の羊の胸の部分と足を神前に払って後、神聖なものとされる

これらは神聖なパンと共に大祭司とその子らが聖なる所で食する

<アロン系の罪祭の儀式を行ったのは仲介者モーセであった>

 

◆贖罪の日の大祭司・祭司と民の罪祭

大祭司は自ら贖罪の祭儀を行いついで同族の祭司らの贖罪を行う

(若い雄牛と雄羊の焼燔)(最高式服)(牛の血を宥めの前に垂らす)

(雄牛と山羊は宿営外で焼かれる)

最後に民の贖罪を行う

(山羊二頭をくじ引き)(雄牛と山羊の血を宥めの前に垂らす)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マタイ26:28「多くの人々」か「偉大な者ら」か

 

[τοῦτο γάρ ἐστιν τὸ αἷμά μου τῆς διαθήκης τὸ περὶ πολλῶν ἐκχυννόμενον εἰς ἄφεσιν ἁμαρτιῶν] Mt26:28

 形)対男複 大きい、激しい メガレーではない理由?

✖「多くの人々のために」[περὶ πολλῶν ἐκχυννόμενον]

 

[δυναστεύσει ἡ διαθήκη εἰς πολλούς] Dan9:27 LXX 

[וְהִגְבִּ֥יר בְּרִ֛ית לָרַבִּ֖ים שָׁב֣וּעַ אֶחָ֑ד וַחֲצִ֨י הַשָּׁב֜וּעַ יַשְׁבִּ֣ית ׀ זֶ֣בַח וּמִנְחָ֗ה וְעַ֨ל כְּנַ֤ף שִׁקּוּצִים֙ מְשֹׁמֵ֔ם וְעַד־כָּלָה֙ וְנֶ֣חֱרָצָ֔ה תִּתַּ֖ךְ עַל־שֹׁמֵֽם׃ פ]

BHS

[גדול]ガドール  

 

[ὁ δὲ μικρότερος ἐν τῇ βασιλείᾳ τῶν οὐρανῶν μείζων αὐτοῦ ἐστιν.] Mt11:11

[ ὁ δὲ μικρότερος ἐν τῇ βασιλείᾳ τοῦ θεοῦ μείζων αὐτοῦ ἐστιν.] Lk7:28

 

                       

「「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である」 Lk22:20

 

2Pet2:10 

[μάλιστα δὲ τοὺς ὀπίσω σαρκὸς ἐν ἐπιθυμίᾳ μιασμοῦ πορευομένους καὶ κυριότητος καταφρονοῦντας. τολμηταὶ αὐθάδεις δόξας οὐ τρέμουσιν] 

 κυριότητος καταφρονοῦντας  δόξας οὐ τρέμουσιν

 

不義なる者らは、権威ある者を卑しめる・・栄光ある者たちをそしってはばかるところがない

 

だが、キリストは本意で「多くの」と言われた可能性は残るので

断言しない方がよい。

 

・1Joh 3:20

「なぜなら、たといわたしたちの心に責められるようなことがあっても、神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。」

[ὅτι ἐὰν καταγινώσκῃ ἡμῶν ἡ καρδία, ὅτι μείζων ἐστὶν ὁ θεὸς τῆς καρδίας ἡμῶν καὶ γινώσκει πάντα.]

 

・Heb2:10

「なぜなら、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、苦難をとおして全うされたのは、彼にふさわしいことであったからである。」口語 

[Ἔπρεπεν γὰρ αὐτῷ, δι’ ὃν τὰ πάντα καὶ δι’ οὗ τὰ πάντα, πολλοὺς υἱοὺς εἰς δόξαν ἀγαγόντα τὸν ἀρχηγὸν τῆς σωτηρίας αὐτῶν διὰ παθημάτων τελειῶσαι.] NA28

 

πολῠ́ς • (polús) m (feminine πολλή, neuter πολῠ́); first/second declension

(of number, in the plural) many, a lot of
(with nouns of multitude) large, great
(of amount, with mass nouns) a lot of, much
(rare, of a person) great, mighty
(of sound) loud
(attributively, adverbial) strongly, fully
(of space) wide, large
(of distance) far
(of time) long; late 
πολὺν χρόνον
polùn khrónon
for a long time

Heb2:10については「数多く」という意味に解する方が文脈には沿う。

原著者がその語句を用いた際に、何を念頭に置いていたのか?

同一著者の語句の用法の傾向はないか?

 

聖徒理解の真骨頂だが、まだまだ出て来る・・

 

 

 

 

 

 

 

アキュラとプリスカ

アキュラスとプリスカ

 

 アキュラスはポントス州の出身で、聖書中で知られる限りでは、クラウディウス帝の時にローマに居て、ユダヤ人であるために退去令を受け、コリントスに移っていた。妻プリスカも夫との関係で少なくともユダヤ教の背景があるものと見做される。

スエトニウスの「皇帝列伝」には、このユダヤ人退去令の原因は「クレストスの煽動でユダヤ人は絶えず騒擾をおこしたので、ローマからの追放を行った」との記述がある。(25:4)<ローマからのユダヤ人追放は歴代三度目であり、前139と後19年にもあり、それぞれ彼らの伝道に問題があったとされる。但し、この三度目の追放令の年代は不明であり41年から53年までが候補とされている。この年代で参考になるのはガリオのコリントス赴任時期であり、これがパウロに関する唯一の信頼できるタイム・ポストとなっている>

 

ローマを去ってコリントスに逗留していたところにパウロが到着し、テサロニケーとベレイアの猛烈な迫害から逃れ、アテナイの不信仰に辟易としつつコリントスに流れ着いたパウロをアキュラスは妻のプリスカと共に家に宿泊させている。したがって、この夫妻はメシア帰依者であったに違いない。

しかも、パウロは後続としてマケドニアの事態収拾に残してきたテモテの一行が到着するまで、共に天幕作りの仕事を行っていたが、そこでパウロが以前にその職に在ったことが触れられている。使徒18:1-

コリントスでは『ここには多くのわたしの民がいる』との主の言葉の通りに、この地のエクレシアは速い進展を見せた。

テモテやテトスがパウロに合流すると、マルクス・アントニウス以来、特権を享受して富裕な仲間の多い都市フィリッポイからの援助金がもたらされたことで、パウロは専らに宣教を行い始めた。(この間、パウロにルカが同行していたらしい)

アテナイとは異なり、コリントスではハッザーン役のクリスポスがキリスト教に転向し、まず大きな進展を見ている。しかし、やがてユダヤ人らがパウロに敵して立ち上がり、パウロを執政官代理であったガリオ(セネカの兄)の前に引き出したが、ガリオはユダヤ人の律法を巡る問題には関わろうとしなかった。そこでユダヤ教徒に打ち叩かれたのはハッザーンであったソステネスであった。これをガリオは黙認した。<対照的にエフェソスの評議員パウロに親切である。おそらくパウロ聖霊の働きをエフェソスの方が味わい知っていたからではないか。エフェソスでパウロは獣刑を受けても生き残っている>

<後にソステネスはコリント第一書簡の差出人に名を連ねて手紙を権威づけており、エフェソスに移ったらしい。彼はまず間違いなくコリントスでの教勢拡大に寄与しており、シュナゴーゲには沐浴施設が付属しているケースが多いことからすれば、パウロに代わりバプテスマを施していた可能性がある>

 

一年半のコリントス滞在の後、パウロがエフェソスに向かう航海に夫妻も同行したが、その後にパウロはこの夫妻とおそらくはルカやテモテらもエフェソスに残して、ほぼ単身でアンティオケイアに一旦戻り、キリキアを通ってガラティア方面に向かい(おそらく冬)、その土地の弟子らを『強めた』とルカはただ一行述べている。(このルカ不在がパウロに窮境をもたらしたのでは?)

その都合、ルカの叙述はアキュラ夫妻に向かい、彼らがアレクサンドレイアから来た雄弁なユダヤ人アポロと出会ったことを告げる。しかし、アナトリアを巡っていたパウロについては行路を述べるに留めている。

一方、アポロは『霊に燃えた人』であったが、ヨハネバプテスマまでを知るばかりであったため、アキュラス夫妻からイエスについて教えられている。

このアポロは、イエスについて知ると時を然程置かずにコリントスに行くことを希望した。後にアポロの雄弁はコリントのエクレシアの分派傾向に利用される。アレクサンドレイアからアポロを追って来たという十二人ほどのグループのその後が聖書中にみられないので、まず間違いなく彼らもコリントスに向かったであろう。コリントスパウロが水のバプテスマを施した人数が限られていてクリスポスとガイオス、またステファナの家の者らだけを挙げているが、件の十二人はアポロと共にコリントスから更に移動していたらしく、コリント第一書簡が書かれた時点でアポロがそこに居ないことが分かる。

<アキュラスとプリスカコリントスからパウロと共にエフェソスに移った背景には、宣教の目的が暗示される。だが、パウロアナトリア山地の旅の危険と、エフェソスのエクレシアの安定のために、また以前はイエスの霊が小アジアに入ることを妨げたのでルカを含む一行を当地残したのであろう。小アジアのその後の実りは非常に大きいものになっている>

 

ローマ書簡では、この夫妻はローマに戻っている

したがって、使徒言行録から夫妻の所在が確認できるのは、アレクサンドレイアの人アポロスを教えたところまでになる。

アルテミス神殿の騒動が有ってからパウロはすぐにギリシア本土に渡っており、ルカによれば、ギリシア側をあちこち回って三ヶ月とある。その間にローマ書簡が書かれた信憑性はケンクレイアでパウロ誓願が終わったことが暗示され、また同港からフォイベをディアコノンに任命してローマに遣わし、おそらくはローマ書簡も託したであろうところにある。

おそらくはギリシア本土滞在中に、モロッソイからエペイロスを抜け、イリュリュクムに至ったのであろう。それであれば、長文のローマ書簡は旅の終わりにコリントスに戻ってテルテオスの筆記により一気に筆記されたと思われるが、確証はない。だが、ペテロや後のエイレナイオスが云うように、その文章には性急さが見られ、しかも理解の難所が矢継ぎ早に現れる。それも相当に高度な内容を含んでいる。

それであれば、ローマ書簡でパウロが言うように、宣教が行われていないところをバルカン半島に残してイタリアに行かないことを思い定めて、急いでイリュリュクムに向かい、コリントスの者を連れていたのかも知れない。但し、ルカはその辺りをなぜか書いていない。

これも想像ではあるが、コリントスのエクレシアへのパウロ来訪の成果は芳しいものでなかったように思われる。またエルサレムに向かう前のこのギリシア本土の旅にアキュラス夫妻は同行していないことが明らかで、コリントスのエクレシアは旧知の夫妻を明らかに見ていなかった。そのローマ書簡には、既にローマに居るアキュラとプリスカへの挨拶が記されており、夫妻がローマに戻っていることを示している。そこで、アポロがコリントスに去った辺りで夫妻はローマに戻ったとみる理由がある。

 

後のパウロのローマ軟禁からの釈放後については、テモテ第二書簡4:19で夫妻はテモテの近くにおり、オネシフォロスの家の者らにあいさつを伝えるようにパウロは頼んでいる。それであればその場所はまず間違いなくエフェソスであることを示している。この『オネシフォロスの家の者ら』にはオネシフォロス自身を含んでいるものと思われる。その理由はその書簡で『丁度ローマに居たときに尋ねてきてくれた』とある。これはギリシア語の関係で、オネシフォロスがローマに来たことを言うと見るべきで、パウロ自身がその書簡を記した時ローマに居たと思われる。

なぜなら、パウロに対する二度目の捕縛とその二度目の審問までにルカ以外の旧知の人々がクモの子を散らすように去っていることが書かれている。おそらく、ローマ大火でキリスト教徒の立場がかなり悪化したため、夫妻は再びローマから逃れ、オネシフォロスの居るエフェソスに落ち着き、テモテと合流していたのであろう。

この点でパウロは敢えてテモテを安全地帯のエフェソスに留まるよう命じ、以後の当地の世話を任せようとしたのであろう。伝承によれば、テモテはエフェソスのエピスコポスに任じられ八十歳まで長らえたとの情報もあるが、これは他の情報との関連がないらしい。

テモテへの第二の書簡では、パウロはテモテをローマに呼んでおり、ヘブライ書簡の最後にあるように、テモテも二度目の更なる捕縛を受けた危険も感じられる。その時期のパウロの身辺が非常に危うかったことは、当時のネロ帝を巡る苛烈な迫害の歴史状況も示している。それは一度目の審問とは段違いであったろう。

もし、テモテが長寿であったなら、エルサレム崩壊後の使徒ヨハネ、あるいは使徒フィリッポスに関する資料に彼らとのアシア州での出会いや、テモテの名が挙がった資料が有っても良いところそれは見聞きしない。

テモテは繊細な性格であったことがパウロの書簡に明らかで長寿というのはどうだろうか。胃痛持ちであったことから葡萄酒を薬用するようにと気遣っているところはルカの言い添えがあったのかも知れない。おそらく、テモテは平素は禁酒していた背景が窺える。

 

パウロが二年の不起訴を受けて釈放されたのが63年とすると、翌年に大火が発生し、65年頃から迫害が強まり、パウロが逮捕軟禁されたのが66年、処刑されるには二年未満の定めがあったとすれば、68年には処刑されていなければならず、よく言われる67年の斬首刑というのは、その通りに見える。

テモテ第二書簡はその少し前のものであれば、パウロは一度目のローマ軟禁から自由に活動ができた64年を最後にこの夫妻とは会えなくなっていたのであろう。

ルカが最後まで共に居たのであれば、使徒言行録が62年ころまでの内容で終わった理由は、テオフィロスがその後のパウロを知っていたからではないか。

 

アキュラとプリスカについての消息は、パウロの釈放後もローマに住んでいたなら、おそらくは64年のローマ大火、その後のネロ帝の苛烈な迫害から大きな影響を被った怖れがある。

しかし、夫妻の名がテモテに関連して記録されているので、その時点まで夫妻は無事であった。パウロは64年頃にローマを離れていた蓋然性があり、使徒ペテロと相前後して67年頃に殉教したのであれば、まさしくネロ帝の迫害の時期に当たる。

 

概観すると、この夫妻は各地を転々としており、そこに宣教への熱意が読み取れる。もとより、ローマに住まうユダヤ人の天幕製造業者というだけでなく、神を探求する姿勢をもつ夫婦であり、そこにガリラヤの漁師たちに通じるものが感じられる。

信仰に於いて得難い夫婦であり、パウロにとっての宣教の同僚であり、良き理解者また親しい友であったに違いない。

 


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49年にコリントスでアキュラとプリスキラ(本名プリスカ)に会った
54年にエフェソスにアポロが来て二人に会う
56年に二人はローマに居る
67年にふたりはエフェソスに戻っている
第三次宣教旅行;アンティオケイア・エフェソス・(アテナイコリントス・フィリッポイ・トロアス(アッソス)・ミテュネーレー(サモス)・ミレトス・(ロードス)パタラ・シドン
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phi28-11
col1:20
eph1:10

 

 

 

雑記録23-7

 

・イエスがパリサイ人の招待により宴席を共にする場面

LK7、11、14

 

・単数

Mt24:45 忠実にして聡い奴隷

Lk12:42 忠実で賢い家令

2Th2:3 不法の人・滅びの子

Mt24:15 荒憎者

 Βδελυγμα

 

 

・タンナー期でのカハルからの追放

ニッドーイ:参加は継続可、三十日間の制限

 汚れた者としての扱いのように家族以外は4キュビト離れる義務を負う

ヘーレム:「禁令」の意で、教えることも教わることも禁じられる

 周囲は生活必需物資を取引することだけが許される

 但し、会衆への復帰の機会は残される

シャンマッター:会衆からの完全な除名、復活なく死すべき者とされる

<現代のキリスト教への改宗者の葬式を出す風習に連なるのでは>

<聖徒のエクレシアはこのように制度化されていたという史料には出会っていない。「破門」は後世国教化後で「呪詛」は異端の認定と関係するためか、該当語句に新約聖書中に見ていない。「異端」処置はカトリック教令に法整備として有り、由来は第二世紀初頭までは遡れるはず>

 

・禁欲家=ファリサイ

ソター編3ミシュナー4で、ラビ・ヨシュアは不倫被疑妻に関する部分で、「愚かな信心家、抜け目ない無信仰家、禁欲主義女、禁欲家の自虐、これらは世を滅ぼす」と言っているが、この「禁欲家」の単語は「ファリサイ」となっている。当時からタンナーとファイサイとは必ずしも一体ではなかったようなところがある。

祭司長派とサドカイまた議員は富裕であったが、タンナーのような教学院の教師、その弟子格であるファリサイは決して裕福とは言えなかった情報の一つ

 

 

・ミツパの役割

ギベアの件が起り、その問題に対処するために他の部族がミツパに集まっている。また、後にサムエルはここで全イスラエルの懺悔を訊いた後フェリスティアに勝利を収めている。

またサムエルは全イスラエルをミツパに集め、王制を願う民族の意向を聴いている。

ミツパをはじめとするベニヤミンの領地はイスラエルの定住域の中央に近く、全体の会合に都合が良かった。ミツパははっきりとは同定されていないが、エルサレムから北へ13kmほどのところにあるテル・エン・ナシュペが有力でギベアから7kmほどになる。

この名を持つ都市は他に三つあり。シェフェラとモアブとギレアドにあり最後はエフタの出身地。「ミツパ」そのものには「見張り塔」の意味があり、サムエルとは別に古代にはアンチレバノン山脈の南裾の地域がその名で呼ばれていた時期がある。フーラ盆地から死海、さらにエイラートに至るまでの低地がその南に続いていた地形によるものであろう。

 

 

・人格形成期の無気力

学生である間などのモラトリアムの時期に人格が形成されてゆく。したがって、学生である時期は人の基礎を築き上げる重要性をもっている。

その間に目標を得ず、或いは見失い、アイデンティティが築かれない事態が生じる時、若者は無気力に陥りやすくなる。

<今日の中国での就学後に職が無い事態も同様に「寝そべり」を招いている。この時期に必要なものは目的意識であるといえるのでは?>

 

 

ヤコブの祝福に関するGen48:19

『その子孫は、国々に満ちたものとなる』【岩波委員】

[ וְזַרְעֹ֖ו יִהְיֶ֥ה מְלֹֽא־הגֹּויִֽם ]

この国々[הַגּוֹיִֽם]とは各部族を指しているとみて良さそうである。

ヤコブの最後の祝福は預言に次ぐ預言であるので合理性もある

 

・会堂の役職

ディアスポラでのハッザーン(役人)はユダヤ人の緩やかな自治体(ポリテューマ)の中でのシュナゴーグの会堂長司(ロシュ ハクネセト)が集団の行政官また裁判官としても有給で活動していた。彼らはシュナゴーグでは儀式の司式者であり、タナハを管理し朗読に備え、祈りの代表者を要請する。裁判では鞭打ちの執行を行った記録がある(Cf.s.safrai.po.cit.,p908&933)

アルキ・シュナゴンゲース

Mk5:22では[εἷς τῶν ἀρχισυναγώγων]

Lk8:41では[ἄρχων τῆς συναγωγῆς] 共にヤイロを指す

Act13:15では[οἱ  ἀρχισυνάγωγοι] ピシディアのアンティオケイアでパウロらに講話を求めてきた管理団

Act18:8 [ὁ ἀρχισυνάγωγος] 信者となったクリスポス 

Act18:17 [ἀρχισυνάγωγον] 同じくソステネスについて(1Corの共同差出人)

ソステネスはコリントスでも知られたことを示し、<クネセトの権威を持っていたと思われる。新約の用語にハッザーンが有るかどうかは未確認>

コリントス第一書簡の差出人でもあるソステネスは会堂役人とされているが。彼はパウロ擁護にまわったが彼は長老会議議員としての権威を振るったと思われる。

 

・ポリテューマ 小自治民会

都市毎に長老議会(γεπουσια)があり、ティトゥスはアンティオケイアと同様にアレクサンドレイアでもギリシア系住民からのポリテューマの解体要請に応じなかった。

ポリテューマの方でも七十年以後ユダヤから逃れてくるゼーロータイの検挙に努め民会(エクレシア)を開いては過激派の通知と捕縛を決議している。

これはフィロンの時代から後も続き、トラヤヌスからハドリアヌスに至るまで皇帝に代表を派遣し続けていた。

ポリテューマは、外地でのサンヘドリンに模した形態で、会堂を中心に構成され政教一致制をとる。

 

 

パウロとタルソス

使徒パウロの両親は前四年頃に戦争の影響でガリラヤのグジュ・ハラブからタルソスへ移住した。タルソスは前66年以来ローマの支配下に入って安定していた。(一世紀フリュギアのアクモニアではユダヤ人の有力者が都市の民会に属していた碑文が出ている)

<但し、パウロの生年は不明、フィレモンには自分を年寄としているので、ローマ軟禁のころには60近かったように思われる。とすれば、両親の移住の頃に誕生していたらしい。だが、ステファノス殉教の時に二十歳代とすると、イエスより十歳ほど年下でローマ軟禁の時期には五十代前半というところになり、両親のキリキア移住から十二年ほど後のことになる。エルサレム捕縛は四十代末ころで、市内在住の若者の息子を持つパウロの姉妹は姉であった可能性が高い>

ヘロデ大王晩年の戦役とパウロの親の代までに市民権を得た理由を調査。それからガマリエルⅠ世の活動時期を参照すること

 

 

 

・ヴェスビオスの噴火の以前に当地のユダヤ人がカシュルートに適した食料品をパレスチナに定期的に送っていた記録が出土している。

また、タルシュシュにはユダヤ人のタペストリー業者のギルドがあったらしい。(場所・年代不詳)ibid.p720

パウロが目的地にしたのがタルシュシュであり、それなりのコミュニティが在ってのことであろう。またフェニキア商船の行き来が活発で冬場以外は行き易い。地中海とはローマとフェニキアのための内海のようである>

 

 

パウロユダヤ的黙示思想を背景にしており、メシア信仰での発展を提示していたのであり、異なる宗教の創始を行っていない。⇒倉庫

 

 

・ノツリーム[notzrim]の排斥

ヤブネのサンヘドリンは諸教令を発布し、アミダーの中で{ShemoneEsre]と呼ばれる十八祈願の第十二{birkat haminim}で一般的な異端の中にノツリームが含まれるとしている。

<これはJh9:22に見られる会堂追放{ἁποσυνἁγωγς}の処置に類似する>

この記載によりノツリームの会堂追放が決定的となった。

J.L.マーチンは会堂内で嫌疑を掛けられた人物は

会堂長[Rosh haKuneset=ἁπχισυνἁγογος]に通報され、会堂長はハッザーン[ῦπηρἑτης]に命じてその者に十八祈願を導く役割[Sheliach Zibbur]として用いさせる。もしその者がノツリームであれば、十二番目に来たところで躊躇する。そうしてノツリームを焙り出し、会堂から追放する。(更には、追放された人々は外でグループを作り、都市の中で対峙する)時期としてはAD90以降になり、Heb10:25に関係したとは言えないが、別の問題は確実に在ったことがヨセフスから分かる。

しかし、アミダーが適用されたのは限定された街々であった。

<へブライ書の中の集会奨励の句は、この種の排斥が神殿存在期の終わり頃から激化していたことを物語っているのでは>

 

 

ハシディーム

ユダヤ教での神秘主義はハシディームが代表的で

歌舞による恍惚を好み、聖典解釈法にカバラを用いる。

ユダヤ教の中でも「スーパー・オーソドックス」と呼ばれ

19世紀のポーランド貴族の黒づくめの服装と揉み上げを切らずにカールさせてまで伸ばす姿、またズボンの裾を靴下の中に入れてしまう恰好で、異様なまでの風体に当事者は却って自己義認を実感するらしく、そのあたりはほかの宗教にも見られる習慣ではある。その妻は頭髪を剃ってかつらを着用することで知られている・

 

 

・キリストの聖なる者らへの裁き

2Cor5:10 肉体で行ったことの裁きをキリストの裁きの座の前で受ける

Jh5:29 人の子の声を聞いて、善を行った者は命への復活へ

悪を行った者は裁きの復活へと出て来るときが来つつある。

 

 

・魂に関して(2Sam14:14)ダヴィド王へのヨアブに言い含められたテコアの女の言葉

『私たちは必ず死にますし,地に注ぎ落とされて,集めることのできない水のような者でございますから。しかし,神が魂を取り去られることはございません。追放された者がご自分のもとから追放されるべきではない理由も考え出されました』。【新世界】

『わたしたちはみな死ななければなりません。地にこぼれた水の再び集めることのできないのと同じです。しかし神は、追放された者が捨てられないように、てだてを設ける人の命を取ることはなさいません』。【口語】

『私たちは、必ず死ぬ者です。私たちは地面にこぼれて、もう集めることのできない水のようなものです。神は死んだ者をよみがえらせてはくださいません。どうか追放されている者を追放されたままにしておかないように、ご計画をお立てください』。【新改訳】

『わたしたちは皆、死ぬべきもの、地に流されれば、再び集めることのできない水のようなものでございます。神は、追放された者が神からも追放されたままになることをお望みになりません。そうならないように取り計らってくださいます』。【新共同】

 

"For we will surely die and become like water spilled on the ground, which cannot be gathered up again. Yet God does not take away a life; but He devises means, so that His banished ones are not expelled from Him. 【NKJV】

主要な英訳の大半がSoulをLifeに置き換えているが、主要な日本語訳では相当な意訳が行われている

 

[ וְלֹֽא־יִשָּׂ֤א אֱלֹהִים֙ נֶ֔פֶשׁ]

「神はネフェシュを取り去られない」*つまり、人は死んでゆくにしても神はその魂を顧みるという反語的な意味で語られており、*新世界訳は他に見られないほど原文の意をここで保持している

これは神が死者の魂を保つというEzk18:4などのヘブライ文化の背景を考慮しなければ本文の意図、また聖書の基本的理解なしに、読者に物語を理解することだけに注進することになる。

 

 

Hab3:13 を確認したが『民』にも『受膏の人々』にも同じく [ לְיֵ֣שַׁע ] が係っており、これは動かし難い。

しかし、これらの内容を即興で吟じたとすれば驚異的

 

 

シャヴォートは今日三日の祭りとされているが元は一日であった。それがディアスポラの暦日との差異から守るために二日となり、その二日目はヨーム トッヴ シェニー シェル ガルヨット、つまり「二度目のヨム トッヴ」と呼ばれるようになり、今日までにはそれに加えて三日間となっている(何時から?)

「ペンテコスト」はLXXからの翻訳語

ハグ ハ マツォートのアツェレトからの49日の内の33日目はラグ バオメル「オメルの33日目」とされ、禁忌が一日解かれる。由来は、経典「ゾハル」の著者であるラビ シメオン バル ヨハイが帰天したということらしいが、シャヴオートに帰天したとの記述もあり。ビックリーム(初物)のハ ツィカール「借り入れ」はハグ ハ マツォートのアツェレトと共にシャヴォートにも関わっており、全収穫を祝うハグ ハ スッコートとは好対照を見せている。これらの収穫を俯瞰するとスッコートのアツェレト シェニーは神の経綸の終点を暗示している。

これらは贖罪の日の手順と共にキリスト/聖徒/人類という収穫の順位を指し示している。それであるから、ゼカリヤのように千年期に入る者に求められるのが他ならぬハグ ハ スッコートであるのは以上の理解に沿っている。

 

・イコンと聖像

ダマスコのイオアンネーンス以来イコンは偶像ではないと、東方は西方の「聖像」を批判し始める。

プロスキュネーサイ「礼拝・伏拝・跪拝」

Ps78:19 Is45:18-19 56:2-3・13「異邦人にも安息は無上の喜び」

 

・「剣を買え」

LK22「剣を持っていない者は外衣を売ってもそれを買え」「食物袋・サンダル・財布を今や持て」⇒「不法な者らと共に数えられた」

「今やあなたがたの時、闇の権威」22:53

「日中の十二時間がある」Jh10:9-10

「夜に歩けば何かにぶつかる。光がその人に無いから」

 

日の出 5:00am 総督官邸へ

鶏鳴4:30am その前にペテロは否認jh18:27[3回Mt26:75/Lk22:61]

一時前2:30am Mr14:37

カイヤファ邸 Mr14:53/Mt26:57/Lk22:54

 カイヤファ邸への移動 Jh18:24

   ペテロの追跡 Mt25:58/Mr14:53/Lk22:54

アンナス邸 Jh18:13

  ペテロとヨハネの追跡 Jh18:15

捕縛 Mt26:47

祈り 三使徒MT26:37 

 一時間以内 MK14:37

 再度 Mk14:39 三度目Mk14:40/Mt26:47

ゲッセマネ到着

 

・「ふと立ち止まる」「人生はそれだけか?」

これらのコヘレトの言葉には伏線がある。

 

 

・「預言」と「予言」は漢字文では使い分けられるが

霊の賜物として新約本文では同じく[προφητείας]となっている。

その働きについて旧約の実態からして区別することに余り意味が無く

ただ、日本語での誤解を避けるだけで十分

 

・詩 94:20 の訳出

『定めをもって危害をたくらむ悪しき支配者は/あなたと親しむことができるでしょうか』。口語

『おきてにしたがって悪をたくらむ破滅の法廷が、あなたを仲間に加えるでしょうか』。新改訳

『破滅をもたらすのみの王座/掟を悪用して労苦を作り出すような者が/あなたの味方となりえましょうか』。新共同

『布告によって難儀を仕組みながら,
逆境を生じさせる王座があなたと同盟を結ぶでしょうか』。新世界 

<迫害を加える為政者が神の側に着くか>

これはただ無能な為政者らを糾弾する言葉ではなく、聖なる民を恣意的な法に捩じ伏せる強権支配者を指している。この観点から見ると訳文が変わる。

 

Ωριγένης Αδαμάντιος c185-253

 Εἰρηναῖος  c130-202

 Ἰουστῖνος ὁ μάρτυς c100-165

Πολύκαρπος  69-155

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダニエル9:27「半週の間」か「週の半ば」か

ダニエル9章27節

 

【新改訳】「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」

【口語】「彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。また荒す者が憎むべき者の翼に乗って来るでしょう。こうしてついにその定まった終りが、その荒す者の上に注がれるのです」。

【新共同】「彼は一週の間、多くの者と同盟を固め/半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」

 

【NKJV】”Then he shall confirm a covenant with many for one week;But in the middle of the week He shall bring an end to sacrifice and offering. And on the wing of abominations shall be one who makes desolate,Even until the consummation, which is determined, Is poured out on the desolate." 

 

【ASB】And he shall make a firm covenant with many for one week: and in the midst of the week he shall cause the sacrifice and the oblation to cease; and upon the wing of abominations [shall come] one that maketh desolate; and even unto the full end, and that determined, shall [wrath] be poured out upon the desolate. 

 

【SacraVulgata】confirmavit autem pactum multis ebdomas una
et in dimidio ebdomadis deficiet hostia et sacrificium
et in templo erit abominatio desolationis  

 

【BHS】

וְהִגְבִּ֥יר בְּרִ֛ית לָרַבִּ֖ים שָׁב֣וּעַ אֶחָ֑ד וַחֲצִ֨י הַשָּׁב֜וּעַ יַשְׁבִּ֣ית׀ זֶ֣בַח וּמִנְחָ֗ה וְעַ֨ל כְּנַ֤ף שִׁקּוּצִים֙ מְשֹׁמֵ֔ם וְעַד־כָּלָה֙ וְנֶ֣חֱרָצָ֔ה תִּתַּ֖ךְ עַל־שֹׁמֵֽם׃ פ  

”[וַחֲצִ֨י ]「ヴァハツィ」but in the middle / [הַשָּׁב֜וּעַ]「ハ シャヴア」of the week”

 

所見;新改訳の「週の間に」というのは、どうやらLXXの影響らしい。

LXXの当該節は訳文が何やら入り組んでいるのでここには掲載しないでおく。どうやら古代ギリシア文化に七日で構成される「週」という概念がなかったかのように「期間」とされる。また七日周期や日付上の六対一という発想も元来のローマにもなかったと聞く。

七日周期の「週」はシュメール由来らしく月朔望の四形態から来ていると思われ、それは一太陰月が29日と約13時間であるところに近似性がある。但し、休日の概念は不明。

(六対一とは神秘的な比率で、造船や弦楽器制作を極めると現れてくる)

 

当該句、英語訳では【CEB】や【ESB】などが”For a half-week”と訳している。

【Darby】【HNV】【JUB】は”in the midst of the week” これが「間中」と解釈されたか

【GNT】は”when half this time is past”

こう見ると、「週の間に」や、さらに「週の間」と訳すのはヘブライ語のニュアンスかとは異なる。それはヘブライ語に拘ったヒエロニュモスもギリシア語からのニュアンスを持たないところに表れている。

ヘブライ語本文の意図から遊離してしまうから、ここを「半週の間は犠牲が絶えさせられる」というような解釈をするのは冒険であるに違いない。その結果として問題の「契約」がどれであるかが異なってしまう。

しかも、この幾らかの解釈の違いで終末に起こる事柄への判断を大きく異なってくる。ここはどうでも良いところではない。

この点で新改訳の文はどうなのだろう。その翻訳だけ読んでいる解釈師はその訳文のために追随者を率いて同じ穴に落ちるとすれば、まず翻訳者に原因があり、解釈師は聖書の本意に触れていなかったことになる。誰であれ、自分の解釈に自信を持ちすぎて正しさを吹聴するべきでないことは明らかで、真意かどうかについては引き返す道も用意しておかねば却って正しさに到達する機会を自ら閉ざすことになってしまう。

今考えられる理想の聖書としては、確立された本文と異本との相違の対照、LXXとその註解、それらの逐語訳と文法、多様な言語の各種の翻訳がすぐに比較できるもの、また検索と自分のメモが書き添えられる機能を有したものが考えられる。これはある程度実現されつつあり、これにAIを加えると研究効率は史上最高に達すると思われる。但し、根本には研究者個人の性格が問われ、これだけはどうにもならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

異邦人が全部救われる時まで? ローマ11章

甚だしく誤解されている箇所 ローマ11章25節

ギリシア語(プレーローマ)「満たす」は何についての充足を言うのか

 

Rm11:25-27

一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって、こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、/「救う者がシオンからきて、/ヤコブから不信心を追い払うであろう。そして、これが、彼らの罪を除き去る時に、/彼らに対して立てるわたしの契約である」。【口語】

 

その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」【新改訳】

 

一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、
こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、/ヤコブから不信心を遠ざける。これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、/彼らと結ぶわたしの契約である。」【新共同】

 

頑迷さが部分的にイスラエル人に生じたが、[しかしそれは]異邦人たちの[救い]の満ちる時がやって来るまでのことであって、そのようにしてすべてのイスラエル人が救われるであろう、[ということである]。次のように書かれている。

「シオンから救う者がやって来るであろう。

彼はヤコブから不信心を取り去るであろう。

そしてこれは、彼らに対する私からの契約となる、

私が彼らの罪を取り除く時に---」【岩波委員】<Isa59:20-21>

 

原文は

[τὸ μυστήριον τοῦτο, ἵνα μὴ ἦτε ἑαυτοῖς φρόνιμοι, ὅτι πώρωσις ἀπὸ μέρους τῷ Ἰσραὴλ γέγονεν ἄχρι οὗ τὸ πλήρωμα τῶν ἐθνῶν εἰσέλθῃ,

καὶ οὕτως πᾶς Ἰσραὴλ σωθήσεται · καθὼς γέγραπται · Ἥξει ἐκ Σιὼν ὁ ῥυόμενος, ἀποστρέψει ἀσεβείας ἀπὸ Ἰακώβ.

καὶ αὕτη αὐτοῖς ἡ παρ’ ἐμοῦ διαθήκη, ὅταν ἀφέλωμαι τὰς ἁμαρτίας αὐτῶν.] NA.28

 

解釈の例

「異邦人が全部救われるに至る時まで」という表現が、万人救済論を主張しているわけではなく、全世界に救いの福音が宣べ伝えられ、各自が個人の責任においてそれを信じる機会を与えられることになる状態を指している。その平等な機会は、愛の神の願いに基づくものである。

<1Tim2:4を挙げて>

勿論、それは神自身が「これ以上はもういい」と判断される状態であり、全知の神だけがその「満期」をご存じで、人間にはそれがいつ満ちるか知ることができない「時」である。

 ちょうど御子イエスが「時の満ちる時に及んで」この地上に与えられたが、多くの明確なしるしにもかかわらず、人々はその「訪れの時」を知らずにいて、また知ろうともせず、御子が地上から去ったのと同じである。

 

(an east window)様 2017.12.16

 

イスラエルはみな救われる」の「みな」とはとのような意味なのでしょうか?・・
この「みな」というのはイスラエル人が一人残らずという意味ではなく、民族全体としてのイスラエルのことを表しているのです。すなわち、世の終わりに、全世界に福音が宣べ伝えられ、救われるようにと神に選ばれれていた異邦人がみな救われると、それまでかたくなだったイスラエル人たちがこぞってイエス様を信じるようになり、こうして、イスラエルはみな救われるようになるということなのです。おそらくそれは、「残された民」のことを指しているのでしょう。この「残された者」については11章5節にも出てきました。神様は、今も、恵みによって残された者を選んでおられますが、この世の終わり時にはもっと多くのイスラエルがイエス様を信じて救われるようになるのです。 こうして、イスラエルはみな救われるのです。

・・・

28-32節を引用して

ここでは、「彼ら」であるイスラエルと、「あなたがた」である異邦人が対比されて描かれています。すなわち、「彼ら」であるイスラエルは、今は福音に対して敵対し神に不従順な状態ですが、神の約束によるならば、彼らの父祖たちに対して与えられた祝福のゆえに、神に愛されている者なのです。神はアブラハムを選び、「あなたがたを祝福する者を、わたしは祝福する」と約束されました。「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3)と約束されましたが、その約束に変わりはないというのです。神の賜物と召命とはどんなことがあっても変わることがないのです。

 

(大田原キリスト教会)様 2014.1.25

 

 

所見;翻訳に問題があるように思う

異邦人が先にイエス・キリストに帰依し、云わば「選ばれたクリスチャン」が集められた後に、再臨のキリストによってユダヤ教徒か悔いて改宗するというような解釈、またイスラエルを血統上の民族と見做し続け、当該のパウロの句を現実のイスラエル民族の上に適用するものと解釈する原因はどこからのものかと言えば、『満たし』[プレーローマ]がイスラエルをどう満たすのかについてのパウロの真意を得損なう翻訳に問題がある。

[πλήρωμα τῶν ἐθνῶν εἰσέλθῃ]「諸国民で満たされる」のがイスラエルという民族であり、パウロが言いたいのは『諸国民によって[定数が]満たされ、イスラエル[というものの]全体が救われる』の意味であり、ユダヤ人だけでなく異邦人も多く居たローマのエクレシアでは、この辺りのパウロの言葉にペテロやエイレナイオスが云うような性急さがあっても、彼らが実際に聖霊注がれた身であったことにより、彼らにはこの文の意図を明瞭に理解できたと思われる。

この[πλήρωμα]を「満たし」との本来の意味に訳しているのは、上記のもので岩波委員会の訳だけであり、まず、そこで日本語訳の大半の聖書読者は上記引用にあるような解釈を強いられることになる。聖書翻訳が重要なのはまさにこのような箇所といえる。

パウロの言葉の背景には、奇跡の聖霊の注ぎによって、真に水と霊から生み出され、選ばれた者らにしてみれば、ユダヤ人だけでなく無割礼の異邦人にも聖霊の注ぎがあり、それを彼らが実際に体験していたことがある。

一方、それらの解釈の背景には、『新しい契約』に一定数の充足があることの理解が欠如している。

つまり、本来『契約の子ら』であるユダヤ人の『頑迷』即ち律法主義によるメシアへの不信仰のために『新しい契約』に参与する者が足りず、定められた本数の枝に異邦人が接ぎ木されて、その全数が『満たされる』ことを言っている。

そうして黙示録が伝える『14万4千』という、パウロが言う『神のイスラエル』には、異邦人の流入と数の満たしが起こって、それが『祭司の王国、聖なる国民』を最終的定員に達することになり、アブラハムに示された人類救済の子孫で成る『天の王国』が完成され、そうしてイスラエルという民に与えられた神の目的を果たすことが可能となるという意味で『イスラエル全体が救われる』とパウロは言っている。

これはやはり黙示録の中、その第11章でも測られるべき神殿と祭司に相当する奉仕者という『祭司の王国、聖なる国民』、即ち『神のイスラエル』と、その他の測られることのない諸国民という描写にも表れている。

上記の句に於いて、なぜイスラエルが救いを要する事態に陥ったかといえば、現れたナザレ人イエスに対するメシア信仰を抱くユダヤ人が足りす、そこにメシアを深く信じた異邦人がアブラハムの子として生み出されイスラエルの一員として数えられることによって、イスラエルという民の全体が『満たされる』のであって、異邦人そのものが満たされるわけではないし、全人救済論とも無関係であることは言うまでもない。

この異邦人の流入によるイスラエルの救助は、イスラエルのメシアを処刑させるほどの不信仰と大半の民の無反応な鈍感さに対する処置であり、それはイエスに命令を願ったローマ士官についてイエスが云った『東や西から人々が来てアブラハムと宴席を共にするが、この国民は外に投げ出される』と予告されていたことの成就でもあり、それをパウロは『イスラエルに麻痺が生じた』というのである。(そしてこの麻痺は終末にも続く趨勢にある)

上に挙げたどの翻訳も、この意味からは訳してしないので、その発想に到達していない。従って、だれが読んでもこのような趣旨を捉えることはない文章になっている。

そこで、キリスト教徒になる異邦人が増えて、そのため再臨のイエスを見てユダヤ教徒が大量改宗することがイスラエルの救いであるとか、それを司るのが異邦人の満たしの務めであるとかの推論を煽っているのだが、そこで欠如しているのは『新しい契約』による『神のイスラエル』が選ばれた一定数のアブラハムの裔、また『キリストと共同の相続人』となることへの理解である。これはイスラエルという神の選民が何であるのかの視界が無いことを表している。

誤解の生みだす危険

見える様での再臨を想定している教会や教派は本当に多くて、このままでは肉で現れる偽キリストへの防備がまるでない状態であることに驚かされる。キリスト自身が地上に現れるキリストに追随してはならないと再三警告している福音書の言葉をどのように捉えているのだろうか?

このままであれば、一般的教会は終末にアンチクリストの信奉者を構成することになってしまうが、それでよいのだろうか。やはり、再臨でもユダヤ教徒ばかりでなくキリスト教に於いても不信仰と麻痺が繰り返されるかのようである。このままではその趨勢にあると言うほかない。

 

「キリストの再臨が見えるものか否か」これは終末での異常な程に大きな争点になるに違いない。これはほぼ生死を分けるほどのものではないか。

 

この件に関連して

L.G.フロイトマンは「新約聖書に於けるアンチ・セミティズム」の中でJh11:45-54についてヨハネ福音筆者を批判している。

曰く「イエスの死がなぜユダヤ人を救うのか。また彼らを一つにするのか。大祭司カイヤファがどうしてそう視界したかについては説明していない」。「イエスの十字架の敵役が告訴される必要があったこと。その敵役はローマ人であってはならなかったこと。ユダヤ人らはキリスト教を拒否したし、キリスト教徒の抗争相手であったから、その敵役にはユダヤ人が最もふさわしかった。そうすることによってヨハネ福音書筆者はキリスト教徒がイエス・キリストの十字架の死にローマ人を関係させることを避け、ローマを敵に回すことができた。問題は、そのもっともらしいモチーフをヨハネ福音書筆者が見出すことにあった。それゆえ、イエスの死がユダヤ人を救うという11:50以降の示唆は、諸福音書の中に見出される捏造的説明の内の一つに過ぎない」。

これに対し、東北学院大学の土戸 清教授は「散在している神の子らは、カイヤファの預言の文脈においては[離散のユダヤ人らを意味するが、ヨハネ福音書記者は同時に[異邦人をも含むイエスに従うものたち全体を神の民]に含意させていた。さらにカイヤファが政治的レベルの判断により「イエスは国民に代わって死ぬことになっている」と述べ、それに対して、ヨハネ福音書記者は読者にイエスの国民救済にかかわる判断である[世の罪を取り去る神の子羊]を想起させている]」。と論破する。

 

ナチスホロコーストの後に、キリスト教側のアンチ・セミティズムが糾弾される社会的潮流の中で、フロイトマンの節はまた別の一方に偏っていると思われる。

やはり、イエス自身も福音書筆者を使徒ヨハネとしても、ローマとの対立を避けたのではなく、律法体制の中に裁かれるべき重要な要件があった。それでイエスパレスチナに宣教を限ったのも、ローマとの政治的対立を避けるためではなく、もとよりアブラハムの裔にして『祭司の王国、聖なる国民』、それこそが真実のイスラエルを集め出すという目的に沿ったものであったのであり、その要件は『アダムの罪』ゆえに律法順守ではなく、メシア信仰の有無であったというのが真相であろう。

それであるから、アンチ・セミティズムの糾弾は、あらぬ一方に再び傾くことであり、キリスト教ユダヤ教の和解なり接近なりは、キリストの教えとはかけ離れたところで行われる政治的ショーと言う外ない。それは必ずや終末に悪い材料となるであろう。これは宗教間の敵意を煽るためではなく、神が人間に対して何を問題にしているのか、それが初臨のキリストによって模式的にユダヤで試行されたのであり、その本旨を見失わないためのものである。>

 

 

 

 

エゼキエル書第43章以降の要旨

 

エゼキエル書第43章以降に関する確認

 

43:1-

エゼキエルは天使に連れられ(外の)東の門に至る

膨大量の水の音のようなものと共に、YHWHの栄光が東方から神殿の建物に入ってきた

天使はすぐに彼を奥の中庭に移動させる

すると家の中は栄光で満ちていた

 

43:7-

神は(天使を介して)エゼキエルに語りかける

「ここはわたしの王座にして、足の裏を置く場である

イスラエルの子らの中に在って、わたしはここに定めない時まで住む」

「もはや、イスラエルの家もその王らも淫行や王たちの死体とをもって、わが聖なる名を汚さない。 彼らはその敷居を、わが敷居のかたわらに設け、その門柱を、わが門柱のかたわらに設けたので、わたしと彼らとの間には、わずかに壁があるのみである。そして彼らは、その犯した憎むべき事をもって、わが聖なる名を汚したので、わたしは怒りをもって、これを滅ぼした。
今彼らに命じて姦淫と、その王たちの*死体を、わたしから遠く取り除かせよ。そうしたら、わたしは永久に彼らの中に住む」 マソラ(「王たち」ではなく「高い場所の」)

 

43:10-

人の子よ、神殿と、その外形と、設計とをイスラエルの家に示せ。彼らはその悪を恥じるであろう。
彼らがその犯したすべての事を恥じたら、彼らに、この宮の建て方、設備、出口、入口、すべての形式、すべてのおきて、すべての規定を示せ。これを彼らの目の前に書き、彼らにそのすべての規定と、おきてとを守り行わせよ。

 

43:12-

神殿の規定はこれである。山の頂の四方の地域はみな最も聖である。見よ、これは神殿の規定である。
 祭壇の寸法はキュビトですれば、次のようである。(そのキュビトは一キュビトと一手幅である)[普通のアンマに1トファを加えたもの]・・・神聖キュビトによる

 

43:15-

祭壇の炉床は12×12 縁取りは14

43:18-

祭壇献納の日の祭儀

ザドク祭司らによる焼燔、若い雄牛一頭を罪祭とする

血をその上に振り掛けるが、残りの血を四隅の角、装飾、縁取りに塗る

こうして祭壇を贖罪する

捧げた犠牲の牛は、聖所の外のミフカードで焼く[境内]

 

二日目には

雄山羊一頭を罪祭とする

第一日とに同じく祭壇を贖罪する

その後

若い雄牛一頭と雄子羊一頭をとり、塩をかけた焼燔とする

 

七日の間、雄山羊一頭に、雄牛一頭、牡羊を添える

 

八日目から祭司らは焼燔と供与祭を捧げることになる

(「手を満たす」字義)

 

 

44:1-

YHWWHが神殿に入ったので外の東門は閉じられ、開かれることはない

但し長だけはそこに座す

YHWHの前でパンを食するために長は門の廊を通って入り、またそこから外に出る

 

44:4-

天使はエゼキエルを北の門の道から聖所の前に連れて出た

YHWHの栄光が聖所を満たしているので彼は伏拝む

YHWHは『人の子よ』としてエゼキエルにイスラエルについて語る

イスラエルよ、その憎むべきことをやめよ。
 すなわちあなたがたは、わたしの食物である脂肪と血とがささげられる時、心にも肉にも、割礼を受けない異邦人を入れて、わが聖所におらせ、これを汚した。また、もろもろの憎むべきものをもって、わが契約を破った。
 あなたがたは、わが聖なる物を守る務を怠り、かえって異邦人を立てて、わが聖所の務を守らせた。
 それゆえ、主なる神は、こう言われる、イスラエルの人々のうちにいるすべての異邦人のうち、心と肉とに割礼を受けないすべての者は、わが聖所にはいってはならない。
  またレビ人であって、イスラエルが迷った時、偶像を慕い、わたしから迷い出て、遠く離れた者は、その罪を負わなければならない。
 すなわち彼らはわが聖所で、仕え人となり、神殿の門を守る者となり、宮に仕えるしもべとなり、民のために、燔祭および犠牲のものを殺し、彼らの前に立って仕えなければならない。
 彼らはその偶像の前で民に仕え、イスラエルの家にとって、罪のつまずきとなったゆえ、主なるYHWHは言われる、わたしは彼らについて誓った。彼らはその罪を負わなければならない。
  彼らはわたしに近づき、祭司として、わたしに仕えることはできない。またわたしの聖なる物、および最も聖なる物に、近づいてはならない。彼らはそのおこなった憎むべきことのため、恥を負わなければならない。
  しかし彼らには、神殿を守る務をさせ、そのもろもろの務と、神殿で為すべきすべての事とに当らせる。
  しかしザドクの子孫であるレビの祭司たち、すなわちイスラエルの人々が、わたしを捨てて迷った時に、わが聖所の務を守った者どもは、わたしに仕えるために近づき、脂肪と血とをわたしにささげるために、わたしの前に立て」

 

以下、亜麻布の着用と外の中庭での服装、また祭司の結婚の規定が確認される

 

44:23-

ザドク系祭司の役割として

聖なるものと俗なるものの分かちを教え

法の定めによって裁きをおこなう

安息日を聖に保ち、自分を汚さぬよう注意する

汚れた場合には七日の間謹慎し、八日目に罪祭を捧げる

 

44:28-

ザドク系祭司らには、相続地を与えない、イスラエルの奉納物がその受け分

また初物の寄進も彼らのものとなる

 

 

46:1-

奥の中庭の東門は安息日新月に開かれる

長はその門の入口から入り、門の柱のかたわらに立つ

そのとき祭司たちは、彼の燔祭と酬恩祭とを捧げ

彼は門の敷居で、拝して同じ道を帰って出て行くが、門は夕刻まで開けられる

 

但し、民は南北の門から入り、反対側に抜ける

長の犠牲は民と共に行われる

 

46:12-

長が自発的に焼燔や供与の捧げ物をする場合には

東門が開けられ、長が出た後に閉じられる

また、あなたは(誰?)毎日焼燔として一歳以下の牡羊一頭を捧げる

それに穀物を朝ごとに、素祭をこれに添えてささげなければならない。すなわち麦粉一エパの六分の一に、これを潤す油一ヒンの三分の一を、素祭としてYHWHにささげなければならない。これは常燔祭のおきてである。

 

46:16-

長の相続に関する規定

 

聖所の西側にある建物について

 

 

所見;

・『ここはわたしの王座にして、足の裏を置く場である。イスラエルの子らの中に在って、わたしはここに定めない時まで住む』。

これをユダヤ教徒がどう読むか、まず間違いなく実現させようとするし、それが義務であるともするのは目に見えている。

『その王たちの死体を、わたしから遠く取り除かせよ』とあるので、その場所は人の棲んだ痕跡もないような土地が望ましい。

『山の頂の四方の地域はみな最も聖である』これも同様

 

・背教に関わった祭司やレヴィとは何を表すか?

また、その場合「イスラエル」をどう見做すか?

出自を立証できない状態で『ザドクの子孫であるレビの祭司たち』は何を表すか?

二つのイスラエルが考えられる、①血統のイスラエル ②・・・

 

・割り当て地が部族毎に明瞭でも、現実の個人の同定が難しい

直線の区割りにはかなり無理があり、水源確保の問題もある

居住については異邦人はまったく排除されてはいないのでアラブも同居は可能

 

・多分、神殿内の明かりで大多数の人々が騙されるらしい

 

・やはり「長」と「王」の関わりが一度も語られない

新王に関する記述は37章24節以降にない

バビロニアの傀儡王を想定しているか、エゼキエルはゼデキヤを王と呼ばない

サムエルの時代に戻ったようにメシア待望の時点を指すか

しかしダヴィド朝の王がメシアであるなら、第三神殿時にはメシア不在になる

あるいは・・長がナシームであるなら、皇太子扱いが可能であり、ある時を定めて新エルサレムでの王権獲得セレモニーを後でロバを使うなりして行うことも可能ではある。([ある時]とは異邦人の時の終わりか?)

ではその時期はティシュレイの後半か?(ああ有り得る)

ゼカリヤや黙示録の句まで逆用される危険有り、というより使わないわけがない

それで『新芽』について要確認、おそらく『地震』などでゼカリヤの後半に強い関連がある。

 

・もし46:2が「よりかかる」と同義であれば大祭司を指すニュアンスがある。これは『長』に良くも無い『大祭司』エリを象徴的に重ね、自らは啓示に与れず、却ってその悪行の酬いで即死することへの暗示があるかも知れない。

エゼキエル書全体に『大祭司』の文言が存在しないのはゼデキヤを王ではなく属領支配者の称号で呼ぶところにも類似する。40章以降の新制度に『王』の文言もないので、エゼキエル神殿の祭祀には大祭司も王も居ないことになる。

これだけ揃ってくると、エゼキエル神殿はお目出度いものではないことがはっきりするが、それでも善悪二重の意味があり、その姿を捉えることは相当に難しい。

一つ言えるのは、悪も善用して最終的に完全に仕上げるという超絶的な神の意図があるらしいことである。この悪の善用というのが神の奥深さであると同時に、それは現在まで進行中であることになる。そうであれば神にとってあらゆる時間に意義があり、ただ悪を退けるのが神ではないことになる。おそるべきことながら、滅びゆく悪もまた永遠に意義を持つ。それが神の完全性といえる。エゼキエル神殿にその超絶性が込められているのかも知れない。神は何一つ無駄に創っていなかった。善を磨くための悪である。これは秘儀の中の秘儀ではないか。

 

 

 

 

エゼキエル後半註解撰補足 第三神殿の祭儀

註解選揖

 

律法と異なる規定 ⇒「エゼキエルの異様な文言

 

Ezk43:19 ザドク系祭司の任官 牛の子一頭 二日目やぎの雄一頭 祭壇の角に血を塗る
Ex29:10 コハト系祭司の任官の浄め

 一頭の若い雄牛と二頭の雄羊 祭壇の角に血を塗る

 

Ezk43:23 牛の子一頭と、群れの中からきずのない雄羊一頭 全焼燔

神殿の使用までの七日の間、罪の捧げ物として一日につき雄やぎ一頭

八日目から全焼燔の捧げ物と共与の犠牲とを祭壇に捧げ始める

そうすればわたしは必ずあなた方に喜びを見いだす

 

Ezk44:11 レヴィらはわたしの聖なる所で、必ず家の門を監督する地位に就く奉仕者,家の奉仕者となる

1Chr26:1 門衛の組について。すなわち、コラ人ではアサフの子らのコレの子

 

 

Ezk44:17 彼らは亜麻布の衣を身に着けるべきであり、奥の中庭の門や内側で仕えるときには,毛織物を身に着けてはならない

Lev16:4 彼は聖なる亜麻の長い衣を身に着け、亜麻の股引きがその肉の上にある

 

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加えて『長』(ナシー)という立場が何かが不明

バビロニアに服属していたために王の意味であったかも知れないが、エゼキエルは祭祀の一部を司らせている。王であれば契約に在るイスラエルの民を代表する立場での献供を行うべき立場ではあるにしても、この『長』は特別の祭儀を行っている。

長が王より下位にあるにしては、割り当て地にしても権威がより大きく見える。

但し、本書にはザドク系に関する記述以外、大祭司についての言及がない特徴がある。

また、ネティニムの語が存在していない。(これはゼカリヤと関連するか)

 

中庭にの水盤や海への言及がないが、だからと言って存在しないとは言い切れない。聖所で神の顔の前の机には言及があっても、聖所の他の什器については省略されているに違いないところからそのように言える。

至聖所に入った天使はアーロン ハブリートについて語らないが、これも所在は不明となっている。但しエレミヤ3:16との関連があるのか、それとも敢えて語らなかったということも考えられる。<臨在光は至聖所に入らずエゼキエルと語ったか?>

エゼキエル神殿には契約の箱なく大祭司なく、祭司団は居ても長が主要な役割を持つのかも知れない。もちろんダヴィド王朝の王も居ない。これは当時の政治情勢を通して末日の異様さを映し出しているのでは

またネティニムが居ないことも意味深だが、これは却って異邦人には祝福といえる。

 

しかし、これらのどこが律法祭祀なのか、また、より進んだ崇拝と言えるのか。

随所に語られる神の言葉には譴責と皮肉が込められている。

ただ、ほぼ実現不可能な水流には意義を感じさせる。

そこに二重性があり、これを建てるとなれば、不完全なものが出来上がることになる。象徴の優美さと具象の片手落ちがそこに出現することになり、それは霊の聖性と肉の俗性の隔たりを強調するようなことになる。

この神殿を黙示録は拒んでいるように書かれている。新しいエルサレムはまったく超絶的で具象では有り得ないが、エゼキエル神殿は中途半端に建設可能なものであり、完全無欠な実現だけが不可能であり、それは今日のユダヤ教の様相を見るかのようなところがある。

言い訳がましい建設理由が今からでも唱えられているが、これが一気に暴発することになるのでは?この神殿が実現する最大の困難はイスラムにあり、次いでメシアの要件がある。

明らかにエゼキエルの預言は建設を誘っており、ユダヤ教徒キリスト教徒の多くもこの誘惑に耐えられないと思われる。さらにイスラムが関わってくるとこの神殿がシオン山上にない理由が加わる。

 

 

ラビ・ハナニヤ・ベン・ヒゼキヤ

Rabbi Hananiah ben Hezekiah ben Garon

エゼキエル書を受け入れるために大量の油を燃やした」の意味は

自宅に300バレル(47,700L)もの灯油を持ち込み、エゼキエルの矛盾を解決するためにそれだけの灯火を費やして研究を続行したということらしい。この話は、彼の息子エリエゼル・ベン・ハナニヤによって伝えられたとされる。

ラヴ・ユダはラヴの名で彼をエゼキエル書への功績で讃えられるべきとしたと言われる。

彼ハナニヤはエルサレム攻囲世代のタンナーであり、ヤムニヤ会議への参画者であったと思われる。派閥は不明ながらパウロと同門か面識があった蓋然性はある。

この件はヨセフスの発言に関するものではないか?

 

Khirbet monastery Hebron NE 15km

From En Gedi 14km From Hebron 14km  From Jerusalem 30km

Negeb=south 

 

 

ゼカリヤの新芽とエシュア(イエスと同名)の冠、大祭司にして王

アモス地震⇒ゼカリヤのオリーヴ山

神殿の最期?

 

 

エゼキエル後半註解撰

 

 

 

・メシェクとトゥバルの大君である<・・・>

マソラでは「マゴグの地の」というのは、ゴグと分離されて書かれ、この詳述は本来のものかが疑われている。LXXでは39:6をゴグと読む

<やはりマゴグは「ゴグの地」と解釈される⇒「GG」

 

・パラス、クシ、プト いずれも北アフリカであり北方のゴグの従属国には考えられない

 

・ゴメル ギリシアではキムメリア、アッシリアではギミルライ

前八世紀に小アジアのウラルトゥ、その後フリュギアとリュディアの征服者となる

 

・ベト・トガルマ Gen10:3によればゴメルの子、アッシリアではティルガリ

 

・マソラでは「ゴグがイスラエルの地に攻め入るその日には」は旁註

重装備の大軍と災いを予期していない無防備な農村

しかし、YHWHによりゴグの指示により民には知らされていたという要素がある

 

・アバリム

イスラエルの墓地として知られる地、海の東のアバリームの谷をゴグに与え(彼らはその谷を塞ぎ)そこにゴグと全ての装飾品を埋めてこれを「ゴグの装飾品の谷」と名付ける

モアブの高地の北西部はアバリームの名を持ち、この海は明らかに死海を指す

「GG」

 

 

・ハモナ

マソラ;「ひとつの街の名もハモナ(装飾)」、ハモナを「ゴグの装飾」と解説

 

 

 

エゼキエル神殿の記述

エゼキエルは捕囚民の長らに辱めを受けた後にこの神殿の図を描いて見せ、彼らがその通りに行うためにそうするようにと要求された。

ぜルバベルはこれに従わなかったし、しかも実現不可能なところが幾つかある。

アイヒロトはその土台の山はシオン以外にないとしていたが、これは今日一部のアマチュア学者にさえ論破されている。

 

神殿の建築の細部についてはオリエントの古い建造物の正確な知識を必要とする

特にイスラエルの建築の広範な見識を要するが、この点でK.エリガーとH.ゲーゼの研究に負うところが大きい。<20世紀での研究>

また、ミシュナーと食い違うところが出て来ることもある

 

・40:1 ローシュハシャハナへの言及は聖書中ここのみ

それで捕囚後25年=前573-572ながら、それが教歴か政歴かで意見が分かれている

Lvi23:24-25での月の十日を新年の始まりとは言えないので、年の第一月を言うことは間違いがない

ただ、エゼキエル書では民事歴が繰り返し用いられている

<45:21には第一の月にペサハを行うとあるが?>

 

<W.Eichrodtは前753年3-4月と想定し、その山はシオン以外に考えられないというのだが、これはどうか?>

 

ムンナーハ 空地は建物ビンヤーンの周囲に有ってその幅は20エレ

西に向かって閉じられた場所ギズラーに面する建物は奥行70

 

・二つある門の幅 おそらく折り戸としての幅と門全体の幅の違い

「入口の幅は6エレ、入口の幅は7エレ」

 

・聖所の周囲に50エレの空地あり、W.アイヒロトはこれを傾斜地と見ているらしい

<しかし、後のソーレグのような障壁の内側を指していたかも知れない>

 

・40:40「北門のホールの片側に」とする方が「北に向かった門を上ると外側に二つの台が」とするよりも良い

 

40:7 謎句「脇間には階から階へと通路がしだいに広くなっていた」

H.ゲーゼは「そのために建物は上に行くにしたがって広くなっていたから」と捉えるが疑問を呈されている

<建築物の設計としてはやや異様だが、狭き門としてこの字句のままでよいのでは?>

 

40:8 「脇間の基礎は」というのは高さか?不明箇所の一つ

 

40:45 祭司たちの二つの食堂 これは独自のもの

南向きは奉仕の祭司ら、北向きはザドク系の者らのため

歌手らの食堂は一か所

第一神殿では中庭の内壁に沿って食堂が並んでいたが、そこでイスラエルの民と祭司らが供与の犠牲に与ったと思われる。但し、コハト系祭司の聖なる食事は聖所内で行われたであろう

第二神殿には個人専用の食堂が神殿に設置されていた Jer35:4-

エズラとネヘミヤは神殿の中庭付属の大食堂について何度か述べている

特にエズラはエホハナンの食堂に引きこもる時期があった

第二神殿での祭司らは神殿付属の食堂で連れて来た子らと共に食事に与っている

 

41:3 「彼が内部に入り」とは控えめの言い方で天使が至聖所に入ったことを言う

至聖所は20×20で第一神殿に相当するとのこと

 

41:5-12は列王第二6:5-6.8:10に対応するが、細部までを特定するのは難しい

神殿の両側面と背後に三階建ての建物があり30の小部屋があるが、その目的について書かれていない。これらは歴代第二3章以下に相当するものがないので、第二神殿にはなかったと思われる。

<あるいは第一神殿を知る者には分かったのかも知れない>

 

41:8 神殿の周囲に「高いもの」がある

これについてはそれ以上の言及がない

<ソーレグの予見か、但しこの神殿の場合は、聖所が一段高い位置にあるので自ずと壁の必要はないことになる。そのために三方に各一か所の門以外から中庭には近づけない。第二神殿では聖所への門が9か所有ったと伝承される>

 

42:1-14 最も難解な箇所

神殿背後の建物の南北に三つの祭司用の広間がある

祭司らの食事と着替えの場所で、民衆との間に建ち相互の接触が妨げられる

 

42:15- 神殿敷地の測定 (文体が幾らか変化)

一辺が500の正方形(各250m)で外側より高い台地

内庭は一辺50mの正方形で中央に燔祭の祭壇がある

そこから十段上がって神殿の建物がある。しかし神殿の高さは言及なし

また、聖所内の机以外に什器の説明もない

<神殿は入口の門より三段高いので、太陽崇拝の可能性はないとアイヒロトは言うのだが、背教を抑えるのは建築物の構造なのだろうか。三段高いと彼が云うのは聖所の周囲を傾斜地と見做す場合であり、確実性はない>

 

43:1-

神の栄光が東門から入って聖所に入ることで地を照らす光は消え、神殿の内部が照らされる

エゼキエルはその前でその語りに耳を傾けることになる

 

43:3 ケバル川のほとりでみた幻」

LXXでは「そして車の幻」マソラは「幻の幻」

 

43:「神の顕現に照らされた神殿の中」

この反対の描写が10:3-5に在る

 

43:7- 王たちの死骸 姦淫 敷居の一重

<これらについてのアイヒロトの想定は浅い>

<多分、自分はより厳しいカトリック系学者の見解を読んだことがある>

 

43:15 アリエールから上に四本の角が

この最上段は「神の獅子」ではなく「燃やす」の語根から「神の炉」とすべき

 

43:21  罪祭の家畜をとり、聖所の外、家のミフカードで焼かねばならない

意味不明の語、おそらくは「定めの場所」の意

(レヴィ9での罪祭の犠牲の残りは宿営外で焼き尽くされる)

<僅かな違いのようでいて相当な意味があるのでは。つまり、この神殿域にミフガードと呼ばれる場があるとすると、『宿営の外の聖い場所』というもの、また『任官の牡牛の犠牲』や『罪祭』や贖罪の牡牛と山羊の血を至聖所に携えた犠牲の残りを焼き尽くす場が、外ではなくこの神殿域の内部にあることになり、これはレヴィへの規定に反する。だが、問題はただ祭祀の規定の問題には留まらないことになる>*

 

44:15- ザドク系祭司らは反逆の時代にも崇拝を固守したことを理由にしているが

これは歴史的な根拠がないとされる

 

44:6でレヴィの家の務めとザドクの聖所の務めに分かれるが40:45-46では祭司に二つの階級があり、内勤と外勤に分かれている

17節以下では祭司の規定事項が律法に即して求められる

 

<ネティニムが居ない上にレヴィがその任についているがこれはゼカリヤとの関連が匂う>

<この悪行に関わったレヴィというのは・・>

 

 

<上図では水流が描かれていないが、第二神殿のような埋没水路を想定しているのかもしれない>

*<癩病人、父に卑しめられた娘、などが同じく『宿営外』に置かれるところからすると、聖なる犠牲の意味に見えるものがある>

 

献納地の割り当て

45:1- YHWHへの献納地 長さ25000 幅20000 聖域

その中の幅10000に聖所を設けるそこは聖所に仕える祭司のもの

また幅10000は神殿に仕えるレヴィのもの

残りの幅5000は聖都の場となる

25000は大海からヨルダン川に及ぶ

君侯の分は、聖域と都市の両側にあり一部族分の長さとなる

君侯は聖地に隣接することで民の供え物の仲介者としての優位性を与えている

 

 

45:9-17 君侯らの奉儀義務

エゼキエルはダヴィド朝の王については語らず、君侯とその伴である君侯らについて語り、この神殿での祭儀への関与を求める

君侯らは民への課税を行い、祭儀を支える役割を負う 13-15

それが民の贖罪制度を存立させ、民全体の福祉となる

45:18の命令は前の節からすると君侯への命令であるが、名を挙げずに「お前」としている。これは律法との相違にもあるように、それまで存在したことのない祭儀が命じられている

<君侯というのが眉唾ものの扱い>

 

45:22 「国の民」との用語はほかにみられない

俗人を指すものと思われている

 

46:1- 中庭の東門と君侯

安息日新月には東の内門が日中開かれる

君侯はその際に門の傍らに立ち、その間に祭司らは燔祭と酬恩祭を捧げ、君侯はその後に同じ門から出て行く

但し民は北門から入り南門に抜ける

 

君侯は安息日新月以外にも自発的に奉納できるが、同じ手順を踏む

 

46:22 「庭の四隅には小さな庭があり・・」ここはマソラ学者の点符号で意義を唱えられてきた箇所で多くの写本に欠けている

 

オーラト・ターミード 常供の犠牲、とくに朝のもの

 

<聖所内では御前の机のほかに特に言及かないらしいが

それは外庭にも言えることで、水盤も海もない。これを省略と見るか>

<オーラームとはいえ、何度絶えたことか、ダヴィド契約も同様>

 

この他の不明点 ↓

エゼキエル書40章以降の註釈 - Notae ad Quartodecimani

 

 

エゼキエルの神殿祭祀と律法祭祀との相違

・大祭司だけでなく祭司全員が至聖所に入る 44:15-16

婚姻の規定が大祭司だけでなくあらゆる祭司に及ぶ 44:22

ニサン1日を聖日としている 45:18

その日に屠られる山羊は宿営の中で屠られる

しかも神殿の戸柱、門柱にその血が塗布される

 

・祭壇の聖別がない

 

・異様なペサハ

各戸で行われる祭礼が、神殿での長による国民祭にされている

子羊の犠牲が雄牛に変えられている

ペサハとマツォートの区別なく七日の祭日になっている

<これはエゼキエルの時代でも考えられない>

 

・常供の捧げ物の数と時刻が合わない

・スッコートが異邦人にも義務付けられている

<黙示録の先取りでゼカリヤにもある>

 

・携挙信奉者は、天に去った者と地上の神殿の存在の矛盾を

イスラエルと教会の区別として解決できる”とする

 

メシアニックジューは、キリストの再臨により新たな律法が与えられ

第三神殿を用い、悔い改め回復したイスラエル国民によって崇拝されると解釈する

従って、律法的祭儀が肉のイスラエルによって繰り返されると???

 

 

聖都の東西南北に三つずつの門があり十二部族名が与えられる

居住者は十二部族の出身で」なくてはならない

君侯の領域は広大でかつての王の権威をはるかに上回る

<また、王宮のようなものが神殿を含む祭司の領域にない

それでも君侯は聖都に住むと思われる>

 

地名;エングライム 確実な同定ではないが、ヨルダン河口にある

セダドはパルミラに向かう途中にある

 

聖都の北に7部族、南に5部族で聖都は中央より南側に位置している

ヨルダン川以東への土地の断念があり、これは現状に近い

 

 

神殿については設計図とまでにはならず、おおよその見取り図というほどであり、詳細を詰めると不明な箇所が少なくない。

 

シェキーナー光の来臨について述べ、自らは神と語るが至聖所には入らず、そのためか契約の箱への言及が一切ない。

 

トーラーに手を付けることに於いて、これはミシュナーどころではないので、後のタンナーを悩ませたに違いない。神からの啓示でありながら律法を変更しているのであり、そこでどちらに従うか悩むはず。ただこの神殿には不可能なところが幾つかあり、現にぜルバベルは施行しなかった。

 

 

 

 

 

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『一週の間、契約を固く継続させる』2520日÷2=1260日

『42か月、1260日の間預言させる』

『彼らが証を終えた後』

『ひと時とふた時と半時の間』

『絶えず聖なる民を苦しめる』

『時と法を変えようとして』

『1290日がある』(+1カ月)

『1335日に達する者は幸い』(+75日[2ケ月半;++45日])

『三日半の後』

1150日+1260日=2410日 6.666666666666666年 6年216日

大麦の振揺から贖罪の日まで115日

 

『2300の夕と朝』 76.66666666666666月 6.388888888888888年

3年6ヵ月、6年4ヵ月

3年6ヵ月+2か月半=1335日 3年8ヵ月半後

残り 約2年6ヵ月 <どの時点で聖域が破壊されるか不明>

 

週の祭りまでが七週 『七週と六十二週』 49+434=483  

<『七つの時』は週の祭りまで間では? >

契約の開始から完了が一週 (7+62+0.5+0.5)

2300 2070 230 残り450 225

6年4ヵ月-2ヵ月半=6年1ヵ月半 

<おそらく最終的な日数は不明にされているのでは?>

Nisan16-Siwan6 - Tsh10(115)15(120)+50=170 

ヨム・テルアからヨム・キプル 10日 ハグ・ハスッコートまで 5日 合計15

日数は今後も秘儀らしい

『三日半』は実日数ではないらしい

 

 

 

 

 

ルカ21:24 引照密集

Lk21:24

『人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる』。

 

Lev20:23

Ps74:9

Isa1:12

Isa2:3

Isa60:20

Jer2:9-

Jer27:7

Jer30:18

Ezc30:3

Ezc33:24

Ezc34:29

Ezc36:3

Lam2:1

Dan8:13

Joe3:17

Hos4:14

Zep1:9

Zec1:12

Zec1:17

1Mac4:60

Lk18:32

Eph1:21

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以前の記事  

quartodecimani.hatenablog.com

 

そこからの結論として

「異邦人の時」とは、異邦人の反語としてイスラエルを想定するべきように思える。

ルカがその文脈で異邦人と言うのは、神殿の破壊とエルサレムの蹂躙を指している。

従って、その時は満ちるとは、神殿とエルサレムの再建と言うことになる。

そこでエルサレムの蹂躙は、聖徒らの状況に照らすと、彼らの受難と王国への召しとが挙げられる。

西暦七十年のエルサレムと神殿の崩壊からルカの意味する蹂躙が始まったと捉えるのが自然であるので、イエスの言葉はメシアを退けたユダヤ体制を指すのではなく、神のイスラエルを指すとすれば、ローマ軍による崇拝の途絶を、公権力による聖徒らの活動の停止と見ることができる。

 

quartodecimani.livedoor.blog

 

 

 

 

 

プロテスタント系教会の正統性の根拠

 

プロテスタントの基本三大原理

1.聖書を唯一の信仰と行いの規範とする

2.信仰によって義とされる

3.聖職者と教会員の間に根本的区分はない

 

要件

・正統的教会(派集団)はキリストの体の一部を構成している。

・正統か否かは聖書の教えに合致しているところにある

・三位一体説を信じ、キリストを神として崇める

 

解説から

「聖書の教え」とは伝統的な(ルター以降の)理解である

聖書は神の御心の誤りのない啓示である

教会の権威は聖書から来る

エスは主であり、キリストであり信者の代理で模範である。

救いを受け入れる信仰は神の恵みの賜物であって、神の言葉の力を通して来る。

キリストを通して信者は義とされ、神の息子また娘となる。

牧師も教会も神の御前にはキリストの恵みによって救われた罪人である

 

 

所見;「聖書を唯一の規範」とのこと

16世紀当時のカトリックとの確執のある状況下での指針には偏りがあり、上記の原則も過去の一断面として見做され、改善されるべきものであったように思える。

特に「聖書主義」は、一見して妥当のようだが、キリスト教の原理から離れてしまう罠がある。

聖書主義に問題がある根拠としては

ナザレのイエスが現れた時に体制派が躓いた理由が、聖書と異なっている事であった。

エスは見掛け上ベツレヘム・エフラタから来ていなかった。

エスと弟子らは、律法学者らからは安息日を守らず、伝統的権威に従っていなかった。

まさに、ユダヤ体制が神の裁きに陥ったのは、聖書に厳格に従っているという自負にあり、彼らにとって聖書は自分たちの正義の証しであった。

では今日、聖書に正しく従おうとする人に神は正義を与えるだろうか

これは重大な問いで、「聖書がエクレシアの権威である」と使徒時代の信者が言うわけもない。使徒や初期の弟子らの権威のよりどころがあったとすれば奇跡を行う聖霊であり、新約聖書もその聖霊の働きの結果であって、聖書主義そのものが聖霊の無い状態を指し示している。

これは聖書から学ぶものがないというのではなく、聖書と雖も神そのものではなく、かつての聖霊の教えを部分的に留めるものであり、しかも、そのかなりの部分に解明が及んでいない。それはより正確で価値ある解釈を生むことはあっても、その優等性を聖書の記述が担保するには至らない。ただ、人はそれぞれの解釈に対して個人として価値観を働かせるばかりである。それは各個人で異なるであおるから、一種の信仰と言えるかもしれない。確かに、キリスト教帰依者の基礎は個人の信仰にあり、一つの絶対的教理を得心することに拘れば、キリスト教の信仰という基盤を損なうことになろう。

もし、聖書に厳格に従うことが正義であるなら、聖書は人に義を与える証文のようであると言うことになる。それは律法契約的なキリスト教の見方であり、聖書に従っていると思う者はそうしていない者に優越感を持たざるを得なくなる。それはまさにイエスと衝突したパリサイ派の精神ではないか。

そのうえ、自ら「信仰によって義とされる」と言いつつ、信仰というものを否定している。なぜなら、聖書に在る通りにすることが「規範」であれば、信仰は聖書に規定されていることになり、厳密に聖書に従う者に信仰が宿ることになる。だが、初臨のキリストへの信仰は聖書に従うことではなく、御子の行う『父の業』、つまり聖霊による奇跡にメシアを見出すことであった。

即ち、パリサイ派イエス・キリストの論争の争点が、信仰とは何かにあったことになり、イエスに信仰を懐いた人々はほとんどが下層民であり、パリサイ派からすれば清さの規準に到達したいない『呪われたもの』「地の民」であった。

しかし、イエスは『イスラエルの失われた羊』と呼び、下層民と共に在り、聖書に従っているという自負心を懐くがイエスに信仰を持たないパリサイ派を度々に糾弾している。

そこで論点は明らかであり、ルターの時代にはカトリックの酷い非聖書性に煽られたとはいえ、プロテスタントは逆の極端に傾いていた。それは律法を守らずバビロン捕囚を受けた前期と、律法に神経質に服従しようとした後期のイスラエルそれぞれの過ちを見るかのようであり、聖書から実は肝心な要点を学んでいない。

聖書は『どんな諸刃の剣より鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができる』ほどに、個人の内奥を焙り出すところがあり、鏡のように個人を映し出す。つまり、聖書の文言のためにも人は裁かれるのであり、イエスの現れを迎えたユダヤの民は、聖書に自分の義を負わせようとした者らが信仰に達することなく裁きを受け、聖霊の奇跡に信仰を働かせた人々が聖霊バプテスマに至っている。まさに、聖書によって自分の義を誇った者らは、自らの内面にある傲慢さを曝しつつも、それに気付かなかった。

彼らの傲慢さは、聖書を規範としてそうしていない人を見下し、それで居ながら神に自分の義を認めさせようとしていたところに恥ずべきほど明らかであった。

結果として、メシアに信仰を見出した人々は聖霊を受けて『新しい契約』に参与するところとなり、その人々こそが聖霊を受けて、キリストの贖いに地上に居る間から、義の仮の承認を賜ったのであり、彼らについては、確かに「赦された罪人」ということはできる。

だが、パリサイ派の轍を踏んでいながら、誰が「赦された罪人」に成り得るか?

 

これは新教から派生した新宗教の間にも見られる特徴であり、「聖書に書いてあることは信じるが、そうでないなら信じるべきでない」としている。

もちろん、聖書の精神からまるで別物は排除されなくては「荒唐無稽なキリスト教」に巻き込まれる人も出て来る危険がある。

だが、何が何でも聖書の通りがキリスト教であるのなら、既に義は聖書の中に存在している事になり、ただ従順な服従が信仰であり義であることになる。

だが、キリストの到来によって示された事は、そうではない。

信仰とは個人の心にそれぞれ惹き起こされるものであって、聖書に記されているものとは言えない。むしろ、聖書はその誤りを露わにする働きを持っていることをキリストは示したのであり、パリサイ派の落ちた陥穽はそこにあったと言える。

 

であるから敷衍して

まさしく、プロテスタントの系統にある多くの宗派は、この「聖書を唯一の規範」として信仰までも形作るかのように捉えるところに大きな問題を抱えている。

聖書は神の言葉であるゆえにこそ権利の保証書でも、精密な証拠の論文でもない。それらを遥かに超えるもので、人の内面を暴き、その人が本質的にどのような者であるのかを自ら示させてしまう。そのことを新約聖書は雄弁に語っているではないか。

行き過ぎた「聖書主義」は信仰の対象を「神と子と聖書」と言っているようなものであり、基礎から設計を間違った危うい巨大建造物のようなものである。

多くの宗派が、その根拠を聖書だと言いつつ、異なる教理を唱えて自派の正統を主張しているのだが、キリストに見るなら正統はそのようなところにはなく、御子を証しした父の業にあるではないか。(それは同時に、この状況で『父の業』が今、どのような宗派にも存在していないことも示している。すべてが五十歩百歩でしかない。そこで「正統」など、どれも無益な主張である)

 

教理が醸成しやすい人格ー自己義認

聖書に教理や信仰の正しさを求めるというアクションがキリスト教というものに向き合う前に起こされている。だが、そのことには疑問の目を向けないので、自己義認の罠に堕ちている。

これらの影響を受けた人々は、何かと「聖書の根拠はどこか」と尋ねるのだが、もとより「信仰」を懐くために、すべてが聖書から証明されるものであったなら、それは「信仰」ではないし、何もかも正しいことは聖書に書かれているのなら、人は裁かれるいわれもない義人ではないか。はて、人は神にすべてを説明させるほど偉いのか?

「義であるため」には聖書を読んで正しく解釈することになるのだろうか?ならばキリストの犠牲は何のためだったのか?まさに、人が罪人であるからこそ、聖書の中に自分の義など無く、探しても無駄であり、証明のない信仰こそ、個人がそれぞれに見出すべきものではないか。信仰のゆえに全ては語られておらず、エデンで人を監視しなかった神は、同じく人の自由を保ち、信仰を望まれるに違いない。

新教系の「三大原理」には他にも問題を感じるのだが、まず第一にプロテスタント系の「聖書主義」は大いに問題でパリサイ主義の轍を踏んで「信仰はいらない」と言っているに等しい。

これはキリスト教ばかりのことではないが、人には正しさよりも重要なものがある。

それは自らの立場を弁えることであり、そこから慈愛が生まれ、赦しが促進される。

キリスト教ではすべての者が神の御前に置ける『罪人』であるという大前提があり、「正しいクリスチャンが救われる」としてしまうと、戻り難い道に自らを追い込むことになる。その優越感は必ずやその人に不善を為すことになる。

 

この影響を受けていると思うなら、その人は幾つかの事柄を「不明」に委ねるだけでなく、自分が聖書を理解することで高一等を感じるというその誉められない不遜な精神的な傾向を改めるべきなのであって、聖書が裁くのはそこであろう。であれば考え方、感じ方の転換、場合によっては性格の変更を要しているのであり、それは簡単なことではないに違いない。聖書に詳しい事が招く良いところと言えば、パウロの後塵を拝して、倉から古いものや新しいものを取り出す主人になるということくらいと思われる。パリサイや律法学者に見る通り、それが決定的に信仰を形作るとは言えない。足りないのは謙虚さではないのか?それでもなお「自分は正しい」と主張したいのだろうか?

 

 

 

 

LF

 

 

 

 

 

 

 

 

新世界訳聖書のローマ書3:5どうしてこうなったか

The translators of the various languages must have been aware of the errors in the English text of the New World Translation of the Bible.

 

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新世界訳日本語版(1984年)

ローマ人への手紙 三章五節

 

3:5 しかしながら,わたしたちの不義が神の義を際立たせるのであれば,わたしたちは何と言えばよいのでしょうか。神が憤りを発しても不当であるわけではないでしょう。(わたしは人間がするような言い方をしているのです。)

 

問題は”神が憤りを発しても不当であるわけではないでしょう” の部分

前後の脈絡からまるで逸脱してしまって、意味不明の文にされている。

パウロは、イスラエルの信仰の無さによって、神の側の正しさが浮き彫りにされることについて語っており、この日本語版もその前の部分で訳した通り

『その信仰の欠如が,神の忠実さを無力にでもするのでしょうか』という意味を強調するための誇張として、それならイスラエルの不信仰も神を結果的に讃えているのだから、神がそれを罰したら不当なことを神はなさることになると言いたいのである。

英語版では

NWT

3:5 However,if our unrighteousness brings God's righteousness to the fore, what shall we say? God is not unjust when he vents his wrath, is he? (I am speaking as a man does.) 

以上のように、重訳に関わった人々は「忠実に」英文に従って奇妙な言葉に異を唱えなかったか、あるいはその旨伝えても押し切られたのかも知れない。

 

伝統的翻訳では

【NKJV】
3:5 But if our unrighteousness demonstrates the righteousness of God, what shall we say? Is God unjust who inflicts wrath? (I speak as a man.)

 

やはり問題の所在は、NKJVが  ”Is God unjust who inflicts wrath?” としているところを

NWTでは "God is not unjust when he vents his wrath, is he?" として ”not unjust”  という二重否定を用いたところから来ている。これであれば、パウロは随分違った事を語っていることになる。

 

原語本文を見ると

[εἰ δὲ ἡ ἀδικία ἡμῶν θεοῦ δικαιοσύνην συνίστησιν, τί ἐροῦμεν; μὴ ἄδικος ὁ θεὸς ὁ ἐπιφέρων τὴν ὀργήν; κατὰ ἄνθρωπον λέγω.] NA28

問題の部分は” μὴ ἄδικος ὁ θεὸς ὁ ἐπιφέρων τὴν ὀργήν”

直接には「これは不義である、怒りを下す神は」となる。

NWTは「不義」に"not"をつけて二重否定にしたのはなぜだろうか?

 

NKJV以外の翻訳例として

NIV "That God is unjust in bringing his wrath on us? (I am using a human argument.)"

ESV   "That God is unrighteous to inflict wrath on us? (I speak in a human way.)"

DBY  "Is God unrighteous who inflicts wrath? I speak according to man."

 

それであるから一般的日本語訳も以下のようになる

【口語】

3:5 しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか(これは人間的な言い方ではある)。

【新改訳】

3:5 しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。

【新共同】

 3:5 しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。

【岩波委員】
3:5 「しかし、もしも私たちの不義が神の義を明らかに示すのだとしたら、私たちは何と言う[べき]か。怒りを下す神は不義ではないだろうか」。私は人間的に[理屈を]語っている。

 

新世界訳が伝えようとした本来の意味は

『神が憤りを発したなら、不当になるのです』として、そこはヒレル派のパリサイであるパウロらしく『わたしは人間の言い方をしているのです』と言い添える必要を感じたに違いなく、それはローマ書によってその地にユダヤ教徒が多く、弟子たちが異邦人との協調を促す目的を持って書かれているところにも、この但し書きのような表現が求められたといえる。

これは何も難しいことではなく、頭を悩ます内容でもないのに、余計な二重否定を入れてまったく読者を煙に巻いている。

しかし、近年に出された「スタディー版」なる彼らの聖書では

『神が憤りを表すのは不当なことなのでしょうか。(私は一般的な意見を述べています。)』

と、以前の二重否定は消されている。

 

これはつまり、ケアレスミスのような類のものであったらしい。

しかし、日本語訳を作成する時点で、日本語への訳者から米国への問い合わせはなかったのだろうか?

新世界訳の日本語訳にフライングも見られるところから、この辺りに重訳の難しさ、意思の疎通の必要さ、訳者にフィードバックを十分に得させる権限を与えるべきことが見える。

NWTのように数多くの重訳によって世界に広められたのであれば、各地の翻訳者から異論があってすぐに正されたはずであったに違いないが、このようなところに専制的宗教組織の弱点を見るようである。異常に気付いてもお上に盾突くわけに行かなかったのであろう。

無論、完全な翻訳なぞ存在しない。その点ではセプチュアギンタが良い例であり、多様な訳があり、付け加えられた文言も少なくないのだが、それらを使徒と直弟子らは拘りなく用い、却ってヘブライ語本文にない理解を付け加えてさえいる。

原語本文そのものにも書き換えは言うに及ばず、ソフェリームの明らかな書き間違いもそのままにマソラなどの旧約聖書に伝承されている。新約聖書でもルカとマルコは事実関係を誤認している箇所がそれぞれ一か所はあり、聖書を聖霊そのものの奇跡にまで見做す聖書逐語霊感説は、偶像化のようにバランスを欠いたご利益確定主義の産物なのであろう。人は間違いをするものであり、それも真理ではないか。

それであっても聖書には、人知を超えた言葉が存在しており、それは間違えもする人間の筆者に依拠しないことが明らかなところで、やはり神の言葉であり、キリストの例え話のように、理解させようとの意図がすべての部分にあるわけではなく、総量からすれば、未だに理解されていない部分の方が多いであろうし、それは『その言葉が人を終わりの日に裁く』との言葉に理由が込められているのであろう。

だが、間違いは間違いとされなければ本当に誤解が生じるし、上記のローマ3:5の場合には、致命的ではないものの、パウロ論議を努めて理解しようとした信者には、その点での諦観を与えて、探求心を励ましはしなかったであろう、

しかし、多くの読者が、用いる言語の壁に多少なりとも縛られているのであるから、聖書に関しては訳者ばかりでなく、読み手も一つの訳本に捕われない姿勢が必要と言える。

そうでなければ、教え手自身の信仰を植え付けられるか、言いなりに行動する危険も出てこよう。

その点、現代では家庭に居ながらにして、多様な翻訳を即座に比較できるばかりか原語本文も照会できるようになったのであるから、それらを活用してまったく異なる言語の違いを少しでも越えて、聖書の本旨に辿り着くよう一人一人が努めるべき時代に入ったといえる。

今後も、ますます個人の理解の程度を上げて行くなら、聖書を探求する者らの多くが、自ら中世的蒙昧や、カルト的専制を排して信仰の自由に至ることであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

雑記録23-5

 

七つの目を持つ子羊

『わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。』黙示録5:6

・わたしはわたしのしもべなる枝を生じさせよう。見よ、ヨシュアの前にわたしが置いた石の上に、すなわち七つの目をもっているこの一つの石の上に、わたしはみずから文字を彫刻する。そしてわたしはこの地の罪を、一日の内に取り除く。ゼカリヤ3:8-9

・ 主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。歴代二16:9

・その上にYHWHの霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識とYHWHを恐れる霊である。イザヤ11:2

「全地を見通す目」という概念があり、聖徒の選別に関わる意図がある。そこで神殿の礎石としての意義が生じ、それはイエスがイザヤを引用して語った『隅の親石』の概念にも共通している。その礎石の上に組み上げられる十四万四千の石はその礎石によって吟味される。イスラエルの罪を『一日の内に取り除く』とは、聖霊降臨を指すのか、その選別を指すのかは分かり難いが、おそらくは聖徒確定の瞬間を指すように思われる。

 

使徒パウロに関するタイムポスト

・唯一のタイムポストAD55-56

ルキウス・アンナエウス・ノヴァトゥス・ガリ

セネカの兄で51-52年の間アカイアの総督(プロコンスル)としてコリントス赴任していたことが、デルフォイクラウディウス帝の布告を記した石灰岩碑文の断片から特定された

コリントスでのユダヤ人による告訴を受け宗教裁判を避ける(Act18:12-)

この騒動の後もなおパウロは『しばらく滞在し』、その後自らはシリアを目的地としてエフェソスに向けてアキュラ夫婦を連れて旅に出る。

この辺りでもルカは『しばらく』という不定の期間を述べるので、年代を特定するにはむずかしい。<但し、ガラティア書簡の書かれた時期を示唆しているともとれる'>

(ルカとテモテが同行しない状態での旅行)

 

・ガラティア書簡が書かれたのは第三回宣教旅行の前ではないか

ルカが同行していなかった/一度彼らに会っている/ユダヤ主義者からの干渉がある

宛先にはピシディアが含まれていないらしい

なぜアキュラ夫婦もルカもまたテモテすら残して旅立ったのか

聖徒の中での問題の多発が生じていたらしいがルカは反対行動については書くが、聖徒らの内紛については使徒言行録に言葉が減る。コリントスでの最後の滞在で何があったのかも口をつぐんでいる。<これはテオフィロスなる人物への遠慮があったのでは?>この人物は62年頃からのパウロを識っていたらしい。ルカ福音書は95年頃以前には存在していたヨハネ伝承が存在する。

アキュラ夫婦と共にルカがエフェソスに残ったらしくアポロが記述に登場するのはこの後からになる。従って、アナトリア再訪の途上では眼病の助け手がいなかった。

彼がおそらく一人で旅したのは、アナトリアの道中の危険と、ユダヤ主義の蔓延のため以前にはバルナバとこの地方を訪れた際に、アンティオケイアとイコニオムのユダヤの暴徒によりパウロは石打ちにされ死にかけているため、万一の場合を考え、犠牲者を自分一人に抑え、また目立たぬようにアナトリア中部の弟子らを尋ねようと思ったからであろう。やはり、この旅行の道中についての記述をルカは残していないところにそれが表れている。

 

・「第三回宣教旅行」と称するのはどうかと思う

回数でカウントする意味がなく、釈放後の活動の軌跡も不明であるのだから・・

 

・フェストゥスの任期 ca.55-ca62

この総督の任期の確たる証拠は上がっていない。

62年迄であったとするとパウロのローマ移送はその後になる。

 

 

「聖書至上主義と信仰義認主義は宗教改革の二大原則でありそれを持たないものは福音主義とは言えない」

もとより、歴史の厚い層を形成した欧米キリスト教は、積み上げられていった仮定の上に成り立っているので、そこから原初的キリスト教を探るには欧米人の誤謬でできた厚い岩盤に突き当たり、それ以上掘り下げることができない。この点でアジア人は初めから教会が少なく、欧米のキリスト教概念を相手にしないことにより、本来のキリスト教に到達し易い環境にある。もとより欧米はニケーアより以前に戻らず、ヘレニズムの洗礼を浴びたままにヘブライを軽視してきた。

聖書至上主義と信仰義認主義のどちらも聖書そのものが否認しているものである。

欧米人の神概念はキリストの慈悲にあり、自分たちがその中に安んじることを願望している。これは新約聖書中の聖徒への記述の誤解に端を発している。

<こう書くことは簡単ながら改善は絶望的で、その誤解が神に用いられる危険度が高い>

 

 

ルカ12:57は次の節以降と共に、その前の天候の予測の言葉と深く関係し、同じ事柄を別の角度から語っている。但し、聞き手は理解していなかったと思われる。語られた相手は『群衆』となっている。この内容の訓話は他にもあるが、山上の垂訓の中のものにも一つの観点を与えるものであることになる。

 

 

『天の王国』を「天国」に入れ替えることにより、それを信じる者の意識の中で『この世』は定常化し、終末の必要性が消える。これはアウグスティヌスによりローマ帝国によって『天の王国』が並立されるようになったのをはじめとして、キリスト教界ではメシアの支配する千年期を軽視、後に異端視される原因となった。

キリストの反対者からすると、キリスト教界そのものを消滅させることができないのであれば、その中に込められていた最も重要な神の意図を無に帰させるために「天国」の教えは非常に有効であることになる。

「天国」は「千年期」を無効化し、人の保身願望と利己心を引き出すことも出来ることに於いて、その教えの淵源が神への反対者からの妨害であることが露呈されている。

「天国」の教えは、終末の裁きへの意識を薄れさせ、人間に宿る『罪』を直視して『悔いる』機会を奪い、神の意図に信者の意識を向けさせないことに於いて破滅的であり、キリスト教キリスト教ではなくしてしまった。

 

 

教皇不可謬説「信仰および道徳に関する事柄について教皇座(エクス・カテドラ)から厳かに宣言する場合、その決定は聖霊の導きに基づくものとなるため、正しく決して誤りえない」Infallibility

あなたがたは知らないのですか、わたしたちが最初に知らされることが慣習であること、なにが正しいかがここ(ローマ)で決められるということを。
— デンツィンガー57番

われわれはこう教え、定める。すなわちローマ教皇が聖座から語るとき、すなわちそれはすべてのキリスト者の牧者とし教師として、その使徒的な権威によって全教会が守るべき信仰と道徳の事柄に関して述べるなら、それはペトロの名において約束された聖なる力の助けをうけるものであり、教会の信仰と道徳に関する教えについて救い主から来る不可謬性があたえられる。そしてそのような決定は、それ自体によって教会の同意によってではなく、改正不能なものとなる。
— デンツィンガー1839番、第1バチカン公会議 第四会期 キリストの教会 4章

1870年の第一ヴァチカン公会議で決定されたときに、それに納得できないカトリック神学者や僧職者があり、それを教義とすることに疑義が示され、カトリックと決別するものもあった。

 

不可謬説の危機

使徒的清貧を求めたところから13世紀に托鉢修道会が始まっている。

万物所有権の放棄はExiit qui seminatの教書で1279年にニコライⅢ世によって完徳への道とされたが、1322年のヨハネスXXⅡのAd conditorem canonumはそれを否認した。そこでフランシスコ会教皇の不可謬説を援用して反論したが、結果は翌年にヨハネスXXⅡの発したCum inter nonnullosによって、キリストと使徒らは何も所有しないという説そのものを異端と宣言するに至る。ここに前後の教皇で宣言の相違が起り、教皇権への信頼に関わる事態となった。アッシジの聖フランチェスコの無所有に由来

 

 

タンナー期でのカハルからの追放

・ニッドーイ:参加は継続可、三十日間の制限

 汚れた者としての扱いのように家族以外は4キュビト離れる'義務を負う

 '異神崇拝の異邦人の家が隣りであれば4キュビト離れるように壁を調整する

 便所に入るのにティフェリンを4キュビト以上離れた場所に置くべし

 

・ヘーレム:「禁令」の意で、教えることも教わることも禁じられる

 周囲は生活必需物資を取引することだけが許される

 但し、会衆への復帰の機会は残される

 

・シャンマッター:カハルからの完全なる除名、復活なく死すべき者とされる

 死んだ場合に重罪人として土葬されない

 

古来、七日の浄めがあるがそれはカハルからの追放に当たらない

<収税人や娼婦の扱いは、おそらくヘーレムと思われる>

エスに癒された全盲の乞食が『追い出された』という処置が何かは不明

 

 

コル ハ モエッド Chol HaMoed

シュミタの翌年のスッコートの初日(15)に神殿中庭で集会を持ち、申命記31:10-13に従い王が律法の朗読を聴く習慣があった。

この集会は、捕囚後も存続していたらしいが、第二神殿と共に消滅した。しかし1952年から再開されている。

 

ルーラヴの採取 (lulav)[לולב]

ハダッサとアラヴァーを組み合わせてそれらをルーラヴと呼ぶこともある

トーラーではレヴィ23:40にスッコートの初日に伐採するものと規定されている

ミシュナーでは神殿域と周辺でのみ七日間用いられるとされる

但し、それ以外の地域やディアスポラでは初日のみである

 

 

聖徒の理解では、今日のカトリック東方教会、改革派以降のプロテスタントで、信徒のことであり、区別を認めていない。そこにかつての「聖人崇拝」への否定がある。

ルーテル教会では限定的ながらカトリックの聖人の概念を含む。メランヒトンは聖人は限定的ながら讃えられるものとしている。しかし、ルーテル教会としては聖人への祈りは禁じられている。

カトリック聖公会は聖人に祈る。カトリックでは「大いなる聖人の霊」を形成している人であれば、聖人として認められ手順を踏んで「列聖」される。聖公会での聖人はキリストの兄弟でもある。

東方教会での聖人は天にいるすべての人を指すが例外は天使、大天使、アダムとエヴァモーセは聖人ではない。また磔刑でイエスの右に居た盗賊もその謙虚さによって性別されたと教える。また、神は答えられた祈りやその他の奇跡を通して聖人を明らかにすると考えられ、今日でも列聖が行われるが、奇跡を行うことは求められず、高潔な生活を送る人に対して、周囲の任期が高まり、司教会議で承認される必要がある。

コプト教会では、聖人を認定される人は死後50年を経過している必要がある。

 

加えて、聖霊を有していたエクレシアイから聖霊が取り去られてゆく過程が緩慢で変化に気付けなかったであろうことも考えられる。それは「イザヤの昇天」の記述のような史料にも状況が明かされている。

したがって、欧州的キリスト教では、聖霊の降下の有ったエクレシアイが歴史で継続してきたために、新約聖書にある聖徒の祝福がそのまま自分たちに当てはまるものを見做す。そこには人間の祝福や義認への願望も働いている。教会員が聖徒と信徒との区別があることを認めたくないのは、自己愛的態度がある。だが、その一方で自分たちがキリストの道に歩み、迫害に遭うことは望まず、むしろ、異端と思えるものを排撃する側に回り兼ねない趨勢にある。そこにご利益信仰が見えている。

聖人が祈りをとりなすという考えは、聖人に祈る根拠となっている。

 

 

ヨマー86b「同じ間違いは3回までは許すべきであるが、4回目は許されない」⇒Ams1:3

 

 

ある宗教での信者の宗教行動の大きさは、得られる報いの大きさと具体性の程度に比例する。

見返りが抽象的であったり魅力が乏しいなら、信者は増えない。

これは人間が卑近な欲によって動いている証となっている。

 

 

Khirbet monastery Hebron NE 15km

From En Gedi 14km From Hebron 14km  From Jerusalem 30km

Negeb=south 

 

ウルガタ訳の詩篇順は、LXXに準拠しており、現代の詩篇順はマソラ本文に依拠。

 

Ps6:5 [marcy]に[ελεος]を当てている

 

2Th2:3の「背教」と訳される[ἀποστασία]は本来は政治用語で「謀反」

 

 ・三一を擁護し易い箇所Rm10:11-13

ここでShMのあるヨエルが引用されキリストを指しているように読める。

但し、その前の9節には『神はイエスを死者らの中から復活させたと信じるなら・・』とある。

 

 

ユダヤ教、現代の派閥

 

オーソドックス

 タナハだけでなく口頭伝承を受け入れる

 ハシディーム:18世紀のイスラエル・ベン・エリエゼル(バアル・シェム・トッブ)に従   う派で、歌舞による神秘主義崇拝を行う、カバラを用いレバ(ラビ)に従う集団。

黒ずくめの19世紀ポーランドの服装に、ズボンのすそを靴下に入れ、もみあげを切らず、毛の帽子を被り、女性は頭を剃りかつらをつける。

 

保守派

 タナハだけを聖典として口頭伝承を退ける。

 シュナゴーグでは男女同席が認められる自由さを持つが、カシュルートは守る。

 1845年にドイツの都市部から開始された運動で創唱者は

 

改革派

 ベルリンのモーセス・メンデルスゾーンによって始められた運動で、開明的に西欧文明を受け入れ、ミシュナーだけでなくタナハにある規則も象徴のものと見做す。

しかし、近年には保守派に近づいてきた。

 

 

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ヘブライ語の「永遠」オーラーム

タナハ中では、二回繰り返す用例を見ると象徴的な事柄に用いられ

契約にも契約の条項にも二重のものは使われていない。

 

 

 

 

統治体という捏造物

 

ものみの塔の統括するエホバの証人の最高権威が「統治体」と呼ばれる小集団である。

 

 

A governing body は、全米の公立学校に置かれる組織で、校長を含み、その同僚、親の代表、コミュニティと地方自治体からの参加者からなり、「ガバナー」と呼ばれる成員を構成する。

その役割は、校長に対して学校の運営、生徒の進歩、またスタッフを含めた福利の責を問うところにある。

この概念からすると、日本語での「統治体」は大袈裟で、高圧的な印象が強い。

中国語での以前の名称「治理機構」も「支配」のイメージがかなり強かった。その後「中央長老団」と改名したことは、中国の現体制の禁令下で地下活動する状態にある中で当局を刺激しないための方策であった可能性が高い。しかし、その忖度が効くのもアメリカ本国の中央についてであって、矢面に立つ現地の信者と幹部が迫害されるところではほとんど影響しないと思われる。

日本での現在の名称もはっきりと支配を示しているのだが、こちらは改称しないのは、差し迫った理由がなく、むしろ、組織が信者に対して支配的に振る舞うことに都合がよいということが考えられる。仮に日本の体制が変わり、圧制するようになり、ものみの塔が不評や迫害の対象となる場合には、改名されるのであろう。

 

米国の上記のような事情からすると、然程に圧制的な意味を込めるつもりはなかったのであろうけれども、日本語など他の言語や国ではニュアンスは異なってくる。そして実際の行いでは特にラザフォード会長の時から圧制的に振る舞ってきた。会長がノアであった時代には、F.W.フランズが教理の進展に関わっていたために、幾分か米国の公立学校の governing body に近い状況になったかと推察するが、後にフランズ自身が会長に就任することで、会長と運営サイドとの役割を明確化する便宜が生じたらしく、1976年に六つの委員会を作り、フランズ自身は会長であり、また執筆委員会を統括した。これはフランズがノア時代から専ら教理の考案に関わったことの結果と言える。

1994年のフランズ亡き後の統治体は、一時的ながら「1914年から一世代」という体制更新の時期を規定する教理を捨てている。その時期の会長はヘンシェルであった。

 

 

 

聖書中の権威の根拠として「忠実で思慮深い奴隷」Mt24:45 に置いている。

 

この「奴隷」は​エホバ​の​証人​の​統治​体​と​密接​に​結びつけ​られ​て​おり,時宜​に​かなっ​た​霊的​食物​を,エホバ​を​崇拝​する​仲間​に​与え​て​い​ます。

今の時代にだれがエホバのご意志を行なっていますか 第19課 

 

この「密接​に​結びつけ​られ​て​」いる根拠は、現にこの指導集団からのものとされる教理や生活指導を行っていることを指している。<これはたいていの宗派にも当てはまることではある>

 

18 統治体の決定した事柄を知らせる手紙は,「使徒や年長者の兄弟たちから,アンティオキア,またシリア,キリキアにいる,諸国民からの兄弟たちへ: あいさつを送ります」という言葉で始まっていました。この歴史的な会合には他の人たちも出席していましたが,統治体を構成していたのは「使徒や年長者の兄弟たち」だったようです。神の霊が彼らを導きました。その手紙にこう述べられているからです。「聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです」。(使徒 15:23‐29)クリスチャンは,割礼を受けてモーセの律法を守ることは求められていませんでした。この決定により,ユダヤ人のクリスチャンと異邦人のクリスチャンは,行動面でも話す事柄の点でも一致するよう助けられました。諸会衆は喜び,引きつづき貴い一致を保ちました。それと同じことが,エホバの証人の統治体の霊的な導きを受けている今日の全地球的な神の家族にも見られます。―使徒 15:30‐35。

96.7/15「エホバの家族は貴い一致を享受する」統治体が行動するp14 

 

 

13 パウロは2週間にわたるエルサレム滞在中,ギリシャ語を話すユダヤ人に証言しましたが,『これらの者たちは,彼を除き去ってしまおうと企てました』。ルカはそれに加えて,「兄弟たちはこれを見破って,彼をカエサレアに連れ下り,タルソスに送り出した」と記しました。(使徒 9:28‐30)しかし,この賢明な決定の背後にいたのはどなたでしょうか。数年後にパウロは自分の人生におけるこの出来事について語った際,イエスが自分に現われ,早くエルサレムから立ち去るようお命じになった,と述べています。パウロがそれに異議を唱えた時,続けてイエスは,「行きなさい。わたしは,あなたを遠く諸国民に遣わすからです」と言われました。(使徒 22:17‐21)キリストは高い所から物事をしっかり見守り,エルサレムの責任ある兄弟たちを用いて,またパウロに直接話すという方法で行動されました。
14 同様に,聖書を注意深く読むと,異邦人のクリスチャンは割礼を受けるべきか,モーセの律法に従うべきかという問題を解決するために統治体の重要な会議が開かれた時も,その背後にキリストがおられたことは,はっきりと感じ取れます。「使徒たちの活動」の書には,論争が起きた時に「人々[アンティオキア会衆の責任ある成員,もしくは長老であったと思われる]は,パウロバルナバおよび自分たちのうちのほかの幾人かが,この論争のことでエルサレムにいる使徒や年長者たちのもとに上ることを取り決めた」と記されています。(使徒 15:1,2)しかしパウロは,割礼に関する論争を解決するためエルサレムに赴くことになった事情を述べ,その中で,「わたしは啓示があったので上って行ったのです」と語っています。(ガラテア 2:1‐3。ガラテア 1:12と比較してください。)キリストは会衆の積極的な頭として,重要なこの教理上の問題が,目に見える統治体全体によって解決されることを望まれました。キリストは聖霊を用い,それら献身的な男子が決定を下せるよう,彼らの思いを導かれました。―使徒 15:28,29。

 

異例の決定
15 キリストが天から物事を積極的に導いておられたことを示すもう一つの興味深い例は,パウロの3回目の宣教旅行の後に生じた出来事です。ルカの記述によれば,パウロエルサレムに戻ると,そこにいた統治体の成員に詳しい報告を行ないました。ルカはこのように書きました。「パウロはわたしたちと一緒にヤコブのところに行った。すると,年長者たちが皆そこに来ていた。そこでパウロは彼らにあいさつを述べ,神が自分の奉仕を通して諸国民の間で行なわれた事柄について詳しく話しはじめた」。(使徒 21:17‐19)集まり合っていた統治体はその話を聞いてからパウロに明白な指示を与え,「わたしたちが告げるこのことをしてください」と述べました。統治体は,パウロが神殿に行き,パウロが「諸国民の中にいるすべてのユダヤ人に対してモーセからの背教を説き,子供に割礼を施すことも,厳粛な習慣にしたがって歩むこともしないように告げている」という事実はないことを公に実証するよう命じました。―使徒 21:20‐24。

87.8/1「キリストは積極的にご自分の会衆を導かれる」キリストは統治体の成員を支持された p13

 

 

エルサレム会議でのヤコブの決定は、ユダヤ側からのイエス帰依者と無割礼で『新たに転向してきた人々』との交流を一つのエクレシアの中で蟠りなく行わせるために行われたものではあったが、その後のパウロは生涯に亘ってユダヤ主義者と戦っており、解決されたとはとても言い難い。ただ、当時には依然として神殿が機能し、聖徒として存在したエルサレムのエクレシアには十二使徒の残りも居たこともあって、ユダヤ教側からこの件についての声明を出し、一定の判断基準としたのであり、ディアスポラのエクレシアに向けてそれが証人付で知らされている。

しかし、ユダヤ教の崇拝が行われ、ヤコブをはじめとしてナザレ派のユダヤ教徒が多いエルサレムの中でこの件は然程浸透していない。その理由は依然として神殿聖域に無割礼の異邦人は入れなかったのであり、ナザレ派として一つの規準を持つ崇拝にまでは発展していなかった。

従って、異邦人の弟子らからすれば、「キリスト教」の概念なく、ユダヤ教からメシアが現れたことを信じる宗教の中に居て、聖霊の注ぎによる奇跡の業を見聞きし、また本人が体験するという崇拝にあったといえる。

 

信者らの認識として、「キリスト教」というユダヤ教から独立した一つの宗教となるには、西暦七十年の激変を要し、パウロを中心とした使徒らの教えが共通認識として定着されるのを待たねばならなかった。

加えて、最後の使徒ヨハネによる最終的な啓示の下賜があってこそ、霊の崇拝による新たな宗教の確立を見ている。

 

これらの実情から見るなら、ものみの塔の「統治体」の概念には。歴史上の実情が考慮されておらず、聖霊による崇拝という概念もない中で、数人のグループが数百万の信者の上に権威を振りかざすために、実情とはずれた使徒言行録の記述を利用していることが明らかになる。チャールズ・T・ラッセルのグループ設立当初は教理を多数決で採用していたというところも聖霊による上からの導きの無い中で、個人の暴走に配慮していた様も見受けられるが、そのような形式はその後も統治体内部の合議として存続してきた。法人設立後は、宗教団体としての方針の採用を株式を持つ会員の総会に掛け、議決によって採用の可否を決している。

 

統治体の構成員らが避けたいのは、信者たちが自ら聖書を深く吟味し、「永遠の命」を質に取っての支配欲の欺瞞に気付くことであろう。そこで「外の世界は悪魔」との情報統制は、他のカルトの数々と共に必要欠くべからざるものとなっている。

だが、それは「統治体」ばかりでなく、そのピラミッドからに益に与っている中間幹部や、その他の受益者、そして末端の信者も自分の「永遠の命」の確定を願うために、自らものみの塔の「ありがたい教え」を守ろうとし、そこで神に対しても利己的に振る舞っていることを意に介さない。

だが実は「真理」など愛してなぞおらず、神の裁きに対して自分の安泰を欲するので、「組織」を愛し、その拡大に努めて隷属の業に勤しみ、子らを鞭打ち、落伍する者を忌避し、周囲に迷惑を及ぼしていながら、優越感に浸り、自分の将来のために多くの善行をため込んだと思い込んでいる。

これが、繰り返される「聖書レッスンの成果」というよりは「洗脳の完成」である。自ら信者となった人々はほとんど例外なく、自分の内に眠っていた生存願望や利己心や優越感などが要所要所で引き出されていることには気付けない。

その最終結果が「統治体への隷属」である。

もちろん「統治体」が実際に神の裁きが下される時、その請け合った救いに責任を取れるわけもない。彼らは明らかに「神の経路」を称したのであるから、その責は重大となるに違いなく、それは『忠実で思慮深い奴隷』の例えの邪悪な奴隷として確かに描かれている。

その奴隷は主人が到着していないにも関わらず、他の奴隷たちを叩いて宴会を強制してしまったのであり、それら他の奴隷たちも「少なく叩かれる」ことになるが、主役の奴隷は『受け分を偽善者らと共にする』。

どうして、主人が到着したことにしてしまったのかと言えば、その淵源は英米の覚醒運動という、極端な自己義認の歪んだキリスト教からのものであった。すこし冷静に観察するだけで、その本質が利己主義であることは見えている。

どうして、日本人までがその犠牲になる必要があるだろうか?

 

証人支配の問題

キリストの王権がものみの塔の内部では既に到来していると主張し、その権威が統治体にあるとする。

その根拠は統治体が『忠実で聡い奴隷』であり、『家の奴隷』の世話をすることが予告されているからとされる。

そこで『忠実で聡い奴隷』は『主人が到着したときにすべてを委ねる』とあるのだから、統治体には既に他の証人を指導し、支配する権限があるとされる。

また、証人には生活の中で『神の王国を常に第一に求める』ようイエスが命じたのであるからと、ものみの塔の教団を拡大するための伝道を生活の中心に置くよう間断ない圧力をかけている。

だが、この権威は『主人が到着したときにすべてを委ねる』とあり、1914年以降あるいは1919年以降に統治体が真にキリストから『すべてを委ね』られたかどうかにかかっている。従って、覚醒運動以来の年代信仰の上に統治体の権威が築かれているのであり、それが疑われ、または否定される証拠が存在するときに、統治体の権威から組織の躯体に至るまで脆弱になるか、崩れ去ることになる。

そして、その強力な証拠は実在している。 ⇒ 「エレミヤの七十年」

加えて、地上で主の晩餐を行っているが、それはイエスの『到来する時にまで及ぶ』とパウロが教えている以上、キリストの到来は未だ行われていないことをその儀礼そのものが示している。パウロはコリントの仲間に『あなたがたはわたしたちを抜きにして支配を始めたのか』と問いかけ、王国の成員が地上に居る間に、彼らの支配は無かったことを明かしている。

証人に対する統治体の権威の大きさは、聖書中の聖霊注がれた聖なる者の清さを要求して、生活の微に入り細に入り抑圧的であることは否定し難い事実であり、情報や教育の制限、外部との敵対性、人を見る価値観の歪み、世にある諸権威を軽く見て専門家でもない宗教上の上長への従順が強調されることでは、実際的知恵を欠くことになっている。彼らは、神の創始した家庭の自然な関係にまで影響し、教団を支持するか否かで家族の各人に対する接し方までを「指導」する。この「指導」は同調圧力を伴うので、実質的には「命令」となっている。そうして証人は家族よりも教団組織を愛することで、それが家族を真に大切にすることになるとも教えている。

これらの『行いの実』は、ものみの塔の年代信仰の実態を表す指標となっており、この教団は、「ハルマゲドンの恐れ」で証人を縛り、「楽園の永遠の命」というご利益で証人をコントロールするという紛れもない圧制集団であることを示している。

憂慮されるべきは、証人がこれらの事柄に気付いていないことであり、そこに情報統制や同調圧力が強力に加えられていることである。これは心理操作であり、『神の象り』に創られた人間を軽んじ、虐げる孤立的社会を作り上げている。