Notae ad Quartodecimani

情報や資料のノートの蓄積

2012-01-01から1年間の記事一覧

Memo 安息日

新約でキリスト教徒に意味を教えるのはヘブル書第三章 そこでは、入るべき「休み」がそこに残されており、キリストを信じる者は入るべきであり、そこから離れ落ちるべきでない、という。かつての「休み」はエジプトの苦役を脱し、「約束の地」に入植すること…

ヨブ記 舞台裏と意義

ヨブ記の由来ユダヤ伝承はモーセの記したものとしている。非常に古い書で、舞台はおそらく西暦前十六世紀以前のパレスチナの東に広がる「アラビア」、この書に登場する全員が非イスラエル人という点が特異な書。ミデイアンのケニ人祭司エテロからの情報か?…

「魂」(ネフェシュ)翻訳の実態

1.(ネフェシュ)初出箇所「水は生きた魂を続々と出させよ」 創世記1:20 וַיֹּאמֶר אֱלֹהִים יִשְׁרְצוּ הַמַּיִם שֶׁרֶץ נֶפֶשׁ חַיָּה LXX Καὶ εἶπεν ὁ θεός Ἑξαγαγέτω τὰ ὕδατα ἑρπετὰ ψυχῶν ζωσῶν NKJV "Let the waters abound with an abundance of livi…

魂「ネフェシュ」とは何か MEMO

LF 聖書中では、体・霊・魂・命・息・血これらはすべてが異なるものとして描かれる ゲウィーヤー・ルーアハ・ネフェシュ・ハイイーム(Job10:1)・ネシャーマー・ダム 推論する前提としてヘブライ語の特性がある。 「足が走る」(箴言1:16)「目が見る(目…

回復の預言10

予備頁

回復の預言9

予備頁

回復の預言8

予備頁

回復の預言7

回復に関わる12預言書からゼパニヤはエレミヤの一世代前に在ってヨシヤ王の時代からその子らの愚昧な支配の時代に後のユダの荒廃を予告する激しい預言を伝えている。 その激烈な破滅の言葉は、当時のユダヤに成就する規模を遥かに超えており、人類世界の終局…

回復の預言6

十二預言書からの「回復の預言」ミカ書 ミカはユダに属するシェフェラのモシェレト出身。前8世紀770-717年の預言期間。イザヤやホセアにやや遅れながらもほぼ同時代とも言える。イザヤの有名な第2章の句はミカ書中第4章で共通しており、共に「回復」を宣する…

回復の預言4

エレミヤ書に含まれる「回復の預言」を折々に書き出してゆく。ベニヤミンに属するアナトテの祭司エレミヤは、ヨシア王の第十三年から神YHWHの託宣を預かる身となった。彼は当時若かったので預言を授かることに躊躇を感じたが、YHWHは彼を強め後ろ盾…

回復の預言5

エゼキエルは第一次捕囚の中にあって神の霊を受け、民族の直面する災いの意味を流刑囚に知らせる役割を負った。糾弾と災いに続く災いを描き出すその預言は全体として重苦しく陰鬱な調子が続くが、苦悩の波頭を越えてゆくと、遂に輝かしい神の崇拝の幻視に至…

回復の預言3

イザヤ書は終わりに向かって高揚の度合いをますます上げる。その内容はけっして第二神殿期のいずれにも当てはまらないほど栄光に満ちている。 そこでは子らに恵まれるシオンの姿を超え更なる将来を描き出す。 - Isa Chap,60-66 & others 60章の全体 女よ起き…

回復の預言2

前頁からの続きだが、「回復」に関する預言はイザヤ書だけでも相当数に上る。ときおり第三者の発言が入るところは神妙である。これらのすべてがバビロン捕囚の回復で成就したとは到底思えない。請け戻される民の「聖性」は極めて高く、語られた内容そのもの…

回復の預言1

預言者たちの「回復の預言」は本来バビロン捕囚後の事態に関わるものであった しかし、その過去事実に収まらない内容が多いことも拭いがたい。 これらの預言は二千五百年を経ていまだユダヤに起こってはおらず、なお将来の成就を待っている。 その言葉の量は…

利己的崇拝は神を歪める

. 多くのキリスト教徒にとって自らの「救い」が気にならぬわけもないだろう。あるいは、神との関係を得たと思える事象の経験もそれに類するかも知れん。そのように自分の「救い」が確定したと得心するのも「信仰」のなせる業か?この状態に入ると相当に安心…

異兆となる人々

. 大祭司エホシュアとその伴ら Zek3:8「異兆」(モーフェート不思議、印、orオート印) 実際に起こる事柄が印となる。 預言者の常ならぬ行動。⇒ ふたりの証人 Isa 8:18 Heb 2:13 Joe2:30 (スェラスはセーメイオンを必ず伴う) これは2Ths2:3-など悪の異兆にも…

Luk21:24

.Lev20:22 あなたがたが、わたしのすべてのおきてと、すべての定めとを守り、これを行うなら、わたしがあなたがたを住まわせようと導き入れるその地は、あなたがたを吐き出さない。Ps74:9 もう私たちのしるしは見られません。もはや預言者もいません。いつま…

教理控制 (きょうりこうせい)

. 「教理」と呼ばれるものが、神の座に就いて偶像化してしまい、不完全であるにも関わらず、信者の思考や行動を支配させるようなことを許すべきだろうか? この擬人的「教理」は往々にして過酷な独裁者となって、他宗派や他宗教への敵意と闘争の坩堝に人々を…

隠蔵起来

zep2:3 神の法の定めを守ってきたすべてのものよ・・ YHWHを求め、義を求め、謙遜(柔和)を求めよ あるいは怒りの日に隠されるisa26:10 奥の間に入り扉を閉じ身を隠せ 神はレヴィヤタンを殺すisa27:1- 誰も彼女に注意を向けて責めることのないように 夜も…

世代

MT12:43.45 自分より邪悪な七つの霊を連れて住み着きMT17:17 不信仰でねじけた世代よLk9:41 不信仰でねじけた世代よLk11:50 すべての血がこの世代にLk12:54- 特別な時の調べ方を知らないLk11:29- 邪悪な世代はしるしを求めLk16:8 世の子らは自分の世代に対し…

聖徒を汚すもの

.予型であるイスラエルへの呪いを求めたモアブの王バラク その呪いを引き受けようとして失敗し、別の方策を進言したバラムバラムは報酬を願ったとされている 一度YHWHは明確に同行を禁じたが、二度目に尋ねることにおいてそれが表れている。その二度目でバラ…

2Th

. 主の日が来たという霊感の言葉、使徒らから出たかのような手紙 それらに動揺を感じていた。 それに対してパウロはその日が来る前に背教が起こり、不法の人が自らを神として神の神殿の座すという事態が先に起こることを知らせて動揺を鎮めようとしている。…

聖徒の選別

. 小麦と毒麦引き網十人の乙女ひとりは連れて行かれ大いなる業を行わなかったでしょうかミナとタラント狭い戸口を通って純潔な処女豚は洗われて泥の中で転げまわる平服での列席私の名を恥じるものは魂を守ろうとする者はそれを失う裸で歩いて誉れある器偽キ…

「ホ アンスローポス テース アノミアス」

時間的要素Dan11:聖徒攻撃の前、荒憎者が据えられる 聖徒攻撃の後、己を神とする 大王は聖徒を背教に誘う 2Th2:抑制するものが無くなったときに現れる キリストのエピファネイアで除き去られる 毒麦はシュンテレイアに不法を行う 注意点:大王はエピファネイ…

依頼による論述試行

論点1 間違いの無い宗教が存在するか? 「間違いの無い」とは何を意味するか? たいていの場合「救われる」か否かが関わっている。救うか否かは神の決定するところであるが、誰か人が「救い」を請け合うことが出来るか? 論点2 今日、聖霊が人を導くか? 聖…

「裁き」[シャファト]

.断罪だけでなく調停による救いをも意味する。 Gen16:11 בעיניה ישפט יהוה 「イシュポット」裁くように 2Chr Joe3 エホシャファトの勝利 ⇒ ベラカ(賛美)の谷 ⇒ 「裁可」の谷Joel この王のモアブ・アンモン・セイル連合への勝利と「裁きの日」は関連するか…

メモ

1.塵の中に眠る聖徒の裁きは確定している。 裁かれるべきは、生ける聖徒たちであり、人類の裁きの進む過程で共に精錬されるようだ。眠る聖徒は復活そのものが裁きとなるので、霊と出るか、肉と出るかの違いが生じるだろう。 肉に出た場合、反王国の群集の一…

キリスト教における曖昧な正当と倫理

倫理上完全でない人間が倫理的正当を称え得るか?政治党派にせよ、宗教教派にせよそれは現実に存在するか?殊に、宗教において信仰者は自派の正当を信じ込んでいる。 それは相対的なものでさえない。自分たちが間違いを犯さないわけではないが、自派は正当で…

信者も悪魔への反証を提出しうるか

キリストの犠牲は多くの面をもっている。贖罪としての犠牲の奉献だけでなく、神の善性を疑わなかったアブラハムへの神の友情に従う子としての思い、神を神をするべき理由という全創造界にこれ以上なく重大に関わる証拠の提出もある。この最後の証拠の提出に…

キリスト教の独善性に関する断章2

他の宗派を批判して自派を高めるは明らかに相対善である。にも関わらず、自派を唯一正統と称するなら、そこで既に偽りを行っていないか?誰もが間違いを免れないにも関わらず、これをごまかす手段は教理であって、間違った数式のようにとんでもない解に人を…